27. 4月22日:イルミナイト王都(その4)
ベテルギウスは焦って身辺整理をしていた。
診療を終えて一息つけるかと思った矢先、リゲルから診療所が『エクソダス』に囲まれているとの連絡が入った。皆『エクソダス』に襲撃され本拠点に撤退した事も聞き、救助も期待できないので逃げなければならないが、今は転送装置を持っていない。リゲルの迎えを利用するしかない。
診療所を閉め、臨時休業の札を出し、機密資料をしまい、光子鋼武器を提げ……。考え得る限りの準備と後始末を行った。
「後は……!」
アイリスはまだ帰ってきていない。頼んだ用事が長引いているようだ。
リリィも報告に来ていない。昨日はとっくに来ていた時間だが、こちらも今日は長引いているようだ。
ベテルギウスは急ぎ応接室に向かい、適当な裏紙に筆を走らせて2枚の書置きを用意した。それぞれアイリスとリリィに宛てて、である。
(申し訳ありません、アイリス、リリィ……。上手くやってください)
ベテルギウスは内心で2人に謝罪し、誰もいない診療所を後にした。
あえて正面玄関から出て人目に着くよう移動しようとした――だがベテルギウスの診療所は閑静な住宅街の一角にあり、既に日が沈んで暗くなった今は人も少なく裏通りと大差ない。
(くっ……。東門通りまで見つからないようにしなければ……!)
ベテルギウスは東門へ続く大通りを目指して走り出した。そこまで行けば夜でも十分に人がいる。『エクソダス』も迂闊に手が出せないはずである。汚染者に見つかる可能性も高いが、どうせ逃げるのでこの際見つかっても構わない。
(誰もいない……? どうか、このまま逃げ切れますよう……!)
逃げ始めて十数分、幸い『エクソダス』とは遭遇していない。もうじき東門通りに出られる。ベテルギウスは包囲を突破したかと思ってわずかに光明を見出ていたが、すぐにそれは打ち砕かれる事になった。
(……はっ!? あれはっ!?)
「む、お前は……! お前がベテルギウスか!?」
「ギャラク! ……くっ!」
東門通りまで残りわずかという所で、運悪く正面から迫ってきたギャラクと鉢合わせしてしまった。『エクソダス』の包囲は残念ながら突破できていなかったようだ。
ベテルギウスはすぐにギャラクを避けて脇道へと逸れた。ギャラクを突破するのは実力的に言ってまず不可能であり、入り組んだ脇道を利用して撒く他ない。しかし――
「……なっ!? これは!?」
ベテルギウスは既に先手を打たれた後である事を思い知った。脇道を進んですぐ、分厚く高い氷壁が脇道を塞いでいたのだ。
氷壁が脇道を塞ぐなど、まずあり得ない光景である。誰がこのような事をしたのか、想像に難くない。
「ネビュラの仕業ですか……! くっ!」
もはや引き返している時間などない。氷壁を破壊して進むしかない。
ベテルギウスは光子鋼武器を構えた。光子が集い、透き通る白銀の槍がベテルギウスの手の中に現れた。
槍を氷壁に突き立てて破壊を試みるも、氷壁が分厚く流石に一筋縄ではいかない。何度も槍を突き立てたが、成果は芳しくない。
(早く、急がないと……!)
急がねばギャラクに追い付かれる。焦って表情を強張らせ、ひたすら掘り進むが後ろから足音が聞こえてきてしまった。
「そこか! ……む、この氷壁は!? ……ネビュラか! 上手くやってくれたな」
「くぅっ……!」
半分も掘り進まぬうちに追いつかれてしまった。ベテルギウスは細い路地で氷壁とギャラクに挟まれた格好である。完全に追い詰められ、もはや逃走は不可能である。
ベテルギウスは覚悟を決めてギャラクと向き合った。
「なぜ転送装置を使って逃げない? ……まあいい、大人しく投降しろ」
「…………。」
ベテルギウスはギャラクを睨み、槍を構えた。何とか突破しなければならない。
「……やる気か。本当に投降する気はないのか? お前が裏方担当だと言うのは分かっているが、俺との実力差くらいは推し量れるだろう? 悪い事は言わん、止めておけ」
ギャラクはベテルギウスに降参を促しつつも、巨剣を構えた。
「残念ですが、私も捕まる訳にはいきません。 ……突破させて頂きます!」
ベテルギウスはギャラク目掛けて突進し、槍の一閃を放った。ギャラクは難なく巨剣の腹で一線を受け止めたが、ベテルギウスも一発で当たるとは思っていない。矢継ぎ早に突きを繰り出すものの、いずれも同様に防がれて牙城を崩すことは叶わず、怯む様子すらない。
「……ふんっ!」
「うあっ!?」
ギャラクは真正面に来た突きを巨剣で受け、一息に押し返した。ベテルギウスはバランスを崩して後方に跳ね飛ばされたが、何とか受け身を取って着地した。そしてすぐに槍を構えなおしてギャラクと向き直った。
まだ十数秒しか打合っていないが、既にベテルギウスは肩で息をしている。疲労が蓄積した身体に加えて逃走によって体力を消耗しており、長続きしないのは当然である。
「……随分と突きが軽いと思ったら、どうやら相当疲労しているようだな? そんな状態で本当に勝てると思っているのか? 」
「ふ、ふふ……。勝つ、つもりなど……ありません、よ……。逃げさえ、できれば……!」
「そんな状態では逃げる事すらままならないだろう?」
「……っ! やってみなければ、分かりません……!」
「……いや、もう不可能だな」
ギャラクは一瞬後方を気にして答えた。
「ここにいましたか、ギャラク殿」
「……クェイサー!」
ギャラクの後方の夜闇からクェイサーが姿を現し、ギャラクの正面に立った。服が裂けて交戦の跡が見られるが、傷を負った様子はない。
「クェイサー、無事だったか」
「ええ、少々手こずりましたがね。……貴様がベテルギウスか」
「…………。」
クェイサーはベテルギウスを見下すような目つきで見つめた。ベテルギウスはもはや反応している余裕はなく、何とか2人を突破する方法を考えていた――もちろん、何一つ思い浮かんでなどいない。あまりに絶望的な状況である。
「ふーん、こいつがねぇ……。」
「随分押されているみたいだな」
「……!? そんな……ワース、エッジ……。」
続けてワースとエッジまで姿を現した。同じくギャラクの後方から現れ、ギャラク両脇の隙間を埋める形となった。両者とも多数の傷を負っているが、戦闘に支障が出るほどのものではないようだ。
「おいおいお前ら、大丈夫か? 傷だらけだぞ?」
「大丈夫な訳ないでしょう? シリウスに思い切りお腹蹴られたわ」
「くくく、何だ、シリウスと当たったのはお前らか。運が悪かったな」
「ギャラクさん、笑い事じゃありませんよ? ……でもまあ、何とか無事です」
ギャラクは冗談交じりでワース、エッジと言葉を交わした。
一方、ベテルギウスの心には絶望が満ち、自分の戦意が薄れていくのを自身で感じていた。構えていた槍先が下がって地面に着き、そのまま虚ろな表情でうつむいたまま立ち尽くした。
ギャラク、クェイサー、ワース、エッジ。今、ベテルギウスの目の前には『エクソダス』が4人いる。もはや、どう足掻いても突破など不可能である。単独では万全の状態のアーク達でも不可能であろう――ただ1人を除いて。
(もはや……これまで、ですか……。)
「ふん、ようやく降参する気になったか。……捕らえろ」
「はっ。……武器を捨てて大人しくしろ」
クェイサーがベテルギウスを捉えるべく歩み寄った。戦意喪失したベテルギウスは言われるがまま槍を捨てそうになったが――
「……むっ!」
突如クェイサーが後ろに飛び退いた。その瞬間、クェイサ―がいた所を上空から何者かが急襲した。建物の屋根の上から下りてきたようだ。
「え……? あ……!」
ベテルギウスは虚ろな表情のまま、その人物を見た。そしてはっと目を見開いた。
その人物はベテルギウスも良く知っている人物であり、絶対に人助けなどしないであろう人物であり――この状況を単独で突破できる、ただ1人である。
「……シリウス!」
(ベテル、無事のようね)
現れた人物――シリウスはベテルギウスを一瞥した後すぐさま片手で剣を構え直し、もう片方の手で転送装置を起動してベテルギウスにそれを投げた。
「シリウス、どうして――」
ベテルギウスが聞く間もなく、転送装置に触れたベテルギウスは青白い光の粒子となって転送装置ごと消失した。ベテルギウスはサルバシオン自治区の本拠点に転送した。無事、救助完了である。
「貴様、シリウス……! 余計な真似を!」
「またお前かよ! くそっ、ギャラクさん、まずいですよ」
「はぁ……。1日に2回もこいつに会うなんて、ついてないわ……。」
「シリウスか……。」
(さて、今度はこっちね。ギャラクにクェイサー、それと雑魚2人……。)
『エクソダス』が各々異なる反応を見せる中、シリウスは冷静に『エクソダス』の戦力を見極めた。
転送装置ごとベテルギウスを逃がしたため、今度はシリウスが逃げる手段を失ってしまった。しかし、シリウスは逃げるつもりはなかった。むしろ纏めて『エクソダス』を倒すチャンスと考えていた。
(……まあ、ギャラクだけ注意すればいいわね。あとは雑魚だし)
シリウスはくすりと冷笑を浮かべ、剣の切っ先をギャラクに向けた。『エクソダス』一行は武器を構えて応戦の姿勢を見せ、ギャラクは一行に指示を出した。
「……エッジ、ワース、お前らは急ぎ他の奴らを呼んで来てくれ。それまで俺とクェイサーでこいつを足止めする」
「了解。まあ、戻ってくるまで適当に頑張ってね」
「了解です! ギャラクさん、クェイサー、無理しないで下さいよ!」
「急げよ。我等も長くは保たんぞ」
エッジとワースは増援を呼ぶべく、武器をしまって走り去ろうとした。シリウスは素早く接近して追撃しようとしたが、ギャラクとクェイサーが立ち塞がって剣を振るった。シリウスは飛び退いて難なく躱したが、肝心の2人には逃げられてしまった。
(ちっ、行ったか……。さっさと片付けないと面倒ね)
「クェイサー、増援が来るまでは無理に攻めなくていい。防御中心にしろ」
「はっ、心得ております」
ギャラクとクェイサーは剣を構え直し、シリウスを見据えた。自分から攻める気はないようだ。
確かに『エクソダス』が集まってきたらいくらシリウスと言えど流石に厳しい。特にネビュラの魔法が加わると対処のしようがない。それまでに急ぎギャラクとクェイサーを始末しなければならない。
(まあいいわ。……ほんの少しだけ、本気を出そうかしら!)
シリウスは微かににやついた後、一瞬でギャラクに接近し神速の薙ぎ払いを放った。ギャラクは巨剣で薙ぎ払いを受け止めたが、その衝撃で僅かに後ずさった。
クェイサーはすれ違うようにシリウスの後ろに回り、背中へ細剣で突きを放ったが、薙ぎ払いの勢いそのままに振り返って細剣を強く弾いた。その勢いで腕を持っていかれて胴体が空いたクェイサーに素早く斬撃を放ったが、すぐに飛び退いたのでかすっただけであった。
さらに追撃しようとするシリウスに向け、ギャラクは後ろから巨剣を振り下ろした。シリウスは僅かに脇に避けて巨剣を躱し、背を向けたまま顔面を狙って肩越しに付きを放った。ギャラクは首を逸らして躱し、巨剣を続けて振り上げたが、シリウスは巨剣の腹を蹴って軌道を逸らした。すぐに振り向き様に薙ぎ払ったが、ギャラクは籠手で受け止め飛び退いた。腕が痺れ、ギャラクの頬から血が流れた。
ギャラクとクェイサーはシリウスを挟んで距離を取る形となっている。2人は厳しい表情を見せているが、シリウスは余裕の笑みを浮かべている。
(……まあ、流石にこれくらいは耐えてもらわないとね)
「流石にやるな……。本当に長く保たんぞ」
「全く、忌々しい……。私に傷をつけるとは」
シリウスは路地の壁に背を付け、両脇に2人を見据える形をとった。2人は変わらず攻める気は無いようだ。
(さて、どっちを殺ろうか……あら?)
どちらを攻撃するか迷っていると通信機に反応があった。剣を片手で持ち替え、対峙している状況にも関わらずシリウスは通信機を手に取った。
「…………。」
≪シリウスか!? 私だ、リゲルだ! ベテルから話は聞いた、今転送装置を持っていないんだろう!?≫
(ほう、この状況で通信に出るか、大胆な……。クェイサー)
(はっ)
通信を聞いて隙を見せるシリウスに対して、ギャラクとクェイサ―は目配せして同時に切りかかった。シリウスは通信を聞きながら三角飛びで斬撃を躱した。
≪今私は王都東門にいる! すぐにこっちまで逃げてくるんだ! 転送する!≫
「…………。」
ギャラクは空中のシリウス目掛けて巨剣を振り上げた。シリウスは剣で防ぎ、勢いでさらに飛ばされたが身を翻して建物の壁を蹴り、路地を塞いでいる氷壁の上へ登ってしまった。
「なに!? 上へ逃げたか!」
「ちっ、面倒な……!」
≪いいかシリウス、奴らを倒す機会は今後いくらでもある! 今はとにかく退くんだ!≫
通信はそこで途切れた。シリウスは氷壁の上でギャラクとクェイサーを一瞥した後、苛ついたように顔をしかめて舌打ちし、反対側へ飛び降り東門目指して走り去った。
「くっ、逃げたか……。奴を倒す機会をみすみす逃すとは……。」
「しかし、急な事態でしたし準備不足でした。これも止むなし、でしょう」
「……まあ、そうだな。誰もやられなかっただけましか」
ギャラクとクェイサーは剣を収めて言葉を交わした。
「一度ホテルに集まるか。王都の『ステラハート』は粗方追い払ったし、今後の動きを打ち合わせるぞ。クェイサー、俺は先に戻るから他の奴らに呼んで来てくれ」
「はっ、承知しました。では後程……。」
クェイサーは会釈をし、夜闇に覆われた路地を後にした。ギャラクは葉巻を取り出して火をつけ、吹かしながらゆっくりその場を去って行った。




