1章13話 Mutual destruction.
レイア、セウル、R.O.Iはαθάνατοの空間に潜入して活動を続けている。
セウルはサンプルを瞬時に回収し、R.O.Iはセウルが回収したサンプルの分析を担い、データを保存、レイアはLOGOSの敵性体の追尾を退ける。
【敵性体が来ます。121体です】
現地を無数に飛び交う念言語の盗聴を行っていたR.O.I.が予測する。
【私が仕留めますね。この追手はαθάνατοが差し向けているのでしょうか】
レイアはLOGOSから無限にチャージされたアトモスフィアを引き出しながら、襲撃に備える。
【この追尾は防空要員の動員によるものです。αθάνατοからの追手ではないようです】
【そういうの分かるんだ?】
【αθάνατοの空間を88%ほど観測することにより、空間構造が見えてきました】
R.O.I.は彼の共存在体同士の情報処理能力で次々と分析を進めてゆく。
αθάνατοの空間は三層の膜構造をしており、それぞれは現地念言語で外宇宙側から辺縁層、間層、中枢層と呼ばれている。
中心部の二層は互いに開放され、辺縁層は閉じられている。
αθάνατοの反応は中枢層にあり、絶えずインフレーションを起こしている。
【私たちは先程から辺縁層にとどまっています。いえ、とどめられていると言うべきでしょう】
レイアはR.O.I.の分析に頷きつつ、敵性体の出現と同時にLOGOSへの思念入力で生体時間を止め、拘束。
即時に記憶を消去し、全員ばらばらに遠隔空間へ飛ばしたため、その場に現れたことすら見えなかった。
彼らは目的を忘れ、追ってくることすらできないだろう。
現陽階1位、創世者仕込みの藤堂レイアの速攻は奇襲すら無効化し、しかも相手を無傷で追い返す。
無害かつ絶対的な決着は、陽階神の模範とする理想的な戦法であった。
超空間転移を駆使し連携しながら効率的に探索を進めていると、待機させていたインフォメーションボードにアラートが走った。
【αθάνατοに気づかれました。私達と共存在体は帰投するか自害した方がよさそうです】
各地に飛ばしていた共存在体の反応が同時に三体も減っている。
αθάνατοからの攻撃はランダムだが、共存在体の全滅は時間の問題だ。
セウルも把握し肯定する。
【確かに、この感触は共存在がαθάνατοに憑依されたようだな】
【オーダーが通るうちにバイタル吸収で破棄します。よろしいですね】
【賛成!】
R.O.Iが帰投か自害と極端な選択を述べたのは、神体をサンプルとしてαθάνατοに渡さないためだ。
R.O.I.は仮想空間内で自らに課されていた不殺の禁を破り、LOGOSを用いて全ての共存在体の所在を瞬時に割り出し、殺害後バイタル吸収、本体のみを残す。
【実行しました】
宙に浮いた共存在体のアトモスフィアは本体に吸収される。
中央神階の戦力を逐次投入せざるをえない理由が、この類の攻撃だ。
αθάνατοの空間へ侵入すると個体の情報を抜かれてしまうため、総攻撃というわけにはいかない。
一連の対処を終えた直後、彼らの前に予期せぬ形でレイアの姿をした亡骸が現れた。
その躯はバイタル吸収によって破棄されたのち、既に腐食と分解が始まっている。
その亡骸の出現した座標は、偶然の範疇を超えてレイア達の至近なので、追跡転移をかけてきたように見える。
しかしその何者かは亡骸ではなく、眼光を失っていなかった。
【これ、何? 私!?】
レイアの驚きも無理はない。
間髪いれず、自らと全く同じ姿を持つ亡骸からアトモスフィアを伴わない、未知の質量攻撃が繰り出される。
【違います、ただの共存在体ではありません】
R.O.I.が断定する。
【バイタルとアトモスフィアがない。αθάνατο自身の憑依体だ。全力でいけ】
セウルが攻撃の種類を見極め、Blank Encyclopediaの質量減少で衝撃を無効化させる。
レイアはLOGOSで憑依体へのαθάνατοへ即死と存在停止を命じるが、バイタルコードが異なるため通用しない。
セウルは管理番号P1特1級 SCM-STAR(相間転移星相装置)を呼び出し起動、思念入力でタイムラグなくシームレスに操作、ゼロの支配する物理作用場の展開を行うがすぐに解除される。
R.O.Iはセウルの攻撃の裏で元素崩壊を仕掛けるも、崩したスピードを上回る速さで複製されてゆく。
【ちょ……何?!】
共存在体と肉体の性質を同じくするレイアは、αθάνατοから本体への精神干渉をされはじめた。
R.O.I.の講じていた切り札であったSTABILIZER(精神保護機構)をも抑え込まれ、彼女の自我が急速に希釈されてゆく。
【STABILIZER(精神保護機構)を再適応。存在凝集、精神系自動修復】
R.O.IはIDEAを用いてレイアの精神系を修復する。
管理番号A6特1級 IDEAとは、第四の創世者の創り出した無形状の、存在確率拡散と凝縮を可能とする神具だ。創世者による確率変動攻撃を受け流す。
レイアは修復を経て再覚醒すると同時にLOGOSで防壁を展開する。
セウルは潤沢なアトモスフィアと巧みな神具操作を武器にαθάνατοへの攻撃の手を止めず、αθάνατοはセウルに押され始めた。
情報に情報で抗う、極限の戦いが繰り広げられる。
しかしそれでも、彼らが生命体である限り、思考機械にはかなわない。
思考機械の演算が速すぎるのだ。
中央神階唯一の機械神であるR.O.Iの演算をも遙かに凌駕している。
【精神転送……! αθάνατοはレイアの本体がほしいのか?!】
執拗にレイアを狙うαθάνατοの目的にセウルは気づく。
【αθάνατοへの干渉を試みます】
R.O.Iはいくつもの切り札を同時に作動させている。
憑依体に接触し、閃光を伴う情報攻撃を叩き込んだ。
侵入時点より続けていた解析をもとに生成した、思考機械の構成を書き換えるプログラムを潜り込ませる。
しかしαθάνατοは異物を即座に隔離、分解ののち排除してしまう。
三人の膠着から崩壊へと転じはじめたとき、宙を覆い尽くす白い余白が生じた。
レイアの共存在体が燃え上がるような燐光に包まれる。
【これは……創世神具、KALCUA! 現出します】
R.O.Iがいち早くその兆候をとらえる。
神具管理機構、管理番号X1特3級、時空間連結装置(DIMENSIONLINKER)。
INVIEIBLE/XEROの創造した空間創世神具。
不可視にして不可知のそれはたしかに存在し、現出したと同時に急速に質量を増大させる。
KALCUAは特定領域に干渉不能な虚無を挿入する、絶対不干渉の神具だ。
時空を超えた上位存在の攻撃によってはじめて、αθάνατοの憑依体は動きを止めた。
【第四の創世者の管轄域へと接続しました。αθάνατοは撤退、後処理をします】
R.O.Iは掃討とばかりに、至宙儀のSpatial information Eraser(情報消去コマンド)を発動。
αθάνατοの憑依の解けたレイアの共存在体の亡骸を情報の一片も残さず分解し、後からトレースさせないように処置した。
KALCUAの作用場は急速に膨張し、空間を穿孔し全てを飲み込んでゆく。
そこから先、レイアは記憶が混濁し、何もかもはっきり覚えていない。
◆
「っ!」
レイアが目覚めると、そこは中央神階の自室だった。
近未来風のグレーのスーツを着たコンシェルジュA.I.のルイスがベッドサイドに控えてレイアの目覚めを待っていた。
「お疲れ様でございました、藤堂レイア様」
レイアがベッドから勢いよく起き上がると、脱力して暫く肩で息をしていた。
「ルイスくん。戻ってきたの、私?」
「はい。何か食事を用意しましょうか」
「私、大丈夫そ? αθάνατοに憑依されていない? 何か色々されたかも。ダメそうだったらどうすればいい……」
「ご気分はいかがですか」
「なんともないけど」
ルイスはその場でインフォメーションボードを操り、淡々とレイアの神体情報を解析する。
「ご心配なく、バイタルに問題なく、憑依の影響もないとのことです」
「誰が何してくれたんだろう? R.O.Iさんかな。私、全然覚えてなくて」
この作戦はノーリスクを保証する。
確かに最初に聞いていた約束の通りだ。
レイアはひとまず生還を感謝しながら寝起きの髪をかきあげ、日付を確認する。
レイアがαθάνατοの空間に入ってから二時間と経っていない。
あんなに長時間潜入していたと思ったのに、とレイアは狐につままれた気分だ。
そして空腹だということを思い出した。
「あっさりしたお茶漬けが食べたい、無茶振りかな」
「かしこまりました」
「え、ある? 全然インスタントでいいんだけど」
「すぐご用意します」
レイアはぼんやりと時計を見たりしているうち、ようやく生還したと実感する。
厳密には生還していないのかもしれないが、元には戻れた。
(全然かなわなかったな……あれ、きっとαθάνατοの憑依体であって本体じゃなかったのに。ランク上では今の神階トップの私達がこの体たらくで、どうすればいいんだろう。いや、他の人ならもっとうまくやれたのかな。荻号さんとか……えーでも頭良さそうなR.O.Iさんとかいたのにな)
秘策だと思っていた共存在の倍加は、まんまとαθάνατοに体をくれてやるようなものだった。
敵地では自分の体を自分のものにしておくことが難しい。
INVISIBLEとの戦いのときに散々学んだことだったのに。
根本的なところで判断を誤ったのかと思うとレイアは悔しい。
(でも、共存在についてはR.O.Iさんだって賛同してくれたし、セウルさんだって問題があるとは考えていなかった……)
あの二人に想定できないなら、レイアに思いつくはずがない。
あの二人と比較すると精神面では未熟だ。
レイアはそんなふうに自信を喪失する。
この調子だと十人百人で行っても同じ、勝てない。
ふとモバイルを見ると、恒から何度か着信が入っていた。
恒に連絡しなきゃ、と思う反面、先に帰還報告をしなければならない相手がいる。
「どうぞ」
ルイスが提供したのは金目鯛の茶漬けとほうじ茶だ。
塗箸と見事な塗り物のお椀で、食器に至るまで気遣いが行き届いている。
思わぬクオリティにレイアは歓声を上げ、有り難くむさぼる。
「だしがきいてて美味しい、胃がほっこりする」
「光栄です。おかわりもありますよ」
「やったー」
期待していた以上の上品なお茶漬けを堪能し、志帆梨の顔を思い出す。
温かい食事を胃に流し込んでいると、志帆梨の和食が恋しくなる。
今回の潜入だって、志帆梨には何も告げていない。
恒や遼生がうまくごまかして、まだ危険に巻き込まれているとはバレてはいないだろうが、余計な心配をかけることになる。
レイアはシャワーを浴びて身支度を整えると、日常に戻りたい気持ちをこらえながら、第四の創世者にアポイントをとる。
セウルとR.O.Iは終えたであろう、帰還報告をしなければならない。
ルイスを通じて連絡するとすぐに、彼はレイアの自室に現れた。
「おかえり。気分はどう?」
口頭で無事を確認はするものの、レイアの自我の修復は完璧だと分かっているそぶりだった。
「大丈夫です。救援に来てくださってありがとうございます。すみません、お役にたてなくて」
「いや、αθάνατοの空間のデータがとれた。目的は十分に達成してくれたよ」
斥候としての役割は果たせたというわけだ。
レイアは期待された仕事ができたと言われてひとまず安堵した。
セウルとR.O.Iも自室で休養しているそうだ。
今この空間にいる全員が、彼の駒にほかならない。
彼はうまくゲームを進めているだろうか。
機会があればまた特攻を命じられるのだろうか。
次の番はいつだろう、何をすればいい?
色々と悩み事が増えて、レイアは萎縮してしまう。
「反省会が必要ですね。αθάνατοは何がしたかったのでしょう」
精神的脆弱性においてレイアとセウルは囮になりうるかもしれない、とセウルが言っていたのを思い出す。
R.O.Iの講じたSTABILIZERという対策が通用せず、まんまとその通りになってしまった。
臨機応変に、がレイアにはできない。
αθάνατοに読まれようと、次回から最初から作戦はあったほうがいいと思う。
「αθάνατοが直接迎撃しに来たのはほんの牽制だろう。ついでに君を器にすることで、インターフェイスを得ようとしたのかもしれない。創世者は自らインターフェイスを作り出すことができないから」
「またですか……。器、器って。私、花瓶とかフードコンテナじゃないんですから」
無理やりおどけてみるも、滑る。冗談にもならない。
「ああいうのはもう、うんざりです」
あの場にいたセウルとレイア、二人のプライマリのうち、どちらが創世者の器として貴重かというとレイアに軍配が上がる。
誰かの依代にされる人生はもううんざりだし、もうそんな馬鹿げたことは終わったと思っていた。
しかし何ら終わっていなかったということだ。
レイアの属性は変わらないので、生涯誰かに利用され続けるということになる。
「その件では私に責任がある。人として平穏に暮らしていた君をそのような状態に戻したことにも」
「あっ、いえ、あなたのことは気にしていませんから。色々フォローしてくださってますし」
彼もレイアを依代にしていた手前、バツが悪そうだ。
「ちなみにあの三人の中では君だったが、FRAUを投入していたら君を無視して彼女が選ばれたはずだ」
「そ、そうなんですか……何か基準があるんですね」
自分だけというわけではないようでレイアは少し冷静になる。
陽2位、FRAU……何度か試合ったことがあるが、試合のたびに即死させてしまっていたので、彼女について特別な印象はない。
あまりにも殺害回数が多いので、気分を害していないかと少し気にはしている。
「FRAUが生まれたのはNo-bodyの全盛期だ。君や私は晩年の作ということになる」
彼は一つ小さくため息をつく。
いずれにせよ人類由来の創世者が安定化するためには、自己を保持するための器を必要とする。
安定な創世者の器を作ることにかけて、ノーボディは唯一無二のスキルを持っていた。
ノーボディ不在の今となっては、新たな器を作り出すことは容易ではない。
「十分に心身の休養をとってほしい。君には若い身空で随分無理をさせて悪かった」
「いえ、気にしないでください」
「志帆梨さんにも申し訳が立たない」
やたら腰の低い創世者もいたものだなと、レイアは相変わらず調子が狂う。
「大学も来週から始まるだろうし」
「えーっと、さすがに大学は休学したほうがいいですか?」
世界の存亡がかかっているときに、大学に通っている場合でもなさそうだ。
「普通に在籍していい、でなければ前期の必修のゼミを落とすことになり、卒業が遅れる」
「卒業とか留年とか気にしている場合なんでしょうか」
「もちろん。こちら側の空間については、安寧を保証する。君たちの人生に手出しはさせない」
ともあれ待ちわびた日常が戻ってくる。
レイアは人間としての日常に戻る落差に頭を切り替えるのに苦労した。
陽階最強のレイアも中央神階から出ると人体に戻る設定となっているので、転移なども使えないのだ。
また寝坊せず朝の講義に出られるかなどという心配をしなくてはならなくなる。
「寝坊が心配なら一コマ目は入れないことをおすすめするよ」
「ううっ、怠惰ですみません。また近々呼ばれますか?」
「プライマリの個体はしばらく投入しない。一旦君たちが持ち帰ったデータの解析を済ませ、方針を伝えようと思う」
つまり、プライマリ以外を行かせるということなのだろう。
恒や遼生はどうだろうか。
そんなことを想像するととても喜べはしなかった。
◆
恒はその頃、中央神階のトレーニングルームで陽2位のフラウに指名されて試合をしていた。
恒はまだ上位の神々に挑戦をしたことがなかったのだが、レイアを待っていたらとんだ相手に指名されたものだ。
「だいたいわかった。期待外れかな」
恒は管理番号P2 特1級 Fullerene C60を用いるも簡単にいなされて肉体を破壊され戦闘不能となり、フラウは管理番号QT3 3級 原属香を返却した。
フラウが試合終了のコールをすると、恒はすぐさまトレーニングルーム内で復活する。
何か話したいことがある場合には、勝者がトレーニングルームに相互残留の意思表示をする。
恒がまだトレーニングルームの中にいるということは、フラウが恒との会話を望んだのだ。
心身ともにリセットされる感覚が全身に響く。
何回死んでもこの感覚には慣れない。
「ご期待に添えず」
説教が始まりそうな雰囲気に、恒は肩をすくめる。
ちなみにフラウのマインドギャップは92層もあり、35層しかない恒は悠々と思考を読まれている。反省したふりはできない。フラウは長く美しいブロンドをたなびかせて、けだるそうに上着を脱いだ。全く体が温まっていない。
「なんかこう、戦術が老獪で小手先というか小賢しいの。もっと若人らしく正々堂々と戦ってよ」
恒はとにかく勝てばいいというスタンスなので、あまり勝ち方にこだわらない。
今回の試合でも実力差を悟って不意をつく戦術を徹底していた。
「君、有名だしどんな子かと思ったの。レイアは噂通りだったけど、土壇場になると強いのかな?」
恒はレイアとともにINVISIBLEとの戦いを終結させた立役者として旧神らに知られている。
「色々潜在能力が眠ってそうだし磨けば光りそうな気もするから、ちゃんと磨いてみようかな。レイのお気に入りみたいだし」
LAYというのは置換名がなかった頃の荻号 正鵠の名だ。
フラウは紀元前19万世紀より召喚された古代神なので、荻号が誕生するまでには随分と時代がくだる。
トリックスターの荻号に重宝されるということは、きっとあまり有り難くない意味なんだろうな、と恒は予想する。
恒はなんというか、出自からして存在が異質だった。
自分自身も自分の潜在能力を理解できていない面があるし、基礎体力の不足を補うために知略込みでしか相手に勝てたことがなかった。
上位の実力を持つ神に指導を仰ぐのは僥倖ではあるので、これも良い機会と捉え直すことにした。
「全神具適合性もあるんでしょ」
「はい」
「ふーん。やっぱり素材だけはよさそう」
「光栄です。ありがとうございます」
腕が悪いのに良い道具を使うなということなのだろう。
しかし恒には全神具適合性があるので、どんな神具も使えてしまう。
実力のある彼女からすると、豚に真珠のようで生意気にうつるかもしれない。
「ご期待に添えるよう励みます」
「勘違いしないで、全然褒めてないし、君はまだ超神具を扱える域に達してない。単に召集を受けた時、君と一緒の組になると困るから鍛えるだけ」
足手まといになると困るということか、と恒は自省した。
◆
「何か考えてる? 息が止まってる」
皐月がおそるおそる、彼の顔を覗き込みながら声をかける。
吉川家の食卓で箸を持ったまま五分ほどフリーズしていたユージーンは、はっとして呼吸と食事を再開する。
皐月が手間暇をかけて作った絶品の煮物が冷めてしまった。
子どもたちはおかわりをして、好評だった逸品だ。
その子どもたちは満腹になってアニメを見ている。
皐月はテレビのボリュームを上げ、子どもたちに夫婦の会話を聞かれないようにする。
「ああ、ごめん。少しね」
「何だか辛そうね。私に何か手伝えることはない?」
「今は大丈夫だよ」
ユージーンは愛想笑いを浮かべる。
あまりにも相手にされていないと悟り、皐月は胸が苦しくなる。
彼は急いで食事を終え、手をあわせる。
「ごちそうさま。美味しかった」
皐月は両手を合わせた彼の手の外側から、そっと包み込むように触れる。
彼女の気遣いを知った彼は子どもたちに聞かれるのを気にして目配せをする。
念話を開始するという合図だ。
吉川家では子どもたちに秘密の会話は読心術によって行われる。
もちろんそれは一方通行で、皐月はユージーンの思考を読めないから尋ねるよりほかにない。
(思ったより大変なことになってる?)
何も意見せず黙って守られていろということなのだろう。
皐月はしかし諦めたくない。
一度は今生の別れを覚悟した。
彼が生還してせっかくまだ見える状態でいてくれるのだから、見えているのにすれ違いたくない。
(少し複雑な作業をしていたから、こちらの意識が散漫になった。心配をかけてすまない、もう大丈夫だ)
(本当に私は何もできない?)
何もといいかけて、彼は皐月の目が潤んでいることに気づく。
「では少し相談に乗ってもらおうかな」
ユージーンが両手をパンと打ち鳴らすと、時計の針が止まり、そこにあった家のリビングの景色が消えた。
誰にも傍聴されない安全な空間に皐月を取り込んだのだ。
皐月は創世者としての姿を現した彼を目の当たりにする。
姿はユージーンと同じように見えて、雰囲気がまるで違う。
皐月は初対面と認識して深々と頭を下げる。
頭を下げると、ふわりと体が浮く。無重力空間のようだ。
「そこに掛けて」
彼が何もない場所を指すと、空中に椅子が現れる。
皐月は自ずとそこに腰掛けることで姿勢が安定する。
「ど、どうも。ではユージーンさん、私でよければ相談に乗ります」
第四の創世者はこれまでの概要を皐月の脳に刷り込みながら誰にも読まれないよう、高度に暗号化させつつ伝達する。
「これで見えるかな。情報量は最小にした。脳領域を圧迫してはいけないから」
過剰な情報を刷り込むと人間の脳を焼き切ってしまう。
よい塩梅に調節しているのだろうな、と皐月は実感する。
「見えます、すごい。レイアちゃん、頑張ったんだ……何をしたのか全然わかりませんけど、活躍しているように見えます」
皐月はレイアやセウルたちの活躍ぶりに驚く。
「レイアたちは期待以上に働いてくれた。今は彼女らの取得してきたデータを解析しているところだ」
「さっき止まっていたのはその解析が原因ですか」
ようやく先程ユージーンがフリーズしていた理由が分かった。
分身を操る意識がおろそかになっていたのだ。
「ああ、普段どおりでいいよ。そんなに怯えられるとシンプルに傷つく」
「そ、そうね。私たちは家族で夫婦だものね!」
皐月は考えを改めた。彼は少し面食らったような顔をして咳払いをした。
「中身が変わってなくてほっとしたわ。あなたに関しては、よく中身が変わるから」
「今は常時フィードバックをかけて、人格が変わらないように固定しているんだ。何か変だと思ったら言ってほしい」
創世者は情報負荷や時空の維持のために、自我を超越させ普遍となり、並の精神状態ではいられなくなる。
こうして皐月と話している間にも、人々を見捨てては救うというような処理を延々とやっている。
無限の時を過ごしているうちに、何も感心を持てず、人を愛せなくなり、全てを信じられなくなって、何を守っていたのか、自分が誰なのかすら分からなくなってしまうのだろう。
ゼロもユージーンもそうやって一度崩壊し、レイアが彼らを救ってくれた。
皐月は彼の正気を見張っていなければならないと思った。
「わかった。ちゃんと見ているわ」
「ありがとう」
「何を話していたんだっけ」
「話を戻すと、αθάνατοの空間の内部には独立した生態系と豊かな環境が築き上げられ、さほどこちらと変わらないと分かった」
どんな生物がいたのかは皐月の脳裏に投影されている。
「カルダシェフスケールでいうとどのくらい?」
「タイプIIIぐらいだ。知的生命体として高度な自我もあり、生態も複雑だ。現空間も見習うべき点は無数にある。彼らは遠隔伝播する念言語を使う。民族間の争いはあるが、概ね平和だ。意思疎通も問題なくできるだろう、冗談だって言い合っている」
「話が通じるかもしれないのね」
皐月としては話し合いで双方分かりあえないかと思うが、そうもいかないから争っているのだろう。
「現空間の安全を守るならば彼らもろともαθάνατοの空間を破壊しなければならない。ただそれをやってしまうと、時系列的には現空間が先に火種を作ったことになる。αθάνατοがこの時空を選んで襲来しているのは、彼らの空間を脅かす私という虐殺者を討伐するためとも考えられる」
「でも、先に攻撃を仕掛けてきたのはアサナトのほうじゃない」
第四の創世者は、空に指で光の軌跡を作り、時系列の図解とともに皐月に馴染みのある数式を描いて解説する。
「それは少し違う。私とゼロ、そしてαθάνατοが互いに時間軸に影響する限り、因果は永遠に定まらない。相手の空間を潰せばそれが一旦の決着となるが、その影響は免れない。ゼロと私の支配する時空連続体は必ず因果の辻褄があうようになっているし、そこから派生したαθάνατοの空間も最終的な結末は私達の空間を侵すことによって補完される」
物理学者でもある皐月は、話の理解が追いついている。
何が正しいのか、わからなくなってきた。
αθάνατοにも理があるように思えてくる。
「αθάνατοは空間の安定的維持という原初のオーダーに従っている。私達が互いの空間を侵犯しないと確約できたなら争いは終わるが、膠着状態を永遠には保持できない。結局私たちは潰し合うしかない」
「たとえばアサナトの空間と接触しないようできないの?」
「こちらが逃げても、αθάνατοは追ってくる。それは彼らの空間の脅威を排除するためで、未来のゼロを滅ぼし、過去まで追ってきた」
「立ち向かうしかないというわけなのね」
皐月は深呼吸して両手で顔を覆った。
皐月を悩ませてしまったことに気づいた第四の創世者は、話を切り上げようとする。
「迷う余地はない。私がやるべきことは分かっているし、私がやらなくてもゼロがやる。中央神階に所属する旧神らにもそのように伝えた。家に戻ろうか、子どもたちを風呂に入れないと。あなたも明日仕事がある」
人間としての彼は、荻号の提案で辞表を出すのを思いとどまり職場に一年の休職願いを出しているが、皐月は普段どおり働いている。
春休みが終わって新学期となり、6年生の担任をうけもっているため彼女も忙しい。
「待って、諦めないで。二つの宇宙を繋げて共同運営するなんてどう? 旧解階はそうやって併合され、今も保護されているのよね」
皐月はαθάνατοと共存できる道はないかと模索する。
もし、αθάνατοの空間にいる生物を救うことができる道があるのなら、皐月も賛同する。
「心情的にはそうしたいが、それはあなた方の生存を脅かす」
「……そうなのね」
不確定要素は排除するほかにない、できることイコール選択肢とはならない。
「ありがとう、少し気晴らしになった」
彼は皐月が沈黙したタイミングで切り上げて両手をパチンと打ち鳴らした。
皐月は気がつくと先程の空間から自宅に戻っていた。
流しっぱなしになっていた水道をユージーンが止める。
そこへ小春がスキップをしながら飛び出してきた。
「おとーさん、お風呂はいろう。頭洗って!」
「いいよ。今日は何のバスボムを入れるんだっけ」
「水色のやつ」
ユージーンはおっとりと小春の頭を撫でる。
尚人も歯磨きをしながらやってきた。
「お父さん、戦いごっこ、いつ付き合ってくれる?」
「じゃあ明日かな。幼稚園から帰ってからね」
「いいけどお父さん明日もお仕事ないの? お母さんはお仕事なのに?」
「しばらくお休みなんだ」
さきほどまでの第四の創世者の面影はなく、子どもたちのよき父親に戻っていた。
皐月は正義も悪もなく、ただただ問題が複雑化していることを懸念した。
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