35. 4月23日:ディム・ヌーン(その3)
アイリスはクラッドに連れられ、ディム・ヌーン内を目的地に向かって駆け回った。移動中に『キャンサー』の暴動は粗方鎮圧が済んだようで、幸いにも移動中再び暴動の現場に出くわす事はなかった。
駅舎から大分離れた頃、目的地に到着したようでクラッドが歩みを止めた。
「ふう、無事に着いたな。もっと苦労するかと思ってたけど良かった」
「ここって……?」
「『レオ』の支部だ。プロキオンは『レオ』に所属してるらしい」
クラッドに連れられて辿り着いた場所は『タウルス』の支部ではなく、交通ギルド『レオ』の支部であった。プロキオンはここにいるらしい。
支部はディム・ヌーン東部寄りの市街地にあり馬車の駐車場と牽引馬の宿舎、そして事務所の3つに分かれているようである。駐車場には整然と馬車が並べられて整備を受けており、牽引馬の宿舎入口からは馬が干し草を食む様子が垣間見える。
「アイリス、プロキオンは宿所で待ってる。事務所脇のあの建物だ」
クラッドはそう言って事務所横の建物を指差し、歩いて向かった。アイリスもクラッドに付いて行った。付いて行った先には簡素な集合住宅風の建物があり、複数の入口が見て取れる。どこかの一室でプロキオンは待っているのだろう。
クラッドは二階のある一室に向かって扉をノックした。
「プロキオン、戻ったぞ。アイリスも一緒だ」
「……空いてるから入って」
(今の声がプロキオン……?)
中からやや気怠げな少女の声が響いた。
「何だ、空いてるのか」
クラッドは扉を開けて部屋の中に入り、アイリスもクラッドに続いて中に入った。
中はベッドとテーブル、椅子と台所があり数日宿泊する程度なら十分設備は整っている。テーブル脇の椅子には小柄な少女が座っており、テーブルの上に置かれた結晶に手をかざして何かを念じている姿が見られる。結晶は恐らく、記憶水晶だろう。
少女は入って来たアイリスとクラッドを一瞥してかざした手を引き、細かなウェーブのかかった金髪を揺らして立ち上がった。どこか眠そうな黒い瞳が二人を見つめた。
「……あなたがアイリスね。一目で分かったわ」
「あなたが……プロキオン?」
「……そう、私がプロキオン。あなたの事はアーク達から聞いてる」
プロキオンは表情を崩さず答えた。事前に聞いていたためか、カノープスと同じ容姿をしていても特別驚いている様子はない。
「さて、無事にアイリスと合流できたし、話す事は山ほどあるな。……と、その前にプロキオン、リムは?」
「……まだ戻って来てない」
「何だ、まだ帰って来てないのか。【遠隔複写】にアイリスを見つけた旨は書いたんだがな」
「……私はもう見た。見てないだけじゃない?」
「まあ、そんな所だろうな。待ってるのも何だし、先に話進めるとしようか」
「……【遠隔複写】?」
会話から察するに、リムもアイリスを探していたようだ。まだ探し回っているようだが、【遠隔複写】とやらで連絡は取れているらしい。
「……アイリス、とりあえず聞きたい事聞いて。出来る限り説明はするから。まあ適当に座って」
「ありがとう、助かるわ」
「……礼には及ばない」
プロキオンはそう言うと元の椅子に座って再び記憶水晶に手をかざした。アイリスは近くの椅子に座り、クラッドはベッドに腰掛けた。
「ええと、じゃあまず……プロキオン、あなたは一体どうしてクラッド達と行動を?」
「……私は王都であなたがシリウスに襲撃された事を聞いてからベテルの指示で、急遽クラッドとリムに合流した。目的は彼等のシリウスとの接触回避。シリウスはあなたを嫌ってるし、あなたを苦しめるために友人や恋人を襲う可能性もある。襲わないように言ってはあるけど、念のために」
「それで一緒にいたのね。……シリウスはそんな事までしかねないと言うの……?」
アイリスはシリウスに襲撃された時の事を思い出し、うつむいて微かに震えた。あの時の恐怖と苦痛はアイリスの心に強く焼き付いており、拭い去る事が出来ずにいた。
「俺はそのシリウスとやらに会った事はないんだが、相当危険な奴らしいな。……瀕死の重傷を負ったと聞いたときは気が気じゃなかったよ。本当に無事で良かった」
「ごめんなさい、心配をかけてしまって」
「いや、アイリスが謝る事じゃないさ。気にしなくていいよ」
「……悪いのはシリウスだし、みんなキツく注意したみたい。反省してないだろうけど」
プロキオンは記憶水晶に対して念じながら受け答えた。時々、僅かに顔をしかめて記憶水晶を手で掃ったりもしている。
「シリウス……出来ればもう彼女と関わりたくはないけど、きっとそうもいかないわよね。……それで、これからどうするの? 私は何も聞かされずにここに来たから、状況がよく分からないのだけど?」
「……私達『ステラハート』は『エクソダス』に王都を追われてから、イルミナイト連合国内での拠点を失ってしまった。まさか襲撃されるとは思ってなかったし、別の拠点を用意してなかったの。それで、まず拠点を確保する」
「ディム・ヌーンを拠点にするの?」
「……そういう事。他にもトラニオン・リッジも拠点にするつもり。トラニオン・リッジにはアークとカノープスが行ってる。こっちにはアンタレスとリゲルが来る。ただ、到着は明日の昼過ぎになるけど……あ、そうだ」
「どうしたの?」
プロキオンは何かを思い出したらしく、念じるのを中断して通信機を取り出した。
「……合流できた事、アンタレス達に伝えないと。少し待ってて」
プロキオンは通信機を操作し、アンタレスと連絡を取った。しばしの沈黙の後、通信が繋がったらしくプロキオンが口を開いた。
「……アンタレス? 私だけど」
≪おう、プロキオンか。どうだ、アイリスと合流出来たか?≫
「……ええ、合流できた。彼女は無事」
≪おお、本当か! そりゃ良かった! みんな安心するぜ≫
「……今、私達はディム・ヌーンの『レオ』支部にいる。着いたら来て」
≪ああ、分かった。ただ、俺はその前に『スコーピオ』支部で協力者達に会ってくるから、先にリゲルだけ向かってもらう。協力者達には『キャンサー』の拠点制圧前に偵察を頼むつもりだ。シリウスの情報が正しいか、確認が必要だしな≫
「……そう、分かった」
≪作戦の詳しい話は合流してから話そうぜ。それまで、アイリス達に状況説明だけしといてくれ≫
「……今してたところ。そっちの状況はどう?」
≪今、馬車でトラニオン・リッジに向かってる。アークとリゲルとカノープスも一緒だ。トラニオン・リッジには夜到着の予定だな、今の所順調だぜ≫
「……分かった。また何かあったら連絡して」
≪ああ、そうする。それじゃ、頼んだぜ≫
プロキオンは通信を終えるとすぐに通信機をしまい、三度記憶水晶に手をかざして念じ始めた。
「アンタレスとは何を?」
「……ただ合流できたことを報告しただけ。話の続きだけど、私達はディム・ヌーンでは有力な知人がいないから、少し強引な手を使って有力者と接触する。あとは匿ってもらえるように説得ね」
「強引な手?」
「……『キャンサー』の拠点を制圧する」
「え!? 『キャンサー』!?」
「おいちょっと待て。ここで何をするのかと思えば、そんな事するのか?」
アイリスだけでなく、黙って聞いていたクラッドも思わず反応した。
「……大丈夫、拠点の位置は知ってるから」
「そういう問題じゃない。確かにそれだけの功績を上げれば誰かしら有力者にも注目されるだろうが、よりによって暴動で『キャンサー』の気が立ってる今、それをやるのか?」
「……暴動が起きたのは私達も想定外。2~3日くらい、暴動は起きないと思ってたけど、当てが外れた」
「なら、他に案はないのか?」
「……ディム・ヌーンに潜んでる指名手配犯討伐も一緒に行う」
「おいおい、尚更危険だろう。 ……で、誰が潜んでるんだ?」
「……情報だと、『告死刃』リンガー」
「はあ!? 『告死刃』リンガー!? Aランク指名手配犯じゃないか!? 冗談じゃない、そんな奴相手にできるか! Bランクでも辛いのに」
クラッドはプロキオンの発言に驚愕して目を見開いた。Aランク指名手配犯など、今のクラッドの手に負える相手ではない。
「……大丈夫じゃない? 『あれ』使えば」
「なんで『あれ』を使う初の実戦がリンガーなんだよ? 俺達に死ねって言ってるのか、お前は?」
「……冗談よ。リンガーは私達『ステラハート』で相手するから。あなた達は普通に拠点制圧だけお願いするわ」
「いくらお前達が優秀でも、流石にリンガーはきついんじゃないか?」
「……ねえクラッド、そのリンガーっていう指名手配犯はどんな人なの?」
アイリスがクラッドの方を向いて質問した。『タウルス』や『サジタリウス』では指名手配犯の情報は常識かもしれないが、そうでなければ言われても要領を得ない。
「リンガ―は『キャンサー』の暗殺者だ。……それ以外、何も分かっていない」
「え、それだけなの?」
「……私達もあなた達なら情報を持っていると思っていたのだけど、また当てが外れるわね」
プロキオンは気怠そうな表情を一切変えず、口調だけ不満そうにしてクラッドに言った。
「そんな事言われても、本当に分かってないんだ。どんな容姿なのか、男か女か、大人か子供か、果てはどうやって暗殺してるのかすら分かっていない」
「どうやって暗殺してるのかすら分かっていない、ってどういう事? 検死すれば分かるんじゃないの?」
「リンガ―の犠牲者には、ごく小さな切り傷1つしか残ってないらしい。それ以外の外傷は一切なし、そうなると傷口からの毒殺かと思えるが毒物の検出も一切なし。本当にたった1つの切り傷だけで死んでるんだ。……いつしか傷を付けた刃自体に死をもたらす呪いでもかかってるんじゃないか、と言われるようになってな、それでついたリンガ―の通名が『死を告げる刃』――『告死刃』だ」
「不気味な話ね……。情報はないのに、そんな話だけ残ってるなんて」
アイリスは目を細めて一言答えた。クラッドは直後、ふと思い出したようにプロキオンの方を向いて話しかけた。
「ところでプロキオン、『キャンサー』の情報はどこから? リンガーの居場所まで分かってるなんて、ただの情報筋じゃないだろう?」
「……シリウスが言っていたらしいわ。シリウスも『キャンサー』に潜入調査して長いし、そこそこ信憑性はあると思う」
「またそいつか……。そう言えば、リゲルも『キャンサー』に所属してる『ステラハート』もいる、って言ってたな。そいつだったのか」
クラッドは聞き飽きたかのように、溜息交じりの返事をした。
「とにかく、私達は『キャンサー』の拠点制圧ね。……大丈夫かしら?」
「いや、アイリスが参加する必要はないさ。俺達に任せておけばいい」
「……いいえ、私も加わるわ」
「アイリス……?」
クラッドはアイリスを見つめた。その伏し目がちの表情からは覚悟を感じられる――しかし、その覚悟は揺らいでおり、儚く弱い。本人が語らずとも、虚ろな瞳が物語っている。
「私はずっと誰かに頼り、助けられてばかりだったわ。王都でも結局助けられて言われるがままだったし、ついさっきも結局クラッドに助けられたわ。……今度こそ私自身がみんなの力になりたいの、助けられる側ではなくて。本来、そのつもりで王都に向かったんだから……。」
「……本当に無理しなくていいんだぞ? 別に助けられる事は何も悪い事じゃないし、アイリス自身が無理してまで助けようと思わなくていいさ」
「……私はもう、後戻りできないもの。クラッドが助けに来る前に私は……。」
アイリスはそこで言葉に詰まり、表情をさらに暗くしてうつむいた。
アイリスは既に『キャンサー』構成員と交戦し、殺害してしまっている。いずれそういう事も起こると覚悟は決めたはずなのに、いざその状況に立ち会うと覚悟が揺らいだ。その時は揺らいだ覚悟を固めようと逃げずに向き合ったものの、結局固まらぬままに妨害が入り、未だ覚悟が固まらないままである。
クラッドはアイリスの表情と服に付いた血痕を見て、当時の状況を思い出した。
「そう言えば、あの時『キャンサー』の構成員が1人死んでたな。……そういう事か」
「ええ。……力になると決めた以上、ああいう事も辞さない覚悟してたのに、私の覚悟は……揺らいでる。私が与えた痛みに苦しんで死んでしまう様子を実際に見てしまうと……震えが止まらなかった。どれ程の苦痛だったか、恐怖だったかを思うと……。」
「……冷たい言い方かもしれないが、そんな事をいちいち気にしていたら剣を振るう事なんて出来ないさ。もっと割り切って考えないと。実際、俺は斬った奴の事なんか考えてない。さっきアイリスを助けた時も何人か『キャンサー』を斬り捨てたが、はっきり言ってどんな奴だったか記憶にない」
「え……?」
アイリスは思わずクラッドの方に目を向けた。アイリスの知っている、優しい性格のクラッドからは考えられない程冷たい発言である。
「確かに斬られた側からすれば、想像できない程の苦痛や恐怖があるだろうさ。……だが俺はそんな想像も出来ない程の苦痛や恐怖なんか受けたくないからな、だから剣を振るう時は相手を倒す事だけ考える。それ以外何も考えない。色々考えるのは戦いが終わって、安全を確保してからだな……あまりそういう事もしないが」
「クラッド……どうしてそんな冷たい事を……。」
「……多分、俺も実際そういう目に遭った事がないからだろうな。俺の振るった剣がどれ程の苦痛や恐怖を与えているのか、想像できないから言えるんだろう。だから容赦なく、何も考えずに剣を振るえる」
クラッドは言い切った後、アイリスを憂いを持った目で見つめた。自分とアイリスで考え方が違うのは何故か、クラッドには分かっていた。
「……けれど、アイリスは実際にそういう目に遭ったんだよな」
「……ええ、だから私にははっきりと分かるわ、どれ程の苦痛か、恐怖か……。だから剣を振るう覚悟が揺らいでしまったの。……今一度、あの苦痛と恐怖を与える覚悟が、まだ固まってない」
「だったらやっぱり無理しないで俺達に任せればいい。それだけ苦痛と恐怖を理解しているなら、自分の心に鞭打ってまで力になろうと思う事はない。逃げたって誰も責めたりしないさ」
「いえ、今ここで逃げたら駄目。向き合って戦わないと、二度と戻れなくなるわ」
アイリスははっきりと言い切った。剣を振るう覚悟は固まってなくとも、逃げずに向き合う確固たる意志は感じられた。
クラッドはその意思を汲み取り、小さく溜息を吐いた。
「ふう、分かった。そこまで言うなら止めはしない。戦ってるうちに心折れたって責めたりしないから、安心して戦うといい」
「……絶対、心折れたりしないわ」
「……ははっ、本当強い心持ってるよな、アイリスは。そう思うよ」
「ふふ、ありがとう、クラッド」
クラッドはアイリスを見て笑った。アイリスも認めてくれた事に安心し、笑みがこぼれた。
「……話は終わった?」
「ん? ああ、もう大丈夫だ」
黙っていたプロキオンは話の終わりを察して口を開き、解散を促した。記憶水晶に手をかざして念じている様子は終始変わっていない。
「とりあえず、明日アンタレス達と合流するまでは自由にしてていいわ。……変な事しなければ」
「おいこら、変な事ってなんだよ?」
「……例えば目の前でいちゃついたりとか、相当苛つくから止めて」
「誰がそんな事するか。……ちょっと外の様子を見てくる。暴動の状況も気になるしな」
クラッドは呆れた目でプロキオンを睨み、立ち上がって扉の方へ向かった。アイリスもついて行くように立ち上がった。
「クラッド、私も行くわ」
「ああ、分かった。一緒に行こうか」
アイリスの覚悟を理解したクラッドは制止することなく、あっさり同行を許可した。
「……デートのつもり?」
「ふふ、状況が許せばそれも悪くないんだけど」
「それも悪くないな、ついでにデートしてくるか」
「……なんか苛ついたから早く出てって」
プロキオンは表情を変えず、明らかに不機嫌な口調で言い放った。ここまで表情が一切変わらないのは、称賛に値する程であろう。
「全く、冗談の通じない奴だな。自分は冗談言うのに」
「ふふ、そうね」
アイリスとクラッドはそんな様子のプロキオンを見て笑みを浮かべ、宿舎を出て行った。
プロキオンは二人が出て行ったのを確認すると心の苛つきが消えるのを感じた。




