表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/50

50. 4月29日:ディム・ヌーン(その4)

「……始まったか」


ディム・ヌーンの街に鳴り響く鐘の音を聞き、屈んでいたリゲルはぼそりと呟いて立ち上がった。

アイリス達は『キャンサー』拠点と思われる屋敷から少し離れた位置に身を潜めており、到着まで少々時間がかかる。周囲にいた傭兵や他の参加者はもう少し屋敷寄りに位置取っていたので、先行される形になる。


「少し距離を取り過ぎたか? 他の奴らに先手取られちまいそうだな」


アンタレスは僅かに顔をしかめ、光子鋼鎖を構えて大通りに出た。


「そうだな……。だったら様子見ながら行くか。先行した奴らに雑魚の掃討は粗方任せて……」

「……私達はレヴィンを狙う、って事?」

「そうしよう。レヴィンだけ倒せれば目的は果たせるしな」


アンタレスに続いてリゲルとアイリスも大通りに出て、屋敷の方に向かって歩き出した。


「レヴィンも先に倒されたらどうするの?」

「大丈夫だろう。流石にAランク指名手配犯がすぐ倒されるとは思えない」

「分からないわよ? リムも有名どころの傭兵が山ほど参加してる、って言ってたでしょう?」

「……そうだったな。分かった、少しだけ急ぐか」


リゲルはアイリスに言われて少しだけ考えを改め、駆け足で移動し始めた。アイリスとアンタレスも続き、アンタレスは軽く溜息を吐いた。


「本当、お前って時々重要な事忘れるよな」

「……何でだろうな。癖か?」

「嫌な癖ね……。」


リゲルの返答を聞いて、アイリスも苦笑いしながら呟いた。



************************************************



アイリス達は1分ほど駆け足で移動したところで鉄条網付きの塀に囲まれた屋敷の門の前に到着した。屋敷の正面に位置する大きな門は既に鍵が外されて開いている。

事前に『タウルス』支部で得た情報によると、屋敷の敷地内に入るにはこの門を通る以外に方法はない。屋敷自体は何者かが別荘として使用しているもので普段は空屋のようであり、恐らく『キャンサー』が勝手に使用しているものと考えられている。塀の内側には多くの樹木が植えられて木立を形成し屋敷全貌はそれに遮られて見えないが、3階部分だけはそこから飛び出して見え、『キャンサー』のならず者が利用するには勿体ない。


「門が開いているわ。先行した人達は先に突入したみたいね」

「……いや、それにしては静かだな」


敷地内に入ったリゲルは違和感に顔をしかめた。

既に先行した傭兵達は突入を済ませたようであるが、様子がおかしい。突入したなら多少なりとも騒ぎや戦闘音が聞こえても良さそうなものだが、それらが一切聞こえない。

木立間の道を抜けて屋敷の前に到着すると、既に多数の傭兵が屋敷を囲っていたが皆同じ事を感じているようであり、困惑気味の表情を浮かべている。


「まさか、もう制圧しちまったのか? ……そんな訳ないか。どうなってんだ?」

「あ、見て。誰か出てきたわ」


アイリスは屋敷の玄関の方を指差して示した。

玄関から誰かが出てきたようであり、腕に巻いた赤い帯から『タウルス』の傭兵である事が窺える。


「おい、中に誰もいないぞ!」

「何!? どういう事だ!?」


外に出てきた傭兵は慌てて叫んだ。それを聞いた傭兵達は一斉に注目し、何が起きたのか問いただした。


「俺もどうなってんのか分からない、とにかく屋敷には誰もいなかった! 既に逃げられたかもしれない!」

「逃げられた、って……まさかバレてたのか!? しかも囲んでたのに逃げたって、どうやったんだ?」

「分からねーよ、そんな事! とにかく、今仲間が屋敷の中を探ってくれてる! 誰か、急いで屋敷周りを探しに行ってくれるか!?」

「くそ、何なんだ!?」


屋敷内に突入した傭兵によると、屋敷内は既にもぬけの殻だったようである。報告を効いた傭兵達は屋敷を囲う分の人員を残し、他は急ぎ敷地内から出て屋敷周りの捜索に向かった。報告しに来た傭兵も屋敷の中に戻って行った。

話を聞いていたリゲルは面倒そうに溜息を吐き、アイリスとアンタレスに向き直った。


「……だそうだ。困ったな、どうする?」

「どうするもこうするもねーだろ。逃げられたんなら、俺達も急いで外回りを探さね―と」

「……そうね。ここには十分傭兵たちが残ってるみたいだし、私達も外を警戒した方が良いんじゃない?」

「外も『サジタリウス』の傭兵が囲ってるから大丈夫だと思うんだが……取り敢えず、そうするか。確かに、ここにいても仕方ないしな」


傭兵達に僅かに遅れて、アイリス達も屋敷の周囲を警戒するべく敷地外へ向かった。

屋敷の敷地外に出ると、アイリス達の目の前には前方と左右に走る見通しの良い大通りが目に入った。遠くには先程の傭兵達が周囲を警戒しに行く様子が見られる。


(少ししか遅れてないと思ったけど、結構離されたわね……ん? あれ?)

「さて、どっち方面に行く? 右か左か、真っ直ぐ前か?」

「単純に考えるなら……奴らもさっさとこの場を離れたいだろうからな、真っ直ぐ前じゃないか?」

「成程な、じゃあ真っ直ぐ前に……」

「……ねえ、ちょっと待って」

「ん、どうした?」


アイリスは前に進もうとするリゲルとアンタレスを呼び止め、二人はその場で顔だけ振り返ってアイリスを見た。ここに向かう時には特に何も思う事はなかったが、今思うと不審な点がある。


「ちょっと気になったんだけど……本当に『キャンサー』は逃げたのかしら?」

「ん、何でそう思うんだ?」

「この屋敷、この門しか出入りできる場所はないわよね? 塀は鉄条網のせいで超えられないし……。」

「情報だとそうだな」

「間違いねーと思うぜ。フィアスの奴もそう言ってたしな」


リゲルとアンタレスは大通りを見渡しながら答えた。アイリスは不安そうにしながらも、落ち着いて二人を見据えながら続けた。


「じゃあ、もし逃げられたとしたらここから出てくるはずよね? ……こんなに見通しの良い大通りに面してるのに、見つからずに逃げられるのかしら? しかも、私達も含めて大勢の傭兵たちの目がある中で……。」

「……確かに、それもそうだな」


リゲルとアンタレスは体勢を直し、アイリスに向き直った。


「開始待ちの時には、特に怪しい奴は誰も出て来なかったよな? 少なくとも俺は見てねーぞ」

「私もだ。屋敷方面は抜かりなく警戒していたが……。」


リゲルは門に背を向けるアイリス越しに屋敷の方を見た。アイリスはリゲルに視線を移し、話を続けた。


「それに、この門しか出入りが出来ないのなら『キャンサー』も普段からここを通らないと出入りできない、という事よね? 剣の練習をしてる時にクラッドが言っていたけど、私達が情報を流してからは『タウルス』や『サジタリウス』がずっと警戒してたから中に入ろうとする構成員は捕まえる事ができたらしいわ。でも、中から一切出て来ないと言うのはどういう事なのかしら?」

「…………。」


リゲルと腕を組んで考えたまま無言で話を聞いていたが、不意にアンタレスが口を開いた。


「もしかして『キャンサー』の奴ら、始めっから中にいなかった、って事か?」

「その可能性はあるわね。実際、屋敷内には誰もいなかったってさっき言っていたし……」

「……いや、分からないぞ。もう一つ可能性がある」

「え?」


アイリスがアンタレスと話している途中でリゲルが割って入った。アイリスは言いかけたままリゲルの方を見た。


「前にクラッドが「レヴィンは元は『タウルス』のAランク傭兵」という事を言ってなかったか?」

「ええ、言ってたわね」

「という事はレヴィンは『タウルス』のやり方と、それと連携する『サジタリウス』のやり方を知っててもおかしくないわけだ。もし知らなかったとしたらアイリスも言った通り、レヴィンも誰かしらに出入りを見られているだろう。それが一切見られないという事は、レヴィンは警戒が強まったことを察知して出入りを止めたという可能性はある」


リゲルが屋敷の方を見ながら語るのをアイリスとアンタレスは静かに聞いている。


「もしレヴィンが屋敷外にいたなら、他の構成員に警戒が強まってる事を教えているだろう。だが実際には中に入ろうとして捕まる構成員がいる。つまりレヴィンが屋敷外にいる可能性は低い」

「……って事は、やっぱり中にはレヴィン含めて誰もいなかったって事じゃねーのか?」

「言っただろ、レヴィンは元は『タウルス』のAランク傭兵ってな」


リゲルは腕に巻いた赤い帯を指でトントンとつついて言った。


「私達はこの作戦中、これで敵味方を判別している。だが、このやり方すらもレヴィンは知っていたとしたら?」

「だとしたら……まさか!?」


アイリスはリゲルの言いたい事を理解し、にわかに胸騒ぎを感じた。アンタレスも遅れてはっとした表情を見せた。


「屋敷の中から出てきたのは『タウルス』に化けた『キャンサー』だった、って事か!?」

「まだ分からないがな。本当に中に誰もいないだけかもしれないが、レヴィンが屋敷の外にいる可能性が低い以上、その可能性は高い」

「くそ、だったらこうしてる場合じゃねぇ、急いで中に戻らねーと!」

「まあ待てアンタレス」


慌てて屋敷の敷地内に戻ろうとするアンタレスをリゲルは引き留めた。アンタレスと違い、リゲルは落ち着いたものである。


「どうせここしか出入り口はないんだ、急がなくても奴らは逃げられん。落ち着いて警戒しながらでも問題ないだろ」

「あー……。それもそうか」

「落ち着いたか?」

「ああ、大丈夫だ」

「よし、じゃあ落ち着いたところで行くか。アイリスも準備は良いか?」

「ええ、大丈夫よ」


アイリスは落ち着いて返事をし、光子鋼剣を握りしめた――しかし、自然と光子鋼剣を握る手に力が入っていた。いまだに緊張が解れ切っていない表れである。リゲルはそのわずかな機微を見逃さなかった。


「……行くか。私とアンタレスが先行する。アイリスは後からついて来てくれ」

「分かったわ」


リゲルはアイリスを気遣って後衛に回し、再び屋敷の敷地内へと入って行った。アンタレスも同時に入り、続いてすぐにアイリスも敷地内に入って行った。



************************************************




再び屋敷の敷地内へ入ったアイリス達は周囲を警戒しながら屋敷まで向かったが、門から屋敷に続く木立には誰も潜んでいる様子はなかった。


「……この辺には誰も隠れていないか。やはり屋敷の中に隠れているのか、それとも……。」


結局何の気配もないまま屋敷の前まで出た時、明らかに先程と様子が違う事にアイリス達はすぐに気が付いた。


「……ねえリゲル、残った傭兵達ってこんなに少なかったかしら?」

「明らかに減っているな」

「えーと……8人しか残ってねーぞ?」


出ていく前は15人前後は残っていたと思われた傭兵達だが、今は明らかに数が減っている。アンタレスが人数を数えたが、半分程度の8人しか残っていない。

その内1人が戻ってきたアイリス達に気が付いて振り向いた。


「ん!? ……味方か。あんた達はさっき出て行った奴か? 外はどうだった?」

「今他の人達が外周りを探してくれてるわ」

「そうか、こっちはまだ屋敷の中を探してるところだ。他の奴らがまた何人か入って行ったが……。」


話していた傭兵はそこまで言って屋敷の方を振り向いた。どうやら減った分は屋敷の中に入って行ったようである。


「……中から出て来ないのか?」

「ああ、そうなんだ」


リゲルは訝しげに屋敷の方を見て扉が閉じているのを確認し、そのまま傭兵達の方を見渡した。傭兵達は全員屋敷の警戒に集中しており、リゲル達の方を向いている者はいない。


「俺達は見張ってるから、中の様子を探って来てくれるか? 何が起きてるか分からない、慎重にな」

「……ああ、分かった」


リゲルは間を開けて返事し、アイリスとアンタレスに目配せをした。アイリスとアンタレス小さく頷き、リゲルと共に屋敷の玄関の方へ歩き出した。背後からは傭兵たちの視線が刺さり、アイリスは妙な違和感を覚えた。


「…………。」


屋敷の玄関前に辿り着いたリゲルは扉の様子を検めた。同時にアンタレスはリゲルに背を向けるように――言い換えると傭兵達を見渡すように――周囲の警戒を始め、アイリスもそれに合わせて警戒を始めた。

扉は木製で両開きのものであり、優美な曲線の紋様が彫られ金線で縁取られて装飾されている。鍵は少々強引に開けられた形跡があり、鍵穴部分に傷と少々の破損が見られる。傭兵達の減った人数から察するに、屋敷の中には少なくとも6~7人程度の傭兵が入っているはずだが――


(……何も聞こえないな。中で何をしている?)


――屋敷の中からは何故か物音が何も聞こえない。幾ら大きな屋敷とは言え、ここまで音が響かないものなのだろうか?


「……アンタレス」

「ああ、分かってる。アイリス、下がってな」

「ええ」


リゲルはアンタレスに声を掛け、アイリスを玄関脇に潜ませて自らも脇に避け、そしてアイリスの耳元で何かを呟いて玄関の方を向いた。リゲルはアイリス達とは反対側に潜み、アンタレスと対になるようにして玄関の方を向いた。

アイリスはその間、先程までと同じように周囲の警戒を続けた。真剣な表情で警戒を続けるアイリスの頬には一筋の汗が流れ、その脳裏にはアンタレスが呟いた一言が留まっていた。



――絶対にあいつらから目を離すなよ――



(……まさか、本当に……?)

「アンタレス、いいか? 合わせろよ」

「ああ、せーので行くぜ。せーのっ……!」


アイリスの心に不安が広がりつつあった。

そんな様子のアイリスを余所に、リゲルとアンタレスは玄関脇に潜んだまま扉に腕を伸ばした。そしてタイミングを合わせて一気に扉を押し開けた。


「…………。」

「罠はなし、か」


一瞬間を開けて呟いた後、アンタレスは隠れたまま屋敷の中を覗き込んだ。広い玄関ホールには誰もおらず、静寂だけが広がっていた。リゲルとアンタレスは陰から身を出し、屋敷の中へ入ろうとしたがすぐに足を止めた。

アイリスも続いて入ろうとしたが、その時一瞬だけ不快な臭いが屋敷の中から漂った。


(……! この臭いは……。)


アイリスは以前別のどこかでも感じた、その不快な臭いに思わず足を止めようとした――しかしそれよりも先にリゲルが制止し、聞こえるか聞こえないかと言った具合の小声でアイリスに話しかけた。


(アイリス、後ろに集中しろ。……始まるぞ)

(え……?)


始まる。その一言でアイリスの身体に緊張が走った。リゲルはアイリスを制止したまま動こうとせず、アンタレスも屋敷の中に入りかけて止まっている。アンタレスは光子鋼鎖を構え、4日前に第3放雷針の拠点で見せたような鋭い目付きと表情を見せた。


(……リゲル、始めるぜ)

(……ああ)


アンタレスは一瞬だけリゲルに目配せし、リゲルは小さく頷いた。その後、アンタレスは呼吸を整えて一気に玄関ホールの奥へ飛び込んだ。


「……そこだっ!」


その勢いで前転して玄関の方へ振り向き直った瞬間、押し開けた扉の陰へ光子鋼鎖を投げ放った。光子鋼鎖はそこにあった『何か』に巻きついた。光子鋼鎖が巻きつくと同時に、アンタレスは光子鋼鎖を引っ張ってそれを近くへ引き寄せた。


「な、何だ……うおっ!?」


引き寄せた『何か』は驚愕の声を発してアンタレスの前で倒れ込んだ。それは武装した男であった。

『タウルス』の傭兵のように見えるが、作戦の参加者が身に着けているはずの赤い帯を何処にもつけていない。


「え……誰!?」


アイリスはアンタレスの突然の行動、そして突然現れた謎の男に驚き、思わず屋敷の中を覗き込んだ。


「リゲル!」

「……!」


リゲルはアンタレスが名を叫ぶと同時に屋敷の中へ突入し、アンタレスが光子鋼鎖を投げた方とは反対の扉の陰へ素早く飛び込んだ。


「……うぐっ!?」


リゲルが飛び込んですぐ、扉の陰から1人の男が投げ出された。リゲルは投げ出された男にすぐ飛びかかり、男の腕を捻って持っていた剣を払い落とした。そのまま抵抗を許さず、流れるように男をうつ伏せに捻じ伏せ、腕を背中で組ませて拘束した。その腕には赤い帯が巻かれているのが見えた。


「アイリス、後ろっ!」

「……はっ!?」


その一連の流れの中で、リゲルはアイリスに向かって叫んだ。アイリスは突然の事態に驚き、周囲の警戒を解いてしまっていた。しまった、と内心で叫びながら光子鋼剣を構え直し、すぐさま傭兵達の方に振り向き直った。

振り返った先ではいつの間にか傭兵3人が武器を構えて迫って来ていたが、彼等も中で起きた事態に驚いているようであり、驚愕の表情を見せたまま固まっている。彼等は果たして敵か味方か、アイリスには判断できなかったが、いつの間にか武器を構えて接近されていた事実には背筋が凍る思いだった。


「んん……!」

「おい、離せ! よく見ろよ、俺は味方だ! ちゃんと帯つけてるだろ!」


アイリスは今度こそ警戒を解かず、顔だけで覗き込むように中の様子を確認した。

中ではアンタレスとリゲルが拘束した男達が抵抗を行っていた。アンタレスが捕らえた方は光子鋼鎖が轡のように口に絡まっており、喋る事が出来ないようであるがリゲルが捕らえた方は自分が味方だと必死に訴えている。よく見ると、リゲルが捕らえたその男は十数分前に屋敷から出て来た傭兵である。


「お前は確か、さっき屋敷に誰もいないと言ってた奴だな? ……扉の陰で何をしていた? 如何にも待ち伏せしているように見えたが?」

「そんな訳ねーだろ! 『キャンサー』が逃げないように扉を見張ってただけだ、いいから離せよ!」

「外に大勢味方がいるのにか? 見張るのに息を潜める必要があるのか?」

「他の奴らは何してるんだ? ここには傭兵が大勢入ったはずなのに、物音一つ聞こえねーぞ?」

「それは……知らねーよ! 俺はずっとここにいたんだよ!」

「往生際が悪いな。……じゃあ証明して見せろ」


リゲルはアイリスとアンタレスに目配せした。二人にはリゲルが何をするつもりか分からなかったが、悪巧みがあるのだろうという事だけは理解できた。


「その赤い帯には私達参加者しか教えられていない隠された仕掛けがあるんだが……答えられるか?」

「え? リゲル、それは……。」


アイリスはリゲルの発言が気にかかり、正面を警戒しつつリゲルの方に視線を移した。リゲルは再びアイリスとアンタレスに目配せし、小さく頷いた。任せろ、そう言ってるようだった。

再び正面の傭兵達の方を警戒し始めたアイリスは、傭兵達の表情にも少々の困惑があるのを感じ取った。


「仕掛け……!? ……あー、それは……。」


捕らえられた男は明らかに狼狽し、口ごもっていた。もし知っていたらすぐにでも答えられるはずである。


「答えられないだろ?」

「……くそっ! ふざけやがって! 何なんだ仕掛けって、そんなの聞いてねぇぞ!」


男は観念したのか、吐き捨てるように言った。『タウルス』の傭兵ではない事を認めた格好である。


「……その帯は裏地の一部にだけ、青い生地が使われている。敵だと疑われたらそれを見せて証明しなければならない。……そうだよな、お前達?」


帯に隠された仕掛けを教えたリゲルは、傭兵たちの方に向かって同意を求めて叫んだ。


「あ、ああ、そうだ! そいつは偽物だな」


玄関に近い傭兵の一人が答え、残りの傭兵も少々慌て気味にこくりと頷いて同意した。


(……この人達、やっぱり……。)


その様子を見たアイリスは光子鋼剣を握る手に力を入れ、表情を僅かに強張らせた。緊張で頬に一筋の汗も流れた。

リゲルはアンタレスの方に男を連れて行き、アンタレスは自身が捕らえた男と一緒にその男を縛って拘束した。その後、光子鋼鎖を解いたアンタレスはリゲルと共に玄関の方へ向かい、アイリスと共に傭兵達と向かい合った。


「一組くらい、参加者もいて欲しかったが……8人全員『キャンサー』か」

「本物の参加者は全員中のどっかでやられたか、騙されて外の巡回に行ったか、だな」

「……そうみたい」


そう言いながらアイリス達は戦闘の構えを取った。突然『キャンサー』呼ばわりされた傭兵達は驚いてざわめき、思わず反論した。


「お、おい、ちょっと待てよ!? 俺達は本物だぞ!? 仕掛けの事だって知ってたし……!」

「悪いな、帯の仕掛けのくだりは全部嘘だ。鎌をかけてみただけだが……全員引っ掛かるとはな」

「な……!」


傭兵達は一瞬硬直し、互いに顔を見合わせて黙り込んだ。再びアイリス達に向けられた視線には、明らかな敵意があった。


「取り敢えず、大人しく投降しな。そうすれば痛い目に合わずに……」

「……!」


アンタレスが言い切る前に手前にいた傭兵3人――『キャンサー』構成員が武器を構えてアイリス達に走って詰め寄った。すぐにリゲルとアンタレスも反応して前に出て、アイリスはその場に留まって迎撃の構えを取った。

リゲルに迫った男は短剣を振ってリゲルの喉元を狙って突きを放ったが、姿勢を低くして躱された後に腕を取られ、突いた勢いのまま背負い投げで地面に背中から叩きつけられた。直後にリゲルは男の脇腹を蹴り飛ばし、男は悶絶してのた打ち回る羽目になった。

アンタレスに迫った男はアンタレスの頭部に手斧を振り下ろした。アンタレスは直前まで引きつけて躱し、光子鋼鎖を男の両足に絡めつつ背後に回り込んだ。そして鎖を強く引っ張って男を引き倒し、リゲルと同様に脇腹を蹴り飛ばして動きを封じた。


「……っ! はあああっ!」


アイリスに迫った男は槍を構え、アイリスの胸を狙って走りながら突きを放った。アイリスは落ち着いて横に避けて躱し、槍は背後の壁に突き刺さった。その隙に男の懐に飛び込み、斜め反対側に走り抜けつつ――気持ちを奮い立たせるべく叫びながら――光子鋼剣を振り抜いて胴体を切りつけた。背後で男が倒れる音がしたが、アイリスは凛として振り向かなかった。


「……! ちっ、仕方ない! 逃げるぞ!」


アイリス達は残り5人もすぐに襲ってくるかと思って身構えていたが、3人がやられたと判断すると一斉に退却してしまった。


「何だよ、来ねーのか。……逃げちまったな。面倒な事になりそうだな」

「今は放っておいていいだろう。どうせ顔は覚えた、後で見つけたらいい」

「……また忘れるなよ?」

「……善処する」


リゲルとアンタレスが話している間、アイリスはふと光子鋼剣に目を向けた。光子鋼剣は赤い血で濡れていた。それを見た時、思わず顔をしかめてしまった。


「……っ! くっ……。」


覚悟は決めていたのに、刀身についた血を見ると心に後悔が湧き上がった。アイリスはそんな自分に嫌気を感じつつ、一旦刀身を消して血を払った。


(……後悔は全てが終わった後でいい、今は生き残る事だけ考えればいい。『後』で『悔』いるから『後悔』なのよ、今すべき事じゃないわ)


この数日間、クラッドと剣術の練習をしている時に教えられた言葉だった。その言葉で気持ちを整理し、再び凛とした表情と態度を見せた。


「くっ……この野郎!」

「……はっ!?」


リゲルとアンタレスに倒された二人がふらついて立ち上がった。アイリスはすぐに気が付いて身構えたが、二人はアイリスに目もくれず通り過ぎて、リゲルとアンタレスに背後から襲い掛かった。


「……馬鹿が」

「……そうだな」


リゲルとアンタレスは振り返りつつ呟いた。

リゲルは短剣を振るう腕を右手で掴んで押さえ、左手で腹を殴って怯ませた。リゲルは前屈みの体勢になった構成員を抱え、頭から叩き落とした。首の辺りから骨の砕ける鈍い音が鳴り、構成員はそのまま力なく倒れた。

アンタレスは光子鋼鎖で手斧を絡め取り、鎖を引っ張って構成員の体勢を崩した。その瞬間、光子鋼鎖を消してすぐに出現させ、先端の鉤爪を構成員の喉元に投げて掻き切った。構成員は体勢を崩したまま倒れ、血を噴く喉元を押さえてもがいたがじきに動かなくなった。


「……大人しくしていれば死なずに済んだだろうに」

「折角手加減してやったのにな。無駄にしちまいやがって……。」

「…………。」


リゲルとアンタレスは倒した構成員達に言葉を投げかけたが憐みはなく、むしろ呆れがあった。

アイリスは以前なら目を背けたであろう、その光景を見つめていた。もはや覚悟が揺らぐ事はなかったが、それでも後味の悪さと催す吐き気だけはどうしても残った。


「さて、中を調べるか」

「……そうね、気を付けて行きましょう」


リゲルは再び屋敷の中に入り、アンタレスとアイリスは後に続いて中に入った。アイリスはその時初めて入ったので、まずは玄関ホールの状況を見渡した。

玄関ホールは広く、正面と左右に開いた扉がある。入口から敷かれた赤い絨毯が奥の扉部分まで続いている。天井は吹き抜けで2階の廊下と部屋の扉、吊るされたシャンデリアが見えるが階段はなく、屋敷の奥にあるものと思われる。その廊下は天井まで突き抜けた数本の柱で支えられており、柱には明かりが取り付けられて玄関ホールを明るく照らしている。入口に程近い柱には先程扉の陰に隠れていた男達が縛られていた。

また、玄関ホールには微かに不快な臭いが漂っていた。


「……この臭いは……血の臭い……?」


アイリスは呟いて再び玄関ホールを見渡したが、そもそも玄関ホールは戦闘した形跡がない。そうなると、この臭いは奥から来ているに違いない。


「……奥からだな。この臭いを辿って行けば多分……。」


リゲルは慎重に奥の扉に近付いた。既に開いた扉からは廊下が見え、廊下は少し進んですぐに左右に伸びているようである。リゲルは身を潜めつつ、左右に伸びた廊下を覗き込んだ。廊下には誰もいなかった。


「……右からか」


リゲルは振り向いて手招きした。アイリスは頷いてリゲルの方に近寄ったが、アンタレスはその場から動かなかった。


「おい、アンタレス?」

「…………。」


アイリスはリゲルの隣でアンタレスの方を振り向いた。アンタレスは厳しい表情で正面の2階部分を見つめたまま微動だにしない。

不思議に思ったリゲルが近寄ろうとしたが、アンタレスはそのまま手で制止し、口を開いた。


「……危ない所だった。俺が気付かなかったらまんまと逃げられてたぜ。……そうだなっ!?」


アンタレスはそう言って2階部分に光子鋼鎖を投げた。投げた光子鋼鎖は何かに弾かれる音が響くと同時に落ちた。リゲルとアイリスは咄嗟に玄関ホールに戻り、2階部分を見上げた。


「……気付かない方が良かっただろうに、な」


2階の廊下の影から声が玄関ホールに響いた。そこから現れたのは、顔に火傷の跡が残る巨漢だった。幅広の大剣を担ぎ、その大剣の周囲の空気が――恐らく熱気で――揺らいで見えた。

その男は柱に括りつけられた『キャンサー』構成員を見て蔑みの表情を見せた。


「……ったく、役立たず共が……。あれだけ大勢いて、しかもわざわざ『タウルス』のやり口まで教えてやったってのに、女の一人も倒せねぇのか!?」

「も、申し訳ありません……。」

「ふん、まあいい。もうお前らに任せても無駄だって事は分かったからな、俺がやるしかねぇ」


そう言うとその男は2階から飛び降り、玄関ホールの中央に着地した。丁度アンタレスとアイリス達に挟まれる格好である。


「お前ら、そこそこやるようだが……俺に目を付けたからには死ぬ覚悟はできてるんだろうな?」

「お前こそ覚悟は出来てんのかよ、『赤熱魔人』レヴィン?」

「あ? 必要ねぇよ、そんなもん。俺が負けるはずねぇからな」


その男――『赤熱魔人』レヴィンは担いだ大剣を下ろして振るい、アンタレスの問いに答えた。

レヴィンは振るった大剣を構え、気合いを入れて念じた。すると大剣に赤く輝くルーン文字が浮かび、大剣はすぐに赤く熱せられて炎を纏い、その熱気はすぐに玄関ホールに広まった。

アンタレスは鋭い眼光と共に光子鋼鎖を構え、リゲルは初めて光子鋼籠手を装着して身構えた。


「アイリス、下がってろ。……奥だけ警戒しててくれ。あいつ以外にも構成員が潜んでるかもしれない」

「わ、分かったわ」


アイリスは言われた通り、扉の所まで下がって留まった。そして警戒を始めた途端、汗が全身を伝った。それがレヴィンと対峙した緊張によるものか、それとも満たされた熱気によるものなのか分からなかったが、何にせよ不快であった。


「さぁて……簡単に死ぬんじゃねぇぞ、少しは楽しませろよ!?」


レヴィンは吠えるように叫び、熱気と共に殺気を漂わせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ