三日月亭VS悪魔
悪魔。
魔神の眷属。
推定レベル150以上。
『ふむ……ふむ……』
”智の悪魔”はあごに手をあて、周りを見渡す。値踏みするかのような視線だ。
『おおよその事情は把握できました』
丁寧な口調はシドーに似ている。だが彼と違い、この悪魔の声は感情のないような無機質なものだ。
『しかし不安定な召喚のため、力が少々足りません。少し休憩でもしますか』
そう言うと悪魔は胡坐をかいてその場に座り込んだ。
――ヒュンッ
ルリは容赦なく弓を引いた。
こめかみに寸分の狂いもなく、風を切って一閃の矢が吸い込まれていく。
――――が、悪魔は矢を直接見ることなく、右手の中指と親指で挟んでいとも簡単に止めた。
『無粋な女ですね。あなたとの勝負は不毛なのでしたくないですね』
矢が止められることはルリにも予測できていた。
「【神速】」
【クイックスライド】とは次元を別にする高速移動スキル。脚に高密度の魔力を流し、爆発的な加速力を生み出すスキルである。
このスキルと《弓士》の能力のコンビネーションこそルリの真骨頂。高速移動と並行して行う連射により、全方位からの同時攻撃を可能とする。
「はっ!」
必殺の威力を持つ矢の嵐――。
王国軍の元帥クラスでもミンチになる以外選択肢がない攻撃に、
『【デナイアル】』
障壁と矢が激突し、重い音が立つ。スキルひとつで”智の悪魔”はルリの攻撃を全てを防いで見せた。
いつか聖がグリフォンの攻撃を防いだものと同じスキルだ。
「……ま、そうなるよね」
ルリは動きをとめ、わずかに後ずさる。
ああ言ったものの、全力の一手がノーダメージというのはルリもさすがに予想外だった。
『残念ながら私はあなたの速度について行けません。しかしあなたの攻撃もまた、私には効かない。どちらも負けずどちらも勝てない。故に不毛だと言ったのです。……おや?』
智の悪魔は退屈そうに言った後、不意に立ち上がった。
『ようやく来てくれましたか』
悪魔の視線の先には、
「シャントルさん、ルリさん、賢者様に来ていたただきました! もう安心ですよ!!」
セラルタの肩を貸してもらいながらなんとか歩く賢者ヨハネスの姿があった。
(あれが悪魔か。この僕に恥をかかせてくれた元凶……。殺してやる……!!)
プライドを傷つけられた賢者の心には無謀で浅はかともいえる殺意が渦巻いていた。
「バカ! 逃げろっ!」
思わずシャントルが叫ぶ。
シャントルも既に賢者の実力については勘付いていた。故にその言葉は本気の助言だったのだが、ここでは最悪な方に働いてしまった。
すなわち、火に油を注いだのである。
「君まで僕をコケにするのか? 小汚い冒険者風情が……。そこで真の勇者たる僕の武勇を間抜けに見ているがいい!」
取り繕うことを忘れ、感情のままに叫ぶヨハネス。思考を忘れ、激情に任せわめく彼が『賢』の字を冠しているとは皮肉なものだった。
『名高き賢者殿と手合わせ願えるとは、私も幸運です』
悪魔は嬉しそうに嗤うと、グリットクロスを賢者に投げて渡した。
「……なんのつもりだ」
賢者の問いに対し、悪魔はただ嗤うだけだ。不気味な、嫌な予感を感じつつも賢者は杖を手に魔法を発動した。
「(何を考えているかは知らんが、この聖杖を僕に返したのは愚策だったなぁ! 僕の魔法はLv.150相当。聖魔法を弱点とする悪魔ならちりも残らんぞ!)」
瞬間、悪魔が急激に加速し賢者に迫る。すかさずルリが弓を引くが、
『動くな、ルリ=カタギリ。動けば先にシャントルを殺す』
「(…………ッ!! 的確な脅し……。動きに無駄もない。それに、どうして私とシャルちゃんの名前を……?」
止むをえず弓を収めるルリ。
シャントルは自分が足を引っ張ったことに唇を噛みしめる。たとえ万全だとしても、ルリや悪魔の戦いに欠片も付いて行けないことは明らかだった。
多少強くなった。でもまだ弱い――――。
そのことを否応なく自覚させた。
そしてそのことを自覚できない賢者は魔法を発動する。
「【ホーリークロス】!」
ヨハネスが聖魔法を発動させた直後、悪魔は杖に触れた。同時に一気に杖から悪魔に向かって魔力が流れる。
『やはり。ヨハネス殿は魔法抵抗力が弱くていらっしゃる。伝説級をこうも容易く吸収できるとは』
「なっ……武器を吸収だと!?」
【武器浸食】。これこそこの悪魔の持つ固有スキルだった。
『すばらしい能力のように見えるかもしれませんが、条件が厳しくてね。自分以外の術者が使用している間、かつ、術者の魔法抵抗を上回る力がないとできないんですが……』
グリットクロスがみるみるうちに光を失っていく。杖の力の弱まった賢者の聖魔法は発動することなく、魔力の塊として空中に霧散した。
そしてついに、伝説の聖杖は灰となって崩れた。
『ふぅ。これで苦手な聖魔法への耐性も付けられました。おっと、レベルも185まで上がりましたか』
悪魔は満足そうに呟く。
「ひ……ひぃあああああぁぁぁああぁぁッッッ!!!」
ヨハネスはようやく理解した。
勝てるはずがないと。
胸を突き穿つような絶望感。敗北の事実など、自分のプライドなどもはや頭になかった。あるのは純粋な恐怖だった。
「く、来るなっ! バケモノォッ!!」
ヨハネスを動かしたのはただ”死にたくない”という想いだけ。踵を返し、不確かな足取りで必死に走った。無様な敗走であった。それが敬虔なシスターの目にどう映ったのかは言うまでもなかった。
悪魔はそんな賢者ヨハネスの姿を道端のトカゲか虫でも見るかのような目つきで見ていた。彼の興味はすでに賢者にはなかった。今、興味があるのは――
『これならあなたに勝てるかもしれませんね。ルリ=カタギリ』
黄金の瞳孔をすっと細め、その目にルリの姿を映す。
獲物を狙い定めた狩人の眼だ。嫌な汗がルリの頬を伝う。
『改めて自己紹介しましょう。智の悪魔と申します。名はありません。私の特性は”この世界の全てを知る”こと。故にあなた方のこともよく知っていますよ』
悪魔の言葉に耳を貸さず、ルリは足に魔力を集中させる。戦えばおそらく負ける。だが、シャントルやセラルタのいる状況では逃走も難しい。
(仕方ないかな。うん、覚悟を決めよう)
地面を蹴り、ルリは電光石火のごとく疾走する。【神速】を使って悪魔の後ろに回り込み、第一射を放つ。それを狙いすましたかのように悪魔は手刀で叩き落す。ルリはバックステップで距離を取りながら、続く第二射、第三射を放つ。
無駄のない軽い動作で悪魔は簡単に躱した。今度は防御スキルさえ使わない。
(くっ……ステータスが上昇している……! レベルアップしたって言うのはハッタリじゃないっぽいな……)
『【ストライク・バレット】』
悪魔の手から放たれた黒い弾丸が5発。ルリに向かって飛翔していく。
今度はルリが避ける番だ。
ルリはその敏捷性能で危なげなく躱す。
だが――
「ルリ! 後ろだっ!!」
シャントルの言葉で振り返ると、ルリがよけた弾丸によって木が傾き、ルリに向かって倒れてきていた。迷わずルリはサイドにステップする。
「うっ……!?」
だがその先に運悪く窪みがあり、足を取られたルリはバランスを崩す。
まるでその隙が生まれるのが分かっていたかのように、いつのまにか”智の悪魔”はルリに肉薄していた。
『【イービルソード】』
黒い魔力で構成された剣がルリを貫こうとする。
寸でのところでルリは地面に手を突き、片手側転の要領でなんとか回避する。
矢で牽制弾を放ちながらルリは距離をとる。近接戦で勝ち目はない。
「はぁ……はぁ……。あっぶないな~……」
口調こそ軽いが、完全にルリからは余裕が失われていた。
『そろそろ決めますか。あまりあなたに時間を取られても迷惑ですしね。【デッドパイル】』
「ッ!?」
地面から漆黒の杭が突きだす。躱しても躱しても、その先に着いた地面からは次々に杭がルリを狙う。
そして一度わずか数秒でルリは周囲を杭に囲まれていた。
(まずっ……)
逃げ場は空中しかない。止むをえず、ルリは上に跳んだ。
直後、
「がっ……! かはっ……!?」
動きを予知していたかのように後ろに迫っていた悪魔に首を掴まれた。
そしてギリギリと締め上げていく。
『あなたの移動する方向も知っていましたからね。あっけないものです』
だが突如としてその手が静止した。
一瞬、なにが起こったのかルリにも分からなかった。
寸止め、という感じではない。強制的に動きを止められているような静止の仕方だった。
『う、動けん……! 貴様、何をした……!!』
苦悶の表情を浮かべ、悪魔はルリを睨む。
『何をしやがっ――――』
――だがそれも束の間、悪魔は横から不意の強烈な一撃を受け、地面をガリガリと削りながら50メートル以上の距離を一瞬で吹っ飛んだ。
空中に放り出されたルリは地面に落下する――かと思いきや、何者かにふわりと抱き上げられた。
「うちの店じゃ従業員への接触は厳禁だ。――借りは返させてもらうぞ、悪魔」
静かな怒りを宿した片桐聖がそこにいた。
僕はまだ書き始めて日が浅いですが、小説って難しいですね