41. 4月24日:イルミナイト王都(その2)
シリウスが王都北部に到着する頃には既に日は暮れ、仄暗い月光が王都を照らしていた。
シリウスは以前リリィと交戦した場所の近辺に潜み、リリィの出現を窺っていた。アイリスから奪ったメモ書きの情報はリリィの住所を示したものだったと思い出し、下手に探し回るよりはここで張った方が良いとの判断である。
王都北部は農水ギルド『アリエス』と商業ギルド『リブラ』の本部が存在し、その恩恵を十分に受けて活気のある商店街が至る所に存在する地域である。立地の多くは商業店舗で占められているため住居は場所を取らない集合住宅の形態を取るものが多く、現在シリウスが潜んでいる場所も同様である。しかし、それは張り込む上では好都合であった。数少ない集合住宅にだけ気を張れば良いので、見落としをせずに済む。
(……! 来たわね)
暫くすると街道を歩く見覚えのある人影を発見した。間違いなくリリィである。
街道は商店街から外れてはいるものの、近場のためか通行人は多めである。それでも上品な雰囲気が周囲から浮いており、実に判断しやすい。
(随分疲れているようね……。大方巡回が忙しいんでしょうね。ご苦労な事で)
リリィの重い足取りと余裕のない表情から察するに、かなり疲労が溜まっているようである。事実『キャンサー』の暴動警戒に人手が足りず、リリィは昨日今日と休む間もなく巡回を続けていた。幸いトラニオン・リッジとサン・ダーティから応援が来たので交代できたのだが、もし来なかったら今も巡回を続けていたところである。
リリィはシリウスに気付く事なく集合住宅外壁の階段を登り始めた。シリウスは物陰から集合住宅の中庭に移動し、各部屋の入口が見える木陰に身を隠してそこを覗き込んだ。間もなくリリィが3階に現れ、階段から離れた一室の鍵を開けた。リリィはその部屋の中に消えた。
「……あの部屋がリリィの住処ね」
シリウスは気配を消し、周囲を警戒しながらリリィの部屋に近付いた。今の所、『エクソダス』と接触しているような形跡はない。
玄関扉の前まで来たシリウスは音を立てないように扉に接し、中から聞こえる音に集中して耳を傾けた。聞こえてくるのは何かを片付けているような音だけであり、手掛かりになりそうにない。感じる気配もリリィ1人だけのものであり、他に誰かいる気配はない。
(……流石に中にいるのはリリィだけか。まあ住処は分かったし、一旦出直して……ん?)
後日尾行し直そうとした矢先、中から話し声が微かに聞こえ始めた。独り言にしては長く、明らかに誰かと語っている口調である。しかし中から感じる気配はリリィ1人だけである。
(……電話かしら? まだ一般市民が持つには高級品……ああ、そう言えば貴族出身だったわね。持っててもおかしくないか)
恐らく電話越しに誰かと話していると踏んだシリウスは一層集中して聞き耳を立てた。
「…………さん、なぜ私が…………の娘だと…………。 …………歓迎はされないと…………。 …………宛ての密書なら…………。 …………私ではなく…………頼むべき…………。」
(……良く聞こえないわね。密書、とか言ってるわね。何の話かしら?)
「…………仕方ありません…………。場所は…………。…………そうですか。では…………さんが迎えに…………。」
(ちっ、重要な所が聞き取れなかったわね)
シリウスは集中したまま、微かに顔をしかめた。まだ会話は続いているようなのでシリウスは引き続き聞き耳を立てた。
「…………。その密書は…………。…………不適切であれば…………。」
(……また密書……。こいつ、密書とやらで何かをしようとしている……?)
「…………分かりました。では…………。…………二度と私を…………と呼ばないで…………。」
(……最後、明らかに不機嫌だったわね。終わりか)
リリィが何かを不機嫌に呟いた後、中から聞こえる声は途絶えた。僅かな静寂の後、中からは再び片付けているような音が響き始めた。
(これだけじゃ『エクソダス』との繋がりは分からないわね……。もう少し泳がせた方が良さそうね)
シリウスは慎重に扉の前から離れた。
(しばらく尾行してればまた『エクソダス』と接触するだろうし、その時に奴らの動きも調査できそうね……。)
今後の計画を考えながら、目下の中庭を一瞥した。中庭は特に何かある訳でもなく、ただ植木や芝生、長椅子等があって憩いの場として利用される程度のものと思われる。
そんな中庭から氷の槍がシリウス目掛けて飛来していた。
「…………。」
シリウスは一瞬、状況を理解できなかった。飛んできているこの氷槍は――
「……! くっ!?」
一瞬の間の後、シリウスは状況を理解して咄嗟に後方に飛び退いた。それでも回避が遅れ、氷槍はシリウスの胸元を掠めた。掠めた胸元から血が滲み、氷槍は壁にぶつかって砕け散った。
シリウスは飛び散る破片を腕で防ぎながら、素早く中庭を見下ろした。中庭の木陰――丁度シリウスが隠れていた辺り、そこに人影が見えた。暗くて輪郭程度しか分からないが、間違いなくこの氷槍を放った人物である――何故なら、その人物の方角から大量の氷槍がシリウス目掛けて飛来していたからである。
「ちっ、ネビュラか!」
シリウスは光子鋼剣を構え階段の方へ走り出した。大量の氷槍は多少の追尾機能があるようで、逃げるシリウスに向けて軌道を変えて襲い掛かった。
(逃げ切れないか……! くそっ!)
シリウスは氷槍が着弾する直前、急停止して後方に飛び退いた。一部の氷槍はその動きに対応できず、シリウスを通り過ぎて壁にぶつかり、ガラスを砕いたような大音響を響かせて砕け散った。破片の雨が降り注ぐ中、シリウスは回避しきれない氷槍を光子鋼剣で砕きつつ逆方向に走り出した。
残りの氷槍は再び軌道を変えるも対応しきれず、走るシリウスの後ろを通り抜けてしまった。動きに付いてきた氷槍は光子鋼剣で防ぎ、シリウスがリリィの部屋の近くまで戻った頃には無事全ての氷槍の回避・破壊に成功した。通路に響いたガラスを砕いたような大音響は鳴りを静め、足元は大量の氷片で埋め尽くされた。
「な……! 全て回避された!? 馬鹿な!?」
氷槍を回避しきったシリウスは中庭からの声を聞き、再び中庭を覗き込んだ。先程の人影は木陰から姿を現して月光が当たる一位置に出ており、驚愕の表情を見せてシリウスを見上げていた。
その人物はシリウスの予想通り、ネビュラであった。シリウスはネビュラを見下し、くすりと蔑み笑った。
「残念だったわね、ネビュラ。狙いが外れて」
「く……シリウス……!」
ネビュラは悔しそうに歯噛みし、シリウスの蔑みの視線を受ける他なかった。
「何事ですか! ……これは!?」
「ん?」
突然の大音響に驚いたのか、リリィが部屋から飛び出してきた。リリィは絨毯のように敷き詰められた氷片を目にして困惑し、続けて欄干から中庭を見下ろすシリウスを発見して目の色を変えた。
「シリウス!? 何故ここに!? 何をしているのですか!?」
「…………。」
リリィは剣を構え、警戒しつつシリウスに詰め寄った。シリウスは無言のまま面倒臭そうにリリィを一瞥し、すぐにネビュラに視線を戻した。ネビュラもリリィに気付いたようで、焦ったような表情を浮かべている。
「答えなさい! さもなければ……」
「さもなければ斬る、とでも? 出来もしないのに?」
リリィの発言を遮るように、シリウスが目線を合わせず答えた。挑発されて冷静さを欠いたリリィは苛つき、歯を食いしばって剣を持つ手に力を入れた。
「くっ……! シリウス、覚悟!」
「……いけません! 危険です!」
ネビュラが制止するも既に遅く、リリィはシリウスに斬りかかった。
シリウスは挑発に乗るなんて愚か、と言わんばかりに冷笑を浮かべ、リリィの斬撃を避けた。リリィも当たるとは思っていなかったようで、すぐに避けた方向に剣を振るい直したが、既にシリウスはそこに居らずリリィの背後に回り込んでいた。
「……!」
リリィは咄嗟に前方に飛び、後方からの斬撃を躱した――つもりだった。リリィが振り返ると、そこには特に何もせず佇むシリウスがいた。持っていたはずの光子鋼剣もいつの間にか仕舞っている。
「何故攻撃しないのです!? 私を馬鹿にしているのですか!?」
「半分正解。残念だけど、あんたを殺さないように言われてるのよね」
シリウスは答えつつ、横目でネビュラを見た。ネビュラは何か呟いているようである。間違いなく何らかの魔法を詠唱している。
リリィもシリウスの視線を追ってその先にいるネビュラに気が付いた。先程の制止の声から近くにいた事は理解していたが、何処にいるのかは理解していなかったのである。
「……そうですか。では馬鹿にした事を後悔しなさい!」
リリィは再びシリウスに斬りかかった。今度はネビュラの魔法による補助も期待できる。実際にネビュラもリリィを制止するのは難しいと判断し、支援攻撃を行うつもりであった。
シリウスは斬撃を高く飛んで躱しつつ光子鋼剣を出現させ、そのまま欄干を超えて通路から飛び降りた。さらに落下する途中で壁面を強く蹴り、ネビュラ目掛けて飛びかかった。
リリィはシリウスの思わぬ行動に驚き、欄干から中庭を見下ろした。追いかけようにも、常人のリリィでは飛び降りて追う事は不可能である。
「……くっ!」
詠唱に集中していたネビュラは飛びかかるシリウスに対応するのが遅れてしまった。
ネビュラは咄嗟に詠唱を中断し、その場を飛び退いた。そしてほぼ同時にシリウスが光子鋼剣を振るいながらそこに着地した。ほんの一瞬対応が遅れていたら一刀両断されていたところである。ネビュラは背筋に悪寒を感じ、冷汗を流して表情を歪めた。
シリウスは着地後、素早くネビュラに詰め寄り剣の切っ先を喉元に突きつけた。ネビュラには逃げる間もななかった。
「この間合いじゃあ、もう魔法は使えないわよ?」
「…………。」
シリウスはネビュラの喉元に剣の切っ先を向けたまま、余裕の笑みを浮かべて挑発した。一方のネビュラは追い詰められ、冷汗を流して表情を歪めたままである。
最早逃げようとしても、動いた瞬間斬り捨てられる間合いである。転送装置を使う時間すら取れない――それどころか、怪しい動きを見せればその瞬間終わりであろう。完全に詰みの状態である。
「さて、あんた達『エクソダス』には聞きたい事が山ほどあるのよ。答えてもらおうかしら?」
「……断る、と言ったら?」
シリウスは鼻で笑い、その場で剣を真横に振るって横に生えていた木を切りつけた。木は割れるような鈍い音を発し、その幹に深い傷痕が残った。傷痕からは粘つく樹液が滲み出た。
ネビュラは思わず恐れに引きつった笑みを浮かべた。質問の回答としては全く予想通りである。寧ろこれ以外の結果が思い浮かばない。
「まず1つ目。あんた達は王都で何をしている?」
「……あなた達と決着をつけるための準備ですよ」
「その準備は徒労に終わるわよ。負けるのはあんた達なんだから。……2つ目、汚染者の暗示を解除したのはあんた達かしら?」
「……そのような事、知りませんね。少なくとも私はその件に関わっていません」
「ふん、都合のいい事ね」
ネビュラが嘘を言っている可能性もあるが、シリウスは特に問いただす事もなく淡々と話を進めた。どうせまた『エクソダス』を尾行して真実を調査するつもりだったので、嘘を言われようが構わない。参考程度になれば良い。
「3つ目。あんた達は何時からあいつと協力関係にあった?」
シリウスは後ろの集合住宅3階に目線を移した。そこにいたはずのリリィは既にいなかった。ネビュラから目を離したシリウスだが隙はなく、ネビュラも脱出はできそうになかった。
「……リリィさんとは会って1週間程度ですが、協力して頂けるようになったのは3日前からですよ」
シリウスはにやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。ネビュラの回答は、まさに狙い通りの回答である。
「ん? どうしてリリィの名が出るのかしら? 私は別にあいつとしか言ってないけど?」
「……! 鎌を掛けられましたか……。迂闊でした」
「これで裏は取れたわ。やっぱりリリィはあんた達『エクソダス』と繋がってたのね。……大方、私達『ステラハート』には私の情報を求めて接触した、といった所かしら?」
「それは私の知る所ではありませんね」
「ま、あいつの狙いなんてどうでもいいけど。……4つ目、あんた達の王都での拠点は何処にある?」
「……それは……。」
ネビュラは冷汗を流して黙り込んだ。今までは答えても差し支えない質問だったので時間稼ぎも兼ねて答えたが、これは流石に答えるわけには行かない。仲間を危険に曝してしまう。
「……ふん、答えられないようね」
「答えたところで、どうせ私を逃がす気はないのでしょう? ……ならば答えられませんね」
「分かってるじゃない。じゃあ最後、5つ目。……どんな風に殺されたい?」
シリウスは一際冷酷に言い放った。ネビュラは背筋が凍りそうな程の悪寒を感じ、その視線はシリウスに釘付けになった。しかし、あえてシリウスを挑発するように笑みを浮かべた――シリウスの背後に忍び寄ったリリィに、彼女が気付かないように。
「ふ、ふふ……。それを考えるべきなのはあなたの方では? リリィに仇討ちされる前に遺言でも残しておいたらどうです?」
「その必要はないわね。だって……」
シリウスは回答の代わりに、一瞬でネビュラの背後に回り込んで彼女を羽交い絞めにした――同時に、シリウスがいた位置に忍び寄ったリリィの剣が振り下ろされた。直前で躱された形である。
ネビュラは苦悶の表情を浮かべ、リリィは剣を構えたまま驚愕と悔しさの入り混じった表情を見せた。
「う、ぐぅっ……!」
「……私が気付かれないように忍び寄るのも出来ないようじゃ、どう足掻いても私に勝てないわよ」
「くっ、気付かれていましたか……!」
「さて、どうするのリリィ? 私を倒せると思ってるのでしょう?」
シリウスはネビュラを盾にしてリリィを挑発しつつ、ネビュラを片手で締め直した。空いた手で自身の髪を束ねたスカーフを解き、それを轡にしてネビュラの口元を覆った。これで魔法の詠唱は行えない。
「卑怯な……! ネビュラさんを離しなさい!」
(リリィさん……! 私ごとで構いません、シリウスに攻撃を……!)
ネビュラは何とか目線で訴えるも、リリィは攻撃を躊躇している。その間にシリウスはネビュラの外套の一部を破り取り、それでネビュラの両手を拘束した。拘束し終わるとネビュラをうつ伏せに倒し、足で踏み付けて動きを封じた。
「これであんたに集中できるわね。……あーあ、残念ねリリィ。離せだなんて甘い事言ってないで、ネビュラごと刺し貫けば私を倒すことができたのに」
「……私はあなたとは違います。寧ろ追い詰められたのはあなたの方です。ネビュラさんを拘束したまま、私の攻撃を躱しきれますか?」
「余裕ね。やってみれば?」
シリウスはネビュラを踏み付けて拘束しているため、その場から動くことができない。リリィの攻撃を躱すのは困難と思われた。
当のネビュラは観念したような表情を浮かべており、リリィがどう動いても、自分がどうなろうと構わない覚悟でいた。
「……すぐに後悔しますよ!」
リリィは動けないシリウスに斬りかかった。シリウスは余裕の笑みを浮かべ、剣で難なく攻撃を受け止めて弾き返した。
リリィは続けて何度も斬りかかるも、シリウスは本当に全て、その場から動かず受け止めた。考え得る限りの攻め手を試すも、全て受け止められて無駄な努力に終わった。シリウスの表情を崩す事すら叶わない。
「幾らやっても無駄よ、あんた程度じゃあね」
「く……! まだです!」
「全く、諦めが悪いわね。……ま、あんたの相手も飽きてきたし、終わりにしましょうか」
リリィは諦めずにシリウスに斬りかかった。シリウスは一際強く剣を弾き、リリィは僅かに体勢を崩した。その瞬間、シリウスは掌底でリリィを強く突き飛ばして距離を取った。突き飛ばされたリリィは難なく受け身を取り、再度斬りかかろうとしたがシリウスは既に別の行動を取っていた。
シリウスはネビュラの外套を素早く破り取り、その両足を拘束した。これでネビュラは両手両足を封じられ魔法も使えない、完全な無抵抗状態となった。それはシリウスが完全に自由に動ける事も意味する。
「さてネビュラ、今ここであんたに死んでもらっても良いけど気が変わったわ」
「あれは……させません!」
(リリィさん、もうこれ以上は……! 逃げてください!)
シリウスはネビュラに語りかけながら光子鋼剣を仕舞って転送装置を取り出し、それを片手で操作した。リリィはその隙に攻撃するも、シリウスはもう片方の手でリリィの剣を白刃取りにして攻撃を防いだ。
以前対峙した時も行われた事であるが、リリィは今一度驚愕する事になった。このような事は常人では到底考えられない事態である。
「な……!?」
「……この程度で驚くなんてね」
シリウスは呆れと軽蔑を含めて言い放つと、操作していた転送装置を起動した。するとすぐにネビュラが青白い光子となって霧散した。
「ネビュラさん!?」
「ふふ、予想もしない収穫が得られたわ、ねっ!」
「……!?」
シリウスは掴んだ剣を捻り、リリィの手から剣を奪い取った。続けて流れるようにリリィに足払いを仕掛け、倒れたリリィの眼前にその剣の切っ先を突きつけた。
「く……シリウス、ネビュラさんをどうしたのですか!?」
「さあ? どうするかはベテル次第ね。……さて、今度はあんたに聞きたい事があるわ。答えてもらおうかしら?」
「……断ります! 答える事など……!」
「ま、私もあんたを殺すのは禁じられてるからね、答えなくても安心よね。……あんたは私の情報を求めて『ステラハート』に接触した。間違いないわね?」
「……それが何だと言うのですか?」
「私達の情報を『エクソダス』に流したのもあんた、という事ね?」
「……それが何だと言うのですか!? あなたのような人物を擁護するなど、信用なりません!」
「やっぱりそうなのね。……はぁ、あんたのせいで私達の作戦は台無しよ。いずれ報いは受けてもらわないとね?」
シリウスはリリィの前から離れて距離を取り、リリィに剣を投げ返した。リリィはまたしても馬鹿にされたと感じ、憤ったがすぐに攻め立てる事はしなかった。いつでも攻められるように剣を構え直し、シリウスを警戒した。
「報いを受けるべきなのはあなたの方ですよ! 私の両親だけではありません、今までにどれだけの人を殺してきたと思っているのですか!?」
「それが何だって言うのよ? 今ここであんたが私に報いを与えるとでも?」
「くっ……!」
シリウスは淡々と答えた。リリィもここまでやられては、流石に実力差を痛感せずにはいられない。到底報いを与えられる相手ではない――少なくとも、今の実力のままでは。
「ふん……。私もいずれ報いは受けるでしょうね。今まで好き勝手やってきた分、惨たらしい報いをね」
「……!?」
リリィはシリウスの思いも寄らない発言に思わず、困惑の表情を見せた。
「けれど、報いを受けるのは今じゃないし、与えるのはあんたじゃない。ただそれだけの事よ。それはあんたも同じ――報いを受けるのは今じゃないし、与えるのは私じゃない」
「……私は、報いを受けるような事はしていません」
「だから報いを受けるその日まで、私は好き勝手やらせてもらう。あんたもそうすれば?」
「あなたのその『好き勝手』でどれだけの犠牲が出ると思っているのですか!?」
「……想像もつかないわ」
シリウスはリリィに背を向け、その場を立ち去ろうとした。リリィは思わず斬りかかろうとした――が、踏み留まった。今ここで1人で立ち向かっても、悔しい事だが敵わない。
「シリウス、覚悟しておきなさい……。いずれ、私があなたに報いを……。」
「……それがあんたの『好き勝手』ね」
シリウスは背を向けたまま呟くように言うと。リリィの前から去って行った。
残されたリリィは立ち尽し、悔しさに剣を握り締め、歯を食いしばって涙を流した――シリウスを止められず、ネビュラも守れず、ただただ自分の無力を感じていた。
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王都北部を離れたシリウスはまだ調査していない西部を目指した。
リリィと『エクソダス』の繋がりは把握したものの、『エクソダス』が何を狙っているのかは把握できていないので調査は続ける必要がある。ネビュラは『ステラハート』との決着をつけるためと言っていたが、ただの方便だろう。例え真実だとしても結局調査は免れない。
ある程度北部から離れた辺りでシリウスは一旦物陰に隠れ、通信機を取り出した。リリィには気付かれなかったが、何度も着信が入っていたのである。何故なのか、誰からなのかは確認せずとも分かっていた。
「……待たせたわね、ベテル」
≪シリウス、一体どういう事ですか!? 何故ネビュラがここにいるのです!? 捕らえたのですか!?≫
「そうよ。殺しても良かったけど、人質くらいにはなるかと思ってね。それに動きは封じてあるはずよ、問題ないでしょう?」
≪それはそうですが、せめて一言言ってから転送してください! 心臓が飛び出るかと思いましたよ、突然ネビュラがこちらに現れるものですから≫
「仕方ないでしょ、こっちも色々あったのよ」
通信の相手、ベテルギウスはシリウスが捕らえて転送したネビュラに驚いているようである。動きは封じてあったので問題ないものの、文句を言いたくなるのは当然である。
≪色々って、その程度で済む事態ではありませんよ、これは!? 一体何があったのか説明しなさい!≫
「はいはい、分かってるわよ。その前に、ネビュラは今どうしてる?」
≪ネビュラですか? とりあえず拘束したままにしています――今、目の前で監視しながら話していますよ≫
「そう。これから尋問――いえ、拷問でもするのかしら?」
≪今はそれどころではありません。まさかこのまま監視し続ける訳にもいきませんし、まずはプロキオンに来てもらって、魔法で空き部屋を魔術師用簡易牢獄にしてもらおうと思います。普通に閉じ込めただけでは、魔法でどうにでもなってしまうでしょうし≫
「ふーん……面倒ね。拘束したまま放り込んどけばいいのに」
≪それでは尋問できないでしょう?≫
「拷問の間違いじゃないの?」
≪あなたとは違って、私はそんな悪趣味な事しません。……全く、面倒な事を増やしてくれましたわね、シリウス? せめてもの救いは嬉しい誤算だった事ですね。ネビュラを捕らえられた事は、今後の活動において有利に働くでしょう≫
「私にとっては大差ないけどね」
≪あなた個人はそうかもしれませんけど、私達にとっては大差あるのですよ。……で、何があったのです?≫
話しているうちに落ち着きを取り戻したベテルギウスは改めてシリウスに事の顛末を聞いた。ベテルギウスの眼前にいるネビュラは拘束されて倒れたままであるが落ち着いた様子であり、周囲の状況をよく確認して少しでも情報を得ようとしているのが目線の動きから判断できる。
「少し前にリリィと会った場所に行ってみたんだけど、そこの近くにあいつの住拠があったのよ。で、少し様子を探ったんだけどその時にそこにいるそいつ――ネビュラが現れたわけ。恐らくリリィとの連絡役をやってたんでしょうね」
≪ではやはりリリィと『エクソダス』は繋がっていたのですか?≫
「ええ、そのようね。私達に接触したのは予想通り、私の情報を得るためだったわ――どうして『エクソダス』と繋がりを持つ気なったのかは知らないけどね。それはベテルの目の前にいるそいつに聞いて。間違いなく、そいつが誘った奴だろうから」
≪……分かりました。ではもう一つ、『エクソダス』の動きは把握できましたか?≫
「それはまだね。引き続き調査するわ。そっちでもそれ含めて色々尋問しといて」
≪あまり期待はしないでください。簡単に話すとは思えませんから≫
「自白剤でも使えば?」
≪……あなたはよくそんな下衆な事ばかり思いつきますわね?≫
「褒め言葉として受け取っておくわ。……じゃ、今日の調査は終わりにするから、後は宜しく頼むわね」
呆れ気味に話すベテルギウスを尻目にシリウスは一方的に通信を切った。そして緊張感なく眠そうに欠伸をすると、物陰から街道に出て街中に消えて行った。




