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夢と日常と非日常的な彼女 (1)

子供の時分、少年は夕日を眺めるのが好きだった。

あの赤い空。

この世の全てが日の入りとともに眠りにつくようだ。

大気の静けさは心に安らぎを与えてくれる。

この静けさがずっと続けばいいと思った。


彼は思案する。

今の生活に不足はあっても不満はない。

執事のエーリヤとその妻のローサには、二人に子供ができなかったからかもしれないが、大変愛されている自覚がある。

しかし、何か足りない。

息を大きく吸っても肺を酸素でいっぱいにできないような、良く眠ったのに体がだるいような。

体調それ自体は悪くなく、健康だ。

自分の抱える物足りなさをあえて言葉で形容するとするならば前述の通りとなる、ただそれだけだ。


彼の思考はいつもそれ以上進まなかった。

夕刻は、そんな彼のもやもやとした感情を落ち着かせてくれる安らぎの時刻であった。


寂しかったのかもしれない。

夕日への執着は、唯一の肉親である母をなくした後から始まっていた。

悲惨な事故だった。

彼は運良く、否、運悪くたった一人生き残ってしまった。

最初こそ涙は出たが、しばらくすると泣くことはなくなり、読書に没頭したり、ぼんやり空を眺めたりすることが多くなった。

ただただ、過ぎゆく時間に身を委ねていた。


この日も、少年は夕焼けを眺めていた。

美しかった。

庭園の薔薇も、見事な大輪の花をいくつも咲かせていた。

じっと座り込んでいた彼の視界の端に、長い黒髪がちらりと映った。


“明日、うちに来て。すごいもの見せてあげる。“


少年の隣には幼なじみの少女がいて、はしゃいで言った。

その蒼い瞳は夕焼けにのまれることなく、いつだってきらきらと輝いていた。


“お父様の知り合いで、何年間も旅をしている人がいてね、その人が明日うちに寄るんですって。でね、その人、古い魔法を見せるってお父様あての手紙で書いていたの。私一回だけその人に会ったことがあるのだけど、とてもかっこよかったわ。“


少年は、ふうんと返事をした。

古い魔法というのにはとても心惹かれる。

だが、知らない人に会って話をしたいとはなかなか思えなかった。本からでも古い魔法について知ることはできる。


“ちょっと。五国全部を見てきたすごい人なんだから。“


少年が人見知りをすることを少女は良く知っていた。また、少年が魔術に興味をもっていること、日がな魔術に関する難しい書物を読んでいることも知っていた。

少女は少年の方に身を乗り出した。

緩やかに波打つ黒髪がさらさらと少年の膝にこぼれた。


“ね、あなた、魔力が強いって大人の人たちから言われてるわね。確かにあなたは良く勉強しているし、同世代じゃ誰もあなたに勝てっこないって思うわ。でも、学ぶだけなら誰にだってできるわ。もし、普通の人には知り得ないような特別の魔法をその人が教えてくれるとしたら、それって素敵なことだと思わない?“


少女はにっこりと笑った。

少年は黙っていた。

少女には、少年の胸のうちに好奇心が泉のごとくわいてきているのが手に取るようにわかっていた。

両手でぽんぽんと少年の肩を叩き、


“明日の17時までにうちに来てね。遅くとも17時までには到着するって手紙に書いてあったから。ね、絶対来て。待ってるから。“


その夜、少年は明日を楽しみにしている自分に気づいた。

眠ろうと思っても、わくわくしてなかなか寝付けない。

うとうとしだしたのは明け方だった。

目が覚めてみれば、正午をすっかりまわっていた。


最悪だ。


休日とは言えど、のんきにしていることは許されなかった。

階下からローサが手配したであろう家庭教師の声が聞こえてくる。

カリキュラムをこなすまでは絶対に解放してもらえないと経験からわかっていた。

少年は、早く少女の家に行きたかった。

辺りを見渡し、窓から抜けられるか考えたが無謀だと諦めた。ならばばれないように下に降りようと考えたが、これも駄目だった。階段をおりてすぐ家庭教師の部屋があるのも問題だが、この館は古く、階段は登り降りのたびに軋んで音をたてる。


かくして、少年は脱走を諦めた。

となるとこうしてはいられない。

一刻も早く終わらせて少女の家に行こう。

少年は急いで着替え、部屋を飛び出した。



そして、あっという間に午後の時間は過ぎていった。

西の空に日が落ちていく。

夕焼けが、青空を赤く染め上げ始めていた。


少年は走る。

森を抜け、木立を抜け、坂を下る。

我ながら今日は良く頑張った。

おかげで早く解放された。

これなら17時きっかりほどには着く。

気温は下がり、少々肌寒い。しかしそんなことは気にならない。

休みなく走り、息が上がってきたころ薔薇の庭園が見えてきた。

少女の家だ。

何種類もの薔薇が生い茂るその館は見た目そのまま『薔薇屋敷』と称されていた。そして、そこに住まう少女はその愛らしい容姿も相まって『野薔薇姫』と呼ばれていた。本人は、子供っぽくて嫌だと言っていたが、少年も少女は野薔薇のような人だと思っていた。可憐でありながらも、強くたくましい趣が似ている。もちろん口に出して言ったことはないが。


着いてみれば、薔薇屋敷の門は開いていた。

少年は門の隙間をすりぬけ、館の扉をノックした。

少女が勢い良く出てくる。


“遅いわよ。もっと早く来ると思ってたのに待ちくたびれちゃった。“

少女は少年の腕を引っ張る。

少年を広間に通し、

“おじさま、私の幼なじみなの“と笑って紹介する。



......と、そんな風に予想していたのだが。

誰も出てこない。

再び扉を叩いたが、変わらず反応がない。


少年ははたと気付いた。

夕暮れ時だというのに館には灯りが一つもともっていない。

外出かとも思ったが、この家から灯りが消えたことはない。

使用人が誰かしらいるし、警護の人間も何人か住み込みでいるはずだ。

古くから続く魔術師の家系というだけで、何者かから狙われることがある、だから警護人が必要と少女は以前話していた。


何か異常があったのではないか。

不審に思うまま、扉に手をかけて押す。

ぎぃ、と開いた。


鍵が壊れていた。


館の中には、むせるように甘い、例えるなら古くなった薔薇のような、鼻の奥が痒くなるようななんともいいようのないにおいが充満していた。

そして、床には何か赤黒い、乾いた血を思わせる染みが、何かを引きずったように残っていた。


少年は右手の親指の付け根を歯で強く噛んだ。

血の味が口の中に広がるのを感じながら、短く言葉をつむぐ。

いつのまにか、少年の手には刃の長い剣が握られていた。

息を深く吸い込み、少年は赤黒い染みが続く館の奥へ奥へと走りだす。

足音が響くとか、敵に見つかったらやられるとか、そんなことはどうでもよかった。ただ、非常事態であれば少しでも早く駆けつけなければならないと思った。心臓は痛いほど拍動をきざんでいた。

恐怖を感じてしまえば足もとまってしまう。考えるなと言い聞かせながら館の最奥、広間にたどり着き、勢いよく扉を開けた。

室内はカーテンが全てしめられており薄暗かったが、人影がないのは見てとれた。

甘いにおいに目が痛んだ。


灯りの場所はどこだったろうかと思案する間もなく少年は部屋に飛び込み、全てのカーテンを開けにかかった。

足に水がはねる感覚。

開けて、開けて、開ける。

振り返った。


ああ。


よろめいた。

背中が壁にぶつかった。

剣の切っ先が床をひっかき、思わずついた膝はじわじわと濡れた。


夕焼けが差し込む広間の床を、夕焼けよりも赤い液体がまるで鏡面のように音もなくひたひたと浸していた。

人は誰もいなかった。

しかし、この液体が何なのか、この量が何を意味しているか、少年にわからないはずもなかった。


頭の中を、昨日の少女の言葉が駆け巡る。


“明日、うちに来て。すごいもの見せてあげる。“


“その人、古い魔法を見せるってお父様あての手紙で書いてたの“


“普通の人には知り得ないような魔法をその人が教えてくれるとしたら、それって素敵なことだと思わない?“


少年は、ふらふらと立ち上がった。

まだだ。油断するな。

全ての部屋を見なければ。

誰かいるかもしれない。

誰か生きているかもしれない。


少年は窓から身を乗り出し、非常事態時に放つ光を空に上げた。自分一人ではどうにもできない。大人の助けが必要だった。


室内に向き直り、少年は唇をかみしめる。

両の黒い瞳には、憎しみと悲しみと後悔がありありと宿っていた。

少女の笑顔が脳裏をよぎった。

何故もっと早く来なかったのだろう。

せめて、彼女を連れて逃げることくらいはできたかもしれなかったのに。


神がいるのならすがりたい。

大怪我をしてでも、たとえ死ぬとしても、彼女を助けたい。

神がいるのなら、どうか。


少年の頬を涙が伝った。

耳鳴りが一つした。



「おい、アリウス。起きろよ」


誰かが呼んでいる。

まだ起きるには早いのに。


「起きろってば」


いささか乱暴にゆさゆさ肩をゆすられ、アリウスはうめきながら目を開けた。

金褐色の髪に黒い瞳。今は髪は乱れ、瞳も眠たげである。

寝起きの頭痛にうめくアリウスを横目に、まったく、と友人のフリードは快活に笑った。

「お前寝ながら眉間にしわよってたけど老け顔になっても知らんぞ。ほら、訓練あるんだから急げよ」

「ああ」

アリウスはぐいっと背筋を伸ばし、広げていた本を適当にまとめて席からよろよろ立ち上がった。

「助かった。また寝過ごすところだった」

にっとフリードはほくそ笑む。

「これ貸しだからな」

「飲み物でもおごる」

「飲み物は間に合ってる」

「そうか。なにがいい」

「可愛い子とか。美人でもよし」

「...飲み物で我慢してくれないか」

眠気はだいぶ覚めてきていた。

なにか夢を見ていた気がするが、フリードと話しているうちにそんなことは忘れてしまった。


そして、すっかり日が暮れた数時間後。

アリウスは身支度を整えて廊下を歩いていた。昼間寝ていたせいもあって、一日がすぐ終わる。日中は眠くてたまらないが、夜になると眼がさえる。それもこれも任務がもっぱら夜に集中しているせいだ。

疲れ目をほぐすように目頭をぐりぐりと押す。

アリウスの隣にはフリードがいて、昼間の元気はどこへやら、げんなりした雰囲気で歩いていた。

訓練での失敗が尾をひいていると見えた。

アリウスは拳でごつんとフリードの肩を叩いた。

「終わったことは気にするな」

「いてえよ......自信なくした」

フリードは呻いて手で銀の髪を乱した。

「俺もアリウスみたいに身体能力高かったらなあ」

「お前もロードの試験通ってるんだ。変わらないさ」

「いや変わる。はあ...毎回臨機応変とか言われるけど、そんなのやってるっての」

「もっと武術を学ぼう。俺もお前もまだ半人前だ。訓練はしてもしたりない。あ、強いて言うならお前は女慣れした方がいいんじゃないか。ビアンカが相手じゃなかったらもっといい成績出せてただろう」

「待て待て。俺はあいつを女だと思ってない」

「じゃなんで手控えた」

「それはその...」

「まったく」 

いつか足元掬われるぞ、と口の中で呟きながら、アリウスはふと窓の外に視線を移した。

光が見えた気がした。

ちかちかと光ったような、いや、気のせいか。

なんにせよ、何気ない動作のはずだった。

しかし、遠方に赤い光が広がるのを目にした途端、アリウスは反射的にフリードの肩を掴んでいた。

フリードは歩を止められて驚き、アリウスを見た。

「なんだよ」

「火」

「ひ?」

「火事」

「うそだろ」

言いつつフリードも気づき、二人は廊下を駆け出し、建物の外に飛び出した。

空気を吸い、アリウスは顔をしかめた。

「煙の臭いだ」

ここからさほど遠くない山のふもと付近と思われる場所がちらちらと赤く光っている。

白いもやのように煙がくゆるのも見えた。

折り悪く、風が強い。

「アリウス、あそこらへんて村じゃなかったか」

「アダルならまずい。農村地帯だ」

アリウスの声に被さるように建物内に警報が響く。

『アダル地方に魔術反応。ロード急行要請発令。範囲特定中。死傷者不明。ロード急行要請―――――――』


“ロード“


1500余年前より続く魔術師連合。

そこに所属し、魔力を行使して闘う集団を『ロード』と呼ぶ。

アリウス=ド=ヴィルギリアス、そしてフリード=ヴァル=クレイは、この時ロードとなり5年の齢18の青年であった。


アリウスは指を一つ鳴らした。

黒い天馬が現れ、アリウスの手に鼻をこすりつけた。アリウスは天馬の黒光りする頭を撫でた。

「リージェス、アダルまで頼む。フリード、行こう」

「すまん、召還獣借してくれ。ミケ怪我してるんだ」

「そうだった」

フリードの召還獣は先の訓練で負傷していた。アリウスは指をもう一度鳴らした。

風が巻き起こり、黒い獅子が現れて咆哮し、フリードの前に身をかがめた。

「助かる!ありがとな」

「昼間の借りはこれで返したからな」

「あー...かわいい女の子は?」

「ノエルはメスだ。機嫌を損ねると噛みつかれるぞ」

「おっと...」


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