婚約者の彼女に振り向いて欲しい。
「あ!私、分かってますから!この婚約は縁談避けのためのものですよね。殿下は私のこと、これっっっぽっちも興味ないことちゃんと分かっていますからね!」
齢七歳、まだ社会経験も浅い年齢で、僕は失恋というものを経験した。
◆◆
一目惚れだった。天使のような愛らしい顔立ちに、蜂蜜色の金髪、空の色をそのまま移したかのようなスカイブルーの双眼。その姿を一目見た時から、何て可愛らしい子なのだろうと僕は惹かれたのだ。
僕の父である国王陛下と彼女の父は、主従関係がありながらも、親しい友人のような関係だ。その子供たちにも顔を合わせておこうということで、僕とリサは出会った。
初対面から惹かれた僕は、バクバクと鳴る心臓の音を相手に悟らせないように気をつけながらも、勇気を振り絞って、積極的に彼女に話しかけた。どうやら嫌われてはいないようで、彼女もニコッと笑って返事を返してくれる。
「君の趣味は?」
「恋愛小説を読むことです」
「へぇ。やっぱり物語のような恋に君も憧れるものなのかい?」
恋愛小説を読む、と聞いて、僕は期待した。王族や貴族となれば恋情などない政略結婚が普通だけど、彼女もやっぱり恋愛に興味があるんだろうか。ならばアプローチすれば、彼女も僕のことを好いてくれるようになるだろうか、と。
しかし、返ってきたのは予想の斜め上の返答だった。
「いいえ!ヒロインが私なのは地雷なので、推しカプがいちゃいちゃしているところを第三者として眺めていたいんです。もっと言えば、推しカプが住む家の壁とか床になりたいです。合法的に二人を眺めてられるので!」
一瞬彼女が何を言っているのか分からなかった。えっと、つまり、小説の登場人物に自分を重ねてドキドキするというよりは、二人の男女の恋愛を見守る読み方をしている…ということなのだろうか。
だが、壁や床になりたいとは?無生物になりたいとは?どういう意味なんだ?
「そ、そうか。壁や床に」
「ええ。神様も意地悪ですよね。どうせ転生させてくれるなら、城の壁にでも転生させて欲しかったです。前世でハマった乙女ゲームの悪役令嬢役ですよ?推しカプがくっつくためなら何だってやりますけど、人に転生したら、やっぱりヒロインと攻略対象のイベントすべてを見るのは難しいじゃないですか。やっぱり壁がいい。壁が。イベントすべて見たい」
「…???」
「あ、ごめんなさい。こっちの話です。忘れてください」
「えっと、色々と分からない単語があるんだけど、まずおしかぷ?って何かな?」
「推せるカップル。推すというのは、応援するということです。私の場合、仲睦まじい二人の男女を応援することですね」
「なるほど。君は人の幸せを素直に願える人なんだね」
「そうですね。あ、興味あります?先輩のオタクとして歓迎しますよ。ようこそ深い沼へ。ここにイチオシの小説が…」
彼女ーーーリサは、キラキラと輝いた目で自分の好きなことを説明していた。見て!見て!と親に自分の好きなことを教えようとする無垢な子供のようだ。
一応、世間一般的には、僕たちも十分に子供といえる歳なのだけれど、王族や貴族ともなれば、腹黒い大人たちの背中を見て妙に大人びいた子供になる。だから彼女の様子は、控えめに言っても可愛すぎて死ぬかと思ったし、とても微笑ましかった。
いい意味で、僕の知っている貴族の令嬢たちとはかけ離れた彼女と話す内に、彼女の外見でなく内面にも惹かれ始めた。終いには、ずっと僕の隣にいて欲しいとまで思うようになってしまった。
恋心を自覚してしまえば、善は急げとばかりに、僕は父上にかけあった。彼女と婚約を結ばせて欲しいと。幸運なことに、彼女は王族に嫁いでも問題にはならない名家に生まれたから、僕の願いは決して実現不可能なことではなかったのだ。
次期国王としての勉強に、これまで以上に励むことを条件にあっさりと婚約の許可は下りた。知り合ってまだ一年も経っていないというのに婚約は性急すぎるかと心配になったが、相手側に婚約してもいいかと問う手紙を送れば、意外にも色好い返事。
しかし、天にも昇る気持ちで浮かれたのも束の間。
「あ!私、分かってますから!この婚約は縁談避けのためのものですよね。殿下は私のこと、これっっっぽっちも興味ないことちゃんと分かっていますからね!」
正式に婚約者となって、リサに会いに行けば、開口一番にそう宣言された。僕の心はズタズタにされた。ついでに男としてのブライドとかもズッタズタに。ボロ雑巾よりもズタズタのボロボロだ。
ニッコリといい笑顔で告げられた残酷で無慈悲な言葉。僕はふわふわとした幸せな気分から一転、冷水をぶっかけられた気持ちになった。しかも表情を見るに彼女に悪気は一切ない。更にショックは大きい。
「縁談避け、なんて…僕は本気で…」
「ふふ。分かってますよ。分かってます。本音と建前というものがありますもんね。私も元日本人ですから、殿下がそう言わねばならない事情は理解していますとも。私も他の人の前では恋人のフリ、頑張りますから安心してくださいね!」
「リサ、話を…」
「実は私、演劇部だったんですよ。演技には自信がありますから、大船に乗ったつもりで任せてください!」
話がまったく噛み合わない。
いくらまだ子供同士の婚約だと言っても、婚約は婚約であり、ちょっとは恥じらいというか気恥ずかしさのようなものを感じるはずだ。現に今の僕の心臓はドキドキで死にそうである。
このまま何事もなく婚約が破棄されなければ、生涯を共にする配偶者になるわけで。相手を少しくらい意識するはず。それなのに、これである。この台詞である。
つまりは、僕のことなどまったく恋愛対象として見ていないのだ。
「私が相手で殿下も嫌でしょうけど、あと十年くらいしたら殿下にお似合いの運命の相手が現れますから。それまでの辛抱ですよ」
意気消沈した僕を見て、何を勘違いしたのか、肩を優しく叩いて慰める彼女。僕は絶句した。もう一周回って、わざと僕を傷付ける言葉を選んでいるんじゃないだろうなと彼女を疑ってしまう。
婚約者の"フリ"をすると声高らかに宣言した次は、他の女性を僕の相手にすすめたのだ。プッツンと何かが切れる音がした。堪忍袋の緒が切れる音か、理性が切れる音か、それとも常識をかなぐり捨てた音か。
だって、好きな子にこんなことをされて怒りを覚えない男なんていないだろう。
「分かったよ、リサ。そっちがその気なら受けてたとうじゃないか。絶対に僕を意識させてみせるから。覚悟してね?」
「はい?何の話です?あ、殿下もこの小説が気になりますか?」
「うん。取り敢えず本はテーブルに置こうね」
◆◆
リサはなかなかに手強かった。どれだけ砂糖よりも甘い言葉をかけようと、一体どんな思考回路をしているのかと不思議になるほど、言われたことを曲げて解釈し、見当違いな返事をする。
「今日も綺麗だね」
「ありがとうございます。乙女ゲームでしか聞けなかったイケメンボイスが、生で聞けるなんて!殿下ならヒロインもイチコロですね!」
「好きだよ。リサのことが好きだ」
「私も好きですよ。殿下のこと、とてもいい友だちだと思っています。マブダチですね!」
「愛してる」
「私も推しに対する気持ちなら負けません。今までハマったキャラクターに貢いだ金額は一体いくらになるやら…でも愛しているキャラには貢がずにはいられないっ!あぁ悲しきオタクのさが!毎日もやし生活になろうが、私はキャラたちへの愛を貫き通すっ!!」
綺麗だと言えば、照れる素振りもなく、独特の褒め言葉で僕の声について褒め返し。好意を持っていると告白すれば、友だちですね、とのほほんと笑い。愛を囁けば、何故か他の人間に対する愛をこと細かく説明される。
そんな数年を過ごして。絶対に振り向かせてやると意気込んだはいいものの、正直に言うと僕は…心が折れそうになっていた。
「どうしたらいいんだ…」
テーブルに顔を突っ伏して、絶望した声で呟く。伝わらない。僕のリサに対する気持ちは一割も彼女に伝わっていない。思い付くアプローチは全部試したし、顔から火が出るんじゃないかと思うくらい恥ずかしくても、頑張って想いを率直に伝えてきた。
それでも。彼女との距離は縮まっても、男女としての仲は一向に深まっていない。
「あぁもうすぐリサの誕生日か…」
今日の日付を思いだし、彼女の誕生日が近いことに気付く。近いといってもまだ一ヶ月も先なのだけれど、僕にとってはもうすぐなのだ。彼女のためにプレゼントを選んでいたら、一ヶ月なんてあっという間だから。
何をあげたら喜んでもらえるかな、と頭の中でよさそうなものをピックアップしていく。この際に気をつけなければならないことは、彼女が喜ぶものは世間一般で女性が欲しがると思われるものとは違うということ。
例を挙げれば、リサは宝石やアクセサリー類に一切興味がない。婚約して始めての誕生日、価値があるとされる宝石がついたネックレスを彼女に贈った。好みはまだ分からなかったけれど、婚約者へのプレゼントととしてはありきたりなものだし、拒否はされないだろうと思ったからだ。
結果は。
「えっと、え、これ本物…?あ、ありがとう、ございます…?」
引かれた。ドン引きされた。とまでは流石にいかなくても、リサは明らかに困惑していた。どうして宝石なんかをもらえるのか、心底分からないという顔だった。
あげたネックレスはいつまで経ってもつけてくれる様子はなくて、僕はプレゼントが失敗したのだと理解した。では花束はどうだろうと渡せば、こちらはすんなりと受け入れられたが、心から喜んでいるという風ではない。
じゃあ何を喜んでくれるんだろうと思えば、彼女のお付きの侍女がプレゼントにと渡していた、絵の具やスケッチブックは大層喜んでいた。何でも「推しの絵をかける!こっちにオタク文化を浸透させるの!」と嬉々として、可愛らしい女の子の絵やら男の子の絵やらを描いていた。
見せてもらったけれど、初めて見る人物画の描き方だった。目が異様に大きく、肌は異様に白い。こんな人間がいるのかい?と尋ねたら、二次元に、と返された。二次元とはどこだろう。
どうやら宝石や花よりは、ペンとか絵の具とかを好むらしいと分かってからは、そういうものを選んで贈るようにしていた。本音を言うと、今でも本当にこんなのでいいのか、と躊躇う気持ちはある。もっと価値があるものの方がいいんじゃないか、一応は王子という立場なのだから高いものをねだってくれてもいいのに、と思うのだ。
「リサが欲しいもの、なぁ…そういえば、小説が好きだって、前に」
綺麗な挿し絵が入った本でも贈ろうか。いや、彼女の恋愛小説のコレクションは多い。プレゼントとして贈ったものが、実は既に持っていたなんてことがあるかもしれない。
「まだ未出版のものを早めにもらえるようにする?」
王族としての権力を使えば可能だろう。まだ出版をしていない本を売るように圧力をかけられる組織には申しわけないけれど、今後は贔屓にするから、と言えば売ってくれるはずだ。けれど…。
「権力を使って用意したものよりも、僕が選んだものをあげたいんだよね…」
僕がリサに惹かれたのは、彼女は『王子』ではなく、僕自身を見てくれるからだ。彼女からすればきっと大したことではないんだろう。「え?殿下は殿下ですよね?」なんて、キョトンとした顔で言うかもしれない。
けれど僕からすれば、僕自身を見てくれる彼女は誰よりも貴重で大切な存在だ。次期国王の僕に好かれようと群がってくる輩はいくらでもいるけれど、純粋に友だちになりたいと言ってくれた人は彼女一人だけだった。
「僕が自分で用意できて彼女に気に入ってもらえるもの…そうだ」
はっと思い付いて僕は頭を上げた。奇抜なプレゼントだし、自分でもちょっとどうかと思うけど、どうせ鈍い彼女は気付かないだろうから普通の本と変わらないだろう。
◆◆
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます、殿下」
「はい、プレゼント。今年のはちょっと今までのとは違うから、気に入らないなら遠慮なく言って。他のものを用意するから」
「紙の束…ですか?」
「僕の知り合いで、趣味で小説を書いている人がいるんだ。本にする気はないけれど、このまま誰にも読まれずに捨てるのも嫌だって言ってたのを譲ってもらったんだよ。リサは恋愛小説が好きだから、君なら楽しんで読んでくれるんじゃないかと思って」
僕がプレゼントとして彼女に渡したのは、物語が書かれた紙の束だった。リサは予想外の贈り物に一瞬、面食らった顔をした後、嬉しそうに破顔した。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「そ、そう。喜んでもらえたならよかった」
どうしよう、そこまで期待されるものでもないんだけど…。と少し慌てる。
知り合いが書いたものだなんて嘘だ。僕が書いた小説だった。初めて物語なんて書いたから、上手く書けたなんて言えない。一応文章としては成り立っているだろうけど、物語として成り立っているのかは分からない。
リサと僕をモデルにした話だ。特に僕の心情が中心の。
『王子』としては認めてもらえるけれど、自分自身は誰からも見てもらえない。もし自分から『王子』という要素が消えたら、果たして自分の周りの人たちは側にいてくれるんだろうか、用済みとばかりに離れていくんじゃないだろうか、という不安を語る場面から始まって、自分自身を見てくれる女の子と出会い、惹かれていく話。ほぼ僕だ。ほぼ、っていうか百パーセント僕だ。
最初は二人が結ばれるところまで書こうかと思ったが、いくら想像上のものとはいえ、リサも自分自身を好き勝手に動かされたら嫌だろうと、中途半端に終わる形になってしまった。
女の子が王子に惹かれている描写は一切なく、王子の完全な片想いとして終わってる。
欲を言えば、これが僕の恋文だと気付いてくれたらいいんだけどな、なんて思いながらその日は別れた。
数日後。リサからの手紙が届いた。
物語を読みました。感動で泣いてしまいました。王子という重圧に苦しむ主人公にヒロインが寄り添い、傷を癒やす場面は、もう、本当に心が一杯で…。それなのにヒロインはまったく大したことをしたと思ってないし、王子の感謝の気持ちは伝わらないし、王子が報われない。この話の続きはないのでしょうか?気になって仕方ありません。作者の方にどうか続きを書いていただけるように、お願いしていただけませんか。
「…ヒロインは、君なんだけどね」
自分がモデルとは露ほども思っていないリサに、思わず苦笑が漏れる。僕は手紙を優しく撫でた。
君は知らないだろうけど。僕は君に沢山救われたんだよ。最初は君の容姿に惹かれたけれど、次は他の令嬢とは違う珍しさから共に時間を過ごすことを楽しいと思うようになって、数年間一緒にいる内に君のすべてが好きになった。君の何気ない一言が何度僕の心を救ってくれたことだろう。本当に…感謝してもしきれない。
「物語の王子が報われないと思うなら。ちょっとは僕の気持ちに気付いて欲しいな」
ねぇ、リサ。君のことが好きだよ。
◆◆
それからというもの、僕は毎年リサに自分が書いた小説を贈った。最初はどうしてもリサが見るものだから、綺麗な物語を書いていたのだけれど、数を重ねる内にどんどん自分の汚い部分というか、欲みたいな醜いものが滲み出てきて、本当に渡してよいものかと躊躇った時もあった。
僕だけを見て欲しい。他の男に目を向けて欲しくない。叶うことなら、どこか僕だけしか知らない場所に閉じ込めて、君の世界を僕だけで完結させて欲しい。お願い僕を見て。僕のことだけを考えて。
…なんて醜いんだろうか、僕は。物語の男主人公の心情を書く度に、自分の心の醜悪さを自覚して、自己嫌悪に陥る。こんな重い愛情を押し付けても彼女を困らせるだけだ。
どこかに閉じ込める?いいや、リサは誰よりも太陽の下で明るく笑っているのが似合う。僕のことだけを見て?自分の趣味を楽しげに語る彼女が好きになったんだろう。好奇心に目を輝かせて、走り回る彼女が好きなのに。
大切にしたい。この世の醜いものなんか知らないままでいて欲しい。でも、僕がいるところまで堕ちてきて欲しい、僕が君に向ける感情と同じくらいの熱がある想いを返して欲しい、とも思う。相反する想いに、いつも僕は揺れ動いた。
「なるほど、なるほど。ヤンデレものですか。いいですねぇ。しかも、自分の傲慢さを自覚しているために、ヒロインのことは大切にしたいんだと自分の衝動を抑えている…エモい!素敵です。胸がキュンキュンしますね!」
「やんでれ?」
「『病んでいる』と『デレ』の合成語ですよ。相手に対して、精神的に病むほど並々ならぬ愛情を向けている人のことです」
「…そう。そのやんでれ?とかいう人のことを、リサはどう思う?」
「すごく美味しいと思います」
「うん?食事の話ではないよ?」
「ヤンデレと天然で鈍感なヒロイン。エモいです。この話だけで白米五合は食べれます」
「えもい?はくまい?」
「うーん、オタク語の翻訳は難しいですね…」
「それで、小説のことなんだけど。話が初期の頃とは随分違っているだろう?純愛ものではなく、何だか醜い恋愛観が含まれているし。だからリサも無理して読まなくてもいいんだよ?」
「えっ?!」
「だから、小説を渡すのはこれっきりにしようかと…」
「えっ、え、ええ、え…私に死ねと?」
「死ぬなんて縁起でもないことを言わないでくれ。僕はリサとこれからも生きていきたいから」
「私を殺したくないのでしたら、私に小説の続きを!こんな深くて、面白い物語読んだことがないんです!まるで実話みたいに作り込まれた設定に心情!こんな神作品にはもう出会えません!分かりますか。いいですか。この本たちが私の命綱なんです。砂漠の中のオアシスなんです。酸素なんです。分かりますか。つまりですね、もはや生命維持に必要不可欠なものになってしまっているんです。まだ完結もしていないのに続きを取り上げられたら、私は発狂しますから」
「そ、そう…」
「どうして渡さないなんて酷いことが言えるのですか。はっ!もしかして作者の方に何かありましたか?金銭面でお困りでしたら、私がいくらでも貢ぎます。この物語だって出版されていないのでしたら、お金が入っていないということですよね?私としたことが、無償で作品を見ていたなんて…貢がなくては!」
「え、いや、お金には困っていないと思うけど…」
「少々お待ちください!今、屋敷にあるだけの金貨を集めて参ります」
「止めて。本当に止めて。お願いだから。落ち着いて。お金とかは別に求めてないから」
「じゃあ来年も小説をいただけるんですね?!」
「あ、う、うん。分かった。ちゃんと用意するよ」
いけないと、こんな想いなど捨てなければならないと思いつつも。彼女が物語の僕を受け入れるような言動をするから、僕は捨てきれず、彼女を想い続けたままでいる。
◆◆
僕は十七歳になった。リサと出会ってから十年、月日が経つのは早いものだと思いながら、彼女の屋敷へと馬車を走らせる。今日は数年に一度開かれる大規模なパーティーに、僕はリサと共に参加することになっていた。
何故か数日前から、この日をリサはとても楽しみにしていたらしく、「やっと、やっと…イベントが見れるっ…!」と空に向かって叫んでいた。イベント。どういうことだろう。
当日の朝、彼女の屋敷に迎えに行くと、綺麗に着飾った彼女が待っていてくれた。彼女の瞳と同色の、美しい空色のドレス。フリルは少なめで、代わりに裾に細やかな星を思わせる刺繍が入れられている。髪はハーフアップで、凝った三つ編みで軽く纏め、残った髪は緩くウェーブをかけて肩に流れている。普段は滅多に化粧をしない彼女の目元には、綺麗な青のアイシャドウが引かれ、リップは淡い桃色だった。
普段から十分に可愛い彼女だけれど、今日の彼女は可愛い上に妖艶な美しさまで加わっていて、僕は驚いて固まってしまった。何の反応も返さない僕を見て、リサが駆け寄ってくる。そして、ふふふと笑って、くるりと一回転した。ふわっとドレスの裾が広がる。
あざとい。リサは自分の可愛さを自覚して、更に僕を追い詰めるためにこんなことをやっているんだろうか。可愛い。あざとい。本当に可愛い。天使。いやいや、落ち着け。そうだ、まずはよく似合っていると褒めて。可愛い。あ、駄目だ。心臓が破裂しそう。可愛い。じゃない、リサの前で間抜け面をするわけにはいかない、パートナーとして完璧にエスコートして。可愛い。違う、そう、エスコート、じゃなくて、まずは服装を褒めて。可愛い。あれ、どうやって口って動かすんだったかな。可愛い。言葉が上手く出てこない。可愛い。リサ可愛いが脳の十割を占めていて、それ以外何も考えられない。可愛い。駄目だ、思考が纏まらない。
「このドレス、素敵ですよね!ゲームの画面越しで見ていた時も、悪役令嬢だけど、ドレスは悔しいけどめっちゃ似合ってるって思ってたんです。メイドさんのメイクテクもすごいですよね!」
「ぇ、ぁ、うん…」
「馬子にも衣装ってやつでしょう?!戦闘服はバッチリ!気合いも十分!推しカプのイベントを絶対見てやります!さぁ、殿下行きましょう!」
さぁ、と満面の笑顔を浮かべたまま、リサは僕の手をとって引っ張る。あっ、可愛い。天使。
この世に存在するどれほど美しい花や宝石よりも、光輝いているリサを横につれ、ほぼ放心状態で会場へと向かった。魂が既に半分ほど昇天しかかっている僕とは対照的に、リサは見るからにわくわくしていて、会場につくのを今か今かと待っている。
その様子はとても可愛らしいのだけれど、やはりどうしてパーティーをそこまで楽しみにしているのか不思議に思う。
彼女は昔から華やかな場が得意ではない。令嬢同士の茶会にも進んで行こうとはしないし、できるだけ家に籠っていたいのだと常々言っていた。何でも、こみゅ症?のおたく?にはハードルが高い、とのこと。ようキャ?の人たちに囲まれたら、いんキャ?の自分は死ぬらしい。リサの独特の言語は未だによく分からない。
会場につくと、出かかっていた魂を意地で無理矢理、身体に戻し馬車から下りて彼女をエスコートする。彼女が綺麗すぎて、触ったら繊細な砂糖菓子みたいに壊れるんじゃないかと不安だったけど、リサは笑って僕の手をとってくれた。僕、もう一生、手を洗えないかもしれない。いや、不潔な手で彼女に触れるわけにはいかないから洗うけど。血の涙を流しながら洗うけど。それくらい僕は感動した。
他の参加者たちの波にそって大広間に入った瞬間に、何十人もの視線が僕たちに突き刺さった。この国の王子とそのパートナーを品定めする目だ。リサが息を呑む気配がする。僕は慣れているけれど、社交界に出ることが少なかったリサはまだ慣れていないのだろう。「大丈夫?緊張してない?」と小声で尋ねると、「少し。でも大丈夫ですよ」とリサが答えてくれる。
「ごめんね。僕が国王陛下の唯一の子供だから、僕たちを見る目は多いだろう。でも失敗しちゃいけないなんて気負わなくていいから。失敗してもできる限り僕がフォローするよ」
少しでも彼女の緊張を解そうとしてそう言うと、リサはパチリと瞬きをした後に、「流石、人気ナンバーワンの攻略対象…。悪役令嬢に対しても神対応…。言動すべてがイケメン…」と独り言を呟く。かみたいおう。いけめん。よく分からないけど褒められているらしい。まぁリサがいつも通りになってくれたのなら、それが一番だからいいんだけどね。
「僕たちの番だね」
「緊張します…。一応、見れる程度には練習してきたんですが…。殿下、先に謝っておきますね。靴を踏むかもです。ごめんなさい」
「まだ起こってもないことを謝るの?」
「九十九・九パーセントの確率で踏みます。もし踏まなかったら奇跡と思ってください」
「リサならいくらでも靴を踏んでくれて構わないよ」
「私が嫌です。ゲーム通りの悪役令嬢リサは、何でもできる完璧超人なんですから。私もその通りに演じないと」
「うーん?リサはリサだよ?」
「そりゃあ私なんかがあの完璧超人令嬢になんかなれるわけがなくて推しカプのライバル役なんてオタクには荷が重くてやっぱり今からでも壁になりたい推しカプたちの壁に新婚の家の壁でもいいけど結婚式場の壁でもいい」
「リサ、聞こえてる?息継ぎできてるかい?」
「…よし!殿下!」
「うん。どうしたの?」
「いざ、尋常に参る!です!!」
「詳しくは知らないけど、『尋常』は『態度などが潔いこと』という意味だから、多分『私は正々堂々勝負します』という意味だよ。ダンスホールで使うことは少ないんじゃないかな」
「言葉は考えるな、感じろ!です!!」
「うん。そんなリサが可愛くて好きだよ」
気合いを入れ直すリサに癒されながら、僕たちは見物客と化した参加者たちに囲まれた輪の中心へと移動する。
僕がリサの緊張を解すつもりが、逆に解されてしまった。その証拠に身体から余計な力が抜けて、口元には笑みが自然と浮かぶ。あぁ…本当にリサといれば退屈しない。
肩甲骨に手を当てて、ゆっくりとステップを踏み始め…ようとした。足に軽い圧迫感。僕は笑い出しそうになった。「あっ…」やっちゃった…と言いたげに、リサが小さく声をあげる。僕の靴の上に、彼女のヒール。宣言通り、ダンスが始まってすぐに彼女が僕の靴を踏んだのだ。
「本当にごめんなさい…殺さないでぇ…」
「殺さないよ。言っただろう?失敗してもフォローするって。はい、ターン」
「わっ…」
ヒールがどかされないと動けないので、くるりと一回転させることで、一度立ち止まったことを上手く誤魔化す。手本通りの振り付けではターンはまだ先なんだけど、綺麗に回れたから、大きくは目立たないだろう。そのまま何食わぬ顔で周りの振り付けに合わせる。
「こうやって失敗は誤魔化すから。気楽にね」
「ファンサがすぎる…」
「うーん、一切邪気がない瞳から褒められてるってことは分かるんだけど、もっと普通に褒めて欲しいかな」
「格好いいです!」
「あっ、可愛すぎて死にそう…」
「えっ、体調でも悪いんですか?!ダンス止めますか?お、お水待ってきますよ!」
「体調は心配ないよ。ありがとう。たださっきみたいな不意打ちは心臓に悪いかな」
そんな会話をしている内に一曲踊り終える。一礼をして終わり。一度靴を踏みはしたが、それ以降は大きな失敗もなく無事に終えることができた。
ダンスが終われば、ほとんど役目は終わったようなものだ。あとは、話しかけてきた大人たちと会話することくらいだろう。
「あ、あの殿下」
「どうしたの?」
「あのですね、私、飲み物を取りに行ってきます。沢山種類があるので、決めるのにとても時間がかかります」
「え?僕たちが飲める飲み物は、一種類だけじゃなかった?他はアルコールだったと思うけど…」
「の、飲み物が同じでも!グラスは違うので!どのグラスに入ったものを選ぶかで!時間がかかります!三十分、いえ一時間くらい!」
「グラス選びに?一時間も?」
「ええ!優柔不断なオタクなので!!だからですね、ちょっとくらい殿下がパーティーから抜けても、私は気付きませんし、怒りませんから!!抜け出しても!いいですからね!!」
「う、うん?ありがとう?」
妙に圧がある言葉を残してリサは僕から離れていった。手持ちぶさたになった僕は、ぼんやりとパーティー会場を見渡す。そして、ふと二人の男女に目が止まった。青年が少女の手を引いて、会場を抜け出し、人気の少ない庭へと出ようとしているところだった。二人の様子に僕は眉をひそめる。
親同士が認めたパートナーであれば、彼らの仲に踏み込む権利は僕にはない。パーティーをどう過ごそうが彼らの自由だ。しかし、少女の表情を見るに、明らかに同意の上でのものではないことが分かる。
そのまま見過ごすこともできず、僕は抜け出した二人の後を追った。
「離してください!」
少女の叫び声が聞こえてきて僕は足を速めた。男女を見つけると、二人の間に割り込み、そして青年の方に冷ややかな視線を浴びせる。
「女性が嫌がっているというのに、耳を傾けないとは。男として恥ずかしくはないのですか」
「なっ、君には関係ないだろう?!」
「関係はありますよ。僕が面識がないということは、他国の方々ですね。この国で騒ぎを起こすのは止めていただきたい。下手すれば国際問題にだってなります」
僕の言葉に青年ははっとした顔をして、改めて僕の顔を見つめ「…王子」と呟く。先程までは辺りが暗くて、僕が誰なのか分かっていなかったのだろう。
「王族を敵に回したくなければ、早く立ち去ってください」
僕が目を細めて最後の警告を告げると、青年は顔を真っ青にさせて逃げるように去っていった。ふぅ…と息を吐いて、彼から背中に隠していた少女の方を振り向き「大丈夫?」と尋ねる。
栗色の髪に、あたたかな黄色の瞳を持つ可愛らしい少女だった。僕やリサと同い年くらいだろう。怖い思いをしたのか、目には涙が溜まっていた。
「あ、ありがとうございます。本当に」
「いや、見過ごせなかっただけだから。ああいう時は、言葉ではっきりと拒絶した方がいいよ。弱い言葉ばかりならつけこまれる」
「すみません…」
「責めているわけじゃないんだ。次から気をつければいい」
緊張が解けたのか彼女の目から涙がこぼれ落ちる。僕はハンカチを取り出して、彼女に差し出した。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと遠慮する彼女。どうしたら受け取ってくれるかな、と少し考えて、
「陛下に、泣いている女性にハンカチを差し出すくらいはできる男になれ、と言われているんだ。君がもらってくれないと、僕は後から陛下に怒られるかもしれないな」
と言ったら、彼女は驚いた後に今度は受け取ってくれた。彼女が遠慮しなくていいようにとっさに思い付いたことだけど、親子として陛下と接した時間は少ないが、女性には優しくするようにと言われたことがあったから、嘘にはならないだろう。
「君一人で帰れるかい?もし無理そうなら、僕が陛下に言って、君の家まで誰か人をつけるようにしてもらう…け…ど…」
そこまで言いかけて、僕はひゅっと息を呑んだ。暗闇の中に、爛々と光る空色の二つの目が浮かび上がっていたからだ。見覚えがありすぎる色に、どっと冷や汗が吹き出す。雲で隠れていた月が顔を覗かせ、月明かりが辺りを照らして、その目の持ち主…リサの姿が見えた。
暗闇。人気の少ない庭。異性が二人きり。片方は泣いている。誠に怪しい状況。今現在のシチュエーションを表す言葉を思い浮かべ、僕はやってしまった…と頭を抱えた。
リサに浮気だと誤解される…!!
もしリサに嫌われたら。僕は正気ではいられなくなるだろう。発狂する自信がある。王子という責務を放棄して、十年くらいは自室に引きこもり、毎日後悔と己への嫌悪感に苛まされながら、泣いて毎日を過ごす自信がある。いや、完全に気が狂ったら、死んでしまうかもしれない。リサに醜態を見せるくらいならば、僕は自室の窓から喜んで飛び降りて死を選ぶ気がする。来世でまた彼女と会えて結ばれることを願うしかない。
そう、リサに嫌われるか好かれるかは、僕にとっては今世紀最大の大問題なのだ。王位継承権とか、他国との良好な関係とかぶっちゃけどうでもいいくらいに。リサにどう思われるかがはるかに重要なのだ。
「リッ…」
リサ、と彼女の名前を呼ぼうとしたけれど、その前にリサが拳を前に、つまり僕たちへと突き出した。リサは少女の後ろにいるので、少女はリサに気付いていない。つまり、この拳は僕に向けられているというわけで。
…今から殴るぞ、という意思表示だろうか。彼女以外の女性に心を傾けることなんて天地がひっくり返ってもあり得ないし、実際に僕は卑劣な輩を戒めただけで、何もやましいことはしていないのだが、今が誤解を招きやすい状況であることに違いはない。リサを不安にさせてしまったのなら、甘んじて殴られよう、と僕は腹を括った。…が。
彼女は付き出した拳を横に傾け、そして…親指だけを一本立てた。このハンドサインの意味は前にリサに教えてもらったことがある。
『このサインはですね、グッドって意味です。いいね!って感じですね。私的には、頑張れ!とか、もっとやれ!とか思う時に使います。国によっては侮辱の意味もあったりするんですけど、私の生まれ故郷ではそんな感じの意味ですよ』と。
リサの生まれ故郷は間違いなくこの国のはずだ。しかも、この国では親指を立てるハンドサインに意味はない。だから彼女の生まれ故郷のサイン…というのは、おかしいことなのだけれど、彼女にとってはつまり肯定的なハンドサインらしい。
そう、頑張れと。もっとやれと。彼女はそう言いたいのだ。
…婚約者の浮気現場と思われる状況を見て。
よくよく見れば、彼女が浮かべている表情は、婚約者に裏切られた者が浮かべるべき表情とはまったくかけ離れている。まるで我が子の成長を見守るような慈愛に満ちた眼差しを僕と少女に向け、瞳は希望と期待にキラキラと輝き、口元は美しい弧をえがいている。まさに満面の笑み。彼女が僕が書いた恋愛小説を読んでいる時と…同じ表情。
何故かリサは、僕と少女が互いに恋愛感情を持っていると勘違いし、そしてその恋を応援してる。僕は膝から崩れ落ちた。絶望で。
リサは『あとは二人きりで楽しんでくださいね!』とジェスチャーで伝えて、さっさと去っていく。皮肉でも何でもなく、心から気遣ってそう伝えてくるのだ。
「分かっていた…分かっていたさ…。リサが嫉妬や独占欲のような感情とは縁遠い性格だって…分かってはいたんだけどさ…。でも、ちょっとくらい悲しんで欲しいというのは僕の我が儘かな…」
「あ、あの?どうしました?」
「うん…。君と一緒にいるところを…今さっき、パートナーに見られたかな…」
「ええ?!あ、あの、殿下のパートナーの方って、先ほどダンスを踊られていた方ですよね。とても仲睦まじく踊られていたのが印象に残っているのですが…。もしや浮気と?!本当に申し訳ございません!私、今すぐに謝って参ります!」
地面に伏せる身体を無理矢理起こし、深い傷を負って悲鳴をあげる心を奮い起こして、僕は立ち上がった。今すぐに泣きたいくらい精神はボロボロだが、人目がいるところで王子である僕が易々と涙を見せることなんて許されていない。それにリサの誤解をこのままにしておくわけにもいかない。
説明しようと少女と共にリサを追ったが、彼女は既に馬車に乗って帰っていた。僕たちも急いで走ったはずなのに、リサはこんなに足が速かったのだろうか。
「ごめんなさい!本当に、誠に申し訳ありません!殿下と婚約者のリサ様の仲を引き裂くようなことをしてしまいました…!いくらでも処罰はお受けいたします!!」
「あぁ…いつものことではあるから、気にしないで…」
「いつものこと?」
「ごめんね…。ちょっと相談にのってもらってもいいかな…。浮気だと思われて、笑って続きを促されたショックが意外と大きくて、今、ちょっと本気で死にたい…」
「わ、私がお二人のためにできることでしたら、何なりと!」
今まで自分の力でどうにかしたくて、他の人に相談をするということを避けてきたのだが、そんなことを言っていられなくなった。出会ってから十年、僕なりに精一杯好意は伝えてきたつもりだ。しかし、その努力は虚しく、結果はこれ。浮気されてもニコニコと笑われ、逆に促されるくらいである。
これはもう、誰かの意見を聞いた方がいいのかもしれない、と僕は白旗を上げて、微力ながら仲直りのお手伝いをしますよ!と言ってくれる少女の言葉に甘えることにした。
「リサは婚約者である前に、幼馴染みみたいなものなんだ。最初に会ったのは七歳だったから、もう十年の付き合いになるかな」
「十年も!長い間一緒にいても仲がよろしいのですね。素敵です」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。だけど、仲がいいといってもリサが僕に抱いてくれてるのは友情でね。僕は出会った頃から彼女のことが異性として好きだったのに」
「では、片想い中なのですか?」
「うん。十年間ずっと」
「それは…」
「自分でも格好悪いとは思っているよ。初恋は実らないと聞くけど、本当かもしれないな」
「そんなことはありません!今のリサ様の想いが友愛でも、これから恋愛感情に変わる可能性はあるはずです!」
「そうだと思いたかった…」
「え?」
「婚約もしたし、告白もしたし、想いも伝えたし、プロポーズもしたし、プレゼントもした。…もうこれ以上何をしたらいいの?」
「…アプローチの限りを尽くしても、意識されなかったのですか?」
少女の僕を見る目が、可哀想なものを見る目に変わる。十年もアプローチし続けたというのに、一切相手にしてもらえなかったとなれば、確かに不憫と思われるのも当然だ。
「何をしても伝わらないから、最終的に自分の恋心を小説に昇華して、それをリサに誕生日プレゼントとしてあげた。どうにでもなれって気持ちで」
「えっ」
「明らかに僕とリサの思い出を元にした話なのに、リサは普通に物語として楽しんでるし…。もっと読ませてくれって請われるし…」
「な、なるほど。恋心を小説に。相手に読ませるのですね。えっと、その、私には考えもつかない、高度な駆け引きをなさっているのですね…」
「自分でも拗らせてるなって自覚はあるから、はっきり言っていいよ」
「ごめんなさい。ちょっと引きました」
「だろうね。僕も自分でどうかと思ってる。出来心だったんだよ、最初は。なのにリサが続きをくださいって何度もお願いしてくるから…」
「お疲れ様です…。取り敢えず、リサ様がとても恋愛に疎い方なのは分かりました」
「…今、気付いたんだけど」
「はい」
「リサはずっと今日という日を楽しみにしていたんだよね」
「パーティーをですか?」
「いや、パーティーそのものには興味がなかったと思う。でも、このパーティーで起こる出来事?に興味があったんじゃないかな。彼女はイベントって言っていた」
「イベント…」
「昔から、リサは未来を知っているような口振りで話すことが多いんだ。もしパーティーで起こることを知っていて、かつそれが彼女が好きなおしかぷ?に関することなら、機嫌がよかった理由も分かる」
「おしかぷ?」
「応援したいと思う男女のことだって」
「…え、まさか」
「本当にまさかとは思うけど、もし彼女が未来でも見る不可思議な力があって、おしかぷ?のイベント?とやらが、僕が君を助けることなんだとしたら。リサがあれだけ目を輝かせた理由が理解できる」
「いえ!リサ様は殿下の婚約者ですよ?いくら何でも、婚約者の方が他の女性と親しげにしていたら、誰だって嫌だと思いますよ!」
「僕は十年前、彼女と婚約を結んだ際に『私が相手で殿下も嫌でしょうけど、あと十年くらいしたら殿下にお似合いの運命の相手が現れますから。それまでの辛抱ですよ』と言われた」
「…」
「確定かな」
「信じられませんが、確定ですね」
はぁぁ…と僕は深い溜め息をついた。昔から不思議な子だったから、どうして少女と僕が知り合うことを知っていたんだ、という疑問は僕にとって大した問題じゃなかった。まぁリサだからね、あり得そうだな…としか思わない。
問題は、十年前から既に僕の恋の行方は決まっていたこと。リサにとっての僕は、婚約者ではなく、彼女がよく言うヒロインと結ばれる相手、つまり観察対象のようなものだったんだろう。この十年の僕の努力は一体何だったんだ。
「想いが報われないのなら…いっそのこと監禁でもしようかな」
ぼそっ…と呟いた言葉に、少女が「はい?!」とぎょっとした顔をした。
「手足を鎖で縛り付けて。逃げられないようにして。その瞳に僕しか映らないようにしたら、ちょっとは僕のこと見てくれるかも…」
すすすっ…と少女が静かに僕から離れていく。何この人怖い、といった顔で。僕は苦笑して「冗談だよ。リサが嫌がるようなことはしない」と言う。本音を言えば監禁したいという思いはある。だが、僕が何よりも大切にしたいのはリサの心だ。僕の望みを押し付けて、万が一彼女の心が壊れるようなことになったら、僕は後悔してもしきれないだろう。
「冗談ですか…目が本気でしたので…」
「本気ではあるけど、実行はしないってところかな。さっきの人に『女性が嫌がることをするな』と言った僕が、自分の婚約者を大切にしないなんてこと許されるはずがないだろう?」
「…そうですね」
「今の話を聞いた君の本音は?」
「めちゃくちゃ怖いです。特殊な性癖を持つ方でもない限り、監禁されて喜ぶ女性はいないと思います。監禁なんてものを考え付く殿下も頭がぶっ飛んでいるなと思いました」
「君、ところどころ辛辣だよね」
「正直すぎるとよく言われます」
「なるほど」
リサは彼女のことを、僕とお似合いの運命の相手、と表現していたが納得だった。王子として僕のことを特別扱いせずに、はっきりと自分の意見を言ってくるところは好感が持てる。もし独りぼっちだった頃に出会っていたら、この少女に僕は惹かれていたかもしれない。
まぁ、今の僕はリサという想い人がいるから、彼女に惹かれるということはないんだけど。
「それで、どうしたらいいと思う?」
「うーん、恋バナは好きなのですが、ここまで規格外の恋愛を聞いたことがないもので…。どうすればいいのか、すぐには思い付きませんね…」
「確かに。リサは手強いからね。先に婚約だけでもしておいてよかったよ。やっぱり外堀から埋める方がいいかな。といっても、リサの両親は既に了承済みなんだ」
「いっそのこと、そのまま結婚されては?」
「それもアリだよね。結婚指輪をはめたら、流石に理解してくれるかな」
「…今までのリサ様の言動を見るに、難しいと思ってしまいますね」
「やっぱり君もそう思う…?」
結婚式、白いウエディングドレスを着たリサに指輪をはめながら、自分の気持ちを伝える場面を想像する。想像の中のリサは花が綻ぶように笑って、指輪を受け取り、そして…。
分かりました!お飾りの正妻ポジですね!お任せください!本命の方は側室でしょうか?あぁ!推しカプのイチャイチャをこの目で見られるのですね!!…え?本気?本当に?…誰か!!お医者様!お医者様はいらっしゃいませんか?殿下がご乱心です!!
言いそう。駄目だ。本当に言いそうな気がしてきた。側室なんて作らないよ。君一筋なんだから。あと本気だって。正気だよ。気が狂って告白とかそんなことはしないよ。告白なら正気で常日頃からしてるし。
「となると、その前に僕の想いを理解してもらうべきだよね。でも方法が…」
「…リサ様は殿下が書いた小説を読まれているのですよね?」
「え?うん、そうだよ」
「リサ様は、読み終わった後、内容までしっかりと覚えているくらい深く読み込まれる方ですか?」
「そうだね。とても細かくて長い感想を送ってきてくれるし、一度読んだ小説の内容は大体覚えているんじゃないかな」
「殿下。私に提案があります。とてもロマンチックというか、キザというか、殿下にしかできないプロポーズの方法」
「えっ、そんなものが?」
僕が目を丸くすると、少女は頷いてその方法を教えてくれた。それを聞いた僕は、「ちょっと待って?!それ、僕が小説を書いてたって知られることに…」と思わず反論する。少女はゆっくりと首を横に振り、仕方がない犠牲なんです、と呟いた。
「もうこんな奇策しか思い浮かびません」
「それでも…かなり恥ずかしいんだけど…」
「殿下。リサ様に振り向いて欲しくはないのですか?」
「振り向いて欲しいです」
「男は度胸です」
「男は度胸…」
「王道なプロポーズも駄目、この作戦も駄目となると、もう諦めるしかありません。鈍感なリサ様に殿下が振り回されながら、結婚生活を送ることを受け入れましょう」
「そうか…」
「はい、やってやりましょう。ここまで話を聞いたら、私も何だか他人事だとは思えなくなりましたので、せめて精一杯応援いたします。よい結果でしたら、ご報告くださいね」
そろそろパーティーも終わる時間だ。彼女も帰らなければならないだろう。相談にのってもらった感謝の言葉を伝えると、
「こちらこそ、先ほどは助けていただきありがとうございます。それに殿下はもっと自分に自信を持ってもいいと思いますよ。助けていただいた時、ドキリとしましたもの」
と笑ってくれた。
「そうかな」
「ええ。私の国は男尊女卑の考え方が根強いですから、殿下の優しさはとても嬉しいものでした。あ、ご安心くださいね。殿下のリサ様への並々ならぬ想いは十分に分かりましたので、言い寄ろうなどとは考えておりません」
「自分の意見をしっかりと持つ君も、素敵な女性だと思うよ。僕はリサが一番だけどね」
「ふふ。また縁があれば、今度はリサ様ともお話させてください。是非お友だちになりたいです。では、殿下。貴方様の恋が実ることを願っております」
「ありがとう」
彼女が帰る馬車を見送り、愛しい婚約者のことを思う。リサ、恋愛とは上手くいかないものだね。僕は息を吐いて、ふと空を見上げる。
「あぁ、月が綺麗だな」
◆◆
数日後。僕はリサに誤解であったこと、暗闇に連れ出された女性を助けただけで、決して浮気などではないことを伝える手紙を送り、リサの屋敷に足を運んで口頭でも説明した。
リサはうんうんと生暖かい目で頷くばかりで、声を荒らげることもなければ、詮索するようなこともなかった。
ひとまず一件が落ち着くと、僕は新しい小説を書き始めた。
紆余曲折があった二人だが、やっと王子がヒロインに自分の想いを伝える話。舞台は湖の近くにある別荘で、告白のタイミングは夜。しんと静まり返った場所で、王子は空を見上げてから、ある一言を呟いた後に自分の想いを語り始めるのだ。
ヒロインの返事を書こうとして…そこでやはりペンが止まった。僕にとってのヒロインはリサだ。リサがどう返事をするのか、僕には想像もつかないし、そもそも受け入れてくれるのかどうかも分からない。だから、やはりこの話も中途半端に終わらせてしまった。王子の告白で終わる。相手の反応を表す描写は一切ない。
リサが続きは?!と叫びそうだな、と思いながら、僕はこれでいいんだと紙を纏めた。
リサが十七になる誕生日。僕は彼女と彼女の家族を別荘に招待した。昼に到着し、馬車を下りた彼女は目を輝かせる。
「殿下!とても綺麗な湖ですね!」
「うん、そうだね。きっと君が気に入ると思ったんだ」
日光を反射してキラキラと光る湖の水面を見て、リサは同じように目をキラキラと輝かせる。可愛らしい様子に口元を緩ませながら、湖が見える場所にテーブルと二脚の椅子を置く。リサ、と名前を呼べば、不思議そうな顔をしながら椅子に座ってくれた。僕も反対側の椅子に座り、テーブルに用意してきた紙の束を出す。
「これで最終回なんだ。物語は」
「え?!」
予想外だったのか、リサの顔が驚愕に染まる。そして、一気に悲しそうな顔になった。
「何か…作者の方にあったのですか…?」
「ううん。病気になったとか、お金に困ったとかはないよ。ただ、腹を括ったってところかな」
「…?」
「とにかくこれ以上は書かないそうだよ。これで最後。変に引き伸ばしても、物語はよくならないしね」
「そうですか…」
「それでね、リサにお願いがあるんだ」
「お願い?」
「今日、ここで読み終えて欲しい。夜までかかると思うけど、この場で。構わない?」
「何か理由があるのですか?」
「うん、理由がある」
「分かりました!もう続きが読めないのは寂しいですが、めそめそしていても仕方ありませんよね!大切に読ませていただきます!!」
リサは物語を受け取り、真剣な顔で読み始める。彼女は一度集中すると、没頭してしまうタイプだ。音を立てて彼女の集中を切らさないように、僕も本を広げて読書を始めた。
先にリサの両親には事情を説明しているので、この時間は誰にも邪魔されることなく、ゆったりと時間が流れていった。日が落ちて暗くなると、文字が見えるようにランプを灯す。お腹が空いたんじゃないかな、と思って、サンドイッチを勧めたが、どうやら読書に夢中で聞こえていないらしい。ここまで熱中して読んでくるとは嬉しいものだと思いながら、彼女が読み終えるまで僕は待った。
「終わりました…」
そう彼女が言ったのは、辺りが真っ暗になっていた頃だった。顔を上げたリサは、満天の星空を見上げ「わぁ…」と感嘆の声を出す。
「お疲れ様。綺麗だよね。やっぱり山は空気が澄んでいるからかな」
「こんなに沢山の星、初めて見ました!」
「僕も」
「月も素敵ですねぇ…。あ、物語!とても素晴らしかったです。今までの王子の想いが余すことなく、伝わってきて…。あと、とても驚いたのが告白文の導入部分でした。最初の一言。偶然なんでしょうけど、私の生まれ故郷ではこの一言には意味があるんです。ほら、この、月が…」
「ねぇ、リサ」
「はい?」
小首を傾げる彼女に、僕は笑みを浮かべながら言った。
「月が綺麗ですね」
「へ…?」と呆けるリサに、僕は続けて言葉を紡ぐ。そうですね、なんて野暮な返しは聞きたくないから。
「ずっと好きだったんだ。初めて見た時から。最初はなんて可愛い子なんだろうって思ったからなんだけど、十年も一緒にいる内に内面も好きになった。君と一緒にいる時間が何よりも楽しくて、愛しい。好きだ。勿論、恋愛的な意味で」
「へっ、あの、殿下…?」
「ずっと王子としてしか見てもらえないんだと思ってた。陛下の子供として恥ずかしくないようにと、誰にも心を許せずにいたんだ。だけど、リサと会ってから。僕は心から笑えるようになったし、毎日を楽しいと思えるようになった。大切なんだ。本当に。だから、どうか、ずっと僕の側にいて欲しい。僕の横で笑っていて欲しい」
駄目かな…?と尋ねると、リサは視線をさ迷わせて「あの…これは、小説の朗読…でしょうか…?」と小声で訊いてきた。少しでも冗談ではないことが伝わったことにほっとしつつ、「違うよ」とはっきりと否定する。
「そもそも、小説はすべて僕が書いた」
「え?!」
「気付かなかっただろうね。リサは自分への好意に疎いようだから」
「え…でも、パーティー…」
「あの子とは本当に何もない。この告白の仕方も、実は彼女にアドバイスをもらったんだ。気持ちが伝わらない、どうしたらいいのかって尋ねたら、じゃあ小説の状況を再現して告白してみたらいいんじゃないかって。これで物語の二人が誰をモデルにしているのか、分かるだろうってね」
「…推しカプ…」
「残念ながら、君の好きな『おしかぷ』はないよ。僕とあの子の間には何もない。いい子だとは思うけど、僕にはリサがいるし、彼女もそれで納得してた。諦めて」
「…」
「ちょっとは僕の本気が伝わったかな?」
黙り込んだ彼女が心配になって、僕はリサの顔を覗き込む。嫌がられただろうか。引かれてもおかしくはない。でもこれが僕だし、結婚して夫婦になったらいずれ知られることだ。ここで、彼女が本気で拒絶するなら、身を引くことも考えた方がいいかもしれない…なんて考えながら、彼女の顔を見て、僕は固まった。
彼女の顔は、見たことがないくらい真っ赤になっていた。耳まで林檎のように赤い。口は、はくはくと意味もなく、開け閉めを繰り返している。
思わず「リサ?」と名前を呼んだ。彼女ははっとした顔をして、赤面した顔のまま。
「たっ、たかぷ、他のカップリングは地雷ですので!あっ、あ、あ、悪役令嬢モノはライトノベルだけで十分ですから!!」
と大声で叫んで、逃げるように走り去っていく。残された僕は予想していなかった反応に、引き留めることもできなかった。中途半端に彼女の背中へと伸ばした手を、自分の口元に当てる。さっきのリサの顔が頭から離れない。
「え…?あの顔って…」
フラれた…のかな。いつもみたいに、はぐらかされたともとれるけど。でも、あの顔は。
少しは脈があると、自惚れてもいいのかな…?
ひんやりとした夜風が僕の頬を撫で、僕にも移ってしまった顔の熱を冷ましてくれる。
齢七歳にして失恋し、十年片思いをし、そして今は十七歳。
いつか、君が振り向いてくれることを期待してもいいだろうか。