36. 4月24日:ディム・ヌーン(その1)
翌日の昼過ぎ、アイリス、クラッド、リム、プロキオンの4人は『レオ』支部の宿舎でアンタレスとリゲルの到着を待っていた。
アイリスとクラッドは椅子に座って落ち着いており、リムは暇そうにベッドに身を投げている。プロキオンは昨日と同様、椅子に座って念じている。昨日と異なる点は、念じている対象が記憶水晶ではなく、棒状の何かである点である。アイリスはそれがふと気になって、何気なくプロキオンに質問した。
「プロキオン、それは何? 昨日は記憶水晶に対して念じてたようだけど、何をしているの?」
「……これはリペアラー。使用済みでイーセルが切れてるから補充してる」
「ああ、それがリペアラーなのね。……で、イーセルって何? 何気なく言ったようだけど」
「……魔力の事。私達魔法使い間での業界用語。本当は魔力の方が言い馴れてるけど魔法使い以外に通じないから、あまり言わないようにしてる。……今回みたいに無意識に言ってしまう事はあるけど」
「……また何気なく言ったけど、あなた魔法使いだったの?」
「……うん。何か問題?」
「いえ、別に何も問題はないけど……。確かアークもそうよね?」
「……『ステラハート』で魔法使いは私だけ」
「そうなの? じゃああれは……。」
アイリスはアークトゥルスと初めて会った時の事を思い出した。
あの時は転送に驚いたり強い力や身体能力に翻弄されたりしていた。光子になって消失したのは後に転送装置によるものと分かったのだが、その高い身体能力は未だ魔法によるものとアイリスは思っていた。
プロキオンは終始念じたまま、答えた。
「……アーク達は単純に身体能力を強化されているだけ。魔法は使えない」
「シリウスやカノープスも?」
「……当然。ただ、シリウスはそれにしても異常な程だけどね。カノープスも容姿はあなたと同じだけど、身体能力は比較にならないはず」
「身体能力が高いだけならまだいい。魔法はもっとえげつなかったぞ」
「そうだな。ありゃ酷かった」
「クラッド?」
隣で話を聞いていたクラッドが会話に口を挟んだ。リムも上体を起こしてベッドの縁に腰かけ、3人の方を向いた。
「俺とリムがプロキオンと会った時に模擬戦をやらされてな、【霜氷枷】やら【麻痺呪】やらの魔法で全く太刀打ち出来なかったよ」
「身体が痺れて動けないまま、地面に突っ伏しっぱなしにされるんだぜ? やりたい放題出来るじゃねーか」
「そんな状態になってしまうの? 全くの無抵抗じゃない」
2人とも若干大袈裟気味に話している感覚はあるが、とにかく魔法は恐ろしく強力である事はアイリスにも伝わった。クラッドもリムも相応の実力はあるのだが、それを完全に無力化してしまうとは信じ難い。
プロキオンは一貫して変えなかった表情を初めて変え、くすりと笑った。
「……あれはまだマシな方。もっとえげつないのもあるけど……受けてみる?」
「止めてくれ。あれ以上があるとか考えたくない」
「……今のあなた達なら対処できるでしょう? 『あれ』持ってるんだし」
「まだ『あれ』受け取って5日しか経ってねーだろうが。無理だろ」
「……まだ馴染んでないの?」
「いやそういう訳じゃないけどよ……。」
クラッドとリムは『あれ』を持ってるから大丈夫、とプロキオンに言われている。しかしアイリスには何の事か分かっていない。
アイリスは分からない事だらけで聞いてばかり、と心中では溜息を付きながら質問した。
「……『あれ』って何?」
「ああ、そう言えば言ってなかったな。これだ」
「俺のはこれだ」
クラッドは腰のポーチから布に包まれた何かを取り出した。リムも同様の物を取り出している。
クラッドがその布を解くと、中には青い水晶があった。それがただの水晶でない事は、言わずともアイリスには理解できた。
「これって記憶水晶? ……そう言えばプロキオンも昨日同じようなものに念じていたわね」
「ああ、これもああやって作ったものらしい。今、これの実験体にさせられてるんだよ」
「実験体、って随分物騒ね」
クラッドはその事を思い出し、プロキオンを呆れたように見つめた。
「……今作ってるのはアイリス、あなたの分」
「私の……? って、私も実験体にされるの?」
アイリスは冷汗を流してプロキオンに質問した。
「……大丈夫、2人に使ってもらってもう安全は立証されたから」
「おいこら、俺達の時はやっぱ安全じゃなかったって事かよ!? ああ、こいつぶん殴りてぇ……。」
「今はまだ返り討ちに合うのが辛いな……。いつか見返してやるからな」
リムとクラッドは明らかに腹を立て、プロキオンを憎たらしそうに見つめた。プロキオンは全く意に介さず、リペアラーに魔力補充を続けている。
「……まあ、大丈夫だったんだから良いでしょ? 実際強くなれただろうし」
「そういう問題じゃないんだがなぁ……。それにまだ実戦で試してないのに、強くなったと言えないだろ」
「クラッド、その記憶水晶を使うと何が? 強くなった、って言ったみたいだけど」
「あ、ああ、そうだ。途中だったな。これはだな……。」
クラッドが話を始めようとした瞬間、後ろから扉をノックする音が響いた。
「プロキオン、いるか?」
外から聞いた事のある少女の声が聞こえた。
「……空いてるわ。入って、リゲル」
「来たか。アイリス、これの話は一旦後な」
「ええ、分かったわ」
扉が開かれ、銀髪の少女が部屋の中に入って来た。間違いなくリゲルである。
リゲルの蒼い瞳が部屋の中を見渡し、アイリスとプロキオンを見て止まった。
「無事合流できたようだな」
「……ええ。そっちはどう?」
「ああ、順調だ。アークとカノープスは既にトラニオン・リッジの『サジタリウス』と接触してる。アンタレスは到着してすぐ『スコーピオ』支部に向かったよ。夕方にはここに来る。……で、早速想定外の事態が起きてるようだな。到着してすぐ分かったよ、明らかに街の雰囲気が違う。ああ、これは何かあった、ってな」
「……『キャンサー』の暴動があった。多分、数日は発生と沈静を繰り返すと思う」
「そういう事か。……はあ、困ったもんだ、早速予定通り行きそうにないか。作戦の修正も必要か……さて」
リゲルは困った表情と共に溜息をつき、頭を振った。そして気持ちを切り替えるとアイリスに向き直った。
「アイリス、無事だったか。怪我も無いようだな」
「ええ。身体に怪我はないわ」
アイリスはくすりと微笑を返した。それを見てリゲルは安心したようで、軽く頷いてクラッドの方を向いた。
身体には、ね。アイリスは微笑を返しながら、聞こえない程の小声でそう呟いた。身体に傷は無くとも、心の傷跡が残っている事に、リゲルが気付く由もない。アイリスは自分でこんな事を言ったのが可笑しくて笑っていた。
「2週間半ぶりだな、クラッド。元気にしてたか?」
「ああ、お陰様でな。こいつにこき使われてるよ」
クラッドは笑って返事をしながら、冗談交じりで――半分本気で――プロキオンを指差した。
「ふふ、プロキオンにそれだけ言えれば大丈夫だな」
「あんたもこいつに何か言ってやってくれ。こいつも人使いが荒くて困る」
「私よりマシだ。私はもっと荒いぞ?」
「……なんか分かる気がするな」
クラッドは失笑と共に頭を掻いた。
リゲルは最後にリゲルが知らない誰か――リムの方を向いた。リムもずっと黙っていたが、興味深くリゲルを観察はしていた。
「それで、あんたは……。」
「俺はリムだ。アーク達から聞いてないか?」
「ああ、あんたがリムか。私はリゲルだ、よろしく頼む」
「ああ、よろしく。……何か聞いてたより落ち着いてる感じだな。もっと荒れてる奴かと思って警戒してたんだが。クラッドの意見の方が合ってるか」
「聞いてたより? 荒れてる奴……おいプロキオン、お前私をどんな風に教えたんだ?」
「……リゲルは仏頂面でいつも苛ついてカリカリしてる、って言っといた」
「全然違うだろ! 何を教えてるんだお前は! いつも苛ついてるのはシリウスの方だろうが!」
「……仏頂面の方は否定しねーのな」
リムはぼそりと呟いた。幸いリゲルはプロキオンに文句を言っていたため、聞こえなかったようである。
「ああもう全く、油断も隙もない……。こんな事してる場合じゃないだろうに」
「……やっぱ合ってるかもな」
頭を掻きむしって苛ついた仕草のリゲルを見てリムは再び呟いた。
「……はあ。まあとにかく、作戦の事を話すか。プロキオン、何をするかは話してあるな?」
「……うん」
「なら話は早い。アンタレスが戻り次第、『タウルス』支部と『サジタリウス』支部に向かって『キャンサー』拠点の情報を伝えて制圧作戦を立ててもらう。それに参加する形で良いだろう。ただ、暴動が起きてるなら気付かれずに拠点包囲は難しいだろうし、拠点内でも武装してる可能性もある。危険度は大幅に上がってしまったな。……そんな感じで良いか?」
リゲルは苛ついているためか、半ば投げ遣りな体で話を進めた。
クラッドはやれやれと首を振りながらも作戦について意見を述べた。
「情報は『タウルス』にだけ伝えれば良いぞ。どうせ『サジタリウス』には連携のために連絡が行くだろうからな」
「ん、そうか。ならそうしよう。その方が楽だ。クラッド達は拠点制圧だけ頼む」
「ああ、分かった。拠点は1ヵ所だけか?」
「いや、複数ある。零細は他の奴らに任せて、お前達は主要拠点を制圧してくれ」
リゲルは話しながらポケットから折りたたまれた紙を取り出し、テーブルの上に広げた。その紙はディム・ヌーンの地図であり、『キャンサー』の拠点と思われる場所に複数の赤丸が書き込まれている。
「結構多いわね。……私達はどこを制圧するの?」
「そうだな……ここを頼む。第3放雷針の足元の無人管理施設が溜まり場になっているらしい」
「放雷針の近く……確かに危険だし、感電を気にして誰も近付かないような場所ね」
「だが今は魔法制御がしっかりしてるからな、実際感電の危険はまずない。安全な一方で、いまだに立入禁止になってるから、隠れ場所には丁度いいんだろう。……と言うかアイリス、お前も制圧に参加するのか?」
リゲルはふとアイリスの方を見て質問した。
「ええ。私も戦うわ」
「無理しなくていいぞ? ここはクラッド達に任せて……」
「いいえ、もう決めたの。誰かに頼り、守られるばかりじゃなく、私自身が力になるって」
アイリスは真剣な表情でリゲルに語りかけた――戦う意思に反し、その心が揺れ動いている事を隠しながら。
「リゲル、ここはアイリスのいう事を聞いてやってくれ」
「しかし……」
「大丈夫だ、俺やリムも一緒だからな。ちゃんと補助してやるさ」
「……仕方ないな。分かった、好きにしろ。ただ、王都の時みたいに勝手に動いて迷惑掛けたりするなよ? まだ経験が浅いんだから、暫くはクラッド達の指示に従って動くんだ。いいな?」
「分かったわ。ありがとうリゲル」
リゲルは溜息を吐いて呆れながらも、アイリスの話を聞き入れた。アイリスも安心し、緊張が解けて笑みが零れた。
「さて、話の続きだ」
リゲルは地図上の1点を指差した。そこにはリンガーの名が記入されている。
「私達『ステラハート』組はここでリンガーの討伐も行う訳だが、実はこいつの情報が持っていない。クラッド、リム、リンガーについて知ってる事を教えてくれ。『タウルス』なら指名手配犯の情報も持ってるだろう?」
「あー、それなんだが……。」
クラッドとリムはリンガーについての情報を伝えた――リンガーについての情報は何もない、と言う情報を。
それを聞いたリゲルは腕を組んで顔をしかめた。
「……困ったな、何も分からないのか……。そうなると本当に私達でも危険だな、気付かないうちに暗殺され兼ねないぞ」
「じゃあリンガー討伐は止めとくか? 拠点制圧だけでも十分功績は挙げられる」
「つーか、リンガーを相手にする時点で無謀だろ、昨日聞いたときは耳を疑ったぜ。俺も止めた方が良いと思うぞ?」
「いや、確実に注目を得るにはやっておきたい。……だが情報がないんじゃ対策のしようもないし、とにかく気を付けるしかなさそうだな」
「危険ね……。大丈夫なの?」
アイリスが心配して呟いたが、リゲルは腕を組んだまま指を立てて話を続けた。問題ない、と言いたいようだ。
「やられる前にやる。リンガーの正体が分からない以上、今回はこれを徹底すべきだ。私達も殺されたくないしな」
「……同感。私達に限らず、あなた達もね。リンガーでなくとも危険人物はいるだろうし、悩み、迷ってる暇なんてないわよ」
プロキオンはアイリス、クラッド、リムをそれぞれ一瞥しながら注意を促した――とは言え、実質1人だけに向けての警告である。
「そんな事、百も承知だ」
「言われるまでもねーよ」
「……ええ、分かってるわ」
クラッドとリムがはっきり答える中、アイリスの返事だけは弱々しく響いた。
「よし、こんな所か。後はアンタレスの到着を待とう。到着したら『タウルス』支部に行って情報提供だ。早ければ明後日くらいには制圧作戦を行えるだろう」
「そうね、夕方まで待機かしら」
「それでいいだろう」
リゲルはベッドの脇に移動し、リムの隣に腰かけてそのままベッドに倒れ込んだ。
「ふぁ……。疲れた、少し眠らせてもらうぞ」
「今日は朝早かったの?」
「いや……徹夜で記事を書いていた」
「……こんな時ぐらい『ジェミニ』の仕事も控えたら?」
「私もそうしたいが……ふふ……出版社の意向には逆らえなくてな……。」
「……大変ね、あなたも」
リゲルは目を瞑りながら自嘲に引きつった笑みを浮かべた。




