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46. 4月25日:サルバシオン自治区南部

「全く困ったものですね、シルト? あなたまで捕らえられてしまうとは。……まあ、私も人の事を言えた立場ではありませんが」

「いやはや、面目ありません……。迂闊に手を出さずに逃げるべきでしたな」


日が沈んだ頃のサルバシオン自治区南部、『ステラハート』本拠点の一室にてネビュラとシルトは捕らえられていた。

部屋にはガラス窓と簡素な机・本棚やベッド等があり、誰かが私室として使用していた痕跡がある。しかし部屋の中は微かに埃臭く、整理はされているがここ数年は使用されていなかったと思われる。簡易牢獄にしたのも使用者がいないためだろう。部屋の中はプロキオンによって様々な魔法制御がなされており、ネビュラの魔法を持ってしても脱出できない状態となっている。


「それは私も同じですね。とにかく、お互いシリウスと相対して生き残っただけでも良しとしましょう」

「そうですな。……ところで、今後はどうしますかな?」


シルトは首筋の傷をさすって言った。


「脱出は出来そうにありませんし、ここは今後に備えて素直に休息を取る事にしましょうか」

「魔法で何とかならないのですか?」

「無理ですね」


一言言うと、ネビュラは素早く詠唱した。魔力(イーセル)が瞬時にネビュラの指先に集い、その指先が窓に向けられた。


「……【氷槍(アイスランス)】」


ネビュラは魔法を放ったが、その瞬間ネビュラの周囲の空間に薄水色のルーン文字が浮かび上がり、ネビュラの魔法を打ち消して消失した。【氷槍(アイスランス)】は意味を為さず、ただの独り言に終わった。


「……! 魔法が発動しない……?」

「このように、この部屋の中で魔法を使うと自動で打ち消されるよう【反魔空間(アンチスペルゾーン)】と言う魔法で制御されています。【反魔空間(アンチスペルゾーン)】の範囲内では如何なる魔法も意味を成しません。範囲外からならあっさり解除出来るのですが」

「ふむ、そうですか……。では物理的に窓や扉を破壊してしまいましょうか?」

「それも無理でしょう。部屋全体に強化魔法も掛けられているでしょうし」

「まあ試すだけ試してみましょう」


シルトは窓に近寄り、作業服の袖を捲った。服に隠されていた逞しい剛腕が露わになり、シルトは腕を回して肩の凝りを解した。そして窓に拳を当て、一息深呼吸すると拳を大きく後ろに引いた。


「……むんっ!」


シルトは全力で窓に拳を打ち付けた。窓はビシリと大きな音を立て、波打つように軋んだが全く割れる事はなかった。ひび一つ入っていない。シルトは握り拳を解いて窓から離し、渋い顔をしてその手を痛そうに振った。


「……確かに。薄く脆いはずの窓でこれでは扉を破壊するなど夢のまた夢、ですな。おお痛い……。」

「だから言ったでしょう? 脱出は不可能です、今は大人しくしているしかないのですよ。体力を温存してじっくり脱出の機会を窺うとしましょう」


ネビュラは少々呆れ気味に言い、近くの椅子を引いて優雅に腰かけた。シルトは袖を伸ばして戻しながら溜息を吐いた。


「仰る通りですな。では、ゆっくりするとしましょうか。……窓の外から察するに、ここはサルバシオン自治区ですかな?」

「恐らくそうでしょうね」


シルトが窓の外を見つめながら言った。

窓の外には夜闇が広がっており、星空は厚い雲で覆い隠されて夜闇を一層濃くしている。一方で目下には煌々と輝く灯りが無数に広がって星空のような様相を成しており、まるで天地が逆転したかのような風景である。


「ふむ、なかなか高い場所に居を構えているようですな。……しかし、これだけではサルバシオン自治区のどの辺なのか判断できませんね」

「サルバシオン自治区に本拠点がある、という事が分かるだけでも十分でしょう。それと、この部屋に掛けられた魔法の違和感からプロキオンに関して分かった事もあります」

「ほう、何か違和感を感じるのですか? 魔法使いでない私には全く分からないのですが」

「魔法使いであれば誰でも気が付きますよ。私も今まで対峙した時から違和感を感じていたのですが、対峙中に観察する余裕などありませんでした。今ようやく違和感の正体が分かった、と言った所ですね」

「して、その違和感……プロキオン殿に関する分かった事とは?」


シルトはネビュラと対面するように椅子に腰かけた。ネビュラは優雅に腕を組んでくすりと笑った。


「……古いのですよ」

「古い?」

「この部屋に掛けられた各種魔法の術式形態が古いのですよ。このような術式を使用していたとは驚きです」

「ふむ、そんなに古いのですか?」

「ええ、もはや魔法歴の教科書でしか見ないような古い術式です。大体80年程前の術式ですね」

「なんと!? 80年も昔の術式ですか……。」

「恐らく、プロキオンはその頃の生まれなのでしょう。『ステラハート』はある意味、過去の人物の亡霊ですから不思議ではありません」

「しかし、それほど古い術式ならば、ネビュラ殿なら解除して脱出できそうなものですが」

「それは出来ませんね。古いとは言え、効果自体は今のものと変わりませんから。……しかし、今なら同じ効果でもっと効率の良い術式形態が開発されています。にも関わらずこのような術式を使用しているとは、この部屋の準備に時間がかかる訳です。プロキオンは丸一日掛かりでこの部屋を仕上げたようですが、私なら半日……いえ、四半日もあれば仕上げられます」


ネビュラはプロキオンに対する呆れと軽蔑を含めた笑みを口元に浮かべた。


「随分と差が出るものですな。という事は、プロキオン殿は術式が古いゆえに詠唱が遅い、という事も考えられますかな?」

「実際プロキオンは私より詠唱に時間が掛かっていました。ゆえに私も十分に【対抗呪文(カウンタースペル)】を唱える時間を取れていたのですが、今一効果が薄く苦戦を強いられていました。……それも古い術式を使用していたためだったようですね。今の術式に合わせた【対抗呪文(カウンタースペル)】では対応できなかった訳です」

「では今後は対策も取れますな。この情報、純粋にプロキオン殿の弱点として利用できるでしょう」

「そういう事です。あの小娘には散々苦杯を嘗めさせられましたが、それも終わりです。次に会う時はたっぷりとお返しさせてもらいましょう」

「……そう言えば、一度もプロキオン殿に勝った事がありませんでしたな」


シルトがぼそりと呟いた一言をネビュラは聞き逃さなかった。


「シルト……一言余計です」


ネビュラは鋭い視線をシルトに向け、冷たい表情で睨んだ。シルトは慌てて制止するように手を振り、頭を下げた。


「ああ、申し訳ありません……。そのようなつもりでは……」

「ではどのようなつもりでの発言ですか?」

「あー、それは、その……ええと……。……あ、ああ、そうです! そうでした、私もシリウス殿に関して気付いた事があるのですが」

「シリウスに関して? ……何ですか?」


回答に困ったシルトは咄嗟にシリウスに関する情報を口走り、強引に話題を逸らした。幸いにもネビュラは興味を示したようで、突き刺さるような鋭い視線は解かれ、表情も解れたようである。

シルトは表情に出ないよう内心で安堵し、話を続けた。


「彼女から逃走している時、彼女の姿が一瞬歪んで見えたのです。見間違いかと思ったのですが、その次の瞬間、何故か彼女に追い付かれていました。十分に離れていましたし、私も全力で逃走していたにも関わらず、です」

「……聞いた感じでは魔法のように思えますね。何か詠唱していたような様子はありましたか?」

「いえ、そのような様子はありませんでした。追い付かれた後に何とか態勢を立て直して反撃に出たのですが、その時にも同じような事が起きて、直後私は気を失ってしまいました。この時彼女は地面に倒れて体勢を崩していましたし、私の攻撃を回避する余裕も詠唱する時間もなかったはずです。……魔法以外の何かを彼女は扱えるとしか思えません。身体能力だけでは説明もつきませんし」

「魔法以外の何か、ですか……。聞いただけでは何も思い当たりませんね。少なくとも私が対峙した時にはそのような様子はありませんでしたが……。」


シルトは穏やかな表情で顔を扉の方に向けた。


「何かご存知ですかな、ベテルギウス殿?」

「……今の話、初めて聞きましたわ」


扉の裏からベテルギウスの声が響いた。どうやら密かに様子を探っていたようだが、シルトは既に気づいていたようである。

ベテルギウスは扉に背を当てて寄りかかったまま、腕を組んで話を聞いている。


「ふむ……。この事、シリウス殿は貴女にも話していなかった、という訳ですか」

「そのようですね。まあシリウスに限らず、みんな私に話していない秘密の1つや2つあるでしょう。不思議はありませんわ」


ベテルギウスは目を瞑り、やや溜息がちに答えた。


「さて、どうやら落ち着いているようですし、少しだけ質問に答えてもらいましょうか」

「……答えるとでも?」

「答えたくなければ黙ってて構いませんわよ。……今回は、ですが」


ネビュラが呆れたように返したが、ベテルギウスは気にせず落ち着いて話を続けた。


「では始めましょう。あなた達は王都で何をしているのですか?」

「…………。」

「……リリィを『エクソダス』に引き入れたのはネビュラ、あなたですか? シリウスは恐らくそうだろうと話していましたが?」

「…………。」

「……シルト、あなたはシリウスに少しだけとは言え本気を出させたようですね? あなたは何者ですか?」

「…………。」


ベテルギウスの質問に、ネビュラとシルトは無言という回答を返した。ベテルギウスの予想通りの回答であり、ある意味満足のいく結果である。

ベテルギウスは質問を続けた。


「……昨日、汚染者が一斉に消失する事件がありました。どうやら除染されたようですが、あなた達の仕業ですか?」

「……問題ありましたかな?」


シルトが一言だけ答えた。ずっと無言が続くと思っていたベテルギウスは一瞬目を見開き、すぐに落ち着いて息を吐いた。


「何故私達に有利になるような事を?」

「ギャラク殿の指示ですよ、やはり一般市民を巻き込む作戦はお気に召さなかったようで」

「自分達で始めておいて、よく言いますわね?」

「それに、もう我らの有利は固まりましたからな。これ以上続ける必要もないでしょう」

「……私達を舐めているのですか? あなた達はシリウスに負けて人質とされているのですよ? 既に有利は崩れ始めているではありませんか」

「それはどうでしょうか? まあ、ギャラク殿に聞いてみて下さい。我々では判断しかねますので」


ベテルギウスは溜息を吐き、首を振って話を続けた。


「……このような作戦、誰が発案したのですか?」

「…………。」

「……これは答えられませんか」

(『ステラハート』の裏切り者、と答えるのは簡単ですがねぇ)


シルトはくすりと笑みを浮かべた。

裏切り者が存在する事実はまだ『ステラハート』に伝える時ではない。ギャラクが時が来たと判断するまでお預けである。


「まあ今はこのくらいにしておきましょうか。私もまだやる事が残ってますし、いつまでも相手をしてられません。今後、もっと詳しく話して頂くのでそのつもりで。……早いうちに話してくださいね? 私も手荒な真似は好みではありませんので」


ベテルギウスは喋りつつ寄りかかった体を起こし、扉から離れた。


「分かりました。ではご期待に応えて、無言を貫くと致しましょうか」

「……殊勝な心掛けですね」


シルトに対し皮肉を込めて返事を返すと、ベテルギウスは部屋から離れて去って行った。

ネビュラはベテルギウスが去って行ったのを確認すると、シルトを睨んだ。


「喋り過ぎです、シルト。記憶水晶(メモリクリスタル)の件、大した情報ではありませんが黙っておくに越した事はないでしょうに」

「む、そんなに喋りましたかな? そんな気はしないのですが」


シルトは穏やかな笑みを崩さず、とぼけて顎鬚を弄った。


「とぼけても許しはしませんよ? 先程の余計な一言も、です」

「…………。」


シルトは顎鬚を弄っていた手を止めた。


(……困りましたねぇ。どう言い訳しましょうか?)


穏やかに笑みを浮かべた顔の頬に冷汗が流れた。



************************************************



ベテルギウスは本拠点内の大部屋の扉を開けた。

部屋の明かりは点いており、部屋に入ったベテルギウスの目には椅子に腰かけて山積みになった本を読み漁るプロキオンの姿が目に入った。


「プロキオン、お待たせしました」

「……どう? 何か喋った?」

「汚染者が消失した件、やはり『エクソダス』が汚染を解除したようですね。彼等にとっても気に入らない作戦だったようで」

「……自分達で始めておいて、よく言うわね」

「全く同じことを私も言いましたわ。……この事は帰ったらリゲル達にも伝えておいてください」


ベテルギウスは思い出して呆れ、プロキオンの隣の椅子に座って身体をプロキオンの方に向けた。

プロキオンは本に目を通しながら口を開いた。


「……『さっきの話』の続きだけど、こっちはリゲルとアンタレスには話さなくていいのね?」

「ええ、ディム・ヌーンでの作戦が終わってからにしてください。今話してしまったら、彼女達は作戦に集中できなくなってしまうでしょう」

「……どうして私には話したの? 私も作戦に参加してるのに」

「あなたなら冷静でいられると判断したからです」

「……あまり気分は良くないわね。私、そんなに冷たく見える?」


プロキオンは一貫して変わらない無気力な表情のまま、気怠げに言った。


「『冷静』と『冷たい』は別物ですわよ。気にする事ありません」

「……だといいけど。それで、一体何時頃からなの?」


プロキオンは本を閉じ、顔を僅かに傾けてベテルギウスの瞳を覗いた。ベテルギウスは神妙な表情をしていた。


「……アークとカノープスが消息を絶ったのは?」


ベテルギウスは少し間を置いてから落ち着いて話し始めた。


「……昨日、汚染者消失の報告がアークから届いて以降、2人と連絡が取れなくなりました。今日、丁度トラニオン・リッジに私の協力者が行く予定だったので調べてもらいましたが、既にトラニオン・リッジにはいないようです。今日は『サジタリウス』総本部や『リブラ』支部にも訪れた形跡はないらしく、一体何があったのか全く分かっていないのが現状です」

「……通信も繋がらない?」

「着信はするのですが、一向に出ません。通信に出る事が出来ない状況下にある事は確実でしょう」

「……カノープスはともかく、アークが連絡もせず勝手に行動するとは思えないし、何かあったのは間違いないわね。どうするの?」


ベテルギウスはプロキオンを正面に見据え、胸元に手を当てて答えた。


「私が調査に行こうと思います。もう動けるのは私しかいませんし、1日くらいなら何とか……」

「……駄目」

「え……プロキオン?」


ベテルギウスは自身が調査に行くと宣言したが、プロキオンは制止した。思わぬ返事にベテルギウスはきょとんとしてしまった。


「……トラニオン・リッジでアークとカノープスの2人が対応できない程の何かがあったのは確実。正直、ベテルが1人で対応できると思えない。……ベテルを失うわけにはいかないもの」

「プロキオン……。しかし、それでは何があったか分かりません。どうしろと言うのですか?」

「……それを考えるのがベテルの仕事」

「……そう、ですわね」


プロキオンは椅子から立ち上がり、身支度を整え始めた。ベテルギウスは弱々しく返事をした。


「……大丈夫、アークやカノープスも簡単にやられないのは分かってるでしょう? 時間はあるわ、落ち着いて考えて。私もそれに従うから」

「分かりました。今しばらく考えましょう」


身支度を整えたプロキオンは部屋の隅に移動し、呪文詠唱の構えを取った。


「……ベテル、問題続きで苦労を掛けるけど頼むわ」

「分かりました。プロキオン、そちらも頼みましたわ。せめてディム・ヌーンの作戦は成功させてください」

「……任された。……【転移門(テレポータル)】」


プロキオンは無気力な表情を僅かに崩して微笑を浮かべ、魔法を詠唱した。すぐにプロキオンの足元に魔方陣が広がり、プロキオンは光子となって消失した。

ベテルギウスは見送ると深く溜息を吐き、椅子に深く腰掛けてもたれかかった。


(……どうしましょうか? 問題もやる事も山積みですわね……。)


ぐったりと天井を見つめるベテルギウスには疲労の色が色濃く表れていた。

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