わたしの娘
永遠にも等しいほど、長く、つらい時間だった。
ザルツやアルノーたちが北の森に向かってから、まだそれほど長い時は経っていない。しかし、ただひたすらに待っているというのがこんなにもつらいことだと思っていなかった。
「白雪……ザルツ……」
どくどくと鳴り続けている鼓動に耐えられず、彼らの名前を呼んで祈る。城に残った侍女や衛兵が「大丈夫ですよ」と小さく声をかけてくれるが、それに応える余裕は今のわたしにはなかった。
しん、と静まり返った部屋。時折、終盤に差し掛かったらしい舞踏会のワルツが小さく聞こえた。主がいなくても舞踏会はきちんと続くのね、とやけにそぐわないことを思う。
それから、どれほど経ったのか。
ふいに城の外が騒がしくなった。その音にはっと視線を外へ向ける。駆けだそうとしたとき、扉が開いた。
衛兵に続いて姿を現したのは、ザルツに肩を抱かれて、うつむきながらゆっくりと歩く白雪だった。
「白雪!」
私が彼女をよんだ声は、きっと悲鳴に近いものだったに違いない。つまづきそうになりながら、ザルツと彼女へ駆け寄る。
白雪の頬は、いつもより数段青白かった。泣いていたのか、涙の跡も見える。白雪の手をとると、外気のせいかひどくひんやりと冷たかった。それでも無事なら、とほっとしたとき、その腕に赤い筋を見つけた。
「これ……」
「俺が白雪とロッシュを見つけたのは、森の奥深くだった」
白雪の白い腕にある血に驚いて目を見張ったわたしに答えるように、ザルツが言葉を発する。
「野犬に襲われて、2人で森に逃げたんだという」
夜、城の外の森でうろつく野犬は、恐ろしい病気を持っている。十分に注意しなければいけないのはこの国の者ならだれしもが知っていることだ。ザルツの一言に心臓が締め付けられた。しかし、ザルツは「落ち着け」とでもいうようにかぶりを振った。
「その傷は逃げた時に転んでついた傷だ。噛み傷も爪痕もない。ロッシュにもな」
ザルツは後ろをちらりと振り返った。アルノーが少年に付き添っている。端正な顔立ちをした、白雪と同年代の少年。着ているものや土で汚れていたが、その高貴な雰囲気から察するまでもなく、彼がロッシュ皇太子なのだろう。
再び、白雪に視線を戻す。土で汚れた服。先日ひねった足の包帯はほどけていて、今日逃げたことでさらに悪化させたのだろう、痛々しいほどに赤くはれ上がっていた。恐怖からか寒さからか、青ざめた顔。いつもの華々しい姫君の姿はそこにはない。
それでも、白雪は無事に帰ってきた。
ほとんど反射的に、わたしは白雪の頬を叩いていた。
ぱしん、と乾いた音が鳴る。周囲がざわめいた。なぜ、と問われてもわたしにもしっかり理由が答えられそうにない。ただ、無事に帰ってきた白雪の姿に安堵したのと同時に、なにかもっと複雑な感情がわたしに沸き起こったのだとしか言えなかった。
「かあさま……」
頬を叩かれ、白雪は呆然とわたしを呼んだ。ザルツが何かを言いたげな視線を寄越す。しかし、彼に今止められても、わたしは止める気持ちはさらさらなかった。
これまで美しい義理の娘に遠慮し続けてきた。彼女を叱りつけたことなど皆無だ。
母親に似た、可憐で、美しく、華やかな娘。明るく、笑顔を絶やさない、心優しい少女。
正直に言って、白雪を疎ましく思ったこともある。はじめのころは、顔を見るのもつらかった。それでも、これまで数か月一緒に過ごしてきて、白雪を、わたしはいつのまにか愛していた。
愛する男性の、たった一人血を分けた子を、わたしは愛している。
「白雪」
名を呼ぶ。冷静に呼んだつもりだったが、声を上げた瞬間、視界が歪んだ。涙があふれて止まらない。どちらが子供か、と自分でも呆れるが、わたしは嗚咽を漏らしながらすがりつくように白雪を抱きしめた。
「心配、したの……!白雪、白雪、無事でよかっ……」
かあさま、とわたしに抱きこまれた胸の中で、白雪が小さく言った。ごめんなさい、と涙を流す。
白雪は、わたしの娘。




