愛しています
彼の口から語られる言葉の数々に、わたしは何も言えなかった。この言葉が本当なら、わたしたちの間にあるものは共有してきた大切な思い出と、いくつかの誤解と、そして、お互いへの愛情にほかならない。
「だから……お前は、アルノーのことを愛していて、俺の妻となることを悲しんでいるのだと、そう思った。俺や白雪ともできるだけ会わないようにしていたようだったしな」
ザルツがふ、と口元をゆがめる。確かにわたしは結婚当初、彼と彼の娘を避けていた。愛しているのに手に入らない人と、そして愛する人が違う人と結ばれた証である彼女を、見たくなかったからだ。わたしは自分の行動の愚かさを目の当りにして、目の前が真っ暗になった。
しかし、それなら。
「前の……前の王妃さまのことは……?愛していたんでしょう……」
かろうじて出せた声は、いつもよりかすれていた。ザルツは、少しばかり間をおいてから、ああ、とまた星空を見上げる。
「彼女とは……そうだな、彼女は、言うなれば同志だった」
「同、志?」
「あれもまた、自国に想う男がいた。結婚式当日にきっぱりと告げてきたな。自分には愛する人がいるから、貴方を心から愛することはないと。面白い女だった」
馬鹿みたいに聞き返したわたしに、ザルツは柔らかい声音で語る。その瞳も、穏やかな色をしていた。
「だから俺も正直に伝えた。俺もまた愛する女がいると。2人とも政略結婚に人生を狂わされた者同士だ。心から愛し合うことはなかったが、信頼できる関係にはなれた。義務として子は作ったが、白雪のことは俺も彼女も心から愛していたしな。だから、あれが死んだときは、悲しんだ。親友を、またひとり失ったのだと思った」
辛い思い出を振り返るように、苦しげな表情で語るザルツを、思わずわたしは抱きしめていた。彼の体がこわばるのがわかる。以前のわたしだったら、きっとこんなことはしなかっただろう。臆病で、卑怯で、暗くて、受け身のわたしだったら。
でも、今を逃せばきっとわたしは一生後悔する。
「愛しています、ザルツ」
「……」
「ずっと。小さなころから、ずっとあなただけを愛しています。一瞬たりともあなたを忘れた日なんてなかったわ」
すがりつくように彼の胸に頬を寄せて、そうささやく。これまで告げられなかった想いを、今ここですべて吐き出してしまいたかった。
「あなたが知らないお姫様と結婚してしまって、とても悲しかった。あなたが冷たくなって、とてもつらかった。それでもあなたがわたしを妻にしてくれて、汚い女だとも思ったけど、とても嬉しかった。白雪のこと、最初はつらくて顔も見たくなかったけど、でも愛するあなたの子、とても優しいあの子を、今では本当に愛しているわ。あなたと同じくらい、愛しているわ」
ザルツは何も言わない。わたしの言葉を、ただじっと聞いていた。唐突にひどく恐ろしくなって、抱きしめていた腕を弱め、のろのろと顔を上げる。
夫と目が合う。
そこには、冷たい黒曜石の瞳から、ただ静かに一筋涙を流している彼がいた。
「ザルツ」
「愛している」
静かに告げられた言葉に、胸が震えた。
「愛している。お前のことを、ずっと、ずっと愛している。俺の言葉が足りないせいで、俺の態度が冷たいせいで何度苦しい思いをさせたかわからない。そんな男が言う資格などないのかもしれない。だが、俺が欲しいのはお前だけだ。何もかもを捨てても、俺は、お前だけが欲しい」
あまり感情をあらわにすることがない彼は、これまで聞いたことがないくらい情熱的に囁くと、わたしの目を見つめ、そして顔を寄せてきた。
「口づけを……許してほしい」
吐息がくちびるにかかる距離でそんなことを言う。この状況で誰が否と言えるのだろうか。わたしが口を開くと、ザルツは、自分で求めた許可を聞くこともせずに、わたしのくちびるに深く深く自分のくちびるを重ねた。
***
物言わぬ月が、静かにわたしたちを照らしている。身を寄せ合い、わたしたちは何度もキスを交わした。これまで失ってきた何かを取り戻すように、何度も。
しばらくしてから、口づけの合間に彼がこんなことを言いだした。
「最近、お前がひどく美しくなったと城で噂になっていた」
「……嬉しいわ」
わたしは、少し前を思い出して口元を緩めた。陰険で邪悪な王妃と囁かれていたあの時、あの不思議な少年が現れていなかったら、きっと今日こんな風になっていなかっただろう。ザルツからも、白雪からも、ずっと逃げてばかりだったに違いない。
それにたいして、なぜかザルツは不満げだった。あまり変わらない表情だけど、眉間にシワが寄っている。昔から変わらない彼の癖。すぐにおじいちゃんになっちゃうわよ、幼いころは彼にそんな軽口をたたいたものだ。
しかし、どうして。
「美しくなったのはお前に愛人ができたからだと、そういう噂もある」
いくばくか低い声で、彼は不満そうに告げた。そういえば、カガミもそんなことを言っていたっけ。わたしは笑って、彼の眉間に手をあてた。
「わたしが愛しているのはザルツよ」
「舞踏会も楽しみにしていた様子だったし……そもそもお前たちは仲が良すぎる」
「やきもち……」
あの冷たくて(本当はそうじゃないと知っているけど)、威厳がある国王陛下が、やきもちを焼いている。そのことがなんだかとても嬉しかった。「愛してるわ」としつこいほどに囁き、わたしから彼にキスをする。
彼は一度深く息をはくと、おもむろにわたしの腰に手をまわし、そしてそのままわたしを横に抱き上げた。
「きゃあ!?」
そして彼は何も言わず屋上を出て、階段を下りはじめる。
「ど、どこに行くの?」
「寝室だ」
あっさりとした答えが返ってきた。しんしつ。寝室。王の、個人的な空間。そこに入れるのは、王と、そしてその妻のみだ。数秒間考えて、その意味に至る。急に顔が火照るのを感じた。
「ザ……ザルツ……」
「いやか?」
彼はふ、とかすかに笑う。挑発的で、しかし嫌味でもなんでもない顔だった。美しい獣のようなその表情に、どきりと心臓が音を立てる。
ちょうど、そこで寝室に到着してしまった。わたしがここに立ち入るのは、今日が初めてだった。大きなベッドに下ろされ、彼が真剣な表情でわたしをまっすぐに見つめる。
「俺はお前が欲しい。身も心も、欲しい。今夜、お前を奪いたい」
何を言うか迷って、わたしは、気持ちに素直に従うことにした。
「わたしは、ずっと前から、ただあなたひとりのものだわ」
その日、私たちはようやく本当の夫婦となった。
ようやくここまで来ました。
ザルツのキャラが行方不明。




