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星空と涙


 ザルツがわたしを連れてやってきたのは、城の屋上だった。城の西塔の上に、2、3人ほどが出ることができる小さなスペースがあるのだ。ふと懐かしくなった。昔、屋上とは名ばかりの小さなこの場所で、ひたすらに星空を眺めていた王子様がいたことを思い出したのだ。


「まだ幼かったころ」

 ザルツがわたしの方を見ないまま小さく言った。

「ここで空を見るのが好きだった。音もなく、広い空を見ていると、落ち着くような気がしてな」

「……知っているわ」

 飼っていた犬が死んだとき。国王に怒られたとき。アルノーたちとケンカしたとき。一人になりたいとき、彼がひとりここを訪れていたことを、わたしは知っていた。ずっと、彼を見つめてきたから。


 少しばかり、ふたりとも口を開かなかった。話をしたいとここに連れてきたザルツも何も言わない。風が流れる音がする。上を見上げれば、雲の切れ間から月の輝きがこぼれていた。


 どのくらいたったか、ザルツがわたしの方を向いた。研ぎ澄まされた黒曜石のような瞳がわたしをじっと見据える。ずっとずっと昔、わたしはこの瞳が苦手だった。ほんの小さな子供のころだ。厳しく怖い人だと思っていたから。だけど、いつのころからか、この瞳が緩まる瞬間がたまらなく好きだと気づいた。優しく、あたたかな光を宿す目。


 今、ザルツのそんな瞳は、何かに揺れている様子に見えた。

「お前に、礼を言わなければいけない」

 少したって、かすれるような声で彼が言ったのは、そんな言葉だった。予想外の台詞に、返す言葉を見つけられない。

「お礼……?」

「白雪のことだ。今夜、白雪とロッシュが無事だったのはお前のおかげだ。心から感謝する」

 静かに、そして深々とザルツは腰を折った。わたしはあわてて彼の体勢を戻そうと彼に駆け寄る。一国の国王がこんなことをするものではない。

「やめてちょうだい、ザルツ。わたしは何もしていないわ、当然のことだもの。お礼なんていらないわ」

 それに、あれはカガミのおかげであって、わたしは本当に何もしていないのだ。それを言うわけにはいかないのが悔やまれる。わたしが受け取る謝意ではないのだから。


 そう否定すると同時に、なんだかひどく悲しくなった。まざまざと突き付けられた気がしたのだ。わたしと白雪が、本当の親子ではないのだと。わたしとザルツは、家族ではないのだ、と。


 本当の親子だったら。家族だったら、お礼なんて言わない。家族だから。当然だから。娘を愛し、助けるのが当然だから。わたしは家族ではないから、お礼を言う。他人だから。彼と結婚していても、わたしは。


「な、」

 ザルツが慌てたように声を上げ、ぎょっとした表情でわたしの顔を覗き込んできた。なぜ泣く、と問われて初めてわたしは自分の目からぼろぼろと涙がこぼれていることに気づいた。

 ぬぐってもぬぐっても涙は止まらなかった。20をいくつも過ぎて恥ずかしいことこの上ない。ザルツに謝ろうと思えば嗚咽しか出てこなくて、何かを話すこともできなかった。


「ごめ、んなさ……」

 こんな時にわたしはハンカチも持っていない。淑女としてどうかと思うけど、もう就寝前だったのだから仕方ないと心のうちで言い訳する。思考回路も混乱しているみたいだ。

 少し待ってもわたしの涙は一向にやんでくれそうもなかった。自分でもコントロールできないのだから、どうしようもない。

「……」

 ザルツは何も言わず、じっとわたしの泣き顔を見ていた。たぶん気遣うような表情だったのだろうけど、わたしは彼の方は見れなかったし、彼も突然泣き出した女にかける言葉に迷っているようだった。ただ、わたしの小さなうめき声だけが夜空に響く。


 そんな様子に、わたしは急にザルツに醜い顔を見られるのが恥ずかしくなって、彼から顔をそむけるように体ごと後ろを向いた。本当はもう部屋に帰りたい。彼の話はさっきのお礼だけで終わったのだろうか。それならば。

 ザルツにもう部屋に戻ってもいいかと許可を得ようとした、その時。


 背中を襲った衝撃に、わたしは言葉を飲み込んだ。


「恨んでもいい……俺を恨んでくれていいから……泣くな……」

 低く、懇願するような声がわたしの耳元でささやく。


 わたしは、ザルツに背中から抱きしめられていた。


少し短いですがきりがいいので。

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