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親に促されるままに大手予備校に入学した隆士だったが、勉強に対する基本方針は変わらなかった。
それは即ち、
自分はどうせ頑張れない。
ということ。
しかし、少なくとも現役時代と同じように無計画に時間を浪費すれば、同じ結果が繰り返されることは明白である。
ならばと隆士が選んだ道は、勉強範囲を絞るということだった。
まあ、週三日制が週五日制になったところで、結局隆士は楽な道を選んでしまうのである。
欲を言うならば、やはり通える国公立大学、大阪○○大学や大阪××大学を目指したかったが、どちらも二次試験に英語、数学に理科二科目が求められる。
偏差値も高い。
隆士の選択肢から早々にこの二大学が外れた。
隆士は考えた。
思えば、現役時代、大学受験はセンター試験の完全敗北によりほぼ終わってしまった。
しかし逆に考えれば、センター試験さえ失敗しなければ、多くの私立大学で採用されているセンター試験利用入試でも勝負できる。
それにセンター試験は受験生の多くが受験するから難易度も抑えられているし。
……やはりセンターだな。
こうして隆士はとりあえず、センター試験対策を重点的に行う事を決めた。
クラスも国公立試験対策クラスの中では一番下のクラスにして、無理に高レベルの問題に挑むのではなく、基礎学力から固め直す作戦に出た。
しかし、国公立大学を受けようとするのなら二次試験は避けては通れない。
隆士は予備校からもらった大学の偏差値と受験科目が書かれた冊子に一通り目を通し、一つの地方国立大学に目をつけた。
その大学の二次試験科目(前期)は理科一科目だけであった。
よし、この大学を物理で受ける。
実は、物理は現役時代に2回連続テストで0点を取るほどちんぷんかんぷんな状態だったのが、予備校の授業はとてもわかりやすく、
あれ、もしかして物理って、ちょっとおもしろい?
と思い始めていたところであった。
安易な決め方ではあるが、兎にも角にも、こうして隆士はセンター試験の勉強と、物理だけは二次試験対策もするという受験へ向けての基本方針を決めたのであった。
そうこうしているうちに、一回目のセンター試験模試があり、そして結果が発表された。
それは各クラス上位五名の名前が貼り出されるという方式であり、隆士が所属するクラスの順位の一位に書かれていたのは、
宮坂隆士
の文字であった。




