45. 4月25日:イルミナイト王都
「……雨か」
朝、目を覚ましたシリウスは静かに雨を降らせる灰色の空を見上げ、一言呟いた。
適当な建屋の軒下で眠っていたため濡れる事はなかったが、吹き抜ける冷風が代わりにシリウスの身体を撫でた。湿り気のある不快な風と肌寒さに身体が震えた。
(……雨は、嫌いだっていうのに)
どこか陰鬱な表情なまま、纏った外套を剥いで立ち上がった。
「……さて、今日は西部ね」
心底気怠そうに呟き、シリウスは外套を纏い直した。フードも被って十分に雨風対策を施し、街道に歩み出た。
現在は王都北西部、リリィの追撃を逃れるには十分に離れた場所にいる。北西部も調査していないのだが、リリィに見つかっては面倒なので、泳がせる目的も兼ねて後回しにする算段である。
(ネビュラも捕らえた事だし、『エクソダス』共も少しは表に出てくるかしら? ……さっさと出てきて欲しいわね。本当に面倒だし、何より時間がないわ。月末までしか居られないってのに)
漠然と考えながら歩き続けるシリウスには、僅かに焦りの表情が浮かんでいた。自分でも気づかぬまま、西部に足取りは早くなっていた。
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王都西部は調査ギルド『スコーピオ』と工業ギルド『ピスケス』の本部が存在し、工場や企業事務所が多く存在する地区である。その性質上、この地区では流通にしろ移動にしろ乗り物を利用する事が多く、街道を普通に歩いている人は活気がある割には少ないのが特徴である。この日は朝から雨が降っており、尚更である。
シリウスはそんな街道を一人歩いていた。馬車や列車等はせわしなく街道を通り過ぎるが、出歩いている人は数えるほどしかいない。多少は堂々と行動しても、人目に着く可能性は少なそうである。
(さて、どうしようかしら? ……案内板か、丁度良いわね)
大通りの分岐点に差し掛かった頃、丁度西部の案内看板があった。シリウスはその前に立ち止まり、看板に目を通した。看板は地図と吹き出し表示の案内が併記されており、行動計画を立てるには丁度良い。
(何処にしようかしらね……ん? ここは……。)
看板を見て張り込むのに良さそうな場所を探していると、ある施設の表記がシリウスの目に飛び込んできた。『ピスケス』の細工職人養成所、とある。
「確かこの養成所は……。」
以前、この施設に関して何か話を聞いていた気がした。シリウスは腕を組み、目を瞑って何を聞いたか思い出した。
(何だったかしら……。『ピスケス』、細工……。……細工?)
「……ああ、思い出した。記憶水晶の出処か」
暫くして聞いたのが何だったか思い出した。汚染用記憶水晶の出処の可能性があるとして、アークトゥルスとアンタレスが調査した場所である。
細工品に組み込まれる形でばら撒かれていた汚染用記憶水晶はあるだけ回収を済ませており、原因は不明だが汚染も解除された事で、本来なら最早気にする必要もない場所である。
しかしシリウスには気にかかる事があった。すぐに立ち去らず、地図を見つめながらその場で考え続けた。
(……確かアークは『エクソダス』を仕留め損なった、とも言っていたわね。名前は……そうだ、シルトとか言っていたわね。講師を務めてるらしいとか何とか……)
そこまで考えた所で看板前から離れて歩き出した。
(……まあ、一度襲われた場所にのこのこ帰ってくる程間抜けだとは思わないけど、一応張り込んでおこうかしら? どうせ当てもないし)
シリウスは無気力に欠伸をして頭を掻いた。
『ピスケス』の細工職人養成所は少し離れた場所にある。到着までに雨が上がる事を願いつつ、養成所に向けて歩き続けた。
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シリウスは到着した『ピスケス』の細工職人養成所の様子を探っていた。雨は上がらなかったが弱くはなっており、多少は気分も晴れた。
現在離れた場所から正面入口の様子を探っているが、特に変わった様子もなく通常通り開所している。人の出入りは少ないが、普段から人が少ない地域であることを考えると何らおかしい事はない。
強いて変わった点を言えば、『サジタリウス』の警備兵が玄関前にいる事くらいである。今月8日に発生した侵入被害と13日に発生した惨殺事件――どちらも『ステラハート』が起こした事件であるが――それらに続き『キャンサー』の暴動警戒と、本来なら短期間警備のはずが随分長引いているようである。
(……出入り口はここだけかしら? 周りも探ってみないと分からないわね)
シリウスは養成所の周りを探るべく、正面入口に近付いた。そして全くシリウスを警戒しない『サジタリウス』警備兵の前を通り過ぎ、そのまま養成所を囲む脇道に逸れた。警備兵は正面を通り過ぎた女性が件の惨殺事件の犯人だとは夢にも思っていなかった。
(……勝手口か)
半周ほど養成所外周を回ると、養成所を囲む塀に小さな勝手口がついている場所を発見した。どうやら職員用の出入り口らしい。
周囲に人がいない事を確認して開けようとしたが、鍵が掛かっているようである。恐らく、正面入り口を開けたら閉めるようにしているのだろう。
(流石に開けてはおかないか。……ま、どうせこの低過ぎる塀を飛び越えてしまえば関係ないけどね)
シリウスは人の背程しか高さのない塀を見てせせら笑い、残り半周を歩き出した。
(人の出入りを見るんだったら正面玄関だけ見れば良さそうね。……で、シルトってのはどんな奴かしら? 聞いてなかったわ)
歩きながら通信機を取り出し、シルトについて尋ねるべくアークトゥルスに連絡を取った。
(…………。出ないわね)
着信はしているようだが、通信に出る気配がない。一旦通信を切り、今度はアンタレスの方に連絡を取った。こちらもシルトに出会っているはずである。
こちらは大して待つ事もなく繋がった。
「アンタレ――」
しかし、シリウスが話し出すよりも早く通信を切られてしまった。明らかにわざと切っている。嫌われているのは分かっているが、まさか通信を切られるとまではシリウスも思っていなかった。
癇に障ったシリウスはもう一度通信したが、電源ごと切られたようで繋がらなかった。
「……ふざけやがって、アンタレスの癖に」
通信機を仕舞いながらぼそりと悪態をつき、苛ついて眉間に皺が寄った。
その後残り半周を回ってみたが、予想通り他に出入り口はないようである。正面玄関まで戻ってきたシリウスは再び正面入り口が見える位置に身を潜めた。
(ここで張るしかないわね。……ん?)
身を潜めて張り込み開始、といった所で通信が入った。どうやらアンタレスからのようである。
「…………。」
シリウスは無言で苛つきを感じつつ通信に出た。
≪シリウスか? どうした?≫
「アンタレス、さっき何で通信を切った?」
≪こっちも都合が悪かったんだよ。全く、すげー神懸かったタイミングで通信しやがって。……で、何の用だ?≫
「……『エクソダス』のシルトって言うのは、どんな奴? 会ったんでしょう?」
≪シルト? 確かに会ったけど、それが一体……≫
「いいから答えろ」
≪……浅黒い肌に白髪が目立った奴だな。それと口髭も蓄えてたか。それなりに年食ってるようだが、がっしりした良い体格してたな。性格の方は随分と温厚な印象を受けたな。『エクソダス』の他の奴らよりは、話が分かりそうな奴だったぜ。……で、それがどうかしたのか?≫
「……分かったわ」
≪あ、おいシリウス?≫
聞くだけ聞いたシリウスは先程のお返しのつもりで一方的に通信を切った。文句を言わせる気はない。
(それなりに特徴のある奴のようね、探すのが楽そうで良かったわ。ま、余程の間抜けでもない限り出て来ないでしょうけど。……本当に面倒ね、全く。こんな無駄な事までしないといけないなんて)
今日一日は張り込むつもりであるが、高確率で無駄になる事を考えると極めて憂鬱な気分であった。
空を見上げると雨はいつの間にか上がっていたが、それでも変わらぬ曇天のように気分まで晴れる事はなかった。
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(……ん? やっと終わったか……。ああ、暇だったわ)
薄暗くなった夕方、今日の講義を終えた生徒や講師達が『ピスケス』の養成所から帰路につき始めた。
日中は警戒しなくて良いほど人の出入りがなかったので道端でうとうとしながら張り込んでいたが、ようやくまともに張り込みが行えそうである。目を擦りながら、シリウスは出入りする人達を注視した。
夕方且つ曇天で出てくる人々の細かな様子までは分からないが、聞いた限りではシルトは特徴ある人物なので問題はなさそうである。
(……! あれはまさか……!?)
しばらく張り込んでいると、養成所から浅黒い肌で白髪の男が現れた。作業服を着こんだその男は体格が良く、アンタレスの言った通り口髭も蓄えているようである。間違いなくシルトであろう。
シルトはシリウスに気付く事なく養成所を後にした。どうやら王都南部に向かっているようである。
(……ふん、どうやら本当に間抜けだったようね。戻って来てるなんて)
シリウスは馬鹿にして見下した笑みを浮かべ、シルトの後を追った。
シルトは大通りを中心に足早に南部に向かっており、人通りが少ないと言っても他者に見られずに接近するのは難しそうである。
(恐らく王都での拠点に向かってるだろうし、このまま尾行してもいいけど……何とか襲えないかしら? 少しでも潰しておきたいし)
ベテルギウスに無闇矢鱈に仕掛けてはならないと言われているのを意に介さず、シリウスは襲撃する隙を窺った。
本来の目的は調査であり、尾行を続けていた方が作戦としては正解であるが、シリウスにとってはさっさと倒してしまう方が正解であった。リリィを泳がせてあるので、そちらの動きを調べればいずれ『エクソダス』と接触もするだろうから問題ないと考えての事である。
(……ん? 裏道に逸れたわね。馬鹿な奴)
幾らか歩いたところでシルトは裏道に逸れた。シリウスはそれを見て再度にやりと馬鹿にした笑みを浮かべ、一気にシルトとの距離を詰めた。
その裏道は複雑な路地であるが南部に向かう抜け道となる場所でもあり、知っていれば南部に向かう際に大幅な時間短縮になる。シルトも普段は利用しないのだが、ある理由で急いでいたため今回は利用したのである――皮肉にもそれがシリウスにとっては好機となったのだが。
「…………。」
裏道は狭く、逃げ道はないと言っても過言ではない。上手く奇襲出来れば確実に仕留められる。そう踏んだシリウスは慎重にシルトの後を追い、襲撃の隙を窺った。
程なくして、シルトはほぼ直角に伸びた一段と狭い脇道に逸れた。正に好機である。
(……今ね!)
シリウスは静かに走り寄り、光子鋼剣を構えつつ脇道に飛び入った――と同時に、確認もせず光子鋼剣を振り抜いた。風を切る軽快な音色『のみ』が鳴り、違和感と共にシリウスの耳に届いた。
「……!?」
シルトはそこに居らず、光子鋼剣を空を切っていた。その一瞬、先程の違和感の正体に気が付いた。斬ったなら感じるはずの手応えを、何も感じなかったのである。
碌に見ていなかったとは言え、シルトの歩く速さからして確実に一刀両断の間合いだったはずである。にも関わらずいなくなっているという事は――
「……ちっ!」
――尾行は気付かれていた、という事である。シリウスはすぐさま後ろに飛び退いた。
ほぼ同時に、上空から戦槌を振り下ろしつつシルトがシリウスの目の前に着地した。振り下ろされた戦槌は地面を打って舗装用の石畳を粉々に砕き、その細片がシリウスに降りかかった。ほんの一瞬回避が遅れていたら、砕けていたのはシリウスの方だったであろう。
シルトは攻撃を外したと見るや、すぐにその場から離れて戦槌を構えつつシリウスと相対した。しかしその距離は相当に離れ、顔をしかめて冷汗にまみれている。シリウスを警戒している――と言うより、恐れている証拠である。
「ふん、気付かれていたようね。あんたがシルト?」
「……如何にも。貴女の事はよく耳にしますがお会いするのは初めてですな、シリウス殿?」
シルトは警戒して顔をしかめたまま訊ねた。シリウスは答えず光子鋼剣の切っ先をシルトに向け、蔑むような視線を送った。
「まさか、本当にここに戻って来てるとはね? アーク達に襲われたからには戻ってこないと思ってたのに、随分と呑気なものね」
「これほど早く貴女が王都に戻って来るとは思っていませんでしたからな。……しかし、これで合点がいきました。昨日からネビュラ殿と連絡が取れなくなった、とギャラク殿から聞いたのですが……貴女の仕業ですかな?」
「そうよ。ま、でも気にする事ないわ。あんたもネビュラと同じ目に合わせてやるから」
「ネビュラ殿に何をしたのか解りかねますが、恐ろしい事を仰いますな?」
「すぐに解るわ。さて、面倒だから大人しくしててもらえるかしら? そうすれば、痛い目に合わずに済むわよ?」
「……ではその前に1つ、宜しいですかな?」
「……何?」
シリウスはゆっくりと近寄りながら答え、シルトはじりじりと後ずさりながら尋ねた。
「貴女は何をしに王都に戻ってきたのですかな? 我々を排除するためですか?」
「それ、答える必要ある? だって……」
シリウスは侮蔑を込めた半笑いと共に答え、シルトに向けていた光子鋼剣の切っ先を下げ――
「……今から死ぬんだからねっ!」
一瞬でシルトとの距離を詰め、光子鋼剣で素早く薙ぎ払った。
シルトは驚愕の表情と共に、咄嗟に戦槌で防御の姿勢を取った。間一髪で薙ぎ払いを防ぎ、鍔迫り合いの形となった。
「ふーん、これに反応出来るなんて少しはやるのね? ただ作戦担当を務めてる訳ではない、か」
「むうっ……これは……!?」
シルトは光子鋼剣を弾いて鍔迫り合いから逃れ、即座に戦槌を横に振るってシリウスを攻撃した。シリウスは難なく躱したが、その隙にシルトは距離を取って逃走体勢に入った。奇襲が失敗した今、まともにシリウスの相手をする気はないのである。
「貴女の相手をしている暇はありませんので。失礼しますよ」
「……逃がすかっ!」
シルトは戦槌を仕舞い、シリウスに背を向けて逃げ出した。シリウスはすぐに追いかけたが、シルトもなかなかに健脚であり、思うように距離が詰まらない。むしろ少しずつ離されている。
複雑な路地を惑うように走っているので、このままでは見失う可能性がある。
(ちっ、面倒な! 仕方ないわね、『あれ』を使うか)
シリウスは苛つきながらも、自身に意識を集中させた。
シルトは一瞬振り返り、徐々に離れていくシリウスの姿を確認した。
(このまま逃げ切れますかな……むっ!?)
シルトは視線を戻したが、戻す直前にシリウスに異変が起きたように見えた。シリウスの姿が一瞬、ぶれて歪んだように見え、その直後に姿が消えたようにも見えたのである。
しかしシルトは一瞬で見間違いと判断し、逃走を続行した――そしてすぐに見間違いでなかったと知る事になった。
「……待てっ!」
「ぬおっ!?」
離れていたはずシリウスが何故かシルトの真後ろまで距離を詰めており、その腕を掴んで捻り仰向けにシルトを引き倒した。シリウスはすぐにシルトの胴体に馬乗りになって身動きを封じた。
「なんと!? これは一体!?」
「死ねっ!」
シルトが驚愕している間にシリウスは光子鋼剣を首筋目掛けて突き立てた。
シルトは咄嗟の判断で迫り来る刀身を横から弾き、僅かにその軌道を逸らした。光子鋼剣は首筋を掠めて地面に突き刺さり、滲む血が首筋を伝った。そしてシリウスが光子鋼剣を引き抜くよりも早く、シルトは光子鋼剣を持つ方の腕を両手で取り押さえた。その力は相当に強く、シリウスは振りほどく事ができなかった。シリウスは顔をしかめ、シルトを睨んだ。
「ちっ……離せ!」
「あの一瞬で詰め寄るとは……一体何をしたのですか? 魔法の類ではないようですが……。」
「教える必要はないわね。どうせ殺すんだし」
「いえいえ、そう簡単には、やらせませんよっ!」
「何を……うあっ!?」
シルトは取り押さえた腕を思い切り横に移動させ、シリウスの体勢を僅かに崩した。その瞬間、シルトは一気に上半身を起こして腕ごと体当たりを仕掛けた。
「ぐうっ……!?」
「今です! お覚悟を!」
シリウスは後ろに大きくバランスを崩し、光子鋼剣はシリウスの手を離れて金属音と共に地面に転がった。それに合わせてシルトは一気に起き上がって馬乗りになっていたシリウスを跳ね飛ばした。そのまま流れるように戦槌を構えて飛び込み、シリウス目掛けて振り下ろした。
バランスを崩したまま跳ね飛ばされたシリウスは受け身を取れず、そのまま仰向けに倒れた。痛みに耐えてシルトの方を見たシリウスは、眼前にシルトの戦槌が迫っているのを認識した。
もはや躱しようがなく、確実に当たる。シリウスを仕留めた――シルトはそう思っていた。シリウスはやられるとは全く思っていなかった。
「……!?」
戦槌がまさにシリウスの頭部を叩き潰そうとした瞬間、シルトはまたしてもシリウスの姿がぶれて歪んだのを認識した――そして背後、直後に身体の前面から強烈な衝撃を感じ、今度はシルトの視界全てが歪んで暗くなった。
(何……が…起き……?)
視界の歪みと共に意識も混濁し、視界が暗くなると共に意識も闇に落ちて行った。
「…………。」
そんなシルトをシリウスは踏み付け、見下ろしていた。
シルトは地面にうつ伏せに倒れており、その手を離れた戦槌の傍らで気を失っていた。地面の石畳にひびが入る程、強烈に叩きつけられたようである。意識を失うのも無理はない。
シリウスは戦槌がまさに直撃しようかと言う一瞬で、飛び込んできたシルトの背後に回り込み、その勢いを利用して地面に叩きつけたのである。時間にして半秒もない、本当にごく一瞬の出来事である。
(……私に『この力』を使わせるなんて、こいつ、相当な実力者のようね。恐らく『エクソダス』の中でも上位……ギャラクに次いで、と言った所かしら?)
シリウスは足蹴にしたシルトから離れ光子鋼剣を拾った。
(こんな奴をただの作戦担当に留めておくなんてね……。後で油断でもさせるつもりだったのかしら? まあ何にせよ……)
「……後の禍根は、ここで絶っておかないとね」
シリウスは再度気を失ったシルトを足蹴にし、光子鋼剣をその首筋に宛てがった。そして大きく腕を振り上げ、光子鋼剣を降り下ろし――
「…………。」
――まさに首を切り裂かんとする直前で刀身を止めた。ふと思い出したかのように、ある考えに至ったのである。
シリウスは光子鋼剣を持ったまま空いた手で通信機を取り出して操作した。通信はすぐに繋がった。
「……ベテル」
≪……シリウスですか。はぁ……今度は何ですか?≫
通信の相手――ベテルギウスは問題続きの現状に心底うんざりしているのを隠さず、はっきりと溜息を吐いて答えた。
シリウスはネビュラと同様、シルトも人質として利用できるかもしれないと考えたのである。
「今、『エクソダス』のシルトって言う奴が気を失ってるんだけど……どうする?」
≪シルト……シルト!? まさか、アーク達が『ピスケス』の養成所で出会ったと言う?≫
「他に誰がいるのよ?」
≪いえ……一体何があったのですか?≫
「その養成所からシルトが出てきたから、少し遊んでやっただけよ。全く馬鹿な奴ね、一度襲われた場所にのこのこ戻って来てるなんて」
≪遊んだ、って……何をしているのですか、あなたは? 尾行でもして『エクソダス』の動向を調査した方が良かったのではないですか?≫
「大丈夫よ、他に調査の当てはあるから。で、どうするのよ?」
≪どうする、と言うのは……≫
「こいつは転送した方が良いのか、それとも殺して良いのか、って事よ。転送する前に一言言え、って言ったのはベテルでしょう?」
≪あ、ああ、そういう事ですか。気を失っているのですよね? でしたら転送してください。ネビュラと一緒に捕らえておきましょう≫
「分かったわ。こいつにもしっかり拷問して情報吐かせといて」
≪尋問はしますが、拷問はしません。情報は期待しないでください≫
「甘過ぎるわね。……ああ、それとこいつ、相当な実力者のようね。少しだけとは言え、私に本気出させたわ」
≪あなたが本気を出したのですか? ……それ程の実力者を隠し持っていたのですか、『エクソダス』は≫
「無意味だったけどね。結局私には勝てなかったようだし」
≪……本当、あなたが敵でなくて良かったと思いますわ。とにかく、シルトはこちらに転送してください≫
「今から転送するわ」
シリウスは通信機を持ったまま光子鋼剣を仕舞い、転送装置を取り出して片手で操作した。
≪……それとシリウス≫
「何?」
シリウスはシルトに転送装置を近づけて起動した。シルトは青白い光子となって霧散した。
≪あなたはこの2日間で立て続けに2人の『エクソダス』を相手にしています。それなりに身体に負担がかかったはずです。このまま調査は続けて欲しいのですが……本当に『大丈夫』ですか?≫
「……『大丈夫』よ。問題ないわ」
≪今のところは、でしょう?≫
「……そうね」
≪決して無理しないようにしてください。少しでも異変を感じたら、調査は中断して構いませんからすぐに帰還するように。……『手遅れ』になっては困りますから≫
「分かってるわ。じゃ、後は頼んだわよ」
シリウスは少々虚ろに返事をして通信を切った。
その時、シリウス1人になった薄暗い路地に赤い光が射した。厚い雲は裂け始めており、裂け目から夕焼けの太陽が顔を出していた。
「……やっと晴れてきたわね」
地平線に沈む紅い太陽を目にして、シリウスはくすりと笑みを浮かべた。
(……太陽は嫌いじゃないわ)
愛おしそうにしばらく太陽を見つめた後、シリウスは王都南部の方へ向けて歩き出した。




