16. 4月19日:イルミナイト王都
翌日、アイリスは久しぶりにベッドから降りて自由に動くことができた。1週間近く横になっていたので体が鈍りがちだったが、問題なく動けそうだ。
「どこか違和感のある所はありませんか? ふぁ……」
ベテルギウスは椅子に腰かけたまま欠伸をし、眠そうに目を擦りながら質問した。どうもアークトゥルスとの話が長引いたようだ。
当のアークトゥルスとカノープスは別室で出立の準備をしている。
「大丈夫です、問題なく動けます」
「そうですか」
アイリスは寝巻を着替えながら答えた。元々着ていた服は失ったが、カノープスが代わりの服を用意していた。さすがアイリスと同じ体なだけあり、サイズが完全に一致している。幸い、お気に入りの胸飾りは紛失しなかったようで、そのまま残っている。着替え終わったアイリスは胸飾りを身に着け、ベッドに腰掛けてベテルギウスの話を聞いた。
「今後のあなたの扱いについてアークと話したのですけど、あなたには王都捜索が終わるまで私の『ステラハート』としての仕事の補助をしてもらいます。本当は帰ってもらおうと思いましたが、またシリウスに襲われても困りますし、終わってから帰ってもらう事にします。構いませんわね?」
「分かりました。元より協力するつもりでしたから問題ありません」
「基本的にはここで作戦を立てたり、各種報告を受けて情報整理といった事をしてもらいます。時には私の代理として活動してもらう事もあると思いますが、その時はなるべく誰かと組んで行動するようにしてください」
ベテルギウスはそう言うと机の引き出しを開け、中から刀身のない剣の柄のようなものを取り出してアイリスに手渡した。
「……これは?」
「光子鋼剣――と言っても、分かりませんよね。まあ、一言で言えば武器です。外出時の護身用としてあなたに貸しますわ」
「武器……? 柄だけに見えますが……?」
アイリスは不思議そうに渡された光子鋼剣を見た。外観を一通り確認したが、どう見ても刀身はなく柄だけである。刀身が見えないという訳でもない。
「それを構えて刀身のイメージを思い描いてください」
「……?」
アイリスは言われた通りに構えて刀身を思い描いた。すると突然周囲に銀色の光子が出現し、刀身があるべき部分に一瞬で集って透き通る白銀の刃を形成した。
「……! すごい……何これ!?」
光子鋼剣は片刃の片手剣タイプのもので、刀身などないかのように非常に軽く、扱いやすい。驚くアイリスだが、その一方でこれに見覚えがあった――シリウスが似たような剣を持っていたのだ。恐らくシリウスが持っていたのも光子鋼剣だったのだろう。
「それが光子鋼剣、普段は刀身を消しておける携帯しやすい武器、と言う認識で構いません。しまうには逆に刀身を消すイメージを思い描いてください。……剣を扱った経験はおありですか?」
「ええ、剣の扱い方はクラッドから教わってますから大丈夫です――あ、消えた――ただ、実戦経験はほとんどないですけど」
「良いでしょう。万が一戦闘になった際は決して無理をなさらぬように」
刀身は再び銀色の光子となって霧散した。再び柄だけになった光子鋼剣を腰に提げ、ベテルギウスに向き直って質問した。
「本当にいいんですか、借りてしまって?」
「ええ、実は光子鋼武器が3つ余ってましたの。どうせ誰も使いませんし、貸してしまって構いませんわ」
「そうですか、でしたら使わせてもらいますね」
「ベテル、準備できたわ」
丁度アークトゥルスとカノープスの準備も終わったようだ。二人が病室に入ってきた。
「準備できましたか。では、予定通り城下町の記憶水晶捜索を再開してください。大部分はリゲルとアンタレス――それとシリウス――が調べたようですが、また汚染者外出が増えてきて、残りの区域で捜索が難航しているようです。彼女たちの補助をお願いしますわ」
「分かったわ。アイリス、無理しないようにね。カノープス、行きましょう」
「ええ。ベテル、アイリスを頼むわ」
アークトゥルスとカノープスは作戦の内容だけ聞くと、すぐに病室を出て行った。
「さて、私達は今日も報告待ちですわね。アイリス、隣の応接室に今までの調査結果や活動報告が纏めてあります。今日はとりあえずそれを確認して私達の現状を把握しておいてください。私は開院の準備がありますのでこれで……」
「あ、ちょっと待ってもらえますか?」
「何ですか?」
「その前に確認したい事があって。少し外出してもよろしいですか?」
アイリスはクラッドがもう来ている頃だと考えていた。まず連絡を取りたいと考えていたのである。
「確認したい事? まあいいですけど、迂闊な事をしないように注意なさい」
「……はい、気を付けます」
リゲルからも迂闊だと言われていた。今回の事態も迂闊に動いたが故であったし、実に胸に刺さる言葉だが、反省して受け入れなければならないだろう。
「外出の際は裏の勝手口を使用してください。用が済んだらすぐ帰って来るように」
ベテルギウスはそれだけ言うと、病室を出て行った。アイリスも外出の準備をし、地図で目的地を確認して言われた通り勝手口から外へ出た。1週間ぶりの外出である。
(さて、『タウルス』の本部は南西だったわね)
連絡を取るには『タウルス』で確認するのが一番である。アイリスは本部目指して歩き出した。
************************************************
到着した『タウルス』本部は相変わらず繁忙した様子であり、人の出入りが激しい。まだ一般市民向けの護身術講習は続いているようなので仕方のないところだろう。
(クラッドは……リムに聞いた方が早いかしら? 来てるなら会ってるだろうし)
アイリスはまずリムに確認を取ろうとして受付脇の本部所属傭兵の名簿一覧を確認した。ギルドにいるならこれに外出中か否か示してある。
本来なら受付に聞けばいいのだが今は仕事依頼や講習の受付で繁忙を極めているので、あまり関係ない事は聞きにくい。また、本所属が本部ではないクラッドは確認に時間がかかる。
(リムは……外出中? ……仕事が入ったのね。いつ戻ってくるのかしら?)
リムは仕事で外出中であった。いつ戻ってくるのか気になったアイリスは隣の依頼用掲示板を確認した。
そこには確かにリムが名指しにした依頼書の写しが貼り付けてあった。依頼書には緊急の依頼で期間は不定、19日からサン・ダーティにて、内容は護衛といった旨が書かれている。
(今日から……。仕方ないわね、クラッドは素直に受付に聞いてみて……あれ?)
アイリスは依頼文にもう一人、指名がある事に気が付いた。その指名された人物だが、クラッドとある。
「え……クラッドも指名? ……あれ、この依頼なんか変……?」
よく考えてみるとおかしい依頼である。
別に二名以上名指しで指名すること自体はおかしくないが、それぞれ別の街から呼び出すのは珍しい。普通はそこまでして名指ししないし、二人ともわざわざ別の街に呼び出して仕事を頼みたいほど著名な訳でもない。
(クラッドもこの仕事を受けたのね。……クラッド、他の仕事は替えが効くって言ったのに……。でも、緊急の依頼じゃ仕方ないか)
アイリスは少し不満に感じたが一応緊急の依頼であるし、断りにくかったのだろう。アイリスも似たような経験はあるので気持ちは分かるのである。
「……仕方ないわね」
クラッドが来ていないと判断したアイリスは本部を出た。本当はリリィの所にも寄りたかったが、シリウスの事を伝えるべきか迷うところであったし、それこそ迂闊な事に繋がりかねない。今回は素直にベテルギウスの診療所に帰る事にした。
************************************************
ベテルギウスの診療所に帰ってきたアイリスは、応接室で用意された王都調査結果の確認をしていた。
資料によると『ピスケス』の養成所以外で記憶水晶の出処は確認できておらず、昨日までの時点で城下町の8割近くは捜索完了している。残りは城下町北部のみであり、汚染者の外出が増えてきたとは言え、5人もいれば今日中には終わりそうである。
貴族街・王城は捜索していないが、やはり一般市民に対して排他的な雰囲気なので捜索ができないようだ。貴族街を『ステラハート』――一般市民の姿をした者がうろついていたら、すぐ怪しまれて私兵を呼ばれてしまう。
王城に至っては何らかの繋がりがなくては近付く事すらできない。潜入する手もあるが、あまりにもリスクが大きいので実行できないようだ。
(この様子だと城下町にはもう記憶水晶はないのかしらね……。となると、次はどうやって貴族街や王城を調べるか、ね……。)
別紙の資料に目を通すと『ピスケス』で回収した記憶水晶は本拠地に転送した、との記載があった。どうやらここは本拠地ではないらしい。王都で行動する際の前線拠点、といった扱いなのであろう。
(本拠点は……サルバシオン自治区南部? イルミナイト連合国内じゃないのね……。でも、あそこなら納得かしら?)
サルバシオン自治区はサーフェイス大陸中央に位置する世界最大の都市であり、一応ノクタニア帝国領という扱いになっているが実態は自治国家である。
かつて存在した高度文明の遺跡群をそのまま都市として利用したものであり、コンクリートで造られた高層建築物が大量に立ち並び、壊れているが現在の技術では再現できない精密な機械が多数存在する場所である。
現在の機械技術はここに遺された機械の構造を解明して開発したものであるが、解明できたのはごく一部の非常に簡素なもののみであり、大多数の機械はいまだ解明できていない。放雷針もこの文明によるものだろうと言われている。なぜこれ程の文明が滅んでしまったのかは定かではない。
人が多く住める広大な土地、拠点にしやすく隠れるのにも適した高層建築物、珍しい機械などに惹かれて大陸中からありとあらゆる人物が集まった結果、完全に無法地帯と化してしまいノクタニア帝国も管理を放棄した場所である。現在は住人による自治と言う形で管理がなされているが、相変わらず治安は悪く、ならず者の温床となっている。
(機械は別世界の技術で直せるだろうし、隠れる場所もあるし、本拠地にするには最適なのね、きっと。……あ、汚染者の除染もここでやってたのね)
転送した汚染者情報もあった。除染は今のところ300人程度――内、死者約40名――済んでいるが、これは実際の汚染者数の1%程度でしかないと考えているようだ。
汚染者が現れ始めたのは半年前、『ピスケス』から回収された記憶水晶は6000個もある事を考えると1万~2万人は下らない、という考えである。
確かに、これではいくら汚染者を回収してもきりがない。
(ふう……現状の確認はこんなものかしら? あとは……これは? ……『エクソダス』について?)
資料の確認を終えて現状を把握したところで別紙の資料を確認した。そこには『エクソダス』の情報が記載されていた。
資料によると『エクソダス』のリーダーはギャラクと名乗る男のようだ。他のメンバーとしてクェイサ―、エッジ、ワース、ネビュラという人物が確認されているらしい。その名称一覧の下にはごく最近書かれたと思われる書き込みがあり、最近シルトという人物が確認されたと記されている。
また、エッジとワースの部分には『内面世界』という謎の注釈があり、ネビュラには魔法使いという注釈がある。クェイサーに関しては特に何も書かれていない。
(『エクソダス』には魔法使いがいるのね、相手して大丈夫なのかしら……? 内面世界って何の事だろう? ……まだあるわね)
他に分かっている事としては、『エクソダス』は少数の私兵部隊を持っているらしく様々な作戦に投入してきている事、セイファートというメンバーがいるらしい事、現在の『エクソダス』主要メンバーは8人おり、一人だけ詳細不明なメンバーがいる事などが書かれている。
(私兵部隊……そういえばリゲルも『ステラハート』各々に協力者がいるって言ってたわね。それと同じようなものかしら? ……これで終わりね)
一通り資料を読み終えたようだ。読み終えた資料は応接室奥にある机の上に戻しておくように言われている。机の上には数多の資料が山積みにされているが、片付けておくだけのスペースはある。
アイリスは空いているスペースに資料を戻した。ふう、と一息ついて一休みしようと思った時、1枚の資料が目に入った。
(……あら? これは?)
山積みにされている資料の中で1枚だけ、気色の違うものがある。他の資料に埋もれていたそれを取り出してみると、カルテのようだ。。
日付は今年の4月1日、なぜか患者名は記載されておらず循環器系や臓器系、脳などの中枢神経系に至るまで全身を詳細に診察した形跡がある。幾つかは異状ありとされて全て処置済みとの記載もある。随分多くの病を抱えた人物らしい。
(何これ……。なんでこんな所に? 普通こういうのって、もっと厳重に管理しておくものなんじゃ……?)
この手の資料は見なかった事にした方がいいかと思い、疑問に思いつつもアイリスはカルテを元に戻した。
「アイリス、資料の確認は終わりましたか?」
丁度その時、ベテルギウスが診療を終えたらしく応接室に入ってきた。気が付けばもう夕方である。
「ベテル、今日もお疲れ様でした。資料の方は丁度確認し終えました」
「ええ、結構です。アーク達も今日残りの区画の捜索を終えたとの連絡がありましたわ。もうすぐこちらに到着するそうです」
ベテルギウスは疲労した様子でソファに腰かけながら答えた。
「アークたちが帰ってきたら結果報告を纏めますわよ。……今まではリゲルと二人で纏めていたのですが、今日は少し楽が出来そうですわ」
「まあ私も初めてですし、大したことはできませんが頑張ります。……今日で城下町の記憶水晶捜索は終わりでしたね?」
「ええ、これで記憶水晶が見つからなかったとなると、今度は貴族街や王城近辺を捜索しなければなりません。そちらが汚染源となると、どう対処したものか……。」
「……そうならないよう、いい報告が来ると良いですね」
ソファにもたれかかって怠そうに天井を見つめたまま、ベテルギウスは受け答えしている。
アイリスは良い報告が来ることを期待して――来ないだろうが――アークトゥルス達の帰りを待つことにした。




