(回想)そして幼なじみは神になる
「異世界も平和なだけじゃないのね」
電燈がわりの蝋燭が揺らめく寝室内で、キングサイズのベッドのひとつを確保した星華が他人事のように呟いた。
「そりゃあ、最初から平和だったらおれたちが神様の意味がないだろう」
「小説やアニメじゃないんだから、たかが中学生が勇者みたいに活躍できるわけがないでしょう。夢見がちなんだから。神様っているのはあれよ……そう、客人に対する最上級の呼称みたいな」
「でも、もの凄い力が手に入るって」
「大げさに言っているだけなんじゃない。日本語は神聖な言語らしいから、サミアみたいな力が使えるのかもね。どうでもいいけど」
ごろん、と横になって肩をさすった。
「まだ寒いのか?」
「ん、ちょっとだけ」
おれたちといるときは男勝りだけど、こうして間近で見ると星華の肌はびっくりするくらい細くて白い。
昔からおれたちに混じってサッカーも野球も一緒にやってきたけど、やっぱり本質的に異なるんだと実感させられる。
「これ、着ろよ」
上着を放り投げるとちょうど星華の顔にかかってしまった。
「ちょっと、もっと丁寧に投げなさいよね」
たまらず顔を起こして猛抗議される。
「なんだよその言いぐさは。せっかく心配してやったのに。もう返せよ」
上着を取り返そうとすると、逆に引っ込められた。
「……預かっておく。だって、寒いんだもん」
さっさと上着を着込んでしまう。
取り返すのは諦めた。元よりおれは寒さなんて微塵も感じていないし、逆に暑いくらいだ。
「神様ならこういうとき、暖かな火を熾せるのかもしれないけどな」
「ガラにもないこと言わないでよ、余計に寒いわ」
「おまえなぁ」
まったく星華という奴は。ちょっと優しくしてやるとこれだ。日本でも異世界でもちっとも変わらないし可愛げがない。
おれの心中なんて知る由もない星華は、ぼんやりと天井を見上げて瞬きしていた。
「神なんかより、一国の王女にしてほしかったなぁ。蜂蜜みたいな金髪で目も青くてさ、ごきげんようって挨拶していればいいの。毎日おいしいもの食べてキレイな服着て、でも絶対に太らない体質なの」
「おい、さっき夢見がちだってたしなめたのはどこのどいつだ」
「あーイヤだな、受験」
「聞けよ」
「イヤだな、ふたりと離ればなれになるの」
ぽつりと漏れた言葉が本音なんだとわかる。
高校受験。保育園からずっと一緒のおれたちは、それぞれ別の進路を選ぶ。
永遠の別れじゃないけど、いつも近くにいた二人と離れるのは初めてで、すごく不安だ。
だからこんなセンチメンタルな気持ちになるんだ。
「会えばいいじゃないか、毎週でも、毎日でも。家だってそう遠くないんだ。チャリとばせば」
「い・や。あたし彼氏作るんだもん。あんたたちに構っている暇なんてないの」
「なんだよ、薄情だな」
「……どうせあんただって、そのうちキレイな彼女を作るのよ」
「は?」
「なんでもない。寒いし、寝る」
言いたいだけ言って布団にもぐりこんでしまう。なぜかいつも星華との会話は喧嘩別れのようになってしまう。
「相変わらず仲がいいねぇ」
「なんだよ、昂介」
隣から冷やかされ、ついムッとしてにらんだ。
「いつも通りで安心しただけ」
昂介はニヤニヤと笑いながら眼鏡を外す。生まれつきの弱視でずっと眼鏡を使っているけど、眼鏡を外すと女みたいな顔になる。
眼鏡を外した昂介は、しばらくなにかを確認するように自分の目元に触れていた。
「どうした?」
「さっきの背中の痛みがさ……目にも移っていて」
「見せてみろ」
おれは昂介のベッドに飛び移って目を覗き込んだ。蝋燭の薄ぼけた灯りの下ではハッキリとはわからないけど、異常があるようには見えない。
「なにもないみたいだけど」
「そっか、良かった」
そう告げると、昂介は安心したように笑う。
「でもおれは素人だし、心配ならサミアに薬をもらうか?」
「ううん。オキトくんがそう言うなら大丈夫だよ。登山のときの筋肉痛かもしれないしね。それよりも――」
裸眼のままの昂介がじぃっとおれを見た。
「オキトくんの眼って、そんな色だった?」
「へ? 目の色?」
近くにあった花瓶の側面を覗き込んでみたけど、案の定、色の違いなんて分かるはずもない。
慌てたように昂介が手を振る。
「ごめん、見間違いかもしれないよ。眼鏡がないのにやけにハッキリと見えて驚いただけなんだ」
もしかしてこれも神様になるための変化なんだろうか。
「ちなみに何色に見えたんだ?」
「し……いや、気のせいだよ。もう寝よう」
自分の枕元にある蝋燭をふっと吹き消して布団に入る。おれも自分のベッドに戻り、蝋燭を消して布団に突っ込んだ。
しかし目が冴えてそうそう眠れそうにない。すると隣から昂介の声が響いてきた。
「でも、オキトくんが元気そうでよかった。学校を出席停止なんて驚いたけど」
「……心配かけて悪かったな」
「喧嘩は程々にしておきなよ」
「おぅ、わかってる」
自分のクラスで大喧嘩したこと、昂介はやっぱり知っていた。
だから登山に行こうと連絡を寄こしたのだ。小学生のころに遠足で登った山に、三人で。
「でも虐められていたクラスメイトを助けようと殴りかかったのは、オキトくんらしくて格好良いと思った」
昂介が笑い声を上げると、
「莫迦なのよ」
眠っていたはずの星華が呆れたような声を上げた。
「――おまえらさっさと寝ろッ」
恥ずかしくなって叫んだあと、おれは頭まで布団を引き上げた。
体が火照って、ますます寝られなくなったじゃないか。
※ ※ ※
「…………うっ」
夜中。聞こえたのは、うめき声。
うとうととまどろんでいたおれは、パッと目を開けた。
「……い……寒い……」
「星華、どうした?」
起き上がって隣のベッドを見る。わずかな月明かりに浮かび上がる星華は、こちらに背を向けていた。その肩ははげしく震えている。
「……むい……サム……」
震えながらも起き上がる気配はない。それほどひどい状態なのかと心配になり、ベッドを軋ませて星華に近づいた。
「大丈夫か? おい、星華」
ぬるり。
星華の肩に触れた手に、粘着質な液体が張りつく。まるでクラゲにでも触ったような弾力感。
(なんだよ、これ)
「うァアアアアアア」
腹に衝撃がきたと思ったら、野太い声とともに一瞬で弾き飛ばされた。ベッドの上を転がって昂介にぶつかる。
「サむイぃいいいい」
ゆらりと起き上がる星華。その体から流れ出る奇妙な液体と無数の泡。重さに耐えかねたベッドがおおきな音を立てて割れた。
「どうしたんだよ。なぁ昂介、星華が――」
昂介の背中に触れた瞬間、感触がなくなった。昂介の体が分解したのだ。
「……イタイよ……」
たくさんの羽毛が舞い上がる。起き上がった昂介の顔の半分は毛に覆われ、赤い目は鋭い。やがてそれらの毛が昂介の全身に広がっていった。
鱗をまとう星華と、羽毛をまとう昂介が対峙し、次の瞬間には衝突した。
飛沫と羽根が混ざり合って視界が混濁する。
ベッド、床、壁に互いを激しくぶつけあい、形あるものは次々と崩壊していく。おれもそのひとつになって、あちこちに跳ね飛ばされた。まるで洗濯機に放り込まれたようだった。
そして気がつけばおれは、瀕死の状態で壁にもたれかかっていた。
流れ出る血液の量に比してどくりどくりと心臓が脈打ち、確実に「終わり」が近づいているのがわかる。
星華と昂介は、異様な姿をさらして組み合っている。
それは到底喧嘩とは言えない、互いの血を流しあうだけの殺し合いだ。
おれにはもう、わけがわからない。
(なんで星華が? なんで昂介が? なんで?)
「どうやら成功したようですね」
涼やかな声は、扉のほうから聞こえた。