39. 4月24日:ディム・ヌーン(その4)
(……時間が空くわね。アンタレスは起きてるかしら?)
自分の宿泊部屋に荷物を置いて一息ついたアイリスだが、リゲルやクラッド達が戻ってくるにはまだ時間が掛かるだろう。多少の打ち合わせも行う可能性もあり、深夜頃になってもおかしくない。1人で待っていても手持無沙汰になるので、アイリスはアンタレスの様子を見るべく部屋を出た。橙色の明かりに照らされた廊下は静かである。
アンタレスの宿泊部屋の前で扉をノックし、反応を待った。
「アイリスか? 空いてるから入っていいぞ」
「失礼するわ」
アイリスは扉を開けて部屋の中に入った。部屋は常夜灯のみが点けられて薄暗く、2つあるベッドの片方にアンタレスが仰向けになって寝転んでいた。
「どうした? 暇か?」
「そうね。あなたとよく話した事ないと思って」
アイリスはもう片方のベッドに腰掛けてアンタレスの方に体を向けた。
「そうか? あー、まあ今のアイリスとは確かによく話した事ないか。昔のアイリス――今のカノープスとは付き合って長いけどな。……もう12年になるな、カノープスと初めて会ってから」
「12年……。カノープスがまだこの体だった頃から知り合いだったのね。……じゃあ、なぜ私が『肉体』と『精神』に分かれたのかも知ってるの?」
「ああ、知ってるぜ」
アンタレスは腕で勢いをつけて起き上がり、胡坐をかいてアイリスの方へ向き直った。
「何せ、俺がやったんだからな」
「え……あなたが?」
「ああ。俺が記憶水晶を使って『肉体』から『精神』を回収したんだ。本人に頼まれてな」
「彼女自身が望んだ事なの? カノープスはどうしてそんな事を?」
「理由か? んー……言っていいのか、これ?」
アンタレスは顎に手を当てて考え込んだ。しかし碌に考えないままアンタレスは言葉を発した。
「ま、いっか。カノープスも別に怒りはしないだろ。……ただ、あんたにとっては気分の良い話じゃないと思うぜ。それでもいいか?」
「……構わないわ」
「そうか、じゃあ教えるぜ。単純に言えば、カノープスが『ステラハート』に加わるためだな。あんたには悪いが、その肉体のままじゃ『ステラハート』として活動するには身体能力的に無理があった。だから新たに強化された肉体を用意して『精神』を移し替えた――記憶水晶を使ってな」
「……つまり、カノープスは『ステラハート』に加わるために『本来の肉体』を捨てた、という事ね」
「悪い言い方をすればな。誰でも捨てられたと言われて、良い気分はしないだろ?」
「……私は6年前、気が付いたらラスタ・ベクタ外れの廃屋にいたわ――何も覚えていない状態で。それも『肉体』が不要になったからあなたが捨てた、という事?」
アイリスは努めて冷静に、落ち着いて受け答えをしているが、言葉の端々に暗い感情がこもっているのをアンタレスは感じ取った。やはり不快な話である事は間違いないようだ。
「んー、少し違うかな? 『精神』は『肉体』をどうするかまでは言わなかった。だから俺もどうすべきか迷ってな、とりあえず後で回収しようと思って、記憶水晶に封じた『精神』をベテルに届けるまで『肉体』を隠しておくつもりだった。……で、いざ回収に戻ってきたら『肉体』はいなくなってた。結果的には捨てた、という事になっちまったけど、少なくとも俺は要らないと思った事はないぜ。……ただ、後で聞いてみたらカノープスは『肉体』は捨てても構わなかった、残しておいたら未練も残る、と言ってたぜ。冷たいようだが、それだけ覚悟を持って『ステラハート』に加わったんだろうな」
「カノープスはそこまでして『ステラハート』に……。一体どうして? 協力者という形でも良かったんじゃないの?」
「言う通り以前は協力者っつう形だったんだが、何を思ったか突然『ステラハート』に加わりたいと言い出したんだ。理由を聞いてもただ力になりたいと思っただけ、としか答えねぇ。具体的な理由は今でも分からないままだ」
「力になりたい、ね……。カノープスはそんな事を……。」
アイリスは憂鬱な表情でアンタレスを見つめた。見つめたが、思考の中心にアンタレスはいない。
(……私と同じ理由ね。なのに、まるで覚悟の大きさが違う……。私の覚悟は揺らいでるというのに……。)
「……それにしても、あんたは誰なんだろうな?」
「……え?」
ぼんやりと考えていたアイリスはアンタレスの呼びかけに反応が遅れた。アンタレスは胡坐を解き、アイリスと向かい合うようにベッドの縁に腰かけた。
「カノープスも言ってたけどよ、あんたは本来精神を失った肉体だけの存在だ。なのに今は精神を持って生きてる。一体『精神』は何処から来たのか? 自然に生まれたのか、カノープスの精神の残滓なのか、実はカノープスは多重人格者であんたは別人格なのか……。」
「それは私が知りたいわね。……けど、今はいいわ。私の正体を探る手掛かりは何もないし、考えても仕方ないもの。今はそれより先にやる事があるでしょう?」
アイリスは溜息がちに答えた。
「んー、まあそうだな。結構気にしてるかと思ったんだけど、そうでもないのか?」
「ええ、少し前なら気にしてたかもしれないけどね。でも今は違うわ。私の正体を――過去を知るのは全てが終わってからでいい」
「へえ……。結構ちゃんと考えてるじゃん?」
「ふふっ、そんな事ないわよ。だって、リゲルの考え方の受け売りだもの。彼女と同じ考え方をするようにしただけ」
「ふーん……。あいつ、そんな風に考えてたのか。俺は逆にすっげー過去が気になるんだけどな」
「リゲルだって後回しにしてるだけで気になるって言ったてわよ。……あなたもリゲルと同じで、記憶がないの? 彼女は残留思念からの復元だと記憶を忘れてしまう事が多い、と言っていたけど?」
「ん? 俺等の正体……もう聞いてるのか?」
「ええ。あなた達は過去に存在した人の残留思念を回収し、肉体を与えられた存在と聞いたわ。残留思念からの復元だと記憶を失ってしまう事が多い、という事もね」
「ああ、そうだ。もう聞いてるなら驚かねーか。俺達は言うなれば、昔死んだ人間の複製って所だな。んで、言う通り俺もほとんど何も覚えてねえ。名前も覚えてねーから調べられもしない。覚えてるのは……えーと……。」
アンタレスはこめかみに指を当ててうつむき、目を瞑って考え込んだ。やはりすぐには思い出せない程、記憶が残っていないらしい。
「ぼんやりとしか思い出せねーが……多分、俺はサルバシオン自治区出身だな。高層建築と放雷針がやたらあった気がするんだよな……。それと……うーん、なんか子供が大勢いる場所にいたような……? 後は……。」
アンタレスは同じ体勢のまま顔をしかめた。
「……悲鳴……か? 悲鳴が聞こえる、な……。」
「悲鳴……? 一体何を……。」
アイリスは顔をしかめるアンタレスを心配そうに見つめた。
アンタレスは明らかに辛い過去を思い出そうとしている。そうでなければ悲鳴などと言う言葉は出てこない。
「……んー、駄目だ、思い出せねぇ。何の悲鳴だ、これ?」
「無理しないで。きっと辛い過去よ。わざわざ思い出す事なんてないわ」
「だろうなぁ。あー、でもモヤモヤする。すっきりしねー……。」
アンタレスは考えるのを止めて後ろに身を投げ出した。思い出せない事にわだかまりを感じているようだが、アイリスは内心ほっとしていた。
「とにかく、今思い出せるのはこのくらいか。ありがちな情報ばっかで何の手掛かりにもなりゃしない。……はぁ、どうやったら過去を思い出せるんだろうかねぇ。俺もあんたも」
「……私にはそもそも過去がない可能性もあるけどね」
「あー……。そう言えば、そうかもしれないな」
「それに、さっきも言ったけど辛い過去だと思うなら思い出す事ないわよ。……せっかく塞がった心の傷をわざわざ抉る事はないでしょう?」
「塞がった心の傷か……。んー、そうだな、まあそういう考え方もありか。……で、いざそう考えるとあんたが羨ましいな、過去がないなら辛い事も思い出さずに済むって訳か」
「そういう事が羨ましいと言うのはリゲルと同じなのね」
「まあ、何だかんだであいつとも気が合うからな。俺とリゲルはどこか考え方が似てるんだろ」
「性格は全然違うのにね」
「ははっ、リゲルの方は認めたがらねーだろうな。……つーか、あんたもカノープスと全然性格違うよな。あんたは割と真面目で大人しい印象だけど、カノープスは結構どころか、だいぶ悪乗りする方だぞ?」
「え……そうなの?」
アイリスは思わぬ返答に眉をひそめた。その表情は、アンタレスの目には引いているように映った。
「なんか露骨に嫌そうな顔してね?」
「いえ、そんな事ないけど……。意外ね、前に会った感じだとそんな感じはしなかったわ」
「気さくで人当たりが良いのは間違いないぜ。……ただ、言った通り悪乗りがひどくてな。例えばちょっと前、暇だった時にアーク弄って遊んでたんだがそれをカノープスに見つかってな、怒られるかと思いきやカノープスは面白そうとか言って加わってきたんだ。しかも俺より性質の悪い弄り方しやがる。で、結局2人でベテルに怒られた。いやー、あれは笑ったわ」
「何やってるのよ、あなた達は……。」
アンタレスは再び体を起こし、笑いながら楽しそうに語った。本人は笑い話のつもりなのだろうが、アイリスは呆れるばかりである。
「いやだってさ、アークの奴真面目だから弄ると反応が面白いんだよ。……もしあんたが俺を見つけてたら絶対止めてただろ?」
「んー、そうね。そういうのは好きじゃないし……。」
「だろ? やっぱあんたはカノープスとは違うな。容姿は同じでも、性格が違うだけでだいぶ印象って変わるもんなんだな。俺としては新鮮な気分だぜ」
「私としては複雑な気分ね。自分と同じ容姿の人がそういう風に悪戯とかしてる所って、想像できないわ……。」
「まあ、そんな状況ほぼないからな」
「ふふ、『ほぼ』じゃなくて『絶対』ないわよ」
笑いながら話すアンタレスに釣られて、アイリスに微笑が浮かんだ。
「ところでアンタレス、気になった事があるんだけど」
「何だ?」
「あなた、何歳なの?」
アンタレスはぎくりとして体を強張らせた。
「私は今22歳だから……『私』が10歳の頃に知り合ったのよね? なのに私より若く見えるのは変じゃない?」
「あー……それは、だな……。」
アンタレスは明らかにぎこちなく答えた。
「……俺達の肉体はどうも年を取らないみたいでな、俺の体は生成した18歳相当の肉体で止まったままだ。どうやら死んだときの年齢は18歳だったらしい」
「…………。」
「何故かカノープスはあんたと同じで年取ってるけどな。……あいつは色々例外なんだよな。多分、一度死んだかどうかが関わってると思うんだが、実際どうなのか分かんねぇ。という訳で俺は18歳です、うん」
アンタレスは冷汗を流しながら、強引に話を終わらせようとしている。
「……18歳に加えて12年、確実に30は越え……」
「あー、言うな! それ以上言うな! 聞きたくない、考えたくない!」
アンタレスは遮るように叫び、耳を塞いで頭を振った。そんな様子のアンタレスを見て、アイリスは思わずくすりと笑ってしまった。
「ふふ、意外と気にしてるのね?」
「……年齢と胸を気にしない女がいるかよ」
「良いじゃない、若い姿のままでいられるんだから。……胸も結構気にしてるのね。そこまで小さいとは思えないけど……。」
「おいこら嫌味か? あっさりカノープスに抜かれて今じゃ勝てる気がしない俺に対する嫌味か? ……つーか俺が負けたのはカノープスがその身体だった時じゃねーか! よく考えたら何で巨乳まで同じなんだよ!? そこは同じじゃなくていいだろーが!」
「その文句はカノープスに言って。私に言われても困るわ」
「……くそっ、何で俺を弄るのはカノープスと同じで上手いんだよ」
「弄ってるつもりはないわよ。本当に少し気になっただけ。嫌ならこの話は終わりにしましょう」
「マジか? ……カノープスだったら容赦なく弄って大笑いしてくるところだぜ」
「……もしかして、弄ってほしいの?」
「あーいや何でもない! 話終わりっ! もう寝ます!」
「ふふっ、あなたも面白いわね」
アンタレスは仰々しく制止し、毛布を被ってベッドに潜り込んだ。別に弄っているつもりはなかったが、アイリスはアンタレスが可笑しくて笑う他なかった。
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アイリスはそのままアンタレスの部屋でリゲルとクラッド達の帰りを待った。そして待ち始めてから数分もしないうちに、入口の方から扉をノックする音が聞こえた。
「アンタレス、いるか?」
「……え!? もう戻って来たのかよ!?」
「早いわね……。ちゃんと話してきたのかしら?」
「……鍵空いてるのか。入るぞ」
扉の向こう側からリゲルの声が聞こえ、アンタレスは体を起こしてベッドから抜け出た。眠りに落ちる時間もないほど早い帰還である。
リゲルは鍵が開いてる事に気が付くと扉を開けて部屋に入り、狐につままれたような表情を見せたまま近くの椅子に座ってもたれかかった。
クラッド達と共に『タウルス』支部へ向かったはずだが、あまりにも帰ってくるのが早過ぎる。支部に到着した後すぐに戻ってきた、と言うくらいでないとこの時間には戻って来れないはずである。アイリスとアンタレスも驚いて少々困惑気味の表情をリゲルに向けた。
「おい、早過ぎじゃねーか? ちゃんと話してきたのか?」
「……その事なんだが、不可解な事があった。私達が提供しようとしたものと同じ情報が既に『タウルス』に伝わってたんだ。本当に全く同じ、寸分違わぬ情報だ。どういう事なのかクラッド達に詳細を聞いてもらう事にして、先に帰ってきた」
リゲルは口元に手を当てて考え込んだまま返事をした。
「何それ? 本当にどういう事なの……? あなた達しか知らない情報のはずでしょう、一体どこからその情報が?」
「夕方、『サジタリウス』から『タウルス』に連絡があったようだ。……元は『サジタリウス』のギルドマスターからの情報らしい」
「『サジタリウス』のギルドマスター……『血茨のローズ』か。そいつは何でその情報を知ってんだ?」
「それは……。」
アンタレスとアイリスが気になって聞くも、リゲルは考え込む姿勢を崩さず回答を渋っている。勿体ぶっているのではなく、本当にどういう事なのか分かっていないようである。
「……一応、説明できない事はない。アーク達がローズとの接触に成功して情報を提供、電話か何かで情報が伝わったと考えれば分からなくもないが……。」
「何だ、説明が付くじゃねーか。だったら考える必要なくね?」
「いや、それにしても不可解だ」
アンタレスは肩透かしを食らったと感じて溜息交じりで答えたが、リゲルはまるで納得がいっていない様子である。
「まず、アーク達がトラニオン・リッジで『サジタリウス』に協力を求めて接触を始めたのは今朝からだ。私達『ステラハート』の事をいきなり話されても信用し難いだろうし、まさか1日でローズ――『サジタリウス』のギルドマスターの信用を得られる程説明が上手くいくとは思えない。いくらカノープスや協力者達が『サジタリウス』内で上手く折衝したとしても、だ」
「……上手くいったんじゃねーの?」
「……仮に何かの間違いで上手くいってたとしても、不可解な点はまだある」
「何かの間違いって何だよ。……で、まだある不可解な点ってのは?」
「アーク達がなぜ私達の作戦の情報をローズに提供する必要がある? あいつらも自分達の作戦で手一杯だろうに、こっちの情報を提供してる余裕なんかないだろう。それに今回は問題なかったが万が一私達がアイリス達との合流に手間取ってたら、勝手に制圧作戦を開始されて作戦が丸潰れになる可能性もあった。アーク達もそんな事になりかねない事は理解しているはずだ。にも関わらず情報提供するとは思えない」
「あー……それは確かにそうだな。……あ、俺達を待つようにアーク達が根回ししてくれた、とかは考えられないか?」
「それもないだろう。『キャンサー』の暴動が頻発してる今、『サジタリウス』もこれだけ有用な情報が入ったなら一刻も早く拠点制圧を開始したいはずだ。いくら何でも、いつ合流できるか分からない私達を待つ程悠長にはできないだろう――たとえ頼まれてもな」
「んー……じゃあ何だろうな……。そうなると確かに分からねーな……。」
「……これだけじゃ、私達が考えても分からないわ。この事、ベテルやアーク達には話したの?」
アイリスとアンタレスはリゲルの説明を聞き、不可解な点が多々あることを理解した。しかし何故こうなったのかはリゲルと同様全く理解できず、リゲルと同じように考え込むことになった。
アイリスは他の意見も聞いてみるべく、リゲルにベテルギウスやアークトゥルス達との連絡を促した。上手くいけば、何か別の糸口が見えてくるかもしれない。
「聞こうとしたんだが、訳あって通信機が壊れててな。今は持ってない。アンタレス、聞いてみてくれ」
「ああ、分かった」
アンタレスは通信機を取り出し、その上に指を走らせた。まずはアークトゥルス達に連絡を取るつもりである。
「…………。」
「……どうした? 出ないのか?」
「……駄目だ、出やしねぇ。アークの奴、今何かやってんのか? ……じゃあカノープスは、っと……。」
アークトゥルスと繋がらなかったため、アンタレスはカノープスに通信し直した。しかし、こちらも一向に通信に出る気配がない。
「…………。」
「……こっちも?」
「……駄目だな。何やってんだ、あいつら? ……後はベテルだな。ついでに今日の進捗報告もしねーとな」
アンタレスは文句を言いながらベテルギウスと連絡を取った。こちらはさほど待つことなく繋がったようである。
「ベテルか? 俺だ。また妙な事があったんだが」
≪アンタレスですか。何です、妙な事とは? ……はぁ、全く上手くいきませんわね≫
ベテルギウスは少々うんざりしているようで、溜息がちな口調からも彼女の心労が聞いて取れる。
「仕方ないだろ、どうせ始めっから上手くいくとは思ってなかったんだから。……で、話なんだが、進捗報告しながらするわ。まず無事アイリスやプロキオン達との合流は成功したぜ。『キャンサー』の情報も間違いない事も確認したし、今『タウルス』への情報提供段階だ」
≪そちらは順調ではないですか。一体何の問題があるのです?≫
「あー……やっぱリゲルに代わるわ。俺より当事者の方がいいだろ」
アンタレスはリゲルの方に繋げたままの通信機を投げた。リゲルは溜息を吐きながら受け取り、通信を代わった。
(……ん? 『そちらは』順調……?)
アンタレスは代わった後でベテルギウスの言い方が気になった。
「……ベテル、代わったぞ」
≪リゲル、何があったのですか?≫
「『タウルス』に『キャンサー』の情報を提供しようとしたところ、既に全く同じ情報が流れていた。どうやら『サジタリウス』のギルドマスターからの情報らしい」
≪同じ情報? 『サジタリウス』のギルドマスターは……『血茨のローズ』ですか。彼女は何故その情報を?≫
「それが分からないんだ。ベテル、アーク達から何か連絡はあったか? ギルドマスターに接触出来たとか、その辺の報告があれば説明できるんだが、連絡がつかなくてな」
≪……アーク達は今日は『サジタリウス』と接触していないはずですが?≫
「……は? どういう事だ? 朝、別れる時はそんな事言ってなかったぞ?」
リゲルは思わずもたれかかった姿勢を直して質問した。
アークトゥルス達が『サジタリウス』と接触していないとはどういう事なのか? 回答によっては解決どころか、謎がますます深まる事になる。
≪昼過ぎには連絡が入っていますわ。運悪く『サジタリウス』の協力者達もイルミナイト側支部長もその他見知った人達も、大半が王都の『キャンサー』暴動警戒の応援に出払っていて碌に交渉が進まないそうなので、明日以降戻ってきたら接触するそうです≫
「おいちょっと待て。じゃあ今アーク達は何をしてるんだ?」
≪特に何もせず待機するよう指示していましたが、シリウスとアンタレスから汚染者の気配が消えたという話を聞いた直後にアーク達からも同じ話がありました。そちらを調査してもらっています≫
「汚染者の気配が消えた? ……その話、聞いてないな。ちょっと待ってくれ」
(アンタレス……。さては言い忘れましたわね)
リゲルは話しながらアンタレスを横目で睨んだ。聞いていたアンタレスは何か重要な事を言い忘れていたようで、しまったと言わんばかりの表情を見せた。
リゲルは通信は繋げたまま一旦ベテルギウスとの話を中断し、アンタレスの方を向いた。
「おい、汚染者の気配が消えたとはどういう事だ? なんで黙ってた?」
「わ、悪ぃ、言うのすっかり忘れてた……。『キャンサー』拠点の調査中に汚染者に追われてたんだが突然気配が一斉に消えたんだ。気になってベテルに相談したら王都のシリウスからも同じ報告があったらしくて、何だろうなと思ってたんだが……。」
「王都でも同じことがあったのか。……そういう事は忘れないうちに言ってくれ、全く」
「……本当に悪ぃ」
(汚染者の気配が消えた……一体何が?)
リゲルはアンタレスに文句を言ってベテルギウスと通信を再開した。アンタレスは珍しくうなだれて反省しているようである。
アイリスも黙って聞いているが、彼女が『ステラハート』と関わるきっかけとなったのがまさに汚染者なので、汚染者関連の話は気になる所である。
「すまん、待たせた。話の続きだが、今アーク達は汚染者の気配が消えた件を調査してるんだな? 『サジタリウス』とは一切接触していないと?」
≪ええ、そうですわ。『サジタリウス』とは接触していません≫
「となると、ローズは一体どこから同じ情報を得たんだ……? まさかそんな事はないだろうが、もしアーク達が接触して情報を渡したというなら、流石にベテルに報告も入れるだろうし……。」
≪……分かりませんわね。この件、こちらからもアーク達に連絡を取って聞いてみる事にします。今は調査に集中して出れないだけでしょう≫
「だといいがな。……仕方ない。どういう事なのか気にはなるが、幸い作戦変更の必要がある程の事じゃないしな、注意しながら事を進めるとしよう。予定通り、制圧作戦に参加する事にしよう」
≪本当に気を付けてください。王都にしろトラニオン・リッジにしろディム・ヌーンにしろ、どこも予定外の事が起こってます。作戦失敗などと言う手痛い報告は受けたくありませんわよ?≫
「……そうならないように祈っててくれ」
リゲルは呟くように伝えると通信を切り、通信機をアンタレスに通信機を投げ返した。リゲルは再び椅子にもたれかかって大きく息を吐き、ぐったりと天井を見上げた。
「ベテルは何て言ってたの?」
「……はぁ……。」
アイリスの問いかけにリゲルは溜息で答え、姿勢を直してアイリスとアンタレスに向き直った。
「……結論から言うと、当然だがベテルも分からないらしい。ただ、作戦に変更はなしだ。一体どうしてローズが情報を持ってたのか気にはなるが、だからと言って作戦に影響はないからな」
「ええ、分かったわ。変更がなくて済むのは幸いね」
「ああ、そうだな。それと、今日アーク達は『サジタリウス』と接触していないらしい。何でも当てが大半出払ってて話にならないらしくてな、今は汚染者の気配が消えた件を調査してるようだ」
「あ、やっぱアーク達からも連絡あったのか。今は調査に集中して出れなかっただけか」
「多分な。しかし、そうなるとますますローズの件は疑問だな。アーク達が接触していないとなると、一体どこから情報を得たんだ? ……『血茨のローズ』か。こいつ、何かきな臭い感じがするな」
「うーん、仮にも『サジタリウス』のギルドマスターな訳だし、そこまで変な事をするとは思えないけど……。」
「結局謎が残っただけかよ……。何だってんだ、全く……。あー、考えたら眠くなってきた」
アンタレスは眠くなってしまったようで、頭を掻いてベッドに倒れ込んだ。元々眠かったのに加えて、謎が多過ぎて考え込んでしまっては当然の反応である。
「……今日はもういいか。私もまだ寝足りないし、謎だらけでこれ以上考えるのも面倒だ。クラッド達の話は明日の朝また聞けばいいだろ」
リゲルも欠伸を噛み殺しながら立ち上がり、アイリスの座っているベッドに身体を投げた。
アイリスは軽く溜息を吐き、リゲルとアンタレスを見て立ち上がった。時間帯は夜とは言え、本来眠るにはまだ早い時間である。しかし、2人とも疲労が溜まっているので仕方ない所ではある。
「……仕方ないわね。私はもう少しクラッド達を待つ事にするわ」
「……そうしてくれ」
リゲルは目を瞑ったまま答えた。アイリスは自分の宿泊部屋に向かおうとして2人に背を向けた。
「あ、そうだ。アイリス、あんたの部屋にベッドいくつあった?」
「……2つだけど?」
アンタレスは何の脈絡もなくベッドの数を聞いた。アイリスは気にする事もなく、扉のノブに手を掛けて背を向けたまま答えた。
「あー、そうか。クラッドとリムが帰ってきたら寝床が1つ足りないな。もう1室取っとくべきだったか」
「そう言えばそうね。どうしようかしら?」
アイリスは扉を開ける前にその場で軽く考えた。そんなアイリスの方をリゲルは一瞥した。
「……アイリスとクラッドが同じベッドで寝ればいい」
「ああ、それで良いんじゃね? 楽しめるだろうしな」
「……リムに気付かれないように注意しろよ」
「な!? ちょっと、何を言ってるのよ!? す、する訳ないでしょう!? 変な事言わないで!」
リゲルがぼそりと呟いた言葉にアイリスは思わず赤面して振り返った。
「んー? 別に俺達は何をするとか一言も言ってないが?」
「……何を想像してるんだ?」
「く……! 何なのよ、もう……!」
アイリスは狼狽したまま逃げるように部屋を出て行った。ベッドに寝転ぶリゲルとアンタレスはしばらく無言だったが、じきにアンタレスが言葉を発した。
「……アイリスはカノープスと違って弄ると面白いな」
「お前はカノープスに弄られてばかりだからな。余計に面白く感じるんだろ」
「あいつは弄ろうとしても弄り返してくるから性質が悪い。昔は逆だったのに、どうしてこうなった?」
「相性が悪いだけだろ」
「……うるせえよ」
2人が自然に眠るまで下らない話が続いた。




