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25. 4月22日:イルミナイト王都(その3)

アークトゥルスとアンタレスが撤退した頃、カノープスは王都南東部の緑地公園で転送ポイントの設定をしていた。

王都内では数少ない緑地公園ではあるが、特に遊具などもある訳でないので日中でも散歩程度にしか利用される事はなく、夕方から夜にかけては人はほとんどいない。木陰などであれば尚更人目につかないので転送ポイントに丁度良い。


「……ふう、これで良いわね」


設定を終えたカノープスは木陰を離れ、植え込みを掻き分けて公園の遊歩道へ出た。夕暮れの歩道は既に暗く、等間隔に立つ街灯が街道を照らしている。歩行者がいる様子はなく、動くものは街灯の光に集う羽虫だけである。


(この辺は大体終わったし、今日はもう戻ろうかしら……。)


南東部の目ぼしい転送ポイントは既に回っている。これ以上は必要ないと判断したカノープスは服についた葉やゴミを掃い、遊歩道をベテルギウスの診療所の方へ向けて歩き出した。


(…………。)


途中、中央に窪地に噴水のある広間を横切ることになった。遊歩道を道なりに進んでも良いのだが、その広間を横切った方が早く戻れる。カノープスに限らず誰でも思う事である。

夜も近いためか噴水は止まっており、窪地に溜まった水溜まりは波打つことなく静かに佇んでいる。


(……あら?)


広場を中ほどまで歩いた頃、正面の遊歩道入り口脇のベンチに誰かが1人座っているのが見えた。暗くてよく分からないが、こんな時間に公園に誰かが1人でいるとは――カノープスもそうだが――なかなか珍しい。

とは言え、カノープスは特に気にすることなく通り過ぎようとした。万が一暴漢だったとしてもただの暴漢程度ではカノープスの敵ではない。


(……!)


顔が判別できるほど近づいた時、カノープスの足は止まった。その人物は暴漢よりもはるかに厄介な人物であった。


「仕事は終わったかね?」


その人物はベンチに足を組んで座ったままカノープスに語りかけた。

その人物は見た目麗しい金髪の青年であり、複数の細剣やサーベルを帯刀し城下町の公園に似合わない騎士然とした服装をしている。


「……どうしてここにいるのかしら、クェイサー?」


カノープスは正直驚いていたが、努めて冷静に答えながら光子鋼武器を構えた。光子が集い、透き通る白銀の刀剣が現れた。

その青年――クェイサーはカノープスも良く知っている人物である。『エクソダス』の一員であり、過去にカノープスと対峙し争った事もある。 

クェイサーはふんと鼻を鳴らし、立ち上がってカノープスを見据えた。


「なに、王都の鼠を駆除しに来ただけだ」

「あら、ご苦労様。……じゃあ人間の私は関係ないわね。どいてもらえるかしら?」


クェイサーは軽口を交えて答えた。同時にサーベルを抜いて構え、カノープスに切っ先を向けた。

カノープスも警戒したまま軽口を返した。


「すぐにどくさ――駆除が終わったらな!」

「……!」


クェイサーは瞬時にカノープスの懐に飛び込み、素早く突きを放った。カノープスは一歩下がり、刀剣で突きを弾いた。直後カノープスが反撃して刀剣を振るったが、クェイサーは難なく躱して僅かに距離を取った。


「ふふっ、鼠と人間の区別もつかないのかしら?」

「ふん、減らず口を……。まずは黙らせてやろう」


カノープスはくすりと笑って軽口を飛ばし、刀剣を構え直した。クェイサーはすぐに斬りかかったがカノープスは難なく受け止め、すぐに反撃の斬撃を繰り出したがクェイサーはまたしても後方に飛び退いて躱した――と同時に1枚の紙を投げた。カノープスの斬撃は投げられた紙を両断した。

すると両断された紙から橙色の紋様が現れ、一瞬発光して消失した。


(……! 何をしたのかしら……あら? 声が……。)

「ふっ、これで静かになったな……行くぞっ!」

(……!)


クェイサーは困惑するカノープスに対し突きを中心に、時折斬撃を交えてカノープスを攻撃した。一瞬反応が遅れたが、カノープスはそれらを捌いて行った。何をされたのかは分からないが、声が出ない程度であれば大した問題ではない。カノープスはすぐに落ち着きを取り戻した。

やられてばかりではなく、隙を見て反撃に転じ逆に押し返そうとするが、クェイサーも慌てることなく躱していった。クェイサーも焦りや狼狽は一切見せず、余裕の表情である。


(流石にやるな……。だが!)

(あっ!?)


剣戟を最中、クェイサーはカノープスの反撃の刃を強く弾いた。今まで軽くいなしていたものを突然強く弾かれた事で、カノープスはバランスを崩してよろめいた。


「もらった!」

(……!)


クェイサーはカノープスの喉元目掛けて突きを放った。もはや刀剣での防御は間に合わない。

カノープスは咄嗟に空いていた左腕で攻撃を喉元を守った――そして何とそのまま腕でクェイサーのサーベルを受け止めた。


「何!?」


予想もしない事態にクェイサーは驚愕したが、すぐにサーベルを外して追撃しようとした。しかし、なぜかサーベルが外れない。引っ掛かったような感覚だ。

その隙にカノープスは体勢を直しつつ右手の刀剣を振るって正面を薙ぎ払った。直撃すれば一刀両断の間合いである。


「ちっ……!」


クェイサーはサーベルから手を離して飛び退き、斬撃を間一髪で躱した。衣服の一部が切られ、布片が散った。サーベルはカノープスの腕から零れ落ち、カランと音を立てて地面で跳ねた。

クェイサーがカノープスを見ると、カノープスはいつの間にか左手に逆手で持った光子鋼短剣を携えていた。その刀身は深い鋸刃で形成されており、先程の攻撃はこれにサーベルを噛ませて防いでいたようだ。


「成程……それで防いだ訳か。以前はそのような物は使用していなかったな?」

(以前同じ手で痛い目を見たからね、対策よ)


クェイサーは別の細剣を抜きながら興味深そうに聞き、声の出ないカノープスは得意げな笑みを返して答えた。

以前対峙した時にはカノープスは一刀で戦っており、クェイサーは同じ手を使ってカノープスに深手を与えたのだが、カノープスも全く対策していない訳ではなかったようだ。


「まあいい、私もそうでなくては面白く、ないっ!」


クェイサーはカノープスに斬りかかった。しかしカノープスは短剣で攻撃を弾き、刀で逆に斬りかかった。


「ちっ……!」

(ふふっ、今度はこっちの番)


カノープスは刀剣と短剣を駆使してクェイサーを攻め立てた。クェイサーの反撃は短剣で弾かれて逆に反撃の隙を与える事になってしまい、迂闊に手を出せない。反撃できず、徐々に後ろに押されていった。

押されたクェイサーは焦りの表情を見せており、もうすぐ水溜まりに足がつきそうである。


「ちっ、仕方ない! ネビュラ!」

「……【水流腕(アクアテンタクル)】」

(ネビュラ!? ……はっ!?)


クェイサーが突然叫ぶとどこからか声が響き、水溜まりの水面がにわかに波打った。そして波の頂点から水が細い触手のように伸びてカノープスを襲った。

カノープスは攻撃を中断して横に飛び退き水の触手――【水流腕(アクアテンタクル)】を避けたが、避けた先でも2本の【水流腕(アクアテンタクル)】が待ち構えていた。すぐさま刀剣を振るって1本の【水流腕(アクアテンタクル)】を切って軌道を逸らしたが、もう1本は防ぎきれず右肩を貫いた。


(くっ……!)


カノープスは痛みに顔をしかめ、水面から飛び退いて離れた。


「やれやれ、本当は私一人で仕留めるつもりだったが……。予想以上に腕を上げてきたな」

「そのようですね。私も可能ならば高みの見物を続けたかったのですが」


クェイサーの近く、どこかから女性の声が響いた。すると噴水の影の一部が人の形を取って盛り上がり、黒い影が晴れて紫の外套を纏った女性が現れた。『エクソダス』の一員、ネビュラである。魔法で影の中に隠れていたようだ。 


(ネビュラ……! まずいわね、魔法使い相手は……!)


カノープスは肩を押さえて出血を防ぎつつ、クェイサーとネビュラを見据えた。クェイサー1人だけなら押し勝っていたところだが、魔法使いであるネビュラも加わると全く逆の結果になる。ただでさえ相手しにくい魔法使いに加えてクェイサーの妨害も加わるとなると、勝ち目は薄い。


「さて、一気に仕留めるか。ネビュラ、補助を頼む」

「ふふ……補助で宜しいのですか?」

(くっ、まずはネビュラを何とかしないと……!)


一気に余裕を見せ始めた2人とは対照的に、カノープスは焦燥を隠せなかった。

ネビュラは外套内から三日月をあしらった刃の付いた杖を手に詠唱を始めた。カノープスは魔法を防ぐべくネビュラ向かって接近し攻撃を加えようとしたが、当然クェイサーが邪魔に入った。


「ふん、そう簡単に行く訳がないだろう?」

(ああもう、邪魔よ!)


焦っていたカノープスはもはやクェイサーの軽口を返す余裕はなく、何とか通り抜けようとクェイサーに斬りかかるが防がれてしまった。


「……【暗幕呪(ブラインドカース)】」

(……!)


ネビュラへの攻撃が間に合わず、何らかの魔法の発動を許してしまった。

ネビュラの杖の先端に黒い紋様が浮かび、一瞬光を放った。するとカノープスの影から闇の幕が出現して体の表面を素早く這い、カノープスの目を覆って視界を奪った。


(しまった……! 目が……!)


視界を奪われたカノープスは一瞬ではあるが思わず動きを止めてしまった。当然クェイサーはその隙を逃さなかった。


「隙ありだ!」


クェイサーはその隙にカノープスの心臓目掛けて突きを放った。目が見えない状況では防御できず、避けようとしたものの突きをまともに受けてしまい、細剣はカノープスの左胸を刺し貫いた。


(ぐぅっ……!)


カノープスは苦痛に耐え、表情を歪ませながらも後ろに飛んで細剣を抜いた。しかし視界が奪われていて地面が見えず、着地に失敗して仰向けに倒れた。短剣を構えたまま傷口を押さえたが、胸の傷口からは血が溢れ出ているのを感じる。


「……心臓は外したか。しかしその出血量、動脈くらいはやったか」

(く……逃げないと……。)


わずかに避けようとしたおかげで心臓を貫かれることはなかったが、出血量が多く、これ以上は戦えそうにない。クェイサーは歩いてカノープスに迫っている。

カノープスはすぐに転送装置を取り出し、目が見えないながらも何とか起動した。カノープスは青白い光の粒子となって消失した。


「む……逃げたか」

「だから言ったでしょう? 補助だけで良いのですか、と」

「……まあ良いだろう。王都から追い払うという目的は果たした」


クェイサーは細剣の血を払って収め、カノープスに絡め取られたサーベルを拾い上げた。しかしサーベルは絡め取られた時に刀身が捻れており、鞘に収める事が出来なかった。


「おや、それはお気に入りの一振りではありませんでしたか?」

「ふん……。やってくれたな、カノープスめ……。」


クェイサーは手首を捻ってサーベルを振り回した。空を切る音が普段と違い、不快である。

不協和音のようなその音にクェイサーは顔をしかめた。



************************************************



アークトゥルス達に遅れる事30分、城下町東部・貴族街入口近郊の集合住宅街ではリゲルが集合住宅の屋上フロアで転送装置を操作していた。アークトゥルス達と同じく、王都移動用の転送ポイントの設定である。

屋上フロアは特に用がなければ誰も来ないし、周囲の状況も把握しやすい。転送先には適している。


(……これで良し、と。……この辺はもう少し設定できそうだな)


リゲルは設定を終えると周囲を見渡した。周囲には同程度の高さの集合住宅が立ち並び、その先の地平線に夕日が沈もうとしているのが見える。後ろには貴族街が高所から城下町を見下ろしている。

貴族街は城下町より高い場所に造られており、城下町を様子を一望できるようになっている。貴族街に近い城下町には、その様子をまるで城下町を見下しているようだと嫌う人々も少なくない。


(……あそこは良さそうだな)


リゲルはさらに貴族街に近い集合住宅の屋上に目をつけた。目測で500メートル程はありそうだが、それでも分かるほど大きく広い場所がある。その場所までずっと屋上フロアがある集合住宅が続いているため、屋上を飛び渡っていけばさほど時間はかからなそうだ。

リゲルはその方向を向いた。ちょうど太陽に背を向ける形になり、リゲルの影が地面に大きく伸びた。


(よし、行くか……ん?)


リゲルが飛び渡ろうと助走をつけようとした所、不自然にリゲルの影が大きく伸びた。伸びた部分はまるで殴りかかってくるかのように躍動しており――


「うおりゃああああああああああああああああっっっ!!!!」

「……!!」


突如上がる叫び声を聞き、リゲルはその場から脇に素早く飛び退いた。伸びていた影は2つに分かれ、リゲルのものともう1つ――殴りかかってくるように躍動していた部分に分かれた。

着地したリゲルが元いた方を見ると同時に何者かが――恐らく、その影の持ち主が――上空からそこを奇襲し、そこの石畳を拳で強く殴りつけた。石畳は割れ、周囲に大きくひびを入れた。


「痛ってぇ!? おいお前避けるなよ!?」

「知るか! 誰だお前は!?」


奇襲者は殴った手を振って涙目になりながらリゲルに向かって叫んだ。

奇襲者は背の高い少年である。ジャケットやズボンで動き易い服装に整えており、跳ねた茶髪と鋭い切れ目が特徴的である。


「俺か!? 俺は……ええと何だっけ!?」

(こいつ……馬鹿か?)


少年は素直に名乗ろうとしたが、自分の名前を覚えていないような様子だ。リゲルは警戒しつつも呆れて内心見下した。


「……ああそうだ、思い出した! セイファート! 俺はセイファートだ!」

「セイファート? ……ちっ、『エクソダス』か!」


セイファートは名前こそ聞いていたが出会った事のない『エクソダス』のメンバーとして覚えていた。リゲルはセイファートを見据えると交戦の構えを取った。


「で、お前はリゲルだな!? ……あれ、違ったっけ? プロキオンだっけ? いや、確かリゲルが銀髪の方だったよな?」

「……その程度も覚えられないのか?」


セイファートは拳を鳴らして威圧しつつも、首を(かし)げて考えた。相手の判別すらままならないようだ。リゲルは呆れて物も言えなかった。あまりの無知さ加減に溜息が出そうである。


「まあどっちでもいいや! ぶっ飛ばす!」

「……はぁ……。」


とうとう溜息が出た。

セイファートは豪快に走り寄りつつ、思いきり振りかぶってリゲルの顔面を殴ろうとした――が、はっきり言って隙だらけである。

リゲルはセイファートが拳を突き出した瞬間姿勢を低くして拳を躱し、その勢いを利用してセイファートの身体を持ち上げ、上空に投げた。セイファートはリゲルの後方に投げ出される格好となり、転落防止用の柵を越えて屋上から落ちた。10階以上もある集合住宅から落ちては、常人なら堪ったものではない。


「お!? うおおおおおおおおおおおおっ!?」

「……!」


しかしリゲルはすぐ柵から落ちていくセイファートを確認した。『エクソダス』が屋上から落ちた程度でやられるとは思っていないのである。

案の定、セイファートは空中で体勢を立て直し、難なく着地した。そしてリゲルを見上げて叫んだ。


「くそっ、落ちちまった……。おいお前! ちょっと待ってろ! 今行くから!」


そう言うとセイファートは集合住宅の中に入って行った。律儀にも階段を登って戻ってくるつもりらしい。

リゲルはセイファートが入って行くのを確認すると、深く溜息を吐いた。


(……あいつは待てと言われて待つ奴に会った事があるのか?)


リゲルは呆れるばかりである。セイファートの到着を待たず、助走をつけて集合住宅の屋上を貴族街の方へ向けて飛び渡って行った。

3件ほど飛び渡った所でリゲルはセイファートから見えないように屋上フロア出入り口部分に隠れた。正面には貴族街のある高台が見え、後ろからは到着したセイファートが叫んでいるのが聞こえる。


「……あれ、いねぇ!? おいこら逃げるな! 出てこい!」

(……『エクソダス』にもあんな馬鹿がいるのか。初めて同情できそうだな)


リゲルは通信機を取り出してアークトゥルスと連絡を取った。『エクソダス』と遭遇した事を伝えなくてはならない。


「……アークか? 私だ。突然だが『エクソダス』に襲われた」

≪…………。≫


アークトゥルスはなぜか無言のまま答えない。


「アーク? どうした?」

≪…………。≫

「おい、なぜ喋らない?」

≪…………。≫

「……アーク、こんな時にふざけないでくれ」

≪…………。≫

「何なんだ、全く……。とにかく今王都に『エクソダス』がいる。注意してくれ」


リゲルは少し苛つきながらもアークトゥルスに注意を促し、通信を切った。

次にベテルギウスに現状を伝えようと通信機を操作した――しかしその瞬間、突如通信機が掌から弾き出された。


(何だ!?)


弾き出された通信機はリゲルの足元に落ちた。通信機は破壊されており、真っ二つに割れてしまっていた。


「何が……ぐあっ!?」


何が起きたのか分からないまま壊れた通信機を拾ったが、その時両足に鋭い痛みが走り、リゲルは体勢を崩して倒れた。

足を見ると、両脛から出血しており床面に弾痕があった。察するに、銃で撃たれて貫通したのだろう。


(しまった、狙撃か!)


弾痕の角度からして、かなり高所から狙撃されたようだ。リゲルはすぐ貴族街の方を見た。周囲は開けて見通しが良く、どう考えてもそこからとしか考えられない。

しかし一見しただけでは何処に狙撃手がいるのか分からない。分かるのは、今ここにいては危険と言う事だけである。


(くっ、身を隠さないと……ぐあっ!)


リゲルは起き上がって貴族街方面から身を隠そうとしたが、貴族街に背を向けた瞬間複数の弾丸がリゲルの身体を貫通した。

何とか狙撃されない位置に身を隠す事には成功したが、身体に受けたダメージは大きい。


「くそっ……げほっ、げほっ!」


座り込んで血混じりの咳をし、口元を拭って物陰から貴族街を睨んだ。もう日は地平線に半分沈んでおり、暗くなって貴族街も良く見えない。


(こんな薄暗い時に、あそこから私を狙撃したのか!? 並大抵の腕じゃないぞ、一体何者だ!?)


貴族街からリゲルのいる場所までは目測で1キロメートルはあろうかと言う距離である。それを暗くて視界の悪い中、通信機を狙ったり両脛を続けて打ち抜くなど、相当な手練れでなければ不可能である。


「あっ! そこに居やがったか! 逃げるな!」

「ちっ、気付かれたか」


今いる位置は狙撃はされないが、逆にセイファートからは見える位置であった。リゲルに気付いたセイファートは屋上を飛び渡って迫ってきた。リゲルは全身の痛みを堪えて何とか立ち上がり、セイファートの方を向いて迎撃の構えを取った。


「うおりゃああああああああああああああああっっっ!!!!」

「……!」


セイファートは最初と同じように、飛び移り際に殴りかかってきた。やはり隙だらけで通常時なら避けるのは容易だが、今はあまり動けないので迎撃するしかない。

セイファートはリゲルの顔面目掛けて拳を振り下ろしたが、リゲルは両腕を交差させて防御しセイファートを弾き返した。リゲルはその勢いで大きくふらついたが、顔をしかめて両足の激痛を堪え、何とか倒れずに踏み留まった。


「痛ってぇ!? 何だお前、腕硬過ぎじゃね!?」


着地したセイファートは殴った方の拳を押さえてリゲルを見た。リゲルの両腕はいつの間にか透き通る白銀の籠手で覆われていた。


「何だそれ? 籠手か?」

「ふふ……見て分からないか?」


リゲルは軽口を叩いた――身体のダメージを悟られないように。本当は立っているのもやっとである。


「まあ何でもいいや! とにかくぶっ飛ばす!」

「ふん、それしか言えないのか?」


セイファートはまたしても思いきり振りかぶってリゲルの顔面を殴ろうとした。完全に先程と同じである。

今は格闘戦になると不利である。リゲルは腕を捉えて投げを中心に攻める作戦に出た。


(捉え……っ!?)


セイファートは直前で拳を止め、もう一方の拳で腹部の出血している部分を殴りつけた。完全にフェイントに引っかかってしまった形だ。


「ぐぅっ……!?」


リゲルは苦痛に表情を歪ませ、大きくぐらついた。続けてセイファートは今度こそ拳を振りぬき、リゲルの顔面を捉えた。


(……っ!)


リゲルは姿勢を保てず、殴られた勢いで後方に倒れた。視界が霞んで乱れ、意識が一瞬遠退いた。


(まずいっ……!)

「おりゃあああああああああああっ!」


セイファートが倒れたリゲル目掛けて飛び、顔面目掛けて追撃の拳を放った。リゲルは何とか受け止め、そのまま腕を掴んで後ろにセイファートを投げた。しかしセイファートは難なく体勢を戻して着地した。

リゲルはセイファートの状況を確認せず転送装置を取り出した。リゲルは既にかなりの体力を消耗しており、これ以上戦い続けても不利になるだけである。


(もう限界だ……!)

「まだまだぁっ!」


セイファートは転送装置を操作するリゲルの胸倉を掴んで起こした。リゲルはもはや気にせず転送装置を起動した。今は攻撃を防ぐより逃げるのが先決だ。

セイファートは掴んだまま思い切りリゲルを殴りつけた。セイファートの目に歯を食いしばって苦痛に耐えるリゲルの表情が映った後、リゲルは青白い光の粒子となって消失した。


「あっ! また逃げやがったな!? おい、出てこい!」


セイファートは屋上フロア出入り口部分の物陰から姿を現し、周囲を見回して叫んだが、リゲルは既にいない。

しばらく見回した後、セイファートの通信機に着信が入った。それに気づいたセイファートは通信機を取った。


「おう、エルゴス……だっけか? 何だ!?」

≪いい加減覚えろ。……リゲルはどうした?≫

「今探してる、逃げられちまった!」

≪転送装置で逃げたのか? ……なら、そこにはもういないぞ≫

「え……マジか?」

≪当然だろう≫

「何だ、そうか……。くっそー、折角いい感じだったのに!」

 

セイファートは悔しそうに叫んだ。当然、叫び声は通信機を通じて話し相手――エルゴスに通じた。


≪うるさい、静かにしろ。……ところで、【沈黙呪印(サイレントシール)】はちゃんと使ったか?≫

「【沈黙呪印(サイレントシール)】……。やべっ!? 忘れてた!」


セイファートは慌ててジャケットのポケットをまさぐった。そこには【沈黙呪印(サイレントシール)】が描かれた紙が入ったままであった。


≪……ギャラクに伝えておく≫

「いやマジで親父に言うのは勘弁してくれ! ああでも、狙撃してくれただろ!? かなりダメージは与えたし、ちゃんとぶん殴ったからしばらく動けないんじゃね!?」

≪逃げられたら無意味だ。リペアラーなりプロキオンの魔法なりで回復される≫

「ええ……。丸々無意味かよ……。」

≪しかも喋れる状態で逃げられた。急がないとベテルギウスに連絡されて逃げられるぞ≫

「マジかよ!? 急がねーと! 俺もう行くわ!」


セイファートは通信を切って屋上から飛び降り、貴族街から離れるように走り去って行った。

貴族街にいたエルゴスは遠目にその様子を見ていたが、姿が見えなくなると溜息をついて構えていた狙撃銃を片付け始めた。

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