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1章5話 Observer returns.

満天の星の中。

 ドーム状の薄層シールドの窓の外には強化クリスタル製の無数の宇宙エレベータの接続ラインが青蛍光の破線を描きながら旧神階と各階層を結んでいる。

 無数の構造物が放射状に広がながら、上に下にと幾重にも折り重なり浮遊する。

 滑らかな黒い外観を持つ宇宙要塞群。それは統合された三階の構造物であった。

 中心部のひときわ目を引く筒状の大会議場内部に、旧神、解階の旧諸侯ら数百名が旧極陽 比企 寛三郎の号令のもと参集していた。

 大会議場は以前の神階の陰陽階議会場よりも大規模化しており、内部はすり鉢状である。

 各議員に一つずつ宛がわれたブース状の議席は空中を規則的に周回し、会場の使用目的に応じて実用的かつ三次元的な席配置をとっている。


「という事態に陥ったため、非常事態宣言を発令したのだ」


 会議場中央のステージに立ち、手持ちの情報をホログラフィックモニタに広げ余すところなく開示した比企の説明の後、会場は大混乱に陥った。

 比企は以前のような、人々からの信仰を意識し白を基調とした儀礼的な聖衣を廃し、実用的かつ清潔感のある未来的なデザインの長衣を纏っている。

 また、彼は宇宙連邦総統としての責務と誇りは感じているようだが、神として扱われることを嫌った。 

 ただ人であって神ではないとの自覚が以前より強くなっているからだろう。

 だが、議場に集まった議員たちは、神としての自意識が抜けない旧神たちが殆どだ。


「何ということだ、またなのか!」

「INVISIBLEは一体どうしたんだ」

「私たちに何ができる。……ただ死を待つばかりではないか」


 創世者らの壮絶な潰し合い、世界滅亡の危機を経験した旧神たちはもはや諦めの境地に達している。


「いけない、自暴自棄になりかけているわ……」


 同じ議場内で比企の説明に傾聴していた旧数学神・ファティナ・マセマティカは、議員たちの情けない反応を半ば当然のものとして受け止めた。

 終末の脅威が目と鼻の先に迫っていて、対策を講ずる時間が数日しか残されていない。状況は最悪だ。

 この時点でファティナは、生命力施錠バイタルロックをバイタル・コードの割れて尚且つ議場に集まった旧神たち全員に施していたが、この空気の中でそれを告げることは躊躇われた。

 何故といって、効力はたったの三日間だ。

 更に、バイタルコードの分からない旧解階の住民のバイタルロックを行うことができなかった。


「経緯は理解した、我らを集わせた意図は、死の覚悟を決めろというものか」


 長く艶やかな黒髪を指先で弄び、美貌の廃帝、アルシエル・ジャンセンが深い息をつく。

 世界滅亡の危機を乗り越えてきた女帝は取り乱すこともなく泰然自若としていた。

 彼女は彼を試すようにそう問うが、比企が肯定しないことを知っている。

 敢えて聞いているのだ。


「それは違う」


 彼はその場の誰もが抱いていた最悪の想像を一気に払拭するかのように断言した。


「破滅に瀕したとしても、最後のその瞬間まで希望を捨てず、抗う意志を捨てないでいてもらいたい」


 比企は何も諦めてはいないようだった。


「大いなる戦いが始まったのだ。ただ、今度は以前と異なり、敵の姿が見えぬ」

「ふふ、では以前と同じではないか」


 旧神たちのリーダー、比企の毅然とした強固な態度を好ましく受け止めたアルシエルは、微笑んで切り替えした。

 彼女は組んでいた足を戻してすっくと立ち上がり、こんな強がりも言ってみせる。


「二度目の終末だ。死線をくぐりぬけた我らはしぶとい。そう簡単に滅びてはやれぬ」


 一度も二度も死を覚悟した経験によって、肝も据わるというものだ。

 絶対絶命という危機に瀕しても変に力んだり、空回ったりせずにすむ。


「では諸君、対策会議をはじめてよろしいか」


 本題を最初に切り出したことによって、すみやかに議論へと移ることができた。

 とはいえ残された時間のうちに最善の策を講じなければならないとなると、あれこれと試している猶予もなさそうだ。


「それが一時的ではあるにしろ、不安定化した現空間から亜空間へ緊急脱出するためには、超神具・相転星の駆動は必須だ。されど参集の諸君らのうちに、相転星を扱うに足る最低限の資質である全神具適合性を持つ旧神はなし……と」


 かつての特務省職員も含めての調査結果になりそうだ。

 全神具適合性。

 それは藤堂 恒、八雲 遼生、荻号 正鵠、ユージーン・マズローにセウル。

 レイアと織図以外、過去に残った元神々の殆どが備えていた特異体質であり、しかし全神々の中を見渡してもきわめて珍しい素養であった。

 彼らが一人でもこちら側にいてくれたら、何もかもが変わっていたというのに……そう思うと比企は奇妙な偶然を感じる。


「ありやなしやの全神具適合性に固執するよりも、だ。時間がないというならば、相転星の触性抗体を寛容した方が楽ではないのか? 相転星の特殊性は、その免疫機構にあるのだろう」


 古代人を髣髴とさせる古めかしい装束を着た男が穏やかに発言する。

 彼の名はジーザス・クライスト。

 比企の二代前の極陽であるということは周知の通りで、人間をこよなく愛していた彼は悩んだ末に未来側に残ることを選択し、今も昔と同じ装いとライフスタイルで半隠居状態で過ごしている。

 とはいえ彼の言葉はいまだに旧神たちに強い影響力を及ぼし、旧神たちのご意見番となっていた。


「確かに、相違ない。ならば使い手は確保できよう」


 冷静かつ現実的なジーザスの提案に、比企は同意する。

 相転星の改造は比企に任されることになるだろう。

 相転星の触性抗体さえ緩和できれば、特務省に相転星を駆動できる神はいそうなものだった。


「汝はどう見るか」


 ジーザスは傍らに坐していた初老の紳士、ヴィブレ・スミスに水を向けた。

 彼は全神具適合性を持つ模造生命体、八雲 遼生と藤堂 恒を創り出した旧創造神であり、全神具適合性の真髄をよく知る人物である。


「生物学的にその素養を持つものを創出することはできよう、だが時間だ。まず間に合うまい。そなたの言うように」

「さようか。では諸君、相転星の免疫寛容を己に託してはくれまいか」


 比企の発言に、誰も異論はなかった。

 というより相転星を改造できる技巧を持つ人材が旧神階にはいなかったため、声をあげようがなかった。


「相転星の使い手として、我こそはと思う者は名乗り出て欲しい」


バンダル・ワラカの席のランプが光った。

 比企はバンダルの席を中央に寄せるよう手元の盤を操作する。


「貴殿か」


 特務省副長官 バンダル・ワラカ。確かに、自身も超神具を所持し、旧神の中でもトップクラスの実力者ではあった。


「ה י ב ו מ ך ה±(HARMONICS±)の中に戦闘時に得た荻号 正鵠の半物質対データがあり、およそ1時間の間であれば読みだせる。アトモスフィアは一致せぬだろうが、免疫寛容されているならば相転星は扱える筈だ」


 会場はとどよめいた。

 荻号 正鵠かセウルがこの場にいたら……と嘆いていた旧神たちがにわかに活気づく。

 バンダルは掌に円盤を乗せ、これだとばかり掲げて見せた。

 それはHARMONICS±、対消滅を可能とし荻号 正鵠を追い詰め、七度殺した超神具そのものであった。


「それで決まりだ」


 比企も即答した。


「ではその荻号 正鵠のデータはフラーレン・カーボンシクスティ(Fullerene C60)も扱えるのだな」


 フラーレンもまた、神具管理機構で使い手のないまま眠っている。

 荻号のデータが読みだせるなら、フラーレンを遊ばせておくことはないだろう。


「旧絶対不及者、セウルかユージーンのデータはないか」

「セウル、およびユージーンとはה י ב ו מ ך ה±は一戦を交えたことがない。だからそのようなものはない」

「さようか。データは何度読みだせる」

「一度きりだ、一度読み出すと消える」


 しかし、ほぼ絶望的であった状況はה י ב ו מ ך ה±の変則的な利用法の提案によって随分と好転した。


「となれば、避難者を早急に旧神階に集めよう。推定避難民の数は?」

「2億8千万名と概算されます。旧神階4546万名、旧解階が2億3501万名です」


 ヘクス・カリキュレーションフィールドで演算したデータを見ながら、ファティナが報告する。


「宇宙連邦の辺境民をも合算しての話か、旧神階に収容可能な人数だな」


 ファティナに提示された避難可能な陽階のエリアを確認しながらジーザスが、旧陽階への収容を提案した。旧陽階には有事の際の避難設備、避難物資が整っており、新天地を求めて旅立つための方舟としても機能する。


「相転星をもってしても広範囲での亜空間開闢は望めぬだろう。避難場所はできるだけ絞るべきだ」


「連邦全域に通達を急げ。避難にはどの程度時間がかかる」


 旧極陰、鐘遠 恵がついでにファティナに問う。


「二日以内には。避難命令に応じてスムーズにいけば、ですが」


 いつの時代にも危機感を持たない者はいる。

 特に旧解階の住民などは自由奔放に暮らしているため、耳を傾けない、あるいは空間崩落の危機と聞いても腰を上げない状況が容易に予想される。


「一日半が限度だ」


 比企は空間歪曲率の上昇を示すインジケータを横目に見て、ファティナに告げた。

 どう贔屓目に見積もっても現空間は数日ともたないだろう。

 比企はファティナのシミュレーションよりかなり厳しめの予想をたてる。

 それほどまでに、時は差し迫っているのだと誰もが認識を新たにする。


「遅れたものは切り捨てるよりほかにない」


 バンダル・ワラカの言葉は、ありのまま彼らの置かれた状況を示していた。


 会議を終えた比企には一刻も休んでいる時間はなかった。

 その足で居室に戻り、作業台の前に陣取ると、必要な工具を引っ張り出し、一つ一つあらためながら机の上にずらりと並べる。

 彼の秘書官である響 寧々は、彼が作業台の上に載せたものと、無言で戻った比企の表情から空気を読んで、そっと彼のお気に入りの茶を出し、引き下がった。

 このあたりのさりげない気遣いは、長年連れ添った彼女ならではである。


「響」

「はい」


 いそいそと退出しようとして呼びとめられた寧々の声には緊張が滲む。


「予定にはないが、神具管理機構の使者が来たら通せ」

「仰せのままに」


 比企はきゅっとアトモスフィア遮断用手袋をはめ、相転星の入ったクリスタル製の箱のロックを解除した。

 手袋をはめたまま相転星を取ると、やけに重く感じる。

 鈍色の神具に相対して抱く心境は、あの時と同じかもしれない。

 畏怖、そして希望。

 この神具には、かつての仲間たちとの記憶が詰まっている。

 過去に残った彼らはどのような時代を生き、その世界に何を残したのか。

 過去と未来の連続性が断たれたために、書物のうえでも記録のうえでも知る手だてをなくしてしまった。

 そのうえ、彼らの記述はもともとどの書物にも資料にも残っていなかった。

 彼らは歴史の影を人として生き、それぞれの人生を遂げたのだろう。

 決して交わることのない二つの時間軸。

 点と点、線と線をこの神具は手繰り寄せ、結び付けることもできる。


 失われた彼らとの因縁は、目の前の神具だけが取り戻すことができる。


 相転星の優秀な超速演算中枢、ザ・パーフェクト・ムーンは眠りについて久しい。

 パーフェクトムーンが仮死状態であるとはいえ、相転星は強烈な触性免疫を持っており触れたものに死を齎すとされているため、ごく微量であってもアトモスフィアを纏った手で触れないように留意する。

 比企がこの神具に向かうのは二度目だ。

 かつて相転星に蓄えられていたアトモスフィアは枯渇しきっていた。

 以前、壊れていたそれをいちから組み上げた経験が生きて、構造はある程度把握しているし、頭の中に入っており、図面も引いている。


「失礼いたします」


 ほどなくして、寧々が通したのだろう、神具管理機構の使者が訪れ二人がかりで比企の居室に荷物を運び込んできた。

 彼らが配達したのは比企が命じて取り寄せた、フラーレンがおさめられた管理箱だ。

 このフラーレンという超神具は今は誰の所有物でもない。

 宇宙連邦のパワーバランスを司る全ての神具は所持者がいない場合、厳重な倉庫で盗難や破損などから守るために一元管理されている。

 ちなみに相転星は研究と調査のために管理機構の許可を得て、比企が管理していたところだった。

 神具を管理機構より持ち出すとなると普段は数日を要する煩雑な手続きを要求されるものだが、今はそうも言ってはいられない。


「ご指示の通り、フラーレン・カーボンシクスティのデポジットボックスをお持ちしました」

「早速開封してくれ」

「それが……お伝えしなくてはならないことが」


 管理機構の職員は言葉を濁らせ、互いに顔を見合わせている。

 破損した、もしくは紛失したとでも言い出すつもりだろうか。

 比企が眉根をひそめていると。


「フラーレンの他に、デポジットボックスの中に詳細不明の神具が一つ入っているのです」


 デポジットボックス一つにつき、神具は一つしか収納できないのが常だ。

 更にフラーレン・カーボンシクスティのデポジットボックスは、過去に一度も開けられた形跡はなかったという。

 なのに、見知らぬ神具が紛れ込んでいる。

 しかも、何の神具か分からないときている。

 何とも薄気味の悪い話だった。

 管理機構職員による定期確認では何も問題がなかったという。


「詳細不明、と言ったか?」

「はい。過去にもそのような神具が存在したという記録はなく、性能は一切不明です」


 比企は作業をしていた手を止め、開けられたボックスの中に鎮座している神具を見下ろした。

 それは一見、黒く光沢のあるブラックボックスのように見えた。

 箱の中に、入れ子の箱だ。


「箱だな」


 見たままを呟いた比企に、二名の職員は箱のように見える物体の内部構造、密度を示したスキャンデータを示す。


「いえ、神具です。ベースは神銀でできています」

「この神具が要求しているアトモスフィアの型を割り出してくれ。また、他にこのような例がないか、管理機構にある全ての神具のデポジットボックスを実際に開けて確認しろ」

「はい、ただちに。総動員で」


 管理機構職員らは管理機構に比企の指示を飛ばした後、スティック状のアトモスフィアリーダーを近づけ組成を分析する。

 ちなみに以前は負傷覚悟で神具に触れて触性抗体とアトモスフィアの相性を確かめていたものだが、神具のアトモスフィア型は宇宙連邦の時代になってから分析が進み、300の型に分類された。

 事前に神具の要求しているアトモスフィア型を割り出すことができれば、いたずらに触れて負傷することもない。

 旧神階のシステムも合理化が進んでいる。


「3型~289型です。許容範囲は非常に広く、殆どのアトモスフィア型が合致します。サンプル採取しましょう」


 彼らは手際よく神具をフィルムのようなもので拭い、神具に付着していた皮膚サンプルを回収しリーダーにかけた。

 ほどなく遺伝情報から、所有者の情報が割り出される。手慣れたものだ。


「採取された皮膚サンプルには、遺伝情報が存在していません」

「何だと? サンプルの劣化が原因か?」

「いえ……残骸すらもありません」


 一体、神ではない何者が、この神具を扱っていたというのか。

 謎は深まるばかりだ。

 比企はおもむろに手袋を脱ぎ、そろりと未知の神具に手を伸ばした。

 表面を撫で、彼のアトモスフィア――213型のそれを含ませる。


 キューブの表面に回路図が走り、アトモスフィアを蓄光して発光を始めた。

 アトモスフィアを通じた事によって表面がタイル状に陥没し、細かな穴がぼこぼことあいてゆく。

 比企が見たところによると、”メンガーのスポンジ”という、表面積が無限大に発散するフラクタル図形を備えた立方体のようでもある。


「これは有形神具でありながら四元変形型というパターンだな」


 アトモスフィア型が一致しているとはいえ、全く得体のしれない神具に不用意に触れるのは、比企にとっても初めての経験だ。

 まずはナビゲーションを参照しなくては話にならない。


「音声案内を開始」

”思念案内を実行します”


 音声案内を受け付けず、自動的に思念案内が始まった。

 神階に存在する殆どの神具には実装されているであろう、音声ナビゲーションは実装されていないようだった。

 比企も神具の流儀に倣い、思念で命じる。


”この神具は何というもので、所有者は誰か”

”お答えします” 


 未知の神具は、所有者を荻号 正鵠だと言った。

 正式な名はないが、彼は開放軸(Stem Opener)と呼んでいた。



 荻号 正鵠は中空に浮かんだ新たな神具の設計図に片手をかざし、オブジェクトから詳細なイメージを引き出す。

 指先でフリックし、慣れた動作でワイヤーフレームを操ってはくるりと回し、微細な修正を加え、広げては縮めて完成図を確認する。

 16 Von Louisを潰して得た神階のテクノロジーの粋、希少金属、神銀。

 これを高圧レーザーで、あるいは自身のアトモスフィアを圧縮してプラズマジェットとして溶断し下方から母材へ反発力を通じると、空中で神銀の塊は高速回転を始める。

 それを旋盤加工にみたて硬材ナイフでなめらかに削り取る。

 アトモスフィアを冷却材代わりに噴霧しつつ研削し、手作業であるにも関わらず精密機械のように卓越した技術で立体的に緩やかな平面や曲面を加工してゆく。

 彼は闇神と呼ばれていた時代から数多くの神具制作を手掛けてきたため、不眠不休で作業に没頭し続けてもまったく苦にならない。

繊細で完璧な仕上げが彼のモットーである。


 青くきめ細やかな火花が散り、昏い室内をほのかに彩った。

 超神具――その名の物々しさとは裏腹に必ずしも特別な金属を必要とするわけではなく、その性能は神具職人の腕ひとつにかかっており、時空間歪曲神具を造るには特に厳密な調整を必要とする。

 タイムトラベルの原理はいくつかあるが、彼は重力により局所場を造ることで環形の特異点を生み出し、特異点を超速回転させ内部に物質を送り込んで別の時空に繋げる、相転星と同じ原理での歪曲方法を採用しようとしていた。


「この回路を経由した方が伝導効率がいいかな。もっと作用場を拡大できるようにした方がいいか……」


 ぶつぶつ呟きながら、室内を漂うパーツの数々を選び一瞥することもなく工具を意のままにその掌に吸い付かせる。

 彼はGED細胞様コンパートメントへと全身の細胞を置換したことにより、新たに念動力を手に入れつつあるようだ。


「あ」


 金属音が床に反響する。

力加減を間違え、パーツを取り落としたのだ。

神銀は、アトモスフィアを加えながら磨き上げれば半透明になり、キーンと澄んだ音で共鳴をする合成素材だ。


「まだ思い通りにはいかんか、人間の脳とその神経網ってのは侭ならんものだ」


 新たな能力を獲得しながらも、念動力発動までにかかる神経間の伝達速度に起因するタイムラグがお気に召さないらしい。


「よくこんな反応遅くて人間、生きていけるな。脳止まってんのかな。しかもこの速度で神具のコマンド入力が間に合うのか?」


 首を捻りながら自問自答している。

 いっそ脳細胞も代替細胞に置換するか、と思い至り、待てよと思いとどまる。

 彼はこのGED細胞様コンパートメントが最善の代替細胞だとは考えていない。

 彼の頭脳をもってして発想は無限に湧いてくる。

 だが、その構想を実現するためには現代科学では入手できない暗黒物質を多く必要とする。

 まだ現代で実現可能な段階にはなく、時代が彼の頭脳に追いつかない。

 落ちたパーツを拾い上げようとしたときだった。


『荻号さん、いるかー?』


 室内にインターホンが鳴り、白壁に映じたスクリーンに通信相手の立体映像が繋がっていた。

 彼を呼んでいた褐色肌で一見黒人風の男は、かつての陰階神にして死神、名を織図 継嗣という。

 現在ではナイジェル・ダグラスと名乗り世界中を飛び回り気ままな旅をしているらしかった。


「ああ、あんたはどこだ? 何だか涼しげだな」


 サイドモニタで発信者の位置情報表示をオンにすると、南米、アルゼンチンはイグアス国立公園と表示されている。

 織図は上空から雄大な大瀑布を見下ろしているが、観光目的ではないらしい。


「そこか。ということは、見つかったのか」

『その通り』


 織図は鉄さび色の棒きれを、おどけた調子でひらひらと振ってみせた。


『何故かイグアスの滝の裏の洞窟に。しっかしまあどいつもこいつも……生物階に壊れた神具転がして神階に戻るなよ、な』


 楽しそうに悪態をつく織図に、荻号は手を止めず作業を続けている。


「お前もその一柱だろうが」

『違いない』


 織図は開き直る。


『で、どんな神具になりそうなんだ? こいつも必要かね』

「素材は多ければ多いほど捗る、今、そっちに取りに行く」


 荻号は織図の座標を確認すると、周囲の視覚情報を取り込んだ。

 集中を高め転移先の座標情報、景色を脳裏に映じる。

 転移術の要領は以前とは異なり、新たな肉体では自己と非自己のボーダーラインを定義するのは煩雑で困難だ。

 以前は半ばそれが自然にできるように脳にプログラムされていたのだろうが、どこまでが自分の肉体であるのかを、明確に認識していなくてはならない。

 万物の物理、物性、原理は分かっていても、神体のスペックに頼らず自身の努力のみを頼りに、以前は当たり前のようにできたことを一つ一つ取り戻し能力を獲得してゆくことは決して容易ではなかった。

 歯がゆいまでの不自由を苦に思わないかというとそうではない。

 しかしその不自由を不自由だと思うことこそが人間という生物の本質なのだろうと、荻号は十年の人間生活を経て実感するに至った。


 遥か昔。


 彼が闇神と呼ばれ万能の最強神と持て囃された大過去、彼に不可能なことはなく望むものは全て手に入ったが、心は枯れきって死んでいるも同然だった。

 しかし今では何もかもが違う。

 何故なら現在の身体は不自由に満ちていて、望むものが手に入ることのほうが珍しい。

 だから彼は不自由を解消するため、たゆまぬ努力を続ける。

 人となったことで極端に衰えた自己から目をそらさずにいると、時間は無為に彼の脇を通り過ぎゆくものではなくなった。


 何も不自由に感じなくなってしまったら、生きている意味がない、彼は切実にそう思う。

 目の前に不自由があり、克服するために努力を惜しまない。

 それは人間ならではの、苦しみに満ちた愉快な体験だと気づいた。


 一方この十年間、彼以外の元神々は不自由であることに鈍感になりすぎているように見える。

 それはそれで人生を謳歌しているともいうのかもしれないが――。


 些末な事を考えているうちに、気が付けば細胞を分解し尽くされるような不快感とともに転移は完了している。

 両手に視線を落とし、呼吸を整えて「自己をこの空間に連れてきている」ことを確認する。

 忘れ物はなかった。


 転移先では織図がだらしない姿勢で一服しながらふかふかと浮かんでいる。

 下方からせり上がってくるような滝の轟音に気を取られて気配に気付かないのか、背後にいるのに振り向かないところを見ると完全に油断をしているようである。

 荻号は少し声を張った。


「きたぞ!」

「うおっ、もう来たのか! 一服する暇ぐらいあるかと思った」


 以前の荻号は転移すると宣言してから実際に転移し終わるまで数分はかかっていたものだが、ほぼ通話を終えると同時に出現し織図の度胆をぬいた。


「慣れてきたんだ」


 何事もなかったかのようにのたまう孤高の天才に、織図は口元をひきつらせ苦笑するばかりだ。


「ああそうかい、あんたには呆れるよ。何でもかんでも……」


 何でも簡単にできてしまって、という彼の言外の感想が透けて見えたため、荻号はそれは違うと否定しかけたが言葉には出さなかった。

 否定したとしても、何を剥きになっているんだと怪訝な顔で失笑されるだけだろう。


「それで?」

「ああ、モノはこれだ」


 織図から年代物の神具のスクラップを受け取った荻号は、時間をかけて検分した。

 持ち主の残留思念は残されていなかった。

 ましてや完全に回路が破損していて、駆動などできたものではない。


「千年程度前のものだな、神銀が酸化しはじめてる」


 それでも、神銀は神銀だ。

 天然には決して採掘されず、現代科学では合成できない貴重な神具材料である。


「これは確か先代陰階時神、まあ夜刈さんの一代前の姚 王涛さんの神具、天翔三限杖てんしょうさんげんじょうだろう……ってもあんたは姚さんを知らないか」


 何しろ荻号 正鵠はノーボディによって一万年以上もコールドスリープ下で氷漬けになっていたので、その間の神具の出自や性能、持ち主については織図の方が詳しい。

 しかし荻号は、覚醒してすぐに彼が寝ていた間の出来事や言語データを一通り攫っていたので、神階の一般常識は身につけている。


「知ってはいる。天翔三限杖には時空跳躍機能があった筈だ」

「あまり期待しないほうがいいだろうけどな。姚さんは枢軸神ではなかったし」


 荻号が開発し実用化しようとしている、相転星に代表される時空間歪曲神具の類は、時空に干渉するだけのエネルギーを確保するために常神では駆動することすら侭ならないほどの大容量のアトモスフィアを必要とするので、必然的に枢軸神御用達の神具として認識されていた。

 天翔三限杖が時神の神具であったとはいえ、陰階神の姚が、それだけの性能の神具を使いこなせていたとは思えない、と織図は言うのだ。


「てことは、時空制御素子が運がよければ入ってるかもしれない」


 荻号は天翔三限杖の表面に走ったアトモスフィア駆動回路を読み解き内部構造を類推すると、柄を惜しげもなくパキンと折った。

 中から何重もの銀の薄膜に包まれて現れたのは小指の先ほどの大きさの、くすんだアメジスト色の結晶体だ。


「やはりな。小さいが、これで十分だ」


 状態を確かめるようにアトモスフィアを通じれば、高潔な白金の輝きを放つ。

 この部品によって一つ目の超神具の完成までの青写真が見えた。

 荻号が目当てのものを手に入れ、すっかり満足をしていたその時だった。

 つう、と彼の手を通して何か、体内を熱砂が通るような心地を味わった。

 荻号は手を止め、じっと一点を注視する。

 次第に浮かび上がってきたものを見て、彼はコバルト色の瞳を眇めた。


「生きていたか、INVISIBLE」


 彼の手の甲に宿ったのは、幾何学模様で編まれた黄金の光、聖痕スティグマだった。

 時空制御素子を通じ、遥か高次元から一度は閉ざされたスティグマという唯一のゲートを介して、GED細胞様コンパートメントに置換され人ならざる者と化した荻号に宿ったのだ。

 荻号を依代として選んだのは、やむを得ずといったところか。

 荻号もINVISIBLEが居心地よく憑依できるプライマリの肉体を持っているわけでもないのだが、荻号が偶然時空制御素子を握った瞬間を待って何とか下位次元へのトンネルを開いてやってきたのだろう、彼はそうあたりをつける。


「荻号さん、それ……手に何をくっつけてんだ?」


 二度とはお目にかかれないと思っていたスティグマを荻号の手の甲で目撃した織図は、火のついた煙草をぽとりと落としていた。


「依代は俺でいいのか?」


 じんわりと荻号の意識の中に、INVISIBLEの思念が広がった。


【すまないが、借りることになるかもしれない。わたしは時空の観測者として重大な見逃しをしていたようだ】


 最善を尽くした結果、それでも力が及ばなかったのだろう。

 INVISIBLEは憔悴しきっているようだった。

 荻号は、生きた時代は違うとはいえ同じ人間である彼に無謬性を強いたり、お前は全人類の存亡の鍵を握る超越者だろうといって責めたりはしない。


「なあに、そう落ち込むなよ。人間、失敗することだってある。そんな時はまた、最適解を捜せばいいのさ」


 かくして渾身の力を振り絞り、史上最後の人類、INVISIBLEが現世に帰還したのだった。

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