リディアを助けたい
「このネズミはよく喋るのね、面白いからもらっていくわ。あなたはそこでゆっくりしていなさい。もうすぐ水平線が安定して、空は一面の海になるんだから」
「そんなことは、いや、トゲトゲ、させない、いやぁ」
正義感と恐怖心とでリディアは大混乱だ。
くそぅ、おれがなんとかしないと。おれが。
よし、必殺技をお見舞いしてやる。
くらえ――ッ、くるん。と体を丸めた。そうすれば痛みで解放すると思ったのだ。
しかし。
「無駄よ。あたしの手の鱗、とても硬いんだから。痛くもかゆくもないわ」
ちくしょおおお無効化された。
「本当に不思議なネズミね。まるで世界の終末に現れる神獣みたい」
「もしそうだと言ったらどうする?」
毛を逆立てて威嚇すると、エレインは一瞬きょとんと目を丸くした。だけど次の瞬間には楽しそうな笑みを浮かべている。
「だとしたら――面白すぎる」
どぷん。大きな水音が響いたのはそのときだった。
洞窟の一角を成していた壁が崩れ、大量の水が流れ込む。
「そんな、だって賜杯は」
と青ざめるエレインとおれたちを瞬く間に水が包み込む。
押し流され、壁にぶつかる。
「ぷはっ」
エレインは水面に顔を出し、ついでにおれにも息を吸わせてくれる。
「どういうこと、だれかが賜杯を戻したの?」
エレインの焦りとは別に、おれはちがう焦りを感じていた。
「おい、リディアが上がってこないぞ」
少しずつ水嵩が増してくる中、リディアが水面に顔を出さない。
これはちょっと、まずいんじゃないか。ウニの棘のせいで身動きとれないのかもしれない。
「エレイン頼む、リディアを助けてくれ」
黒い髪の毛を引き、必死に訴えた。
「いやよ、水恐怖症だって言ったでしょう」
「リディアが死ぬかもしれないんだぞ」
「あたしには関係な――」
「おれは嫌だ。リディアが死ぬのは嫌だ。リディアは水平線が変わって困っている人たちをため危険を顧みずここに来たんだ。おまえは自分のことばっかりで、言い訳ばっかり吐いて、そんな傲慢さで姫を名乗るなッ」
叫んで、怒鳴って、水にもぐりこんだ。
少し離れたところにリディアの姿を見つける。気を失って水中を漂っていた。
なんとかリディアのところまでたどり着いたものの、リディアの背中を押すほどの力はない。
あぁくそ、なんでおれハリネズミなんだ。
視界の端をぬるりと黒い影が横切った。
ゾッとした。
ウミヘビだ。リディアの首に食らいつこうと牙を剥く。
(こンのやろッ)
全身の毛を逆立てて、ウミヘビの口内に飛び込んだ。
口をふさがれた形のウミヘビはおれの毛を砕こうと力を込めてくる。
潰されてたまるか。
おれはこんなところでは死ねない。
星華と昂介を助けるまでは、死ねないんだ。
体の芯が熱くなる。
三度目になって、ようやくわかってきた。
この体の熱さは――「だれかを守りたい」そのための力だ。
(はじけろ)
ウミヘビの頭が破裂するのと同時に、すさまじいうねりが起きた。
おれたちは翻弄される。
「掴まって」
リディアとおれを水中で捕まえて岩場で支えてくれたのは――他でもないエレインだった。
下半身が魚のヒレで覆われた、人魚のエレインだ。
「ぷはっ」
波に乗り、なんとか浜辺にたどり着く。
「リディア、大丈夫か、リディア」
息をしていない。
仰向けになったリディアの胸の上に乗り、必死にジャンプした。
心臓マッサージのつもりだったが一向に水を吐かない。
頼む、息をしてくれ。頼む。
「くそぅ、なんでおれハリネズミなんだよ。人間だったら」
ほふく前進で浜辺まであがってきたエレインが目を瞬かせる。
「あなたは元々ヒューマンなの?」
「そうだよ。気がついたらこんな姿で」
ジャンプも疲れてきた。だけどこれをやめたらリディアが助かる確率は万に一つもなくなる。
「さっき、終末の神獣だと言ったわね。だとしたら」
エレインがジャンプ途中のおれを空中で受け止めた。なにをする、と非難する間もなくエレインの唇が迫り――ぬる、としたキスをされた。
「信仰心を、あなたに」
エレインの唇が離れたと思ったとき、おれは自分の手足が人間のそれであることに気づいた。




