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センター試験の点数は、ほぼほぼ私が取った点数そのままです……。
さて、隆士が通う高校は前にも述べたとおり、一応進学校と呼ばれる高校だった。
しかし、隆士は勉強をしなかった。
中学までと違い、隆士の成績は見る見るうちに落ちて行った。
入学時は真ん中より上だった成績が、大学受験が近くなるころには、ワースト50にはまず入るだろうという成績になっていた。
中間・期末テストが近づくと隆士はマンガ本に負け、そして最終的に眠気に負けるのであった。
しかし、隆士は別に遊びほうけていた訳ではない。
勉強もせず、だからといって友達と遊ぶこともせず、結局隆士は将来の自分につながることを何もしなかったのである。
まあ、自分の部屋にこもってテレビゲームばかりしていた事実は変えられないが……。
そして時間は刻々と過去り、センター試験の日を迎えた。
マーク式だから、もしかしたら……、もしかしたら勘がさえて案外行けるかもしれない。
そんな淡い期待を、現実は一科目の英語からたやすく打ち破った。
当時の英語にはリスニングなどないから、筆記のみの80分一本勝負である。
とにかく読めない。
全くわからない……。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
もう時間が、時間が……。
キーン、コーン、カーン、コーン。
こうして隆士のセンター試験は本当に英語のみの80分一本勝負で終幕してまったのである。
もう少しセンター試験のことについて書くならば、一応英語以外の科目も受験したし、2日目の科目もちゃんと受験した。
しかし、もはやどうにもならなかった。
結果を書くと自己採点は以下の通りであった。
英語(200点満点):65点
国語Ⅰ・Ⅱ(200点満点):72点
数学Ⅰ・A(100点満点):84点
数学Ⅱ・B(100点満点):67点
物理B(100点満点):48点
化学B(100点満点):53点
現代社会(100点満点):66点
数学以外、どこの大学からもお断りされるくらいの点数である。大分甘めに見てもなんとか使えそうなのは現代社会までであろう。
センター試験翌日の登校日に自己採点結果を提出すると、翌日には各科目のその高校での平均点と最高点・最低点が貼り出された。
そこに輝いていたのは、英語の最低点65という数字であった。
隆士は国立大学受験を諦め、なんとか私立大学に受かろうと前期日程・後期日程、合わせて8大学を受験した。
前期日程は全滅だったが、後期日程で受験科目が数学と理科だけの、大阪のとある工業大学になんとか合格した。
やっと手にした合格通知だった。
合格通知が届くと、すぐさま隆士は2年生のときに多少話すようになった知人に電話を掛けた。
電話の相手も隆士と同類の頑張れないタイプの人間だったのだが、彼は隆士と違い一足早く前期日程で同じ大学からの合格通知を勝ち取っていた。
「俺もあの大学合格した。もちろん行くよね」
隆士はそう言ったが、返された返答は、彼にとっては意外なものだった。
「いや、俺浪人しようと思う。さすがにもうちょっといい大学に行きたい」
そう言われた瞬間、やっと掴んだ合格通知が一気に色あせて見えた。
実は浪人を決定していたのはその知人だけではなかった。
隆士が2、3年生で多少話すようになった他の人間も何人か浪人するという情報が既に情弱な隆士の元にも寄せられていたのである。
みんな、浪人したら俺よりいい大学行くんやろなーー。
……。
「お母さん、俺、浪人するわ」
こうして隆士は親に20万以上の受験料を支払わせておきながら、周りに流される形で浪人を決意したのであった。




