3話
「神様になれと言われたときはどうなるかと思ったが、何とかなるものだな」
「過去の出来事は私が記録している。私がいれば国の運用は問題ない」
抑揚がほとんどないこの声が不気味な無機質さに最初はおっかなびっくりだったが、慣れた今ではそう感じることはもうない。
「白獣という種は本当にすごいな、頭が良いし強い。君がいれば私などいらないだろうに」
白獣の姿は様々に変わる。
私の白獣は元は成人とさほど変わらない姿だったが、今では四肢が長く伸びており以前より二回りほど大きい。
「人を補佐する立場にある私がその義務を放棄することはない。それに私は種というカテゴリではない」
人には私も入っているのだろうか。目も鼻もない、のっぺりとした顔からは感情を読み取れない。
「私も君の助けなしに一通りできるくらいにはなった。少しくらいこの国を離れたっていいんじゃないか?少しくらい任せてもいいんだぞ」
「お前に任せる?」
底冷えのする声がした
声の主は狼の姿をとった白獣を従えて私の目の前に姿を現す。
「随分と呑気なことを言うんだな。偽物」
冷たく見据えた男は私の白獣に命令をすると私の首に白い手が伸び、地面の感覚がなくなる。
彼は”やれ”と短く発すると、首を絞める圧力が一気に増し、視界が暗転する。
寝覚めが悪い。
彩度だけ鮮やかに描き出された夢は、目が覚めた今も瞼の裏に強く焼きついている。
前の頃の私。独特の曖昧さを持った悪夢は、記憶を頼りにして私を苛む。
窓の外はすでに明るくなっていた。
疲労がたまっていたのか、ベットの寝心地がよかったのか、よく眠っていたらしい。
目ヤニがたまっている、頭もすっきりしない。顔を洗いたい。
ベットを降りようとして、夢の中の自分との身長のギャップに転びそうになる。
客間として私に用意されたのは二階で、ここまで連れてきてくれたシェイクの荷物もここに置いてある。
普段は彼が一人で泊まっていただろう部屋を私に譲ってくれたみたいだ。
そこまで気を遣う必要などないのに。
一階に降りると私以外はすでに朝食を済ませたらしく台所でサラが食器の洗い物をしていた。
「あ、おはようアニザちゃん!よく眠れた?」
私に気付いた彼女は快活な笑顔を見せながら挨拶をした。
彼女に挨拶とベッドの寝心地が良かったお礼を言い、昨日教えてもらった洗面所に顔を洗いに行く。
洗面台で手を見る。女性を助けようとしてできた火傷のような跡は今ではすっかりきれいになっていた。
名も聞けなかった彼女もあの場所で簡易的に埋葬するしかなかった。
あの後自分の右手に対して同じように治療を試みたところ、この体になる前ほどの劇的さはなく、2日ほどかけてやっと完治した。
これが今の私の器。自分がもう昔とは違うのだと改めて実感した。
頭がすっきりした後はサラに促されキッチンテーブルに残っていたパンを口に運ぶ。
温かさを残したパンは、咀嚼する度にサクサクと小気味良く返事をしてくれる。
この体になってからは、食事といえば廃墟に残っていた野菜を丸かじりしたり、缶詰を開けるぐらいだったから、まともに料理と呼べるモノはサラが作ってくれたものが初めてだった。
冷め切った食べ物しか知らなかった私にはご馳走だった。
「そんなに慌てて食べると喉を詰まらせちゃうよ?」
私の食べっぷりを見たサラは嬉しそうに顔をほころばせながら言う。
彼女に返事をしようとして、結果、彼女の心配が的中することになる。
慌ててミルクとともに詰まったパンを胃に流し込んでいく。
「ところで、シェイクはどうしている?」
ここまで連れてきてもらった彼は私を今後どうしたいと考えているのだろう。
先行き不透明な私の身の振り方を考えなければならない。
「用事があるとか言って出かけて行ったわね。仕事もらいに行ったんじゃないかな?」
サラはタオルでぬれた手をふきながら答えてくれた。
オイケウの中でも内側に当たる層の一角に目指していたレストランはあった。
ぱっとした雰囲気ではない。どちらかといえば庶民的。以前、個人経営で営んでいると彼女は言っていた。彼女ここがお気に入りで、週末はよくここに足を運ぶ。今日もそうだった。
彼女、カイネンは俺を見ると”よっ”と手をあげて挨拶をする。
「やあ古き友よ。お土産は?」
カイネンもずっとここにいて退屈しているのだろう。外を回って話題に事欠かない俺は格好の餌食だった。
「サボっているようなやつにやる土産はない」
「別にいいだろ?神様も週末は休むんだ。それに面倒ごとは全部白ちゃんがやってくれるから」
使い古した小言は話半分にあしらわれる。それよりも土産をよこせ、とカイネンの右手が主張する。
「愛想つかされ手も知らんぞ。あとこれ、アンタのことが書かれてたから買ってきた」
釘をさしながらも土産の本を渡す。表紙に白いひげをたっぷり蓄えたお爺さんが描かれていた。
「なにこれ、しわしわの爺じゃん。キューティクルの欠片もないじゃん」
似ても似つかない姿に楽しそうに不満を言う。
「長生きしてるんだからそう思われても仕方ないんじゃないか?」
やってきた店員にコーヒーを頼みながら答える。
「せめて性別くらいは一致してほしいけどなー」
カイネンはページをめくりながらぼやく。
コーヒーが来る前に報告を済ませてしまおう。
「この前に言ってた街、帰りに寄ってきたんだが瓦礫の山になってた。おそらく陸鯨が通ったんだろう」
「そっか」
短く答え、俺に続きを促す。
「民家を覗いて回ったが誰もいない。完全に捨てられていた。一時的に人が避難するのはわかるが、こうも見切りをつけるのは不自然だと思わないか」
カイネンに知っているか?と目で問いかける。
「だねー、いったい何があったのやら」
カイネンは心底うんざりとした顔をする。少なくとも彼女は関与していないようだ。
「あとは子供を拾った。今は俺が預かっている」
「…拉致った?」
なんで皆そんな反応をするのか。そんな悪人面はしてないはずだが。
「本人は孤児と主張してる。親がいるなら引き渡してるさ。しばらくは俺のところに置いて様子を見ようと思っている」
カイネンはそれを聞くと、くっくっと笑い
「アンタが子守りねえ、子供は感受性が高いから丁寧に相手してやるんだよ」
「ご忠告痛み入るよ。で、次はどこなんだ?」
「とりあえず、コーヒーを飲んでからにしようか」
店員がコーヒーを持ってきたのを見てカイネンがそういった
シェイクが帰ってきたのは夕暮れ時だった。
私は寝室に使っていた部屋で休んでいたら、シェイクがぬるっとやってきて部屋にあった荷物を整理するためにごそごそし始めた。
話によると仕事をもらってきたらしい。
「アニザ、俺は運び屋としていろんな荷物を色んな国に運んでる」
道具の手入れをしながらシェイクは話をはじめた。
「アニザの探している人の手がかりがタグしかない以上、後は手当たり次第に聞いて少しづつ絞っていくしかないと思っている」
私はベッドに腰掛けながら話を聞く。
シェイクは少しだけ躊躇ってから
「お前は故郷も、家族もいない孤児なんだな?」
私は黙って頷く。過去の事を話したところで信じないだろう。
「なら、荷物の準備が出来たらここを出発する予定だが一緒に来ないか?」
「いいのか?私を連れていく理由がないぞ」
それどころか食費、宿、何かにつけて彼の負担にしかならないはずだ。
「そんなこと気にする必要はないさ、気を使ってばかりいると損するぞ」
私の言葉にシェイクは少し困ったような顔をしながら言った。
「会って数日しか経っていないから迷うのは分かる、でも目的地にはいけるんだ。とりあえず一緒に行かないか?俺といるのが嫌になったらその時に別れればいい。」
暖かい彼の好意は、私にはとても熱かった。
私は頷いた。
ただの子供。今の私が彼に出来ることは、彼の好意を無碍にしないことだった。