探偵と助手
四月十一日十六時十二分
ここは藤ノ井探偵事務所(仮)。
豪華絢爛な応接卓を介して二人の男が向かい合って座っていた。
一人はパイプを咥えた二十代後半ほどの男。日本人には珍しい灰色の頭髪は片目が隠れるほど長い。決して本人のファッションで伸ばしているのではなく、ただ単に手入れが施されていないだけのようだ。その服装はまるでコナン・ドイルのシャーロック・ホームズのようにシックなものだ。だがそれに相反するように威圧的に座っている。
もう一人の男はホームズ男とは対称的に近代的な服装――もといどこかの配達業者の制服であろうジャンパーにジーパンを履いていた。頭にはロゴ付きの帽子を被って目元を隠している。年は二十前後で、その幼さの残る顔でニコニコと笑っている。作り物の営業スマイルとは違う純真さを映し出したような笑顔だ。
「で、用件を聞こうか。何しに来た」
灰髪の探偵が気ダルそうな口調で尋ねた。足を組み、ソファの背もたれに全体重を預けている。
「やだなぁ、探偵さん。僕のこと忘れちゃったんですか。冷たいなぁ」
青年は砕けた口調で飄々と嘯く。フレンドリーに接するが探偵は冷たい視線で返した。どう見ても温かく迎えられている様子ではない。客人として迎えられていたら飲み物の一つでもくべられたようなものだが、青年の前には空気しかない。
「お前のことはどうでもいい。何しに来たか、用件だけ述べろ。簡潔に」
探偵の様子はなぜだかピリピリとしている。青年を視界に入れるだけでも煩わしそうだ。
「ありゃありゃ。あー、ひょっとして忘れていますか。前回の事件」
「誰が忘れるものか。冷たい床に何時間も貼り付けにされた経験を忘れろという方が無理な話だ」
探偵は前回の事件の記憶が蘇り頭を押さえて項垂れる。気分を鎮めるためにパイプを一服吹かす。
「まあ、そうですよね。あの時は本当に死ぬかと思いましたよ。ははは」
そう言う青年の顔は笑顔のまま変化することはない。本心で言っているとするとそうとう性質が悪い。
「それでその事件……というかお前の依頼は完了した筈だろ。まだ何かあるのか」
探偵はもう関わりたくないといった顔で青年を見る。すると、青年の口元がニヤリと吊り上がる。
「いえいえ、依頼は確かに完了済みです。上司にも報告しましたしね。ですからあとは報酬ですよ。成功報酬。ほらほら、探偵さんの欲しいものをただで一つ提供すると言ったじゃないですか」
「ああ、そんなことを言っていたな。確か犯人に捕まって牢屋にぶちこまれていたときだろ。あれ、本気で言ってたのかよ」
「勿論、僕は嘘をつきませんよ」
「その馬鹿正直さ故に俺たちは敵に捕まったんだけどな」
「まあまあ、そんなことは今どうでもいいじゃないですか」
「お前、嘘はつかないけど、図々しいな」
まあ、知ってはいたが、と探偵は心の中で追記する。この青年は今日も無断で事務所に押し掛けてきた。しかも勝手に戸棚を漁って茶菓子を食べ始めている。図々しさの化身みたいな奴だ。
「それでそのとき探偵さん。僕に言いましたよね。よね」
探偵が呆れていると青年は身を乗り出して問いかける。
「ああ、言ったな。あの時は酷く意識が低迷していたが確かに言った」
記憶力にだけは自信がある。そうでなければ探偵などやっていない。
「でしょ、ですから本日は頼まれていた商品を届けに参りました」
ジャジャーンと、青年は巨大な箱を取り出した。ご丁寧にリボンさえ巻いてある。探偵もさっきから気にはなっていたがあえて尋ねることはしなかった。
「ああ、そのでっかい荷包みが何か分かったぜ。つまりその中に俺の望んだ商品が入っているわけだな。恐らく上司に内緒で持ち出したんだろう」
「さすが探偵さん。よっ、名探偵」
「いや、正直違っていて欲しかった。明らかに越権行為だろ。犯罪だろ。あと俺のことを名探偵と呼ぶな。俺はただの探偵だ」
持て囃す青年に呆れたように探偵はやれやれと肩を落とす。
そんな探偵のことはそっちのけで青年は巨大な箱のリボンを紐解いていく。
「おい、一応聞いておくがその中に俺が頼んだ商品が入っているんだよな」
「そうですよ。自分でも言っていたじゃないですか」
「いや、だって俺が頼んだのって……」
探偵は口籠る。なんだか嫌な胸騒ぎがする。
「はい。探偵さんが注文した『助手』ですよ」
青年は営業スマイルに切り替え箱を開けた。バーンと開かれた箱の中身が探偵の視界に飛び込んでくる。それを見た探偵の顔が見る見るうちに青くなる。
「おい。俺が頼んだのは助手だ」
「はい。その通りですよ」
「これはなんだ」
「助手です」
「そうじゃない!! 」
探偵は怒号を上げる。勢い余って青年の胸倉を掴みかかった。
「なんでガキが入っているんだ!! 」
箱の中に入っていたのは十代前半ほどの少女だった。純白のワンピースに腰近くまで伸びた黒々しい頭髪。人形のように整った顔立ちですやすやと眠っている。童話の中の眠り姫のように見えるが、状況的には犯罪臭が漂っている。
――というか犯罪だ。
「だって探偵さん。『助手』としか言わなかったじゃありませんか」
青年は息苦しそうに弁解する。身長差のせいかつま先が宙に浮いた状態だ。
「それはそうだが」
探偵は言葉を濁す。掴んでいた手を放し青年をぞんざいに解放する。
「安心してください。『助手』としての性能に問題はありません。探偵の助手といえばジョン・H・ワトスンのような成熟した男性を連想しやすいですが、小林少年しかり年若い探偵助手もしっかりと存在するんですよ」
青年はニヤリと笑って自身の知識を見せびらかす。
「そういう問題じゃない」
「嫌なら交換することもできますよ」
「そうしてくれ」
「その場合追加料金がかかりますが」
「おい。ちょっと待て」
「ちなみにクーリングオフは不可能です」
「訴えるぞ」
「構いませんよ。釣った魚は放し飼いというのが当社の社訓でしてね、探偵さんが泣こうが叫ぼうが僕らは一切関与しません。というか、警察程度では本社の足取りさえも掴めませんよ」
青年はおどけるように言った。
「ちっ、要は一切の責任を負いませんてことだろ。全部自己責任か」
まるで悪魔の取引だ。
そもそもキチンと注文するときに詳細を伝えなかった自分にも責任があると探偵はその件については諦めることにした。
「ではでは、これからもわが社『クリエーターズ』をどうぞご贔屓に」
そう言って青年は事務所から出て行った。机の上にはサラッと名刺が残されていた。
「ご贔屓に……か、できればもう関わりたくないんだがな」
探偵はやっと去っていった青年にはぁ、と重いため息をついて安堵する。机に置かれた名刺を拾い上げ確認する。名刺には『神岬夜魔』という名前、会社と本人の携帯番号のみが書かれている。しかし、そんなものを貰っても探偵にとってはゴミにしかならない。のでビリビリと破り捨てた。
「さて、それよりも『こいつ』をどうにかしないといけないな」
探偵は紙切れから商品に目線を移す。少女はまだ夢の中だ。探偵は箱の中をガサゴソと漁る。すると箱の中から四つ折りにされた紙を見つけた。どうやら
「手紙……いや、これは説明書か。何々『探偵助手♀12歳身長130cm体重25kgスリーサイズ……』本当に商品扱いじゃないか。プライバシーの欠片もないな。『たまに肉まんを与えること』どういうことだ?」
探偵の頭脳を以てしてもまるで意味が分からない。
探偵はぺちぺちと少女の頬を叩く。少女は「うー」と唸り声のようなものを上げながら目を覚ました。
「起きたか。おい、お前、俺のことが分かるか」
目覚めたばかりの少女はまだ寝惚けているのか目をパチクリとさせる。そして探偵の姿が明確になってくると覚醒したのかムクリと起き上がる。その動きはどこか人間というより機械に近い。
「……おはようございます」
「あっ、おはようございます……もう夕方だけどな」
少女はペコリとお辞儀する。そのあまりの様式美につられて探偵も律儀に挨拶してしまった。
「…………」
少女は無言で探偵を眺めている。
「お前、自分のことは理解できているか。名前とか」
「…………」
少女は無言で首を横に振る。
「やっぱり名前はないのか。説明書にも書かれていないということは俺がつけなきゃいけないのか。育成ゲームのキャラかよ。面倒くせえな」
説明書の隅々まで読み込んでも名前については一切書かれていない。
「さて、まずは服だな。説明書にはオプションとして追加できるらしいが、誰が払うかよ」
最近の課金ゲーか、と愚痴ると説明書をびりびりと破り捨てた。破り捨てられた紙くずは地を這う掃除屋ルンバに任せ、クローゼットを開けた。数年ぶりに封印を解かれたクローゼットは埃を山のように溜めていた。探偵は口元をハンカチで抑えながらクローゼットの中を漁り出す。ガサゴソと埃で体を装飾付けながら一箱の段ボールを発掘した。
「俺の記憶が正しければ……あったあった。ほらよ」
探偵は段ボールを乱暴に開けると中から数着の服を取り出して少女に向かって投げ渡した。
「ほら、さっさと着替えてこい。いつまでもそんな古臭い服着ているんじゃない」
少なくとも探偵の服装よりは古臭くない筈だが、少女はそんな嫌味を言うことなく素直に着替えに部屋を出ていく。
暫くして少女は着替えて戻ってきた。
その姿を見た探偵はほぅ、と感心したように呟いた。
「なかなか似合ってるじゃないか。昔の俺ほどではないがな」
「…………」
探偵は皮肉気に嘯くが少女は何も答えずだんまりを決め込んでいる。
「おい。俺が褒めてやったんだから少しは喜べ。もしくはなんか嫌な顔をしろ」
探偵は少女の態度にイラついたのか無茶な要求を言い放つ。
しかし、彼女が表情乏しい美少女だというのも抜きにしても反応に困る状況だろう。
現在、少女の恰好はハンチング帽を被り、半ズボンをサスペンダーで吊るし、シルクのワイシャツ、深紅のインバネスコートを羽織っている。服装からはとても女性らしさは感じられない。
「初めに言っておくが俺はお前を女扱いはしない。助手として男として扱う。それについて異論はないな」
少女は少し間を置いて「ありません」と答えた。感情のない機械のような返答だ。
「髪が少し長いな。男として扱うにはその髪は邪魔だろ」
そう言うと探偵は机の引き出しから大裁ち鋏を取り出すと、少女の腰まで伸びた髪を躊躇なくザックリと切り落とした。
あまりの突発のない行動で一瞬少女の首ごと断ち切られたようにも見られた。
見事なショートヘア―となった少女は何も言わずただ探偵を見詰めている。
「ふむ、いい出来だ。さすが俺。で、名前だったな」
元々中性的な顔立ちをしていたためか、一見可愛らしい少年にしか見えない。探偵は舐めるように鑑賞し終えると話題を切り替えた。
「俺は名前が嫌いだ。だからお前に名前をつけない」
探偵はきっぱりと言い切る。
「お前のことはこれから『助手』と呼ぶ。お前も俺のことは適当に呼べ」
「では、『先生』と呼ぶのはどうでしょう」
「妥当だな。一切問題がない」
ふん、と鼻を鳴らして肯定する。
「先生」
と少し歯に噛むように少女は呼んだ。
「なんだ、助手」
探偵も少し嬉しそうに答える。助手ができて喜んでいるのかもしれない。
「先生……私はどうすればいいんですか」
「助手よ。探偵の仕事とはなんだ」
「……依頼を解決することですか」
「そうだ。だが、今俺のもとに依頼はない。つまり今の俺はただの善良とは言い難いただの一般人だ」
少女は無言で探偵の言葉を聞く。全量とは言い難い時点でただの一般人と言ってよいのか甚だ疑問ではあるが。
「そしてお前は俺の助手であり所有物。お前のものは俺のもの。俺の仕事はお前のもの。だからお前に命じる」
探偵は勿体ぶって大仰に言った。
「探偵助手の仕事その一――家事をこなせ」
数時間後、事務所の中は見違えるように清潔さを取り戻していた。机の上にも大量の書類が山のように積まれ、たまに雪崩が起きていたが、今はその面影は一切ない真っ新な状態になっている。
元々少女が入っていた馬鹿みたいにでかい箱を除いて目に見える範囲にゴミはない。完璧な仕上がりだ。
「先生。郵便受けにこのようなものが」
少女は何やら分厚い封筒を持ってきた。
「ふん。ちゃんと助手としては使えるようだな。どれ、見せてみろ」
中からは四つ折りにされた手紙と札束が飛び出した。探偵は札束には目もくれず手紙を開ける。
「先生。何が書かれていたんですか」
「俺に聞く前に自分で考えろ。一々俺に聞くんじゃない」
封筒には届け人の名前は書いてはいなかった。そしてこの大金だ。普通ではない。
「先生が応募した懸賞でも当たったんですか?」
少女は少し考えてから言った。
「ははは、いい冗談だ。俺が懸賞を応募するように思えるのか」
少女は静かに首を横に振る。
「依頼だよ。仕事の依頼だ」
「先生は手紙で仕事を請け負うのですか」
「たまにな。俺は結構アナログな方だからな。パソコン持ってないからメールで受けつけられないし、人見知りだから直に会うのも中々ない」
多分人見知りというのは冗談だろうにしても、隅々まで掃除した少女は確かに探偵がパソコンを持っている気配はないことに気づいている。今どきの探偵としては珍しい部類だ。
「探偵助手の仕事その二――俺についてこい。明日から調査を始める。取り敢えず今日は寝る」
時刻はまだ午後六時過ぎ、辺りはようやく薄暗くなってきた。しかし寝るのにはまだ早すぎる時間だ。
「明日は夜明けとともに家を出る。色々やることがあるからな」
「先生、私はどうすれば」
少女はつい数時間前に目覚めたばかりである。今からまた寝ろというのは酷な話だ。
「ああ、お前は……そうだな、腹が減っているなら冷蔵庫の中を漁って勝手に食え。寝床は適当なところを見つけろ」
探偵はそう言い放ってソファに横になる。
そしてそのまま眠りについた。
少女は暫くの間立ち尽くしていたが、探偵の後に続くように眠った。
四月十二日十二時四十二分
とある古ぼけたアパートの一室の前、探偵と助手は事件のため出向いていた。
探偵は燃え尽きた薪のような灰色のトレンチコートに、現代日本に似つかわしくないアンティーク調の杖を突いている。いつも咥えているパイプはなく、代わりに中折れ帽子を被っている。見事なまでに灰色だ。どうやら仕事モードの様子でその表情は固く険しい。
助手の方は昨日と変わらぬ服装だが、肩から小さなポーチをかけている。探偵から一歩下がった位置に構えている。
「先生、この部屋で間違いないですか」
「間違ってないな。依頼人の情報が確かなら犯人は十中八九この部屋の住人だ」
探偵と助手は昨日の宣言通り夜明けから家を出て、依頼人の情報をもとに犯人探しに勤しんだ。依頼人からの情報があるとはいえ犯人自体は一時間もせずに見つけることはできた。探偵の手際が良さすぎる。助手はただ見ているだけしかできなかった。参考にできそうなところなんて一つもないほどだ。夜明け前という時間帯であり、表を出歩く人間は限られている。ペットの散歩に精を出す一般人や、ランニングをしている勤労者、あとは精々朝の早い老人くらいだ。たったそれだけの人間から正確に情報を徴収する手際のよさ、情報化社会という現代の風刺を鼻で笑うような探偵のアルカイックなスタイルは助手の予想の範疇を余裕で超えていた。
「さて、踏み込むか」
そう言って探偵は数回チャイムを鳴らす。
ピンポーン、という軽快な電子音が反響しているのが分かる。
しかし、内部からの応答はない。
メーターを確認すると調子よく回転しているので誰か中にいるのは間違いない。
「清村総一郎さん。居るのは分かってんですよ。さっさと出てきてくださいよ」
杖を助手に預けるとドンドンドンと扉が壊れそうな勢いでノックをする。
「うるせぇな。なんなんだ、お前は」
ガチャリと扉の隙間から男が顔を出す。男が極度の人見知りというわけではない。防犯用のチェーンのせいでわずかにしか扉を開けることはできないのだ。
「少しお話しいいですか。できれば入れて欲しいんですけど」
探偵は物腰低く尋ねる。似合わない笑顔さえ浮かべている。
「誰なんだ、お前は。セールスならお断りだ」
「俺はセールスマンじゃない。探偵だよ」
「探偵が何の用だ」
「お前にはストーカーの疑いがある。話を聞きたいから中に入れろ」
丁寧口調に飽きたのか探偵はぶっきらぼうに命令する。
「知らねえな」
男は目を逸らして言う。明らかに動揺しているのが助手の目からも分かる。
「中に入れないというなら容疑を認めるということだな」
探偵は冷たく言い放つ。
「知らねえってつってんだろ」
と男は強引に扉を閉めようとする。
しかし、扉は閉まらない。
これも男が非力だというわけではない。
探偵の足がストッパーになっているからだ。
「おい、足をどかせ」
「俺を中に入れたらな」
「てめぇ」
男は憎らしそうに睨みつける。
扉は梃でも動きそうにない。
探偵はチェーンに指をかけた。
その行動が一体何を意味するのか、男は愚か助手ですらまだ想像つかない。
探偵が指を奥に引っ張ると、パキンッという音ともにチェーンが弾け、その欠片が男の顔に当たった。
目の前で起こった現象に男は委縮して扉から手を放してしまった。さかさず、探偵は扉を全開にする。
「な、なんだよ。お前」
「探偵だよ」
素手でチェーンを断ち切った探偵は土足のまま男の部屋に立ち入る。
そしてようやく人見知りな男の全身像を拝むことができた。男の恰好はシャツに下着だけとつい先ほどまで寝ていたようで頭髪はボサボサ、髭はだらしなく伸び放題になっている。
「まずお前に一つ言っておきたいことがある」
探偵は一歩ずつ男に歩み寄る。それに合わせて男も一歩ずつ後ずさった。しかし、それも狭い屋内では限界がある。
「尾行のプロをなめんな!! 」
探偵は男の顔面を殴りつけた。男の顔が捻じ曲がる。鼻は折れ血がダラダラと流れる。男は探偵に恐れをなし、ひいひいと声を上げながら後ずさる。
「だ、誰か、助け……」
「無駄だ。このアパートの住民には全員一時退避して貰った。泣こうが叫ぼうが誰もお前を助ける奴はいない」
万一を考えての行動だが、退避が完了する頃にはいつの間にかお昼を迎えていた。ここだけは探偵の手際は関係ない。
探偵はブーツの踵で男の鳩尾を蹴りつける。男はゲホッと、口から空気を吐き出した。そしてピクピクと痙攣して蹲る。
「さて、通帳と印鑑は……と」
部屋の中はすでに空き家に襲われたと言わんばかりに荒れていた。部屋のあちこちにゴミが放置してあり、足の踏み場が消失していた。
「ひぃ……ひぃ……」
どこからか隙間風のような音が聞こえるがそれが風の音であるはずがない。
回復が早かったのか、それとも探偵の蹴りがイマイチ決まっていなかったのか――恐らく前者だが――男は芋虫のように地を這っていた。
「おい、助手、そいつ通すなよ。絶対に逃がすな」
探偵はゴミの山を漁りながら外に叫ぶ。
男は這う這う体で外界に逃れようとする。
しかし、扉の前には杖を持った助手の少年――もとい少女が待ち構えている。
「た、助けてくれ」
男は縋るように少女の足に掴んだ。死にかけの蝉のような瞳で少女を見上げるが、少女はそれを機械のように冷ややかに見下す。
少女は「ふぅ」と息を吐く。
少女のとった行動は無情だ。足首を掴んでいる男の腕に杖をブスリと突きさした。
男は「ぎゃあああああ」と大声で叫びのた打ち回る。恥もない惨めな姿だ。
「くそお、なんで俺が……俺がこんな目に」
男は鬼の形相で少女を睨むと、少女に襲い掛かろうとする。
しかし少女は冷静だ。
ポーチから黒光りする塊を取り出すと迫りくる男の額に押し当てる。
一瞬のスパーク。
凄まじい光とともに男の意識は刈り取られる。
少女はくるりと手の中で器用にスタンガンを回転させるとポーチの中にしまった。
「あっ、大丈夫だったか。こいつ意外にガタイ良かったからな。もっと厳重に蹴っとくべきだったな」
探偵は手に証拠品であるカメラとUSBメモリ、そしてなぜか通帳をもって部屋から出てきた。空き巣並みの手際の良さだ。実は泥棒なのではないかと疑問に思う。
「先生」
少女は探偵に杖を手渡す。探偵は杖の先が血で汚れていることに気づき、顔に嫌悪感を示しながらハンカチで丁重に拭い取った。
「依頼は一応完了だな。まあ、気になったことはあるがまずは……」
探偵はパンパンと自分と助手の体をはたく。掃除が行き届いていない部屋の中は埃だらけだった。そして探偵はズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、目にも止まらぬ速さで番号を打ち込む。
「電話だ」
四月十二日十九時十一分
恐らくこの町でも指折りの高級マンション。馬鹿みたいにデカい荷物を抱えた青年がエレベーターで中腹辺りの部屋にやってきた。
青年はロゴ入りの帽子にジャンパーにジーパン。その姿はよくある宅配業者のようだ。時折行き交う住民に愛想よく会釈しているところから礼儀正しい性格なのだろう。もしくは会社の教育が良いのかもしれない。
青年は一番奥の角部屋のインターホンを鳴らした。
勿論このマンションは相当セキュリティが厳しく中の住民の許可がないとマンション内に立ち入ることができない。
よって予め住人も来訪者の存在を周知していたのだろう。
中から健康的な返答とともに扉が開かれた。
中から出てきたのは真っ赤なドレスを着た派手な女性だ。しかし、それに相反するように化粧は薄い。元々の顔が良いからなのだろう。不思議な艶めかしさを漂わせている。
「あら、ご苦労さま」
「どうも。荷物大きいので中に入れさせてもらいますね」
青年はズケズケと玄関に入った。女性の方も特に抵抗がないのだろう。すんなりとそれを許した。
青年は伝票を取り出すと女性はサインした。
「それにしてもお姉さん。綺麗ですね」
業務的な一連の流れをこなすと青年は唐突に切り出した。爽やかそうなイメージだが案外プレイボーイなのかもしれない。
「ふふふ、よく聞くお世辞ですわ。私こう見えてももうすぐ三十なのよ」
女性の方も満更でもないという様子だ。
「いえいえ、本当に美しい。美しさに年齢は関係ありませんよ。男が寄ってこないはずがない」
美しさは人を見失わせると言いますしね、と青年は嘯く。
「そうなんですよ。最近はしつこいストーカーにつけられて。全くいい加減にして欲しいですわ。警察は役に立たないので探偵さんにまでお手伝いして貰って」
「ははは、それはお気の毒に。でも、もうストーカーに怯える必要はないですよ」
「あら、どうしてあなたがそう言えるのかしら」
女性は少し訝しそうに青年を見る。
すると青年は帽子をポトリと落とす。帽子の下からは束ねられた銀色の髪が溢れた。
「その依頼はもうすでに完遂済みだからさ」
そこにいたのはにこやかに笑う爽やかな青年ではない。
「初めましてだな、依頼人。俺が探偵だ」
獲物の全てを曝け出させんとする貪欲な灰色の探偵の姿がそこにはあった。
「わざわざそれを言うためだけにここに」
女性は尋ねる。目の前の人物のあまりの変貌にさして驚く様子はない。
「まあな」
「私が報酬金を払わず逃げられるとでも思いなさって」
「それもある。が、前金を貰っている以上それはないだろう」
女性は予め用意していたのだろう。依頼をした時と同じ封筒を差し出した。探偵は中身を確認すると、「確かに」と言ってポケットに閉まった。
「証拠として押収したカメラのデータだ。処理はあんたに任せるよ。俺が持っていても仕方ないしな」
「まあ、犯人の小指を送られてこないだけましかしらね」
「俺をヤクザか何かと勘違いしてないか」
「あら、間違ってまして『破壊神話』さん」
探偵はくっ、と奥歯を噛み締める。触れられたくない名前だったようだ。
「ところでこのマンションのことですけど」
そう言う女性の表情は杞憂していた。
「その点はご心配なさらずに。探偵には守秘義務というものがある。誰もあんたのことを喋らんさ。住所を知っているのも俺だけだ」
それを聞くとドレスの女はそう、と短く呟く。安堵しているようだ。
「それで探偵さん。私をどうするつもりかしら。警察に通報するおつもりかしら」
女性は妖艶に微笑む。
「いや、そんなつまらないことはしない。俺は探偵だ。警察ではない。正義の執行者のような真似はしない」
「あらあら、確かにそういうタイプではなさそうですわね」
女はクスクスと笑う。
探偵もつられるように声高く笑った。
四月十二日二十時
探偵はそのままの様子でマンションを出た。そのときガードマンは初めと明らかに雰囲気が違うことに違和感を持ったが敢えて追及することはなかった。現実では中々お目にかかることはない灰色の長髪を振りまいて探偵は颯爽と通り過ぎた。
探偵は少し離れた公園に辿り着いた。
時間が時間であるためか健気に遊んでいる子供の姿はない。
その代わりに年甲斐もなくブランコで遊ぶ灰色のトレンチコートを着た男とそれを押してやる助手の少年少女がいた。
何やってるんだよ、と探偵は叫びたい気持ちを抑え込んで心の中で叫んだ。
「探偵さーん。いい加減僕の制服返して下さいよー。サボってるのばれたら怒られちゃいますよー」
ブランコで遊びながら抜け抜けと言う青年――神岬夜魔。現在、探偵が着ている服は彼のものだ。
「ああ、悪かった。他人の服というのは実に不愉快だな。早く灰色に戻りたい」
「借りておいて文句ですか」
神岬はムッとむくれる。
相変わらず感情が表情に現れやすいせい格だ。
探偵と神岬は素早く着ている服を交換する。二人とも手慣れた様子だと傍から見ている少女はそう思った。
「ところで聞いてもいいですか。探偵さん」
着替え終わった神岬は尋ねる。帽子で目元を隠しながらも口元の笑みを隠すことはない。
「なんだ。この件についてはお互いに言いっこなしだろ。お前が商品を持ち出したのを黙っている代わりに一度だけ俺に協力する。限りなくフェアなトレードだろ」
「いや、それについて問題はないっす。それより今回はどんな事件だったです? いきなり電話で呼び出されて全然事情を教えてくれなかったじゃないですか。助手ちゃんにも教えてないようだし」
助手の少女は黙って肯定する。別に神岬とただ遊んでいただけではなさそうだ。
「ああ、別に語るほどのものではないさ。格好つけているわけじゃないぞ。本当に語るほどじゃない。ただの極々溢れた平凡な事件だよ」
この世にごまんとある事件の一つだ。
「ただの結婚詐欺だ」
神岬はポカンと口を開ける。間抜けな絵面だ。
「なんだ、お前。実は女に殺人癖があるだとか、何かしら大犯罪に関わっているだとか、そんな展開でも期待していたのか? 」
「いやいや、そんなエキセントリックな展開こっちからお引き取り願いますよ。それよりなんですか、結婚詐欺!? じゃあ、探偵さんたちが襲ったのってただの被害者!? 」
「被害者というわけではないだろ。実際ストーカー行為はしていたんだし」
「それでもやり過ぎだと思うんだけど」
「この方が手っ取り早いからな」
「この手しか知らないだけでしょ」
暴行罪並びに不法侵入、例え相手が犯罪者だとしても許されざる罪だ。
「まさか、悪人のものを取っても犯罪にならないとか本気で思ってたりしてないですよね」
「俺は石川五右衛門じゃない。あんな義賊野郎と一緒にするな」
「義賊野郎って……まあ、実際の石川五右衛門はただの盗賊ですけどね」
大衆が持て囃していただけであり、実際の五右衛門が確固なる信念のもとやっていたかどうかは定かではない。
「そう考えると、探偵さんにも通じるところありそうだけどなぁ。ねえ、君はどう思う、助手ちゃん」
神岬は取り敢えず少女に話題を振ってみた。少女が石川五右衛門を知っているのかは不明だが。
「先生の御心のままに」
「この子もそっち側か」
「初めからこの案件はおかしなことだらけだ。まずストーカーの被害者が犯人の情報を知り過ぎている。犯人と面識があるならなぜ警察に連絡しない」
この腐った町の警察でも流石に動く。
「何かしらよからぬ事情があると気づいたんですね」
依頼を受けていた時点で探偵は疑りを掛けていた。しかし、分かって依頼を受けた。その意図は神岬には読めない。
「それで男の部屋から通帳を見て確信した。一か月ごとに法外な大金が振り込まれていたからな」
「なんだ、ただのガサ入れじゃなかったのか」
「お前は俺をなんだと思っている。そんなことするわけないだろ」
「…………」
「なんだ、助手。何か言いたそうだな」
探偵が助手の方を睨むが、助手はぷいと目を逸らす。
もっとも男から直接聞きだせばよかったのだが、スタンガンの威力が強すぎたせいか半日は目を覚まさなかった。
「あの男が依頼人の女をつけていた理由は単純に復讐だな。自分を捨てた女に対する。実に女々しい理由だ」
「しかし、女のガードは固く中々踏み込むことができなかった。女の方もそれを煩わしく思ったが警察に相談することもできず、探偵さんに依頼を頼んだ」
うんうんと神岬は相槌を打った。
「でもなんであのまま放置したんですか。証拠さえ突き出せばあの人も簡単に逮捕できたでしょうに」
「逮捕?はっ、なんで俺がそんな面倒なことをしなきゃならない。お前は俺を正義の味方か何かと勘違いしていないか」
「いえ、少なくとも正義の味方ではないと思いますが」
「なあに、理由は簡単だ。至極単純お前を見逃しているのと同じさ。その方が割に合うからだ」
「えっ、それって通報したら報酬金を貰えないからですか? 」
「それもある。だがそれよりまず俺は探偵だ。探偵は依頼を受けてから動くものだ。ただ働きはごめんだね」
「はぁ」
「それにお前は簡単そうに言うが、あの女は相当手練れている。多分今回が初めてというわけではないだろう。住んでいるところからして数十回は繰り返しているだろうな。裏のコネクションもあるだろう。簡単にはお縄にはつかない。そうでもなきゃ俺なんかに依頼を寄越さないさ」
「なるほど、説得力がある」
神岬はポンッと手を打った。
「事件に関する概要は以上だ。なっ、よくある結婚詐欺だろ」
「よくはないと思いますけどね」
探偵の推理劇を聞き終わり神岬は満足気に微笑む。既に冒頭で犯罪に手を染めているような彼では皮肉にしか聞こえない。
「ほら、約束通り報酬の半分だ」
探偵は封筒から諭吉を十枚ほど取り出すと神岬に手渡した。
「えっ、本当にいいんですか。貰っちゃって」
「気にするな。このままじゃ財布に入りきらんからな。それに纏まった金は好きじゃない」
どうやら金銭感覚が普通とはずれているのだろう。札束よりも小銭に目が行くタイプなのだ。
神岬はすんなりと探偵から札束を受け取った。
「はあ、でも今回の事件ってつくづく男が不憫ですよね。結局いいように利用されただけじゃないですか」
この世に男として生を受けたことを憂うように神岬はこぼす。
「利用? はっ、何を勘違いしているんだ、お前は」
そんな神岬を一笑に臥すかのように探偵は言った。
「えっ? だって探偵さん、あの詐欺師の女見逃したんでしょ」
「ああ、確かに見逃したよ」
俺はな、と薄ら笑いを浮かべながら付け加える。
その言葉の意味を神岬は理解できないのか首を傾げる。
仕方ないので助手の少女に尋ねた。どうやら少女は神岬よりも聡いのか探偵の発言を正確に理解したようだ。
少女は神岬にこっそりと耳打ちをした。
「ああ、なるほど、それは確かに……ご愁傷さまとしか言えないや」
神岬は笑顔を引きつかせている。
「クーリングオフは大切だろ」
「でもこれ僕が犯人に疑われちゃうじゃないですかね。多分防犯カメラに映っているのは灰色の探偵じゃなくて仕事熱心な配達人でしょ」
「それは大丈夫だろ。なんせ警察程度では本社の足取りすら掴めないんだから」
探偵は厭味ったらしく言った。
「記憶力がいい……というより根に持つタイプですね、探偵さん」
「なんとでも言え」
探偵は懐からパイプを取り出し一服する。推理の時間は終わった。もうあとは去るのみだ。
「探偵さん。最後に一つ聞いてもいいですか」
立ち去ろうとした探偵を神岬が引き留めた。
「なんだ」
探偵は面倒くさそうにも律儀に立ち止まる。
「探偵さんって、ショタコンなんですか」
神岬は冗談めかして尋ねた。最後の悪あがきだろう。
「違う。俺は女が嫌いなだけだ」
探偵は最後にそう呟くと踵を返して歩き出す。その後ろを少女がポツポツと着いていく。
「食えないなぁ、ほんとにあの人は」
神岬は誰にも聞こえないように小さく呟く。
仕事熱心な配達人は今日のノルマを達成するために仕事に戻った。
四月十二日二十一時三十分
公園から探偵事務所までの帰り道。夜も更け人通りも少なくっていた。昼間の雑踏が嘘のように静寂に包まれている。
「……先生」
とぼとぼと感情を失ったロボットのように終始無言で歩いている探偵と助手。そんな静寂を破るように助手の少女が口を開いた。常に無表情で感情をあまり表さない彼女が自分から話しかけた。出会って二日しか経っていないとはいえ少女の方から何かを切り出すのは珍しい。発言自体が少ないのだ。
「なんだよ。歩き煙草がいけないとか言いたいのか。ちゃんと灰は落とさないように気を付けているさ」
そう言いながら探偵はポケットから携帯灰皿を取り出し、パイプの中身を処理する。一応最低限のマナーは心得ているらしい。
「先生はなぜこの事件に関与したんですか」
「なぜ関与したか……か。簡単さ。俺が探偵だからさ。それ以上の理由が必要か? 探偵が事件に関わるってのはスタンド使いが引かれ合うくらい必然なんだ。それがどんな事件であってもな」
「それでも、拒否する自由くらいある筈です。態々犯罪の片棒を担ぐようなことをしなくてもいいじゃないですか」
少女はハキハキとした口調で言った。実はこちらの方が本来の口調なのかもしれない。それとも探偵に感化された可能性もある。
「犯罪か……確かに法律的にはいけないことだな。でも俺は警察じゃない。正規の手順を踏む必要性はどこにもないのさ。手段を選ばない。容赦を掛けない。そして依頼は最後まで完遂する。それが探偵だ」
頼まれればどんな事件だって請け負ってやる、探偵は真剣な面差で言った。それが彼の探偵としてのポリシーなのだろう。何か膨大な覚悟をしている顔だった。
「でも……それでも、依頼人のもとにストーカーを贈り込むなんて……それこそ依頼に反しています」
探偵が態々配達人――神岬と衣服を交換してまで潜入したのは別に神岬に対する意趣返しがしたかったわけではない。どうしてもやっておかなければならなかったことがあった。
それは詐欺にあった被害者であり、今回の依頼のストーカーであった男に関することだ。ストーカーの物的証拠は見つかり後は警察に突き出すか、そのまま放置するか、探偵にはどちらでもよかった。男がこれ以上女に関わることはないだろうし、そうならないように釘を刺すこともできた。でもどちらもしなかった。
目を覚ました男は探偵に依頼した。それは女への復讐。自らを破滅に追いやった女が何より許せなかった。だから探偵に後を託そうとした。
勿論これには探偵は難を示した。探偵がやるのは事件の解決であり、復讐に手を貸したりするのは別の人間の仕事だ。それに男には依頼料を払える金がないことは通帳を確認すればすぐに分かる。探偵には何のメリットもない。寧ろ警察に捕まる危険性だけが残るのである。
必死に頭を差し出し懇願する男を見て探偵は何を思ったのか。悲しんでいるのか、憐れんでいるのか、傍で見ていた少女にもわからなかった。
男が頭を地面に擦り続けて一時間が経過した。日が傾き、そろそろ一時退避させていた住民が戻ってくる時間となった。そのときだった。探偵が依頼を引き受けたのは。
依頼を引き受けたものの探偵が直接一般市民に手を出すわけもいかない――男は容赦なく殴ったが――ので探偵はその間の繋ぎ役を担った。それは男を女の居所まで運ぶこと。そしてそれを女に感ずかれてはいけない。そこで探偵は男を荷物に紛れさせて送りつけることにした。幸いにも人間が丸々一人入る箱には用意があった。それは勿論、助手の少女が送られてきたときの箱だ。あまりに大きく処分に困る代物だ。まさに再利用であり有効活用だ。予め電話で連絡を取っていた神岬を呼び出し、衣服を交換して配達人に成り済ます。そして何食わぬ顔で女のいるマンションに入り込んだ。女の居場所は男がストーキングで入手している。そこで女の部屋に男を入れた箱を置けばミッション成功だ。果して彼らの運命はどうなったのか。それは明日の朝刊を読まなければわからない。
「言ったろ。俺は女が嫌いなんだ。特にああいう男を餌としか見ていない毒女タイプは」
「それがあなたの正義ですか」
「正義? はっ、さっきも言ったが俺は正義の味方なんかじゃない。正義の味方なんて真っ平だ」
探偵は仰々しくコートを翻しながら宣言する。いつもの相手を威圧するような物言いではない。まるで自らを鼓舞するような立ち振る舞いだ。
「気に食わなかったんだよ。今は気分がスッキリしている」
「嘘です」
「いいや、違わないね」
「だって、先生……戻ってくるとき少し辛そうな顔をしていました」
少女の言葉に探偵は押し黙る。
「私には分かりません。あなたが何を考え、何をしたいのか。信念も心情も、心の中が靄で隠されているみたいに不明瞭。金のためでも、正義のためでもなく動く。善人でもなく悪人でもない。どっちつかずの灰色の探偵」
「あなたは一体何者ですか」
「そんなに言うならお前が俺を推理しろ。俺のすべてを曝け出せ」
少女の純粋な問いかけを探偵は鼻で笑い飛ばす。動揺は目に見えない。
「それは命令ですか」
「命令じゃない。探偵の助手として当然の嗜みだ」
「私があなたを推理したらどうするんですか」
「その時は……そうだな。お前が代わりに探偵事務所を継げ。実を言うとあの探偵事務所の所長は俺じゃない。俺は所長代行ってとこだ。だからまだ俺は認められていないのさ」
「誰にですか」
「さあ、誰だったかな。それもお前が自分で探り当てろ」
ヒントはやらない。そこまでしてやれるほど探偵は優しくはなかった。
「期限は設けない。俺の全てを知り尽くせばお前の勝ち。ただし、負ければ一生助手のままボロ雑巾のようにこき使われる。それでどうだ」
「分かりました」
望むところです、と少女は笑う。
子供らしいいい笑顔だ。
ようやく表情を垣間見せた少女に満足して探偵は歩き出そうとした。
「あっ、先生」
が、しかしまたしても少女の声に呼び止められる。
「今度はなんだ。俺は犬じゃないんだ。呼び止められて一々振り返るほど律儀じゃない」
そう言いながらも探偵は立ち止まった。すると少女の目はコンビニを凝視していた。
「ああ、そう言えば今日一日何も食べてなかったな。何か買ってくか」
それどころか少女は昨日目覚めてからまだ何も口にしていない。最低限の水分だけは摂ったが、普通ならぶっ倒れていても不思議ではない。
「肉まん!! 肉まんを所望します」
「てっ、なんだよ、お前。そんな顔も出来るのかよ。あー、分かったからそんなに引っ張るな」
いつもの仏頂面が嘘のように目をキラキラ輝かせる少女にせがまれ、探偵はやれやれと肩を落とす。
しかし、その顔はどこか幸せそうに見えた。