24. 4月22日:イルミナイト王都(その2)
日が沈み始めて夕焼けの空が広がる頃、城下町北東部でアークトゥルスとシリウスは転送ポイントの設定を続けていた。今は住宅街の一目につかない裏路地におり、転送ポイントを探して歩き回っている格好である。
「……この辺は良さそうね。シリウス、大丈夫だと思うけど周囲を見張ってて」
「……了解」
塀に囲まれた一角でアークトゥルスは転送装置を取り出し、転送ポイントの設定を始めた。シリウスは気怠そうに返事をして塀に寄りかかり、周囲を見渡したが特に誰かがいる気配はない。
転送ポイントの設定には少し時間がかかる。僅かな時間ではあるがシリウスにとっては退屈である――と言うよりシリウスにはこの活動自体、無駄に思えていた。
「……終わったわ。次に行きましょう」
「はぁ……。いつまでこんな無駄な事するのよ?」
「『エクソダス』を確実に倒すための準備よ、無駄じゃないわ。幾つも転送先を用意しておけば挟撃なり包囲なりできるでしょう?」
「それが無駄だって言ってるのよ。そんな小細工しなくても、私1人で始末できるわよ、あんな奴ら」
シリウスは掌を上に向けて体勢を直し、あっさりと答えた。アークトゥルスは呆れて首を振ったが、一応シリウスに説明した――聞く耳を持っていないと分かってはいるのだが。
「あなたはそうかもしれないけど、私達はそうもいかないの。奴らを確実に倒すには1人に対して数人で当たらないと厳しいのよ」
「へえ……。あんな雑魚共にねぇ……。」
「……『エクソダス』を雑魚呼ばわりできるのは世界中探してもあなただ――」
「……?」
アークトゥルスは話の途中で突然、声を出すのを止めた。しかし、様子が変である。困惑した表情で口だけを動かしている。シリウスはその様子を見て怪訝な表情を浮かべた。
「……アーク、あんた何やってるの? ふざけてないで、さっさと――」
シリウスはそれ以上言わなかった――いや、言えなかった。突然声が出せなくなったのである。いくら声を出そうとしても声は出ず、ただ無意味に口が動くのみである。今度はシリウスが困惑した表情を浮かべる事になった。
2人とも声が出せなくなった所でお互いに察した。近くに誰かいる。
すぐに周囲に対して気を張ったが、その必要はなかった――2人の進路を塞ぐように男女が建物の上から飛び降りてきたのだ。すぐさまアークトゥルスとシリウスは背中合わせになって光子鋼剣を構えた。
「上手くいったなエッジ。【沈黙呪印】って、ちゃんと効くんだな」
「油断しないでワース。相手はシリウスよ?」
「ああ、分かってる。こいつ相手に間違っても油断できねーよ」
(『エクソダス』!? どうしてここに!? この2人は確か……ワースとエッジ!)
(ふーん……。久しぶりに楽しめそうね)
アークトゥルスは突如現れた『エクソダス』に驚いたが、すぐに警戒を強めて表情を強張らせた。一方でシリウスは余裕の笑みを浮かべている。
アークトゥルスと対峙している女性――エッジは透き通る白銀の多節長剣を構えてアークトゥルスを警戒している。手にしているのは『ステラハート』が所持しているものと同じ、光子鋼武器のようだ。
シリウスと対峙している男性――ワースは両手に光子鋼双剣を構えてシリウスを警戒している。
アークトゥルスとシリウスは真っ直ぐな路地で挟撃された形になっており、逃げるにはどちらかを突破する必要がある。アークトゥルスは指示を出そうとしたが、今は【沈黙呪印】とやらによって声が出せない。この状況でシリウスと連携を取るのは――普段からシリウスと連携などしていないが――至難の業である。
今はアークトゥルスが指示を出せる状況ではない。一方で、元より指示に従わない事も多いシリウスは勝手に行動するだろう。今はお互い個人で対処する他なさそうである。
(……今は自分で何とかするしかないわね)
アークトゥルスは背中合わせのシリウスに目配せし、肘で小突いた。シリウスが意図に気付いたかどうか分からないが、僅かに反応があった。
しかし、アークトゥルスが一瞬シリウスに目配せする隙をエッジは見逃さなかった。その瞬間、エッジは多節剣を振るった。振るった多節剣は節目で別れて鞭のようにしなり、アークトゥルスを襲った。
(……!)
反応が遅れたアークトゥルスだったが、すぐに長剣を振るって攻撃を受け止めた。受け止めた多節剣はアークトゥルスの長剣に巻きつき、その動きを拘束した。
一方、ワースもエッジの動きに合わせてシリウスを攻撃しようとしたが、それよりも早くシリウスが詰め寄って斬りかかった。
「うおっ!?」
(ふふっ、そうでないと。簡単に死なないでよね?)
ワースは咄嗟に双剣を交差させて攻撃を受け止めた。シリウスはすぐに剣を外して下から剣を振るったが、かすったものの間一髪でこれを受け止められた。その後も苛烈に攻め立てるシリウスにワースは防戦一方である。
(くそっ、反撃の隙すらない……!)
ワースは苛烈な攻撃を受け止めきれず、かすり傷を多数受けながら徐々に後退せざるを得なかった。ワースにとっては一瞬でも気を抜けば即斬り捨てられる厳しい状況であるが、シリウスは楽しそうな笑みを浮かべて攻め立てている。全く余裕、といった雰囲気である。
(シリウスは大丈夫ね。なら私は……!)
一瞬だけ振り向いて状況を確認したアークトゥルスは、一息にエッジとの距離を詰め、巻きついた多節剣ごと長剣を振り下ろしてエッジに斬りかかった。
「させないわっ!」
エッジは多節剣を引き戻して斬撃の軌道を逸らし、直撃を躱した。そして一旦巻きついた刀身を消して拘束を解除したが、解除した瞬間アークトゥルスは追撃の斬り上げを放った。しかしエッジは読んでいたようで、すぐに刀身を出現させて攻撃を受け止めた。
「そう簡単にはやらせないわよ!」
(このまま押し切る!)
アークトゥルスは流れを掴むべく、矢継ぎ早に攻撃を繰り出した。エッジは多節剣を駆使して攻撃を躱し続け、一瞬の間を突いて反撃を繰り出すがアークトゥルスは隙を見せずこれを防いだ。
十数回ほど剣戟を繰り返すうちにエッジは少しずつ押されて後退していたが、これもエッジの計算の内であった。
(逃がさない……あっ!?)
もうすぐ追い詰められると言う頃、エッジはアークトゥルスの斬撃を受け止めずに大きく後ろに飛び退いて躱した――そして飛び退いた先には街灯があった。エッジは街灯に足を掛けて蹴り、上空に跳ね上がるとアークトゥルスを飛び越えた。始めからこれが狙いだったようだ。
エッジはそのまま上空で多節剣を振るった。振るった多節剣は再び鞭のようにしなり、背を向けているシリウス目掛けて襲い掛かった。シリウスは既に満身創痍のワースを追い詰めている。
(シリウス!)
アークトゥルスは声が出ない事を忘れて叫んだ。
しかしアークトゥルスが叫ぶ前からシリウスは既に気付いていたようで、背を向けたまま剣を多節剣に絡ませ、強く引っ張った。
「きゃっ!?」
エッジは不意に引っ張られて空中で体勢を崩した。シリウスはすかさずエッジ目掛けて跳躍し、多節剣が絡まったままの剣でエッジ目掛けて突きを放った。狙いは心臓である。
(しまった……!)
「エッジ! 避けろ!」
ワースが叫んだが、空中では躱しようがない。エッジは咄嗟に多節剣の刀身を消し、すかさず出現させて刀身で心臓を守った。
しかしそれすらもシリウスは読んでいた。シリウスは突きを中断して腕を横に振るって勢いをつけ、がら空きになったエッジの腹部へ強烈な蹴りを入れた。
「う、ぐぅっ……!」
エッジは強烈な一撃に苦悶の表情を浮かべた。シリウスはその表情を見て冷たい笑みを浮かべた。
(あの一瞬で防御を読んで蹴りに切り替えたのか!? 化け物かこいつ!?)
ワースは心中で叫び、体勢を立て直して空中の2人を見上げた。
シリウスが跳躍してからエッジに到達するまでほんの一瞬、半秒もないのである。その一瞬で防御を読んで攻撃を切り替えるなど、いくら『ステラハート』は身体能力が強化されているとは言え、まず不可能である。しかしシリウスはその不可能をやってのけた。化け物としか思えない。
(ぐぅっ……! ワース……作戦通りにっ……!)
「……!」
エッジは空中で反対方向――アークトゥルスのいる方へ押し返された。
そして苦悶の表情を浮かべながらもワースに視線を送り、多節剣を振るった。振るった多節剣は三度鞭のようにしなり、空中のシリウス――ではなく、アークトゥルスに襲い掛かった。
(!? しまっ……!)
アークトゥルスもシリウスのあり得ない動きに驚いて硬直しており、エッジがシリウスの方を向いたまま多節剣を振るったので自分の方へ襲い掛かってくるとは思っていなかった。
反応が遅れたアークトゥルスはすぐに長剣で攻撃を受け止めたが遅く、直撃は免れたものの複数の刃がアークトゥルスの体を切り裂いた。
(くぅっ……!)
アークトゥルスは痛みに表情を歪めたが、すぐにこちら目掛けて落ちてくるエッジを見据えた。幸いにも傷は浅く致命傷ではない。出血も大した事はない。
受け止めた多節剣は同じくアークトゥルスの長剣に巻きついている。アークトゥルスは一度刀身を消して巻きつきを解き、再び刀身を出現させて剣を構えた。
今、落ちてくるエッジは無防備であった。倒すには絶好の機会である。
(これで終わり……はっ!?)
アークトゥルスはエッジ目掛けて跳躍しようとしたが、その直前までワースが目の前まで来ている事に気が付かなかった。エッジを仕留める絶好の機会に気を取られ、正面へ注意が向いていなかった。
ワースはシリウスが空中にいる間にアークトゥルスの方へ詰め寄っていた――2人はシリウスではなく、アークトゥルスを仕留めるつもりだったのである。
(まずいっ……!)
「もう遅い!」
アークトゥルスは長剣でワースの攻撃を受け止めたが、受け止められたのは右手の剣だけであった――左手の剣は防御をすり抜け、アークトゥルスの腹部を刺し貫いた。
(ぐっ……がはっ……!)
アークトゥルスは苦痛に目を見開き、血を吐いて怯んだ。このままではまずい。
アークトゥルスはすぐに後ろに飛び退いて腹部から剣を抜いた。刺された傷口からは血が溢れ、滴り落ちて血溜りを作り出した。
(くっ……これは、まずいわね……。)
アークトゥルスは心中で呟き、体勢を崩しながらも苦痛に耐えて長剣を構えた。
構えると同時にエッジとシリウスが着地した。エッジは蹴られたダメージが効いているようで、着地時にバランスを崩してよろめいた。
シリウスは着地してすぐにエッジへ詰め寄り、剣を振り下ろした。
「くっ……!」
エッジは体勢を崩しながらも多節剣で攻撃を受け止めたが、シリウスは容赦なく攻撃を続けた。今度はエッジがシリウスの苛烈な攻撃にさらされている――シリウスが楽しそうにしているのも先程と同じである。
エッジは今、アークトゥルスを攻撃できそうにない。今はワースを捌けばいい。アークトゥルスは始まったワースの追撃を必死に防いだ。ワースもシリウスによって傷だらけではあるが、全てかすり傷程度であり手数に影響はない。
(くぅっ……がはっ! ……あっ!?)
やはり重傷を負った体では手数の多い双剣を捌くのだけで精一杯であり、反撃できそうにない。
再び血を吐いて怯んだ隙に長剣を弾かれ、足元に落としてしまった。
「止めだアークトゥルス!」
ワースは双剣でアークトゥルスの胸を狙って突きを放った。今、攻撃を防ぐ武器はない。
(……!)
アークトゥルスは咄嗟の判断で後ろに身を反らせ、仰向けに倒れて間一髪で突きを躱した――と同時に転送装置を取り出し、長剣を拾った。
(もう限界、これ以上は……!)
アークトゥルスは仰向けに倒れたまま転送装置を起動した。
ワースはすぐさまアークトゥルスの心臓目掛けて双剣を振るったが、突き刺さる直前でアークトゥルスは青白い光の粒子となって消失し、双剣は地面に突き刺さった。
「……くそっ! 折角仕留めるチャンスだったのに! ……って、それどころじゃない! エッジ!」
ワースは双剣を抜きながら悔しそうに叫んだが、すぐにエッジがシリウスに攻められている事を思い出し、救助のためシリウスに斬りかかった。
シリウスは既にエッジを塀際まで追いつめており、エッジも深くはないが傷を負って流血している。
(……ふん)
シリウスはすかさずワースの双剣を受け止め、強引に押し返した。その隙にエッジは塀際から脱出してワースと合流し、二人ともシリウスから距離を取った。
シリウスはワースとエッジを見据えた――そしてアークトゥルスがいなくなっている事に気が付いた。2人の近くには夥しい量の血痕があり、何が起きたのか察するには十分であった。
(ふーん……。アークはやられて逃げたのね、こんな雑魚相手に。……全く情けないわね)
シリウスはアークトゥルスに対する嘲笑を浮かべ、剣を構えて切っ先を2人に向けた。声が出せない今、その表情と仕草はワースとエッジに自分1人で相手をする事を伝えるものでもあった。
「……ワース」
「ああ、分かってる」
エッジはまだ痛む腹部を押さえながらワースに目配せし、腰のポケットから何かを取り出して操作した。ワースも同様にポケットから同じものを取り出して操作した。2人が操作していた物は転送装置である。
(あれは……! 逃がすか、死ねっ!)
シリウスは素早く走り寄って2人纏めて薙ぎ払ったが、2人は青白い光の粒子となって消失し、シリウスの剣は空を切った。2人は始めからシリウスを相手にする気はなかったようだ。
(……ちっ、逃げたか。つまらないわね)
シリウスは光子鋼剣の刀身を消して腰に提げ、不服そうに顔を歪めた。
静寂を取り戻した路地に1人残ったシリウスはこれからどうするべきか、少しの間考えた。
(……他にも『エクソダス』が来てるかもしれないわね、探してみようかしら。……ふふ、次はもっと楽しめる相手だといいけど)
シリウスは不敵な笑みを浮かべた後、何事もなかったかのように薄暗い路地を去った。
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同時刻、イルミナイト王都外部・東門~南東門の間でアンタレスは転送ポイントの設定をしていた。
王都は東西南北及びその間の8箇所の門がある高い城壁に囲まれた都市であり、出入りは基本的に門からしか行う事ができない。万が一王都から離れる必要が出た場合のために、王都外にも転送ポイントを設定しておく必要があった。
東門~南東門の間は昔破壊された城壁の残骸が多数存在しており、人目につかず隠れる場所が多数あるので転送ポイントにうってつけである。
(…………。)
アンタレスは屈んだまま、退屈そうに転送装置を操作している。
「……よし。んん……。」
設定を終えたようだ。アンタレスは立ち上がり、両腕を上げて伸びをした。腕を下ろすと息を吐いて転送装置をしまった。
「はあ、やっと終わった……。外周りめんどくせー……。」
「ご苦労だったな」
「ああ……。 ん!?」
アンタレスは後ろから掛けられた声に何気なく返事をしたが、すぐに振り返って距離を取った。普通はこんな所に誰も来ない。
アンタレスが振り向くと、残骸の陰から筋骨逞しい男が現れた。アンタレスより一回りどころか二回りほども大きい巨漢で、籠手や胸当てなどの軽鎧類で身を固め、身の丈ほどはあろうかという巨剣を担いでいる。自信に満ちた不敵な笑みを浮かべており、鋭い眼光が威厳を感じさせる。
「げっ!? てめぇ、ギャラク! 何でここに!?」
アンタレスは驚愕し、すぐに光子鋼鎖を構えた。現れたのはギャラク、『エクソダス』のリーダーであり、シリウスにも匹敵する屈指の実力者である。
「なんだ、俺がここに居たら悪いか? 折角遊びに来てやったと言うのに」
「おい、ふざけてんじゃねぇよ」
アンタレスは冷汗を流しながらギャラクに睨みを利かせるが、ギャラクは余裕の笑みを浮かべてアンタレスをからかっている。そして担いだ巨剣を地面に突き立て、腰に提げた小袋から何か紋様が描かれた紙を取り出した。
「……!」
アンタレスはそれを見て嫌な予感を感じ取った。すぐに鎖を投げ、先端の鉤爪でそれを奪おうとした。
「良い反応だが……ふんっ!」
「げ!? うおっ!?」
ギャラクは飛来する鎖を右腕で掴んで止め、鉤爪が刺さるのも厭わず強引に引き寄せた。アンタレスはそれによってギャラクの方へ吹き飛ぶように引っ張られた。
そしてそのままギャラクは鎖を後ろに振り抜いた。アンタレスはその勢いで武器から手を離してしまい、ギャラク後ろの城壁残骸に背中から叩きつけられた。
(ぐ、うっ……)
「ふん……。」
アンタレスは表情を歪ませ、その場に崩れ落ちた。ギャラクは追撃できる絶好のチャンスであるにも関わらず、追撃せずに鼻で笑った。
アンタレスはよろめきながらも立ち上がったが、その間ギャラクは悠々と刺さった鉤爪を外している。
「……てめえ、何で攻撃しない?」
「あまり早く倒れられてもつまらんからな。まだ始まったばかりだろう?」
余裕たっぷりに上から目線で答え、奪った光子鋼鎖をアンタレスに投げ返した。奪っておいた方がはるかに有利にも関わらず、である。
「くそっ、馬鹿にしやがって……! ふざけんなっ!」
頭に血が上ったアンタレスは光子鋼鎖を拾い上げ、再びギャラク目掛けて――先程より初速を速くして――鎖を投げた。再び鉤爪で謎の紙を奪おうとしたが、ギャラクは持っていたその紙を破り捨てて回避し鉤爪は空を切った。
「は!?」
アンタレスが驚いていると、破ったはずの紙から紋様だけが浮かんだ。その紋様が橙色の光を発したと思うと、それは拡大するように広がると同時に薄れて消失した。
(何してんだてめえ? ……ん、あれ!? 声が……!?)
アンタレスは叫んだが、それは声なき叫びとなった。なぜか声が出せなくなったようである。原因は間違いなく、先程の紋様だ。
(てめえ、何しやがった!?)
「ほう、本当に効いたな。これは面白い」
口だけ動かすアンタレスの意図を読んだのかどうかは不明だが、ギャラクは興味深そうにアンタレスを見つめた。
「お前に仕掛けたのは【沈黙呪印】、沈黙の魔法だ。ネビュラは魔導書を破れば自動発動すると言っていたが……なるほど、これは便利だ。魔導書にしておけば俺達でも魔法の真似事ができるのか」
(魔導書だと!? ……面倒なもん使いやがって!)
アンタレスは声を出さずに叫んだ。アンタレスもプロキオンから魔導書については聞いている。
魔導書は魔力を込めた文字・紋様が書かれた書類で、魔法を使用する際に様々な補助・追加効果を受けるためのものである。魔法使い達の間では一般的なものであり、これを使用しない魔法使いはいないと言っても過言ではない。今回のように一定条件下で自動発動する魔法を仕込んだり、魔法の詠唱短縮に利用したり、単純に威力を高めたりと用途は多岐に渡る。
「さて、これで通信機を使っても助けは呼べんぞ?」
(ちっ、そういう目的か。……仕方ねえ、俺一人でやるしかねーか……。)
アンタレスは顔をしかめてギャラクを見据え、光子鋼鎖を構えた。
一方のギャラクは巨剣を構えるでもなく、堂々と佇んでいる。その表情は依然として自信に満ちており、口元をにやつかせている。
(くそっ、手加減のつもりかよ……。後悔させてやる!)
アンタレスはギャラクの足元目掛けて素早く鎖を投げた。ギャラクは素早く横へ飛び退けたが、鎖は左足に絡みついた。絡みついた鎖を素早く掴んで引いたが、今回はアンタレスの狙い通りであった。引っ張られた勢いに乗じ、一気にギャラクとの間合いを詰めた。
「むっ……!」
(よし!)
アンタレスは接近戦用の短刀を抜いて構え、すれ違い様にギャラクに斬りかかった。ギャラクは咄嗟に籠手で短刀を防いだ。
(くそっ、駄目か! なら!)
ギャラクを通り過ぎたアンタレスは背を向けたまま鎖を消去し、すぐに再出現させて振り返り様にギャラクの頭部目掛けて鎖を投げた。
「そうは行かん!」
(……!)
ギャラクは屈んで鎖を躱しつつ、アンタレスに接近した。アンタレスは鎖を構えたまま動けない。そしてアンタレスの腹部へ鉄拳の一撃を加えた。
(ぐ……あっ……!)
アンタレスは鈍痛に目を見開いて呻き声を――声は出ないが――上げ、後方へ跳ね飛ばされた。
(う、げぇっ……! くっ……だがこれで!)
嘔吐して体勢を崩しながらも何とか着地し、すぐに鎖を強く引っ張った。
「ほら、続けていくぞ……ん!?」
ギャラクは余裕綽々で追撃を繰り出そうとして迫ったが、後方に伸びている鎖が引き戻される時に鎖が絡む金属音を聞いた。
顔だけ少し振り返って後ろを見ると、鎖に巻きついた鋼塊――ギャラクの巨剣が使用者本人目掛けて勢いよく飛来していた。
(今度こそ行けぇ!)
巨剣はギャラクを直撃し、金属同士がぶつかる大きな音を立てた。
(よし! ……ん!?)
「……上手く狙ったようだが、残念だったな」
ギャラクが振り返ると、ギャラクは巨剣の刃を拳同士で挟んで直撃を免れていた。
(くそぉっ、これも駄目かよ……うわっ!)
アンタレスは声が出ないまま叫んだ――が、その瞬間、ギャラクは巻きついた巨剣に巻きついた鎖を引き、アンタレスは先程と同じようにギャラクの方へ吹き飛ぶように引っ張られた。
(しまっ……ぐあっ!?)
ギャラクは飛来したアンタレスの首を片手で掴み、ちょうど脇にあった城壁残骸に叩きつけた。アンタレスは首を絞められたまま宙吊り状態となっており、体格差から言って脱出は難しい。
(ぐ……息が……できない……!)
「『ステラハート』とは言え、斥候役ではこの程度か。ま、その辺の傭兵や兵隊よりは遥かに強いな。自信を持っていいぞ」
アンタレスは苦悶の表情を浮かべ、呼吸しようと喘いでいる。何とか脱出しようと暴れるも、効いている様子はなく短刀も届かない。このままでは絞め落とされてしまう。
ギャラクは勝利を確信しているようだ。結局、最後まで余裕のない表情を見せる事はなかった。
(く、そぉ……駄目だ……。俺じゃ……勝てねぇ……。)
「折角だ、このまま連れ帰るか」
(……逃げるしか……ないのかよ……。)
アンタレスは苦悶の表情から一筋だけ、悔し涙を流した。そして薄れていく意識の中で何とか転送装置に手を掛け、気付かれないように起動した。
「……ん?」
アンタレスは青白い光の粒子となって消失した。ギャラクの腕から重量感が消え、一気に負担がなくなった。
「……逃げたか。……まあいい」
ギャラクは振り返って足元に落ちていた巨剣を拾い上げ、体に着いた泥を掃おうとした――が、特に汚れている様子はなかった。
そして辺りを見回し、丁度良い高さの瓦礫に腰を下ろすと腰ポケットから葉巻を取り出して銜え、火をつけて吹かした。
「流石ですな、ギャラク殿」
物陰に隠れて見ていたシルトが姿を現し、ギャラクに声を掛けた。ギャラクは葉巻をふかしたまま軽く鼻を鳴らした。
「よりによって俺がアンタレスと当たるとはな、斥候程度では相手にならん。全くつまらん結果だ」
「おや、それは……。シリウスと当たりたかった、とでも仰るおつもりですか?」
「くくく、かと言ってそれは勘弁だな」
ギャラクは冗談めいて笑い、煙を吐いた。夕焼けの空に香ばしい紫煙が立ち上った。




