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最後のセンター模試。
この試験で隆士はクラス三位に返り咲いた。
得点率はおよそ七割。
これが、隆士が未だに自分自身やればできる人間だと思ってしまっている要因の一つである。
あのとき、僅か一日一時間強の勉強でここまで盛り返せたのだ。
もし自分がもっと本気を出せれば人並み、いやそれ以上でできるはずだ……。
だが、隆士がこの時以上に頑張れたことは今のところないし、この時以上の結果を出せたこともない。
そしてこの先も未来永劫ないであろう。
つまりはこれが彼の実力の限界なのであり、結果から言うと、このとき、たまたまではあるが隆士は自分自身の実力を正しく認識し自分に合った作戦を実行することができていたのである。
彼にとって不幸だったのは、これが自分の限界値だと気付かなかったことであろう。
さて、しかしながらこのときばかりはこの流れに乗ってセンター試験本番も乗り切る事ができた。
点数は以下の通りである。
英語(200点満点):110点
国語Ⅰ・Ⅱ(200点満点):127点
数学Ⅰ・A(100点満点):81点
数学Ⅱ・B(100点満点):85点
物理B(100点満点):88点
化学B(100点満点):80点
現代社会(100点満点):79点
相変わらず文系科目の点数は低かったが、それなりの数の地方国立大学に相手をしてもらえるだけの点数を獲得できたのは、隆士としては勝利と言えた。
何より産近甲龍と呼ばれた関西私立大学二軍四天王の二つからセンター試験利用入試で合格を得たのは大きかった。
これにより隆士は本命の某地方国立大学の試験にも余裕をもってのぞむことができた。
物理一本勝負の試験だったが、正直あまり難しいとは思わなかった。
これはたぶん合格したなと思い、そして事実そうなったのである。
こんなものか。
目標を、当初からかなり低くしていたこともあるが一年前の惨状から考えると拍子抜けするくらい思い通りにいってしまった結果に隆士はこう思わざるを得なかったのである。
そしてこのときが隆士の人生の頂点であったことを、彼はまだ知らないのである。




