王の訪れ
これまで散々うじうじしていたわたしが、あらそうですか、では、と動き出せるはずもなく、性懲りもなくわたしはカガミと部屋で言い争っていた。
「無理よ無理無理無理!ザルツに今拒否されたらわたし本当に生きていけないもの!」
どんなに冷たくても、どんなに嫌われていようとも、彼に愛されることがなくても、言葉にされなければまだなんとかこの城にとどまっていられる。奇しくも彼の言うとおり、わたしたちには言葉が足りていない。それは、裏を返せば最後通牒を突き付けられていないということでもあるのだ。
「はあ……ボク、ようやくリカイした。あんた、外見がいくら綺麗でも根っからのネガティブ人間なんだね」
呆れたようにためいきをつき、カガミは「根暗、陰険」とずけずけ言ってくる。そしてそれはぐさぐさわたしに突き刺さる。
そんな時。
とんとん、と扉をノックする音が聞こえて、わたしはにわかに慌てた。今までの声、カガミとの声は聞こえていなかっただろうか。あわあわと無駄な動きをするわたしに、カガミはバカにしたように口角をあげると、しかし「王妃サマ」と小さく、優しく言った。
「ね、がんばりなよ」
わたしは、その時の彼の表情を見ていなかった。わたしが鏡の方を振り返ると、とても優しい余韻を残したまま、彼の姿は消えていたのだ。
「……カガミ?」
鏡の精を呼ぶが、返答はない。もう一度彼を呼ぼうとしたとき、とんとんとん、ともう一度戸の音が鳴った。
「ど、どなた?」
「……俺だ」
胸がどきりと音を立てた。低く聞こえてくるその声は、まさしくわたしの夫のもの。ザルツがわたしの部屋を訪れたのは、これまでに数えるほどしかないのだ。というより、彼がわたしの部屋の戸をノックしたことなんか、あっただろうか。
「ザルツ?」
「……もう休んでいたか。すまない」
少しだけいぶかしく思って尋ねると、彼にしてはめずらしく、少しだけ遠慮がちな声が返ってくる。そういえば、泣き腫らしたせいで、彼にもう休めと命令され、部屋に連れ戻されたのだった。その命令したザルツ自身がこうして部屋を訪れたことに、少し遠慮があるのだろう。尊大な王だが、彼は本来常識ある、優しい人だ。
そして、どうやらカガミとわたしの声が聞こえていなかったことに安堵する。その無言の時間に何か思うところがあったのか、扉の向こうからザルツが静かに告げた。
「休んでいたなら、いい。すまなかった。日を改める」
こつ、と踵を返す音が聞こえて、彼の気配が遠のいた。
「ま、待って!」
夫とは言えど人前に出るような姿でもないのに、扉を開けて遠ざかる彼にそう大声をかけたことは、今までのわたしなら決してやらなかったことだと思う。すべて無意識のことだった。気づいたらわたしの口から言葉が飛び出ていたのだ。カガミがわたしのことを操ったんじゃないかと一瞬疑ったくらいだ。
わたしの声に、ザルツが足を止める。静かに振り向いた彼に、わたしは次の言葉を探す。無意識とはいえ引き留めてしまった。なけなしの勇気を振り絞って、わたしはザルツに近寄った。
「あ、あの……大丈夫よ、まだ着替えたところだから。もしあなたがいいなら、その……」
どうしてわたしはこんなに会話が下手なんだろう。今更ひどく絶望的な気分になっていると、ふ、と小さな声が聞こえて思わず彼を見上げる。彼の表情は、とても柔らかかった。
「……どうか、した?」
「いや……お前は化粧を落とすと……あまり変わっていないのだな、と思っただけだ」
そうだ、今わたしは化粧をしていない。物心ついたころから、彼の前ではずっと化粧をした顔しか見せていなかった。結婚してからでさえ、だ。わたしが彼の前で化粧もせずいたのは、彼とまだなんのわだかまりもなく遊んでいた、子供のころのこと。
「……」
そんなにわたしは童顔だろうか。無言でショックを受けていたわたしに、ザルツは低く、しかし優しく「すまん」と答えた。結婚してから、彼とこんな雰囲気で会話をしたことが幾度あったろうか。まるで、あの頃に戻ったようだった。
「ひ、ひどいわ。もうあれから10年以上たっているのに……」
柔らかな雰囲気につられてわたしが軽口をたたくと、彼がぴたりと動きを止めた。すぐさま調子に乗ってしまったことを後悔するが、ザルツは気に障ったわけではないようだった。何かを懐かしむように目を細めてわたしを見下ろす。そして、静かに言う。
「お前がかまわないなら、少し話をしたい。いいか」
わたしが拒否をする理由はない。ザルツの少し普通ではない様子も気になった。はい、と返事をすると、わたしについてくるよう告げた。
がんばりなよ、ともう一度、彼の声が聞こえた気がした。
完結まで、あと少しです。
ここからがんばれザルツ(笑)




