1章2話 The one who did not change.
カラカラと音を立てて年季の入った黒い重厚な引き戸をあけ、藤堂 恒は創作料理 しほりの暖簾をくぐった。
「ただいま」
店内は週末の風景で、顔なじみの地元の客で賑わっていた。
席は七割ほどが埋まっている。
「おう、息子が帰ってきたぞ女将さん、レイアちゃん」
ほろ酔い気分の常連客から出し巻き卵と刺し盛りの注文を受けたあと、レイアは嬉しそうに小走りに走ってきた。
レイアは今年、20歳を迎えた。
志帆梨の店で土日だけアルバイトをしている、看板娘だ。
ウェーブのかかった艶やかなブロンドを耳の横でまとめ、大きな碧色の瞳をぱちくりとさせ、透き通るばかりの白さの肌に薄化粧をした彼女は神々しいまでの美女だった。
恒も時々、見惚れてしまう事がある。
フリルのついたピンクのボーダーのエプロンを細い腰に巻いている。
華奢でしなやかなスタイルが、無自覚に客の目をひいている。
レイアは恒を出迎え、はたと彼の顔を見詰めると、何やらいつもと違う雰囲気を察したらしい。
「おかえりなさい。何か、いつもと違う?」
開口一番、レイアは小首をかしげ恒を気遣った。
ふんわりとした甘い声質が優しく恒の耳をくすぐる。
彼女ももう、肉声で会話をすることに難しさは感じないという。
「ただいまレイア、……そうなのかもな」
肯定も否定もできなくて、曖昧な返事になった。
レイアはいまだに看破ができる、できるが、恒のマインドギャップは読めない筈だ。
それでも気付かれたということは、恒がひどく動揺していたり、浮かない顔をしていたから、かもしれない。
「こんばんは。おじゃまします」
自転車を軒先にとめたらしいユージーンが、開けっ放しの扉を閉め暖簾から顔を出す。
彼は恒とは正反対に、明るい表情で店に入ってきた。
志帆梨に心配をかけてはいけないという配慮からだろう。
「あらら! いらっしゃいませ、ユージーン先生」
奥から濡れた手を手ぬぐいでふきながら出てきた割烹着姿の店主、志帆梨も思わぬ来客に声を弾ませる。
「こんばんは、志帆梨さん。今日もお世話になりますね」
恒は勝手知ったる店のカウンターからユージーンと自分の生ビールを2杯をジョッキに注ぎ、つきだしの枝豆を器に盛って、個室に二人で陣取った。
豆腐サラダ、あさりバター、牛すじ大根、刺し盛りなど定番の一品を適当に志帆梨に注文し一段落つくと、ユージーンはノートを広げ今後の計画をアウトラインにしてゆく。
レイアが料理を運んでくるたび話を聞きたそうにしているので、
「話がまとまったら、後で全部話すよ」
と言うと、にこっと笑顔になり個室の扉を閉めて下がっていった。
恒の心境としては、妹のような存在であるレイアを不安にさせる話は少しでも先延ばしにしたかったのかもしれない。
しかしそれも、ほんの数時間のことだ。
「さあ、どうするかな」
ユージーンはおしぼりを額に当て、静かなため息をついた。
今度という今度は、彼もさすがに参っているようだった。
「SOMAというのは、まずどのようなものだろうね。君は未来視の中でSOMAを見ただろう。思い出してくれ」
まっさらのノートを開きSOMAとペンを走らせるユージーンに、恒は明瞭で確かな記憶を呼び出す。
新薬への手がかりは恒の記憶の中にしかない。
正しい歴史で開発されるであろうものより優れ過ぎても劣ってもいけないのだ。
全く同一の効果を持たせなければ、歴史を修正することはできない。
「疾患治療関連酵素群、染色体維持ユニット、DNA修復関連酵素群、dsRNA多種標的万能ワクチンだったと思います」
こんなとき感謝したいのは、恒の持ち前の記憶力だ。
それは写真記憶に近かった。
「ふーむ。では、治癒血のコンセプトとも違いそうだね。無機化合物ではなさそうだ、生化学的なアプローチが必要となる」
疾患に対する有効成分を詰め込んだだけ詰め込んだ溶液の状態が、要するにユージーンがかつて有していた治癒血というものである。
治癒血の作用機序は有機、無機化学的なアプローチに基づいていた。
だが、SOMAは治癒血とは全く異なるコンセプトのもとに創出されたワクチンであるらしい。
「染色体維持ユニットというのが、肝心なんだろうな」
長寿化に関係していそうな要素はそこだ。
「でしょうね――」
恒とユージーン、医師二人が唸り、互いの顔を見詰めた。
ときどきビールを啜り、料理をつまみながら双方どことなく変顔になっているのは、これは相当苦戦しそうだ、そう口に出さずとも目に見えていたからだ。
ああでもないこうでもないと意見を交わしながら30分が経ち、1時間が経過した。
レイアがバイトの時間を終えて、いそいそと個室に入ってきて恒の隣に座り、手には自分で作ったカシスチューハイを持参している。
ユージーンと恒はレイアに一通りの経過説明をすると、レイアはうーんと唸って考え込みながら恒にちょこんとよりかかる。
「何だか私には難しい話?」
医学関連はレイアの得意分野ではなく、彼女は文学部で歴史を専攻している。
恒はもう一息で何かを閃きそうな気がする。
「相変わらず、仲がいいねえ君たちは」
ユージーンは何年経っても仲睦まじい義兄妹に感心する。
「先生のお子さんたちも仲いいじゃないですか」
「まあ基本仲良しだけど、よくケンカもするんだよ。それもごくつまらないことでね」
そう言いながら、彼は子供たちのことをしみじみと思い出したようだった。
家族の為にも、何としてでも歪な未来を回避せねばならない。
そんなことを想いながら、彼はビールを飲み干す。
「ところでユージーン先生、ゲノムを調べて俺たちの推定寿命が長いって言っていましたよね。その情報って」
「アトモスフィアのせいもあるのかもしれないけれど、染色体がきわめて安定なんだ。細胞の寿命も長い。詳しいデータは家にあるんだけど」
「その原因をつきとめて、技術応用できませんか。SOMAに近いものになるはずです」
よくよく考えてもみれば、正解は彼らの細胞の中にある筈だった。
*
混沌とした夜から一夜明け、恒とユージーンとレイアは三人で風岳村のとある一軒家を訪問した。
そこは表札に荻号とかかっている元借家であったが、今は借家ではなく大家から家を購入しているらしかった。
それにしてもこの苗字で問題ないのかと恒は思うが、彼はれっきとした日本国民となり、感心な事に納税もしていた。
彼は自宅の庭で栽培された薬草や野菜を売ったり、フィドルの演奏で生計を立てているとのこと。
薬草園のような、見慣れぬ奇々怪々な植物がところ狭しと生えている庭園が目に入る。
恒も継時的に庭の様子を見ているが、年々よくわからない植物ばかりが増えてゆく。
それを隣の大家がどう思っているのかは知らない。
荻号は、インターホンを押さなくても庭先の縁側でフィドルを片付けていたところだった。
黒いシャツに、カーキ色のボトム。
首や腕には装飾具とも呪具ともつかないリングを身に着け、よく言えばとらえどころのない魔術師のような怪しい風体と、ともすれば二十代にも見えるその顔貌はこの十二年間、まったく変わっていない。
「来るんじゃないかと思ったら、やっぱり来たな」
荻号は出迎えるつもりではあったのだろうが、にこりともしない。
「そういうの、分かるんですか?」
予知能力でもあるのだろうか、とレイアは舌を巻く。
そして、他の誰にもそういった能力はない。
恒はそうではないと分かっているので、さすが話が早くて助かると感心する。
彼らの来訪に合わせて演奏を切り上げたようだった。
「昨日、変な通信きてただろ。INVISIBLEから何か連絡でもあったのか」
まるで見ていたかのように言い当てる。
恒が軒先で手短に概要を話すと、彼は適当に相槌を打った。
恒はSOMAの開発に全力をあげ、正史に戻すべきだと言う。
「SOMAを拵えるのは不可能ではないと思うが、2027年に間に合わなくてもいいのか?」
そう言ってぶらりと、荻号は軒先から立ち上がった。
「2027年にSOMAはWHOに承認されることになっていると言わなかったか。今すぐに完成品が手元にあったとしても、日本じゃ遅すぎて話にならん、米国に持って行ったとしてもFDAの審査もある。今年は2023年だぞ、2027年には間に合わないだろう」
SOMAというのはどういうメカニズムで働く薬剤か。
どのようなアプローチで創薬すればよいのかは、ユージーンと荻号は共通認識を得ていたようだった。
治癒血の合成で得たノウハウが役に立つときだ。
その時の化合物のすべては、彼らの頭脳の中にあった。
特に荻号 正鵠は築地や長瀬とともに合成に一枚噛んでいた人物だ。
荻号の協力を得て、また、SOMAを実際に造るはずだったアフリカ人研究者にも共同研究の申し入れをしなければならない。
確かに荻号の言うよう、臨床試験と審査。
それが鬼門だった。日本での審査は絶望的だ、遅すぎる。
米国に持って行ったとしても、1年はかかるとみていい。
「手遅れだな。ただ現物があればいいというもんじゃない、審査を経ればどうやっても時間切れになる」
荻号はあっけらかんとそう言い切った。
「優先度の高い薬剤なら、承認期間は早くなるはずです。俺たちのせいで、歴史を変えていい権利も道理もありません。2027年に認可されなかったとしても、それでも正史に近い方向に軌道修正することはできるはずです」
恒はくいさがる。
何もしないまま異なる歴史を受け入れるということは、未来に残った神々とINVISIBLEを見捨てるということになってしまう。
歴史が分岐してゆくことによって、神々の存在そのものが消えつつあるのだ。
比企やファティナたちの顔が脳裏に浮かぶ。
少しでも正史に戻ればINVISIBLEとの連絡も可能である。
そこからまた比企らに連絡を取ったり共に打開策を練るという方法もある。
恒は人間だが、彼らはまだ、神なのだから。
「まあ確かに、備えは大事だ。SOMAは造るとして、迎え撃つか懐柔すればいいんじゃないのか。その、未来から来るって何かを」
「どのように」
簡単に言ってのける荻号に驚愕しながら、ユージーンが尋ねる。
今は荻号といえどほぼ人間にすぎないのだから、無謀としか思えない。
”彼ら”にとって過去の人間が、技術の圧倒的に進んだ未来の知的生命体に勝てる筈がない。
一方的に蹂躙されてしまうだけだ。
「私達がまだ神であったらそういう選択肢もあるかもしれませんが、あの時よりは更に状況が悪い。神具もありませんし、私達のフィジカルレベルも格段に落ちています、人間と殆ど変りません。こちらは何がやってくるのかも分からないが、彼らは私達を過去の産物として詳らかに俯瞰することができます」
つまり過去の人間の行動は、未来の人間には筒抜けということだった。
だが荻号はいつも、あらゆる障害を克服し、難しい物事を美しくシンプルに考えようとする。
「まあ、とにかく神具がないと話にはならんよ」
「神具!?」
恒とレイアは顔を見合わせ、思わず怪訝な顔をしてしまった。
神具は既に、現代にはないのだ。
荻号のFullerene C60、相転星、恒のFC2-Metaphysical Cubeも、ユージーンのG-CAM、レイアの須弥仙珠もひとつ残らず消滅し、INVISIBLEによって未来側に戻されてしまったのが悔やまれる。
「捜せばどこかにあるかもしれませんが。おそらくもう、神具はこの時代にはないのではないでしょうか」
レイアがやんわりと否定する。
「今、使える神具はないけどな。造るのさもう一度、新しいのを」
気軽に言ってのけた彼の案は、もはや荒唐無稽としか言いようがなかった。
「この時代の素材で作れる、アトモスフィアを殆ど必要としない神具というと何がありますか」
とりあえず話を聞くことにした恒たちは、作製可能な神具について改めて考えてみる。
神具。
それは神々の用いる、アトモスフィアを各種エネルギーに変換する精密機械。
未来史において使徒と神との関係を決定づけたもの。
その材質はすべて神階で開発された素材によって構成された暗黒物質を原料とする。
現代では未発見の新元素がもとであり、この時代の生物階で存在している筈もない。
この時代の材料と技術でできることがあるとしたらそれは……ただ一つだ。
半信半疑で、ユージーンが訊ねた。
「……生体神具、ですか」
「一つの方法としては、そうだ」
一つ一つ段階を追って、荻号は地道に神具を造ろうとしているに違いなかった。
生体神具が一つあれば、暗黒物質を集められるかもしれない。
材料が手に入れば、最も単純な神具ならば創れるようになる。
彼は本気でそう考えているのだろうか。
それが必ず実現可能だとも、恒は思えないのだ。
しかし彼には確信があるようなので、その自信がどこから来たものか首をかしげたくなる。
「INVISIBLEがこの時代から没収したのは、完全な神具だけだった。つまり、”再生不能なまでに壊れたものは”神具として看做さなかったんだ」
「どういう意味です?」
荻号がもったいぶって何を言いたいか、ユージーンは薄々と勘づいてきた。
この十二年で、INVISIBLEが歴史を正したにしてはどうしても理解不能だと思ったことは多々あった。
生物階にはまだ神々の痕跡が無数に残っていたからだ。
それは少しでも歴史を紐解けば見えてくる。
古代遺跡に残されていた御璽印や、歴史上に残っていた神々の名、神々がもたらしたとしか思えない過去の発明、オーパーツとして扱われた神階の道具の破片。
それらは、神階が存在していたという確かな証拠であり、ユージーンは数多くそういった史跡を見つけていた。
荻号は古代遺跡からの神具の発見でも期待しているのだろうか。
「いいもの見せてやるよ」
彼の自宅で恒たちが見たものは、最先端の設備を備える研究室へと改装された地下階部分だった。
恒は知らなかったのだが、元々この借家には地下階があったという。
それは大家が野菜の保存や加工、荷置場として作ったものだったが、案外広かったため荻号は大々的に改装してしまったようだ。
白を基調としたクリーンルーム二室には所せましと何やら怪しげな機械が並べられ、化学合成の設備や物理学実験、生命科学研究設備も整っている。
スーパーコンピュータと思しき筐体も、いくつか並んでいた。
荻号要の居室は雑然としたイメージがあったが、彼の研究室は整頓が行き届いている。
「この部屋だけ、近未来が来たみたいですね」
どこにも触らないように細心の注意を払って歩きながら、感心するレイア。
「ずっとこんなことを、なさっていたんですか」
一体誰が、この田舎村のごく一般的な個人宅が研究室へと変貌していると知っていただろう。
日がな一日、農業とフィドルの練習にかまけていた訳ではなかったということを知り、恒は戦慄すら覚える。
「こんなこと? 何もしてないと思ったか? あれから12年あったんだぞ」
そう簡単に俺が日和るか、と荻号は苦笑する。
そして何の危機感もなかった恒は、すっかり平和ボケしてしまっていたことを痛感したのだった。
それはユージーンやレイアも同じだった。
彼はポケットに手を突っ込んだまま、部屋の照明を調節して落し、彼の周囲にホログラフ化された無数の資料、実験実施状況を青いウィンドウとして浮遊させる。
モニタの中には培養中の細胞のステータス、複数のタスクが走っていた。
彼は一言も発しなくとも荻号の脳波から発せられるシグナルを元に、半自動的に全ての設備が動いているのだという。
そういった設備を難なく開発してしまったその有能さもさることながら、その資金力にも驚かされる。
一体何をやればこれだけの設備を開発できる資金を調達できるのだろう。
恒が質問をすると、株だ、とのこと。
元手はわずか100万だったという。
確かに、彼の分析力にかかれば莫大な利益を出すことはそう難しくはないだろう。
農業とフィドルで糊口を凌いでいた、とばかり思っていたレイアは、私が株をやってもきっと失敗するだろうな、と密かに思った。
「で、これを見ろ。何だと思う?」
荻号が恒たちの前に取り寄せた大きな立体モニタには、刃物のような金属物体の壊れた破片が映っていた。
彼は楽しそうに尋ねる。
「これは……神具の欠片ではないですか?」
ユージーンはその鈍い輝きに見覚えがある。
物質系の神具は必ず同じ原材料を用いている。
神銀と呼ばれていたその原材料の輝きが、僅かに残っているようなのだ。
「織図が昔使っていた、Living Twibilという死神の鎌だ。織図が旅先のボリビア山頂で見つけたらしい。くれと言ったら、快諾してくれたよ。こいつは放射性物質なんで保管庫の中にしまってある」
彼は西暦1780年に故障した神具を、そのまま生物階に置き去りにして16 Von Louisを新調したのだという。
たまたまボリビアを旅していた織図はふと神具のことを思い出して、放置した場所に立ち寄ってみたそうだ。
すると、神具はそっくりそのままあった。
山頂の岩陰に、ひっそりと放置されていた。
その後、織図は旅行がてら神階にゆかりのある様々な遺跡を回ってみたようだ。
彼はいくつかの神具のかけらと、墜落し使い物にならなくなった入階衛星も見つけたらしい。
「これは凄い……確かに、これを材料にして新しい神具を造り直すことはできそうですね」
ユージーンは荻号の見通しが決して夢物語ではなく、手に届く範囲で実現可能だったということを思い知った。
「あ、でも、あなたの身体はDNAベースです、神具の装用に耐えられないのでは……」
感心し通しだったレイアは、はたと重要なことに気付く。
そう、荻号の計画が完璧だとして、最後の障害があるとすればそれは使い手の不在だ。
「神は昔、人間だった。だが、人から神になるには過渡期があったんだ。ならばミッシングリンクを埋めてやればいい。それを可能としたのが、このGED細胞様コンパートメントだよ。細胞複製機構を利用して遺伝情報を読み取り、複製し、アトモスフィア産生代替細胞へと置換する」
レイアの質問を待っていたかのように、新たなウィンドウが現れる。
それは核を持たない、細胞のような高分子化合物が急速に分裂してゆく様子だった。
そして一つ一つの細胞に、アトモスフィアのきらめきが宿っている。
アトモスフィアを合成する細胞のようななにがしか、恒の見た第一印象はそうだった。
「さて、今、俺の体の約79%はDNAベースではなくこのGEDコンパートメントに置換されている。これだけ時間がかかったのは、平たく言えばINVISIBLEがどう反応するか、様子を見ながら徐々に進めていったからだ」
もし、INVISIBLEが神々を完全に人間に戻そうとするなら、記憶も完全に消しておくべきだったのかもしれない。
恒は彼の言葉を聞きながら実感した。
そう、知識が彼の中にあって失われない限り彼は無敵なのだ。
ただ、彼の開発したこのテクノロジーは、現代にあってはならないものである。
彼が自身の身体を改造していたのは、はっきり言ってただの趣味だ。
一見平穏に暮らしながら、彼は退屈を持て余すことを知らない。
あいた口がふさがらないでいると、荻号を中心に場の空気が変わり、恒たちは心臓に独特の絞扼感を覚えた。
全員が久々に感じた感覚。
フィジカルギャップに埋没された、気圧の差、の発生である。
荻号は両手を併せその中に膨らみを造る。
彼の手の中から太陽のような高エネルギーを示唆する光が零れはじめた。
彼は人体改造の末に、アトモスフィアで光球を造れるまでになっている。
「枢軸程度の神具なら、今のままでも十分に使えるだろうよ」
不敵な笑みを浮かべるこの男はやはり人間ではなく神でもなく、荻号なのだと思った。
絶対に敵には回したくない相手だが、荻号がこの時代に残っていてくれてよかった。
恒は不覚にもそう思ったのだった。