先端恐怖症王女
「王女殿下、ご無事ですか?」
黒い軍服をまとった部下らしき男たち数人が少女の元に駆け寄ってくる。
腰を抜かしていた少女は彼らの肩を借りて立ち上がる。
男たちはハンマーを見たまま呆然としているおれの姿を見てすぐに剣を抜いた。
「きさま、リディア王女になにをした?」
鋭い刀身が向けられる。おれは両手を上げ降参ポーズをとった。
「おれはなにもしてないぞ。そのお嬢さんが勝手に」
「魔物のくせに人語を介するとは」
一難去ってまた一難。剣先が迫る。
「おやめなさい」
男たちを止めたのは少女――リディアだった。
「信じられませんが、その魔物はわたしを助けてくれました。傷つけてはなりません」
こんな正体不明のハリネズミを助けてくれるのか。いい子だ。リディアって名前も可愛い。
「ありがとな。こんな姿だけど、おれオキトって言うんだ。よろしくな」
お礼を言いたくて顔を上げたけど目が合わない。右へ左へと回り込んでみるが、頑なに顔を背けられる。
「なぁリディア。あ、いや王女さん。こっち向いてくれよ。おーい」
あまりの速さについていけず、しまいには背中からころりと転がってしまった。背中の針のお陰で大した衝撃もない。
しかしリディアは怯えたように肩を震わせてぎゅっと目をつぶってしまった。
なんでこんなに避けられるのか、わけがわからない。
困り果てているおれに、いちばん若いと思われる黒髪の少年が囁きかけてくる。
「王女殿下は先端恐怖症を患っていらっしゃるんだ。きみの針が怖くて見られないんだよ」
ふむふむ。先端恐怖症って鋭いものを見ると怖くなってしまう心因的な症状だっけ。
ハンマーに映るおれの針はとても鋭く、体をくるんと丸めて針山になった姿はさぞかし怖かっただろう。
「ルイ、余計なことを口にするな。侮辱罪で訴えられるぞ」
となりの男に叱責されて少年は居住まいを正す。
「アシペンサーによる襲撃で隊は壊滅状態。残ったのは我ら魔導士四人だけ。一旦ノルム・ベガに引き返してはいかがでしょう?」
隊の代表とおぼしき髭の男が進言する。
「いいえ」
しかしリディアの顔には強い決意がにじみ出ていた。その青い瞳は上空――海へと向けられる。
たくさんの人間を引きずり込んで血でにじんだ海には、目つきの鋭い魚たちがチャンスを伺うように忙しなく行き交っていた。
「本来陸地とまじわることのない死海の海の魔物たちは、先ほどの襲撃で人間の血と肉の味を覚えてしまいました。このまま放置すれば無作為に人間たちを襲うでしょう。ゆっくりしている暇はありません」
ふむふむ。よくわからないが、空に海がある現状はこの世界にとっても異常事態なのだ。
だからリディアは元に戻すため奔走している、ってところかな。
「二名はわたしとともにネロウ族の洞窟へ。残りの二名はノルム・ベガに戻り避難誘導を。満ち潮によって水平線が少しずつ地上に近づいています。行動するときは体を低くし、できるだけ窪地に身をひそめるように伝えてください。逃げ場のない家屋の中はもっとも危険です。上空から浸水した海水に一気に呑まれますから」
男たちが力強く頷く。統率がとれているというか、冷静なリディアの言葉には感心させられた。これがお姫様なのか。
「殿下。この魔物はどうしますか? 連れていきますか?」
手袋をしたルイがおれを手のひらに乗せてくれる。
おぉ高いぞ、高い。
おれに一瞬視線を向けたリディアだったが、針に気づいてすぐにそらした。考えあぐねているようだ。
そうだ。おれはいま、ちっぽけなハリネズミ。こんな姿じゃあ二人を助けることなんてできない。元に戻るだけじゃダメだ。少しでも多くこの世界のことを知って、強くならないと。
「おれも行きたい。リディアたちと行きたい」
つぶらな瞳で必死に訴えてみた。が、リディアはこちらを見ようともしないので効果はない。見かねたルイが助け舟を出してくれる。
「恐れながら殿下。民間では、魔除けの護符としてオニキスという漆黒の石が重宝されております。オニキスは爪を意味し、いかなる困難にも立ち向かう勇気と忍耐力を与える石として、願望成就の手助けにもなるといいます。ギルドに山積する苦難を乗り切るためには、オニキスの加護があっても良いのではないでしょうか?」
オキトとオニキス。なんだか響きが似ているな。毛がぞわぞわする。
「……わかりました」
覚悟を決めたように息を吐き、リディアはおれのほうを見た。
「同行を許可します。オニキス、わたしのことはリディアと呼んでください」
名乗りながらも微妙に視線が合わないのは意図的に針から目を背けているだめだろう。腹のあたりをガン見されている気がする。
それでもいい。二人を助ける方法が少しでも見つかるなら。
「おれは和泉オキト。オニキスでいいや。いまはこんな姿をしているが、これでも異世界からやってきた神――じゃなくて勇者(予定)だ」
「神様」だなんて名乗ってたまるか。二人をあんなふうに変えたんだ。
「ともかく、よろしくな。リディア」
握手しようと伸ばした短い手は、
「先を急ぎましょう」
華麗に無視された。――いいさ、別に。拗ねてなんかいないさ。
リディアに同行するのはルイと髭のおじさん。
鬱蒼と茂る森の木々を切り裂きながら前へと進む。おれはルイが羽織っているマントのフード部分に入れさせてもらった。「頼むから刺さないでね」と注意されて。
「気をつける。これでも勇者を目指す人間だから」
「ぼくにはどう見ても魔物にしか見えないけど。きみは本当に異世界から来たの?」
「そうさ。ニホンから来た。向こうにも海はあるけど、空に浮いているなんて初めて見た」
「ほんの二週間前だよ、ノルム・ベガ……あ、この近くにある都市の名前だよ。その上空に海が現れたのさ。太陽を横切るように魚たちが空を泳ぐんだ。最初はだれしも夢を見ているのかと思った。ぼくら魔導士はたくさんの魔法を研究しているけど、長期間、広範囲に亘ってこれだけの水を留める魔法なんて聞いたこともなかった。しばらくは物珍しさでだれもが浮かれていたけど、しだいに状況は悪化してきた」
ルイは若さゆえに好奇心旺盛らしく、道を開拓するすがらいろいろ話をしてくれた。
「太陽の光は海に吸収されてろくに地上に届かないから一日中薄暗いし、風が吹くと湿った空気が降りて作物は腐っていく。雨は海の一部になって地上には降り注がず、土壌は汚れたまま。ぼくが愛読していた魔導書も湿気で腐って手に取ることもできない。湿気を好む蟲が大量発生して皮膚が腐る病も流行しはじめた。本当に気が滅入ったよ。そこへきて海はしだいに膨らんで地上に降りてくるんだ。おそらく満ち潮のせいだと思うんだけど、最初ははるか彼方にあった海が、いまやすぐ間近まで迫っている。さっきのような肉食の魔物たちが地上に追いつめられていく人間をいまかいまかと狙っているんだ。あんなふうに」
ルイが杖を振りかぶると、先端から電気が走って上空の魚たちを追い払った。
「ここは標高が低いからまだ海との距離があるけど、ノルム・ベガはあと数日で水没するだろう。それを阻止するためにぼくたち王国騎士団が派遣されたのさ。もっとも、残ったのはぼくら魔導士だけだけどね」
ルイは呑気に笑っているけど、とてつもない危機じゃないか。
上からは海と肉食の魚。下は地面。逃げ場がない。
ふつうに考えても怖いよ。