14. 4月16日(その2):イルミナイト王都
アイリスの看護をベテルギウスに任せた後、リゲルとアンタレスは王都内の記憶水晶捜索を再開していた。『ピスケス』以外にも出処がある可能性は高いので捜索は続けているのだが、まだそれらしい所は確認できていない。
時刻は丁度昼時であり、二人も繁華街の露店で休憩を取っていたのだが、普段なら大勢の人で溢れる繁華街も今日は半分以下しかいない。それでも喧騒は聞こえるが、相当静かである。
「だいぶ外出を控える人が増えたみてーだな。この時間に露店の席が空いてるなんて、普通あり得ねーぜ」
「あれだけの事件があったんだ。暫くはこの状態が続くだろうな」
「ああ、全く困ったもんだぜ……シリウスにはな」
「本当にな。少し『キャンサー』の構成員を煽るだけで良いのに、わざわざ自分で事件を起こすとはな。しかもアイリスまで巻き込んで……やはり、あいつを作戦に組み込む事自体が間違いだったか」
二人は軽食を取りながら今回シリウスが起こした事件に関しての愚痴を続けている。
「本来は王都内の『キャンサー』内紛を煽って汚染者含めて都民の外出を控えさせる作戦、だったっけか?」
「そうだな、それで汚染者がいない隙に記憶水晶の捜索を済ませてしまおう、という手筈だった。終わる頃には軍や『サジタリウス』辺りが内紛を抑えて『キャンサー』を取り締まってるだろうし、ついでに多少なりとも治安が良くなる、と思っていたんだがな。結果的に外出を控えさせる事には成功したが、それはなくなった」
「なんか成功した感じがしねーな……。」
アンタレスは椅子にもたれかかって紅茶を飲み、気怠そうに話を聞いている。
「で、暫くは記憶水晶捜索か?」
「過程はどうあれ、結果的に作戦は成功してるからな。今のうちに捜索を進めよう。粗方探すくらいの時間は取れる」
「でも本当に間に合うのか? ベテルはいいとして、カノープスはあと2日~3日動けねーらしいし、アークもカノープスに付きっきり、シリウスは言う事聞かねーし、まともに動けるの俺達だけじゃん? ……あ、プロキオンはもう来る頃か」
「私達だけだとギリギリだな。アイリスが巻き込まれてなければ、アークとカノープスも加わってもっと綿密に捜索できたんだが……もう過ぎた事だ、言ってても始まらないし私達だけでやるしかない。あとはシリウスがまともに動いてくれるかどうか、だな。……それと、プロキオンなら王都に来ないぞ」
「え!? 何でだよ!?」
二人しか動けない事に不服そうなアンタレスだったが、一方でプロキオンが来れば多少楽になるか、とも考えていた。しかしプロキオンが来ない事を知り、目を丸くして驚いた。そんな話は聞いていない。
「王都外で別の仕事をしてもらう事にした。少なくとも捜索が終わるまでは来ないぞ」
「ちょ、いつの間にそんな話になってたんだ!?」
「昨日の昼過ぎ、皆で今後の方針を話し合っている時に決まった。お前は途中から居眠りして聞いていなかったがな」
「いや教えろよ!?」
「居眠りするなよ」
「…………。」
「ま、それ以外は結局作戦通りでいい、って話になった。動ける人数は減ったがな。……さて、そろそろ捜索再開するか」
「はあ……。仕方ねーか」
アンタレスを嗜めてリゲルは席を立ち、軽く伸びをした。アンタレスも溜息を吐きつつ席を立った。まだ捜索は半分も終わっていないし、あまりゆっくりもしていられない。二人は一旦別れて捜索を再開した。二人しか動けない以上、しばらくは忙しくなりそうである。
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(……特に何もないわね)
一方、シリウスは人気のない住宅街を訪れていた。その手には血で汚れたメモ書きが握られている。
アイリスを襲った時、気を失ったアイリスの傍らに落ちていたものだ。メモ書きには王都の一角を示す簡単な地図と「リリィ」と言う名が書かれており、そこに書かれていた場所に何かあるのか、と思ったのである。しかし、来てみるとただの住宅街である。しばらく周囲を見回ってみたが、特に変わった様子はない。
「……ちっ、無駄足だったようね」
シリウスは舌打ちしてメモ書きをくしゃくしゃに丸めて投げ捨てた。何もないなら用もない。仕方ないので記憶水晶の捜索を再開しようと思い、歩き出した時であった。
「な……そこのあなた!?」
「ん……?」
シリウスの正面から誰かが走り寄ってきた。黒髪をなびかせて近寄ってくる女性――リリィだ。
「その蒼い髪と紅い瞳……やっぱりあの時の!?」
「……誰?」
リリィは驚きつつも剣を抜いて戦う構えを取った。シリウスは驚く様子なく、リリィを見据えた。シリウスにはリリィが誰なのか、皆目見当がついていない。
「私を忘れたとは言わせません! 私の目の前で父上と母上を殺しておいて……!」
「忘れたわ。邪魔だから死なないうちにどいて」
シリウスは適当に返事をし、リリィを無視して脇を通り抜けようとしたが、もちろん簡単に通してくれる訳がない。
「逃がしません!」
リリィは通り抜けようとするシリウスへ剣を振るった。シリウスはすぐ後ろに飛び退けて回避したが、すぐにリリィが距離を詰め、追撃の剣を振り下ろした。これを横に避けてかわし、リリィを手で突き飛ばして距離を取った。リリィは受け身を取ってすぐに構えなおした。
(ちっ……。素直にどけば良いものを)
シリウスは攻撃された事に苛ついて顔を歪めた。そちらがその気なら、こちらも容赦しない。
「……死にたいようねっ!」
「……!」
シリウスは姿勢を低くして一気にリリィに走り寄った。リリィもすぐに反応し、タイミングを合わせて剣を下から振り上げた。
しかし、シリウスは振り上げられた剣を片手で受け止め、もう片方の手で剣を持つリリィの腕を掴んだ。走り寄りながらこのような事は普通はできない。リリィもこれは想定していなかった。
「な!? うあっ!?」
リリィが一瞬驚く間に、シリウスは走り寄る勢いで脇を通り過ぎ、掴んだ腕を引っ張ってリリィを地面に引き倒した。リリィは掴まれた際の強い握力と引き倒された勢いで剣を手放してしまった。
しまったと思った時には既に遅く、掴まれた腕を捻られてうつ伏せにされ、続けて片足で後ろ手を踏まれて押さえられ、拘束されてしまった。
「……っ!」
逃れようと暴れるも、押さえつける足の力が尋常ではなく、振りほどく事が出来ない。
「先に手を出したのはそっちよ」
一言吐き捨てながらシリウスは自分の得物を手にするべく、自らの腰に手を回した。
「殺されても文句言うんじゃ……ん? あら?」
ない。いつも腰に提げているはずの得物がない。
(なんで……ああ、そうだ)
昨日の昼過ぎの話し合いが終わった後、ベテルギウスから武器の調整をするからと言われて渡したままだった。いまだそれを返却されていない。調整が終わるまで戦闘は――特に『エクソダス』との戦闘は――控えるように、出会ったら退くように言われていた。
「ちっ……まあいいわ」
「離しなさい……!」
リリィはまだ振りほどこうとしているが、びくともしない。強い力で押さえられているので息苦しく、力もなかなか入らない。
シリウスは落ちているリリィの剣で止めを刺すべく、踏みつけたまま屈んで剣を拾おうとした。
(……!)
拾おうとしたのだが、動きが止まった。近くに何者かの気配を感じたのだ。『ステラハート』ではない。
(この気配は……?)
「……?」
シリウスは周囲に注意を巡らせた。リリィはシリウスの様子がおかしい事に気が付いたが、それでも踏みつける力が衰えることはなく、状況は変わらぬままだ。
(あいつか……! 全く、面倒な)
シリウスは苛ついて舌打ちした。
「……命拾いしたわね」
リリィへの踏みつけを解除すると同時に気配のする方とは逆方向に走り去った。
「待ちなさいっ……! あっ!?」
リリィはすぐに起き上がって剣を拾いシリウスを追おうとしたが、シリウスは身軽な動作で塀や建物の突起に足掛けて上方へ飛び上がり、建物の屋上に消えた。常人には到底真似できる動作ではなく、これでは追いようがない。屋上からは離れていく足音だけが聞こえた。
「くっ……! 逃がしてしまうなんて……!」
リリィは悔しそうに歯噛みした。あんな逃げ方をされては追っても捕まえられそうにない。しかし、探していた人物をとうとう見つけたのだ。リリィも黙って引き下がるつもりはなかった。
興奮していたリリィは後ろから近寄る人影に気付かぬまま、剣を収めてすぐに行動しようとした。
「もう逃がさない……! まずは本部に連絡を……」
「大丈夫ですか?」
「……!」
突然後ろから話しかけられて初めて近寄られている事に気が付いた。
振り向くと、そこには妖艶な雰囲気を醸し出す女性がいた。ふわりとしたウェーブのかかった金髪を腰まで伸ばし、切れ長の瞳が映える整った顔立ちをしている。紫色の上品な外套を纏っており、隙間からローブを身に着けているのが見える。
「……どなたですか?」
明らかに怪しい人物に身構えながらもリリィは訪ねた。警戒しているリリィに対し、女性は正面に平手を見せて敵意がない事を示し、話しかけた。
「大丈夫です、そう警戒なさらず。敵意はありませんから。……今、あなたはシリウスと争っていましたね?」
「見ていたのですか? シリウスと言うのはまさか、彼女の名? あなた、彼女の事を知っているのですか?」
「ええ、おっしゃる通りです」
リリィが追っている人物の事を知っている人に会うのは初めてだった。こんな形で情報を得られるとは思っていなかったリリィはすぐに話に食い付いた。
「彼女、シリウスは私達が追っている組織、『ステラハート』の一員です」
「『ステラハート』? ……聞いた事ありませんね」
「我々もそうですが、秘密裏に活動している組織ですから無理もありません。彼女たちは我々の活動を妨害し続けている、言わば対立組織です」
「……それで、秘密裏に活動しているあなたは何者ですか?」
どうも胡散臭く感じたリリィはまた少し警戒しながらも訪ねた。
「ああ、申し遅れました。私はネビュラと申します。……『エクソダス』の一員です」
「『エクソダス』……こちらも聞いた事ありませんね。ではネビュラさん、あなた達は何をしているのですか?」
「突飛な話になりますが……。我々はこの世界ではない、別世界の使者です。その世界は衰退の一途を辿っており、もはや滅亡するのも時間の問題となっています。そこで我々はこの世界に注目し、移住可能かどうか調査を進めておりました。……しかし彼女達『ステラハート』が我々を追ってきて妨害をしてくるのです」
「別世界? 移住可能か調査? ……本当に突飛な話ですね。到底信じられません」
リリィは一気に怪しくなったネビュラに警戒心を強めて話を聞いている。
「無理もありません。しかしシリウスのあの身のこなし……到底この世界の人間では不可能でしょう。根拠としては薄いですが、少しは信じられるのではないでしょうか?」
「…………。」
リリィは黙って考えた。確かにあのような身のこなし、押さえつけられた時の力などはこの世界の物とは思えない。魔法を使っていたとも考えられるが、魔法は詠唱が必要であり、そんな事をしている様子も時間もなかったのでそれも考えにくい。そうなると、ネビュラの言っている事も一理ある。
ネビュラは考え込むリリィに続けて語りかけた。
「どうか我々にご協力を願えないでしょうか? あなたは既にシリウスと関わりを持っているようですし、ご協力頂ければ彼女達に関する情報も提供しましょう」
「……そうですね……。」
(『エクソダス』も『ステラハート』も秘密裏に活動していると言うし、怪し過ぎるわ……。ここは監視する目的で協力すべきかしら……? いまいち信じ難いですが、シリウスの情報も必要ですし……)
「……分かりました、ご協力致しましょう」
「ありがとうございます。では早速……」
「ただし」
良い回答を得られたネビュラは会釈をして早速話を進めようとしたが、リリィが遮って話を続けた。
「先程、別世界からの移住という話がありましたね? どのような理由であなた方の世界が危機に瀕しているのか分かりませんが、どんな理由であれ、それは一歩間違えば侵略です。もし私達の世界に危害を為すようであれば、協力は打ち切らせて頂きます」
「……心得ております」
毅然とした態度で語るリリィに、ネビュラは感心した様子で答えた。
「それで、私に何をして欲しいのですか?」
「『ステラハート』を発見次第、報告して頂けるだけで結構です。すぐに我々が駆けつけます。可能であれば動向も調査して頂きたいところですが、これは無理に行わなくても構いません」
「それだけで良いのですね? 分かりました。しかし私も『サジタリウス』の仕事がありますし、立場上あまり不審な行動を取ることもできません。ですから、あまり期待はしないでください」
「ええ、それで結構です」
「では、シリウス……『ステラハート』の情報を教えて頂きましょうか?」
「分かりました。……これをお受け取りください」
「……? 何ですか、これは?」
ネビュラは外套の中に手を入れ、手の平大の水晶を取り出した。水晶は薄い灰色をしているが曇りひとつなく透き通っており、美しく輝いている。
「手に取っていただければ全て分かります」
ネビュラは自信ありげに言い、それをリリィに差し出した。リリィは不思議に思いながらもそれを受け取った。受け取った水晶を見てみるも、特に変わった所のない灰水晶に見えるが……
「――っ!」
突然、水晶を通じてリリィの中に何かが流れ込んできた。流れ込んできた何かは脳内に集まって留まり、リリィの記憶を掻き乱した。
リリィの記憶を掻き乱した何か、それは――それ自体も記憶だった。リリィに中に大量の記憶が流れ込んできたのだ。
『エクソダス』、『ギャラク』、『シルト』、『ネビュラ』、『ワース』、『エッジ』、『クェイサー』、『エルゴス』、『セイファート』……
『ステラハート』、『アークトゥルス』、『シリウス』、『リゲル』、『アンタレス』、『プロキオン』、『ベテルギウス』、『カノープス』……
『記憶水晶』、『転送装置』、『内面世界』、『外面世界』、……
数多の記憶が流れ込み、掻き乱れ、浸透していく。
「くっ……! ううっ……。」
リリィは流れ込む記憶の奔流に耐えきれずに頭を抱え、呻き声を上げて膝をついた。あまりに大量の記憶が流れ込んだため、整理が追いつかない。ネビュラは静かにリリィを見下ろしている――得意げな笑みを僅かに浮かべながら。
数分後、落ち着きを取り戻したリリィは深呼吸をして立ち上がった。その顔には大粒の冷汗が浮かんでいる
。
「ふう、驚きました……何ですか、これは? ……と、本来なら聞く所なのでしょうが、もう何も聞く必要は無さそうですね。記憶水晶、ですか……。」
「その記憶水晶には我々の世界や技術、『エクソダス』や『ステラハート』に関する情報を集約しています。これでほぼ全て理解したはずです」
「ええ、まだ整理しきれていませんが……。ともかく、あなた方の事情は分かりました。この世界に害を為すつもりもないようですし、それならば良いでしょう。……あなた方の計画が成功するかどうかは分かりませんが」
「ご理解頂けたようで何よりです」
ネビュラは満足そうに返事をし、もう一度外套の中に手を入れて通信機を取り出し、リリィに差し出した。本来ならこれも何なのか理解できないところだが、記憶水晶から情報を得ていたリリィは迷いなく通信機を受け取り、ポケットにしまった。
「『ステラハート』を発見した際にはそれを使ってご連絡下さい。長くなりましたが、これで……」
「ちょっと待ってください」
「何でしょうか?」
話を終えて去ろうとしたネビュラをリリィは引き留めた。流れ込んだ記憶の中で二つ、気になる事がある。
「『ステラハート』のうち、『ベテルギウス』と『カノープス』の情報が名前以外ないようですが?」
「ああ、その二人ですか。『ベテルギウス』の方ですが、彼女は前線に出てこない裏方担当のようなので、我々も詳細な情報が入手できていないのです。『カノープス』の方は最近『ステラハート』に加わったので情報を更新していなかっただけです。彼女については近いうちに情報を送ります。……他に何か質問はおありですか?」
「そういうことですか……。分かりました、ではもう一つ」
「どうぞ」
もう一つの質問をする瞬間、リリィは困惑した表情を隠せなかった。極めて信じ難い真実が流れ込んだ記憶の中にあった。
「記憶の中にあった、この世界の正体……。間違いなく真実なのですか?」
「もちろんです。信じ難いでしょうが、嘘偽りない真実です」
「……そうですか」
「後で聞きたい事があればいつでもご連絡下さい。……では、失礼します」
回答を終えたネビュラは振り返り、元来た道を歩き去って行った。リリィはそれを見送ると、溜息をついて歩き出した。
あまりに多くの情報が入ってきたので、少し整理したい。丁度ここはリリィの自宅近くである。リリィは一旦帰って落ち着こうと考えた。
――歩き出したその時、足元に何かが落ちているのに気が付いた。
(……ん? これは?)
落ちているのは丸められたメモ書きだった。拾って中を開いてみると、それは血でひどく汚れており、地図が走り書きされている。
リリィはこれに覚えがない訳なかった――自分が書いたものなのだから。
「これはアイリスに渡したはずの……! この血は!?」
3日前、『ジェミニ』本部近郊で殺人事件が発生していたのを思い出した。リリィは今回この事件の調査に関わっていないので、事件の情報は最低限しか得ていなかったが、間違いなくシリウスの仕業と読んでいた。
(あの事件……まさかアイリスが巻き込まれた!? )
――読んでいたのだが、まさかアイリスが巻き込まれる事までは考えていなかった。恐らく、シリウスはアイリス含む被害者一行を襲撃した後、アイリスからこのメモ書きを奪ったのだ。
(確か情報だと事件の死者は3人で男性2人と女性1人……。まさかこの女性の死者はアイリス!? ……いえ、まだ決まった訳じゃないわ、確認してみないと)
リリィは家に帰るのを中断し、すぐさま早足で『サジタリウス』本部へ向かった。
(落ち着く暇がありませんね……。それにしても)
『ステラハート』。シリウスが所属している組織。あんな危険人物が所属している組織を見過ごす事はできない。流れ込んだ記憶によると彼女達は目的不明の誘拐も行っているようであり、人民には一切手を出していない『エクソダス』に比べて危険なのは明らかである。
『エクソダス』の手助けをする訳ではないが、発見次第報告した方が良さそうなのは間違いなさそうだ。
(『ステラハート』……。彼女達のせいで、私の両親もアイリスも……そして沢山の人も……。)
「……全く、許せませんね」
リリィは静かに呟いた。




