12. 4月13日:イルミナイト王都
王都を訪れて3日目の4月13日、アイリスは『ピスケス』の細工職人養成所を訪れていた。
「ここが……さすがに中は見れないみたいね」
正門前から見る限り、養成所は開校しているようだが、一般の生徒達に加えて『サジタリウス』の衛兵と『スコーピオ』の調査官が混ざっている。恐らくリリィが言っていた不法侵入の調査をしているのだろう。普段は見学も受け入れているのだろうが、今は調査中で規制が掛けられているようだ。
(とりあえず周囲の状況だけでも確認していこうかしら)
アイリスは正門から離れて、養成所を囲う塀沿いに歩き出した。
塀は高い訳ではないが、それでもアイリスの背よりは高いので、中の様子は確認できない。
半周ほど回ってみたところ、中からは賑わっているのが聞こえるが外の街並みは静かである。アイリス以外に人の姿はなく、その気になれば気付かれずに塀を登って中に忍び込めそうだ。
(汚染源だからって警備が厳重とか、そういう事はないのね……。『ステラハート』なら忍び込むのは楽そうに思えるけど……)
確かに忍び込むのは楽だろうが、中は恐らく汚染者が大勢いると考えられる。『ステラハート』が忍び込んだと思われる日は休校だったのは、運が良かったと言えるのだろう。
漠然と考えているうちに残り半周も回ってしまい、正門まで戻ってきた。回ってみたものの、これと言って役立ちそうな物事は何一つ得られていない。
「……さすがに見て回るだけじゃ、何も分からないわね」
アイリスは溜息をついて王都の地図を広げた。ここで何も情報が得られないとなると、当てがなくなってしまう。
どうしようかと思って地図に目を通していると、『ジェミニ』本部の表示が目に入った。リゲルは恐らくここを中心に活動しているだろう。
(何か言われるだろうけど、素直にリゲルに会ってみようかしら……。)
アイリスは意を決して地図を畳み、『ピスケス』の細工職人養成所を後にした。
『ジェミニ』本部はここから反対側であり、かなり離れている。今は昼過ぎであるが、急がねば着く頃には日が沈んでしまうだろう。なるべく早く着くように、アイリスは急ぎ足でその場を去った。
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アイリスが去ってから数時間、『ピスケス』の細工職人養成所周辺をアークトゥルスが調査していた。ただし、今回は養成所の調査が目的ではない。
(ここにもいない……!)
アークトゥルスは物陰に隠れ、焦り気味に通信機を取り出してリゲルに連絡を取った。
「……リゲル、ここにもアイリスはいないわ」
≪そうか、くそっ、何処に行った?≫
「さすがに王都でアイリスたった一人を捜すのは無理があるわね」
≪だがそれはあいつも同じだ。こっちは4人いるんだから、こっちが先に見つける可能性は高い≫
「やめて。嫌な予感しかしないから」
≪とにかく、アイリスがあいつに見つかる前に早く見つけるぞ。私は今『レオ』本部周辺を捜し終わったところだ、次に『タウルス』本部周辺を探すから……アークは『スコーピオ』本部の方に回ってくれ≫
「ええ、分かったわ」
アークトゥルスは通信を切ると、急ぎ『スコーピオ』本部の方へ向けて走り出した。
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アイリスが『ジェミニ』本部周辺まで来た頃には既に日が沈みかけていた。しかし、完全に日が沈む前には本部に到着しそうである。歩いている街道は日が沈むにつれ、人通りも減ってきている。
(リゲルはいるかな……。ん?)
路地裏へ続く道の前でアイリスは立ち止った。路地裏の方から何か変な臭いがする。何とも不快な、生臭い臭いである。嗅いでいると非常に気分が悪い。
路地が弱い風の通り道になっているようだが、この風に乗って臭いが運ばれているようである。
(嫌な臭い……。何かしら?)
顔をしかめて路地の方を一瞥したアイリスだが、その不快な臭いを嫌い、避けるように歩き出した。そして路地裏へ続く道を通り過ぎた瞬間――
「……ぐっ!?」
そこに潜んでいた何者かに拘束され、路地裏へ引き込まれた。訳が分からないまま抵抗したが、びくともしない。喉を締め付けられていて助けも呼べない。
少しするとアイリスは路地の奥で投げ捨てられるように拘束を解除されて倒れ込んだ。
「げほっ、げほっ……! え、何これ……うっ……げえぇ…!」
拘束を解除されたアイリスは咳込み、目の前に広がる光景を見て思わず絶句した。そこに広がっていたのはあまりにも凄惨な光景であった。
路地には切り刻まれた男女の遺体が転がっていた。原型は留めているものの損傷がひどく、全身が切り刻まれていた。路地には血の海が広がり、遺体は血糊で赤黒く染まって、着ていた服の色を判別することすらできない。
咳込んだ時に大きく息を吸ってしまい、強烈な血の臭いと死臭が鼻を突いた。その瞬間、アイリスは反射的に吐き戻した。始めに感じた不快な臭いの原因は間違いなくこれである。
「ふふふ……。あんた、アイリスね?」
「……!」
後ろから声がした。倒れ込んだまま振り向くと、そこには外套を纏った女性がいた。間違いなくここまでアイリスを連れ去った人物、そしてこの惨状を生み出した人物だろう。
蒼い髪、それとは対照的な紅い瞳が特徴的な女性だ――この人物、以前聞いた事がある。
「え……! あなたまさか、リリィの言っていた……!」
「今日は運が良いわ……。カノープスじゃなくて、まさかあんたの方が見つかるなんてね……!」
「……!」
女性は何か思う事があったのか、一瞬余所見をした。その瞬間、アイリスはその場から逃げだした。
リリィの言っていた人物だとしたら、この人物は危険だ。人違いだとしても、こんな事をするのは危険人物に違いない。
「……逃がす訳ないでしょ!?」
「あっ……! うぐ!?」
一瞬で追い付かれて足払いをかけられてしまった。転んで地面に倒れ伏したところを足蹴にされ、そのまま踏みつけられた。
痛みに耐えて女性を見上げると、女性は美しい顔に似合わない冷酷な笑みを浮かべている。この女性はアイリスの事を知っているようである――友好的な態度は取ってくれそうにないが。
「あ、あなた、一体何……うあっ!?」
髪を乱雑に掴まれて起こされ、路地の壁に叩きつけられた。そして首を掴まれ、壁に押さえつけられた。喉を圧迫され、声が出せず息苦しい。
「さて、早速楽しませてもらうわ」
女性は冷酷な笑みを浮かべて喋りながら外套を剥いだ。外套の中の服は返り血と思われる跡で赤黒く染まっている。そして腰に提げた剣の柄のようなものを手に取ると、突然それに光子が集い、透き通る白銀の刀身を成した。リリィが言っていたものと特徴が一致する剣だ。しかし、今はそんな事を気にする余裕はなかった。
この後何をされるか? 決まっている。
恐怖を感じたアイリスは必死に抵抗しようとするも、息苦しくてまともに力が入らない。
「や……めて……」
抵抗できない今、必死に声を絞り出すのが精一杯であった。
「止めないわ」
女性はあっさりと言い放つと、剣を振り抜いた。振り抜かれた剣に沿って、赤い液体がなびいた。
それを見たアイリスは、何が起きたのかを理解した。
「……あっ……が……!」
「く、くくく……! あははははっ!」
女性は堰を切ったように大笑いし、苦悶の表情を浮かべるアイリスを地面に叩きつけた。
脇腹から胸下にかけて深々と切り裂かれたアイリスは、筆舌に尽くし難い激痛に身動きを取ることができない。激痛に耐えかねて声を上げようとするも喉から声は出ず、代わりに込み上げる鮮血が溢れ出た。
「ふふ、ふふふ……! あいつもこんな風に苦しむのか、ねぇっ!」
「がはっ……!」
女性は楽しそうに笑いながら、アイリスの傷口部分を乱暴に蹴り飛ばした。
もはや激痛や苦痛と言った表現すら生温い感覚がアイリスを襲い、一気に意識が遠退いた。その一方で、はっきりと近寄ってくるものも感じた。
(私……死ぬ……の……?)
「ふふっ、まだ死んじゃ駄目よ? もっとたっぷり苦しんでもらわないとねえ?」
女性はアイリスの体を踏みにじった。しかし、もはやアイリスには反応出来るほどの意識は残っていなかった。
(……もう…………駄……目……。)
「……あら、もう死んだの? 私とした事が、やり過ぎたかしら? ……ま、いっか。ふふふ……」
アイリスの視界は暗く閉ざされ、意識は深い闇の中へ落ちて行った。
すっかり日の暮れた路地には、女性の冷笑の声だけが響いた。




