第4節「ラプールの少女」―2
ざわつきだした森の気配に警戒心を強くし、あたりを見回していく。
まずは眼下に広がる道と道を挟んで向こうにある森。こちらは何の変化もなかった。
次にチケル村がある方面に伸びた街道沿いに目を凝らしていく。一見いつもと変わりない夜道でしかないと思っていたのだが、見続けていた山道の奥、街道の方からゆらゆらと揺れている光がこちらに向かって来るのが見えた。
「なにか光が森の方から? あれは……」
よくよく光を観察しているとそれが同じ鉄製のランタンから洩れる明かりで、明かりの根元には南東化の馬にひかれた大きな荷車がこちらに向かって来ていた。
荷台の上には人を運ぶそれではなく、四角い何かが乗っているように見え、そこの天井からランタンがつるされているようだった。
荷馬車といえば雨よけの布が張られた丸屋根が定番で、あのように四角い箱は基本的にない。なにかしら特別なものを運んでいると口にしているようなものだった。
それこそ、檻のような何かを。
荷台は布ですっぽりと覆われているので中身は確認できないが、普通の荷車ではないのは確かだった。
「すいません、かがんでください。あっちに檻らしきものを積んだ馬車が向かってきます」
「なに? …………。ああ、こちらも確認した。ありゃなんだ?」
「分かりません。どうしますか?」
「どうするもなにも、ここはフレミア殿に任された場。一兵士である俺たちが判断するわけにはいかない。場合によっては見逃すことも考えねば」
「ですが、中身を確認しないわけには……この先には教国しかありません。仮にただ教国へ行くのだとしても、こんな夜更けに移動する馬車が普通の馬車とは思えません」
「とりあえず、君は見張っていてくれ。俺はとりあえずフレミア殿へ報告と応援を頼んでくる」
「分かりました。……あ、待ってください」
「なんだ」
「これ、持って行ってください」
報告へ向かおうとする先輩兵士を引き留め、後ろに置いていたランタンの蓋をほんの少しだけ開け、中の炎が燃えていることを確認し彼に差し出す。
こんな暗い森の中だ、目印をつけているとはいえ慣れていない人間にはとてもじゃないが歩ける場所ではない。
しかし、俺の行動を予想していなかったのか、動揺したように首を振られた。
「ランタンを? しかし、これではここが暗くなる。君はどうするんだ」
「俺は地元なので、明かりが無くても森の中を歩けます。ですが、夜の森はただでさえ暗いので印を見失って迷ってしまえば報告が遅れてしまいます」
「……すまない。ありがとう」
彼は妙な間を開けてお礼を言って俺からランタンを受け取ると、すぐに森の中へ入っていく。途中、明かりが立ち止まったがすぐにランタンの明かりは森の暗がりへ消えた。
彼が行ったのを確認し、道に視線を戻す。馬車が肉眼でも見えるほどになり、馬車自身の明かりで全体像がうっすらと見えるようになっていた。
音はゆっくり走らせているからか、それとも山道で反射してここまで届いていないのかは分からないが車輪を回す音以外ほとんど音がしない。まるで音を消しているようで、余計に怪しさを醸し出していた。
色の薄い安価な木で作られた馬車に馬二頭がゆっくりとした歩みでこちらに向かい、御者台にもフードを被った人影が手綱を握り、同じくフードを被っただれかが二人ほど馬車に続いている。こちらも護衛と考えれば自然ではあるがフードで顔を隠しているのは不審としか言いようがない。
山風が吹きおろし荷台に乗った四角に布が張り付くと、四角の形に張り付き格子状に穴の開いた箱だと分かる。
格子状の檻をわざわざ荷台にくっつけて光の届かない深夜に山道を進むなど普通の商人が行うわけがない。
意味の分からない正しい形の仕事を歪めるためにあの中に捕らえられている人間が居ると思うだけで、はらわたが煮えくり返りそうだった。
手のひらが痛み慌てて握りすぎてしまっていた手を開く。
痛みで冷静になった頬に山から吹き降ろされる風が冷たく刺さり、耳にも馬車の音が着実に近づいてくるのが聞こえ始めていた。
「怒っている場合じゃない。今は目の前のことに集中しなければ。応援はまだか……」
暗闇の中だ、どれほど時間が経ったかは分からないが、馬車の動きをじっと監視している限りそろそろついてもおかしくない時間は経っている。
だが、背後の森から足音もしなければ動物の動く気配すらない静かな森が鎮座し、だれも来ないという焦りと困惑が胸中に降り積もっていく。
このままでは、不審な馬車が国外に逃げてしまう。
「だれも来ない? しかし、もう止めないと馬車が……俺一人で止める? いや俺はただの兵士。フレミア殿の命令なしに動くのは規則的に……」
なにも、できない。
手詰まりともいえる状況で、肌を突き刺す寒さが消えてしまうほどの無力感に歯を噛みしめる。このままみすみす犯罪者と思わしき集団を逃すことになるのか。
その瞬間、大きくなってきた車輪の音がガタンと大きく鳴り馬車が一瞬傾いた。
布と檻の間に隙間が開き、馬車と共に傾いたランタンが照らし出した檻の中が見える。そこには小さな人影――いや、長い耳が垂れた、小さな子供の影があった。
「あれは……。亜人の、子供? まさか本当に“亜人攫い”。……いや、まだ確定したわけじゃない。普通に奴隷の運搬をしているだけだと思いたいけど、亜人嫌いの教国に? くそ……」
腰に携えていた剣の柄を手袋越しに握り、擦れる音が防寒鎧の中に響いた。
そうだ、まだあれが“亜人攫い”と決まったわけではない。なにより応援を呼んでもらっている中、ここで見張りを言い渡された俺が一人で止めるのは難しい。
ギリっと歯を嚙み占める。悔しいがここは耐えて確証を――。
目を背けようとした瞬間。
檻の中の少女の小さな瞳――山の上からでは小麦の粒ほどの大きさにしかならない瞳が、こちらを見上げる。
俺の背後に氷鳥が飛んだのかもしれない。少なくとも夜目の利く亜人でなければ距離はおろか暗さでは見ることすら出来ないはずだ。
音や寒さが気にならないほど集中していたから、檻が揺れていたかもしれないし、偶然周りのフードにそうしろと言われたからかもしれない。
そう、偶然だろう。
だが、ランタンの光すら受け付けない少女の瞳がこちらを見上げている。虚ろになり、動くものを反射でとらえただけの明らかに意思のない瞳が。
何もかもをあきらめてしまい自分の意思で助かろうとすることのできない目だ。
あれは自分の意思でここまで来た人じゃない。俺が……コアコセリフ国の兵士が命を懸けてでも守るべき民の姿だ。
「っ、あれは違う! 弱きものを守るのがコアコセリフ国の兵士であり、騎士の役目! 亜人排除派閥の教国へ向かわせるわけにはいかない!」
自分の命程度の危険のために弱き者を見殺しにしようとした自分に喝を入れるため、剣にかけていた手でこぶしを握り、思い切り太ももに突き当てる。毛皮の下の鎧が擦れカシャンと音を立てて太ももには鈍い痛みが広がった。
あれは見逃していい存在ではない。
自分一人であれを助けるためにはと、周囲に目を向けていく。
背後には駐屯地があるはずの森に、今見降ろしているほぼ垂直の崖。左手には明かりが無ければ地面が見えない殆ど崖ともいえる坂道。
土地勘のない人間が坂を下りようと思えば転がり落ちるのは必然だろう。
だが、俺は違う。
「崖……! たしか、この崖は下りられる場所がある! 昔行けたのなら今も行けるはず!」
急いで立ち上がり、崖沿いを走って視線を馬車に送る。
ランタンがないせいか明かりがない山道は殆ど見えず、記憶を頼りに駆け降りるしか方法がなさそうだった。
あの辺りは岩壁と同じでごつごつとした岩や土砂がたくさんあって、駆け降りるのは昼間であっても非常に危険だ。普通ならここで足を止めて素直に増援を待つべきだろう。
しかし――。
「あれを救わないのはコアコセリフ国の住人として恥! せめて応援が来るまでの時間を稼ぐのが俺の仕事!」
例え世界に馬鹿だと罵られても救えるかもしれない手を伸ばさないのは絶対悪だ。
暗闇を手探りで探し、坂へ突き出すようにして生えた木に触れる。足先で地面を確認しながら慎重に歩を進めていく。
昼間にも確認していたが、山道に下りれる坂は森沿いの近くにある。遅くとも見え辛い今は慎重に行くのが一番安全で一番早い。
それでも一瞬でも早くつけるようにと子供のころ歩いていた感覚を頼りに進み、何度か硬い岩や砂利に足を取られながらも前に進んでいく。
すると、まるでそうしろと言わんばかりに雲の間から月明かりが漏れだし目の前に山道へ下りるための坂が姿を現し、まだこれからだというのに勝利を確信した笑みがこぼれた。
「月明かりも出てきた。これである程度は安全に行けるはず……!」
大きく息を吸い込み呼吸を整えて自分を落ち着かせ、手を木から離すのと同時に地面の岩を蹴る。
板で滑る要領で坂と水平に体を保って先の見えない坂を滑っていき、手袋でいつでも減速できるように地面に触れる。
速度が上がるにつれ防寒帽の隙間から風の冷たさが肌を突き刺し、靴と手袋越しに小石が跳ねて足が今にも跳ね上がりそうになって行く。
このままなら無事かと安心して気が緩み、靴先が固い何かに触れ思い切り体のバランスを崩した。
「あっ、これまず――」
このまま地面に激突するかと思い大けがを覚悟した瞬間、視線のすぐ左下――おそらく山道があったはずのあたりから何かの光が見え目の前に飛び出した岩が現れた。
奇跡ともいえるタイミングで現れてくれた岩を、崩れた体勢の中で何とか足を延ばして着地を試みる。
当然、足はついたものの高い所から飛び降りた電撃が足へ体に伝わり、耐えられなくなった足がわずかな希望だった岩から滑り落ちてしまった。
「ばかばかばかばか! ここで死ぬなんて間抜けは許されないんだっての!」
もう片方の足で踏ん張り、体の傾きが変わった瞬間に無理だと悟り岩を蹴り上げる。再び浮遊感に包まれ、体が回転したのを感じ取り、決死で頭を守りながら体を前転させ衝撃を体全体で受け身を取ることに徹した。
体が坂道にぶち当たり、上も下もわからなくなった頭で自分が坂を転がり落ちたのを理解した。
何度か小さい岩や小石が肩や腰辺りの鎧にぶつかってガシャガシャと音をたてたが、それのおかげか多少の体の痛みだけで勢いが弱くなり、やがて完全に勢いが止まってくれた。
「生き、てる? マジか……」
痛みに顔をしかめながらも顔を上げると、左手側には上から見ていた崖のような坂が。右手には暗闇の広がっている森が広がり、目の前の道からは馬車の音が聞こえてくる。
思わぬ成功に心が浮足立ち、自分がその場をしのぎ切ったことを教えてくれていた。
これが度胸試しだったら、ずいぶんと俺は度胸が付いただろう。
「ああ、最高だ。くそ。もうやらんぞ……」
恐怖と興奮で意味もなく悪態をつきながらなんとか立ち上がると、勇気が全身にみなぎってきていた。
あんなに危険な行為だったのにこうして五体満足で坂を下りられた。
教国が信仰している人間だけを守る神様とやらも、俺の正義を認めているのかもしれないと意気揚々と道を遮るために前に歩み出る。
「そこの馬車! コアコセリフ国、王都から派遣された検問である! 今すぐ馬を止めろ!」
万が一の為、鞘から剣を抜き迫ってくる馬車に対し大声で警告する。
馬車にひかれる可能性もあったが、向こうにも声が聞こえたのだろう。馬のいななきが聞こえひづめの音が緩やかになると月とランタンしかない暗闇でもはっきりと見えるほどの近さで止まり、護衛らしきフードが前に出てきた。