聞きたいこと
部屋に戻り、すりむいた膝を手当てしようと手ぬぐいでふいていると、鏡の中からそれを覗き込んできたカガミが「うへえ」と小さくうめいた。なぜか自分の方がよっぽど痛そうな顔をしている。想像力の豊かな子だ。
「それで、王妃サマ。風の噂によると王サマの馬に一緒に乗って帰ってきたんだって?」
話をがらっと変えるカガミ。表情もにやにやといたずらっぽいそれに変化している。大体風の噂ってなんだろう。
「ええ、そうよ。足を怪我したから馬に一人で乗るのは大変だって、白雪が提案したの」
「ふうん?それで、どうだったの」
「どうって?」
問い返すと、カガミはしかめっ面をした。
「どうって……一緒に馬に乗ってきたんでしょ?なんか積もる話とかさあ、今までできなかった話とかさあ……するには絶好の機会じゃない」
「そんなの」
今日あの時にできたならとっくにしているわ……わたしの言いたいことを察したのか、カガミははあ、と小さくため息をついてわたしの台詞を遮った。やれやれ、と言わんばかりに首を振る。
そして、何を決意したのかやけに真剣な表情で彼はわたしをまっすぐ見つめた。
「王妃サマ。改善計画は次のステップだ。あんたのダメなとこは全部自己完結しちゃってるトコだよ。王サマはあんたとは違う人間だから、考えも行動も全部違う。だから王妃サマ、抱えているわだかまりは全部ほぐそうよ。全部ちゃんと王サマにぶつけようよ」
折しも、カガミの提案は日中、アルノーに言われたことと似たようなことだった。そうだ。言わなければ伝わらない。それはわかっている。ただ、わたしに勇気がないだけで。
何も言わないわたしを、カガミは置いて消えたりはしなかった。少年には不釣り合いなほどの慈愛深い瞳で微笑んで「王妃サマ」と優しく語りかける。
「ねえ王妃サマ。あんたが王サマに言いたいコトって、どんなコト?聞きたいコトは?文句も、注文も、お願いも、いっぱいあるんじゃない?」
彼の柔らかで優しげな声音は、かたくななわたしの心をまるでほぐすかのように染み込んだ。カガミなら、わたしの話をきちんと聞いてくれるんじゃないか。悩みを解決してくれるんじゃないか。そもそも悩みを解決するためにこの少年はわたしの鏡の中に現れたはずなのに、なぜか今更そんなことを実感した。
「聞きたいこと、ならたくさんあるの」
今まで誰にも言えなかったこと。わたしはぽつりとつぶやいた。カガミはうん、と優しく答える。
「あの時……お姫様と結婚した時、急にわたしに冷たくなったのはなぜ?わたし何かしてしまったかしら。わたしのことどう思っているの。嫌いなら、なぜわたしを王妃にしたの。わたしを……この先愛してくれることはないの?」
せきを切ったように、わたしの口からこれまで聞けなかったザルツへの言葉があふれ出る。カガミは口を挟まなかった。
「文句も注文もお願いも、ないの。でも、言いたいことは……昔から、ずっと好きだったと、伝えたいわ」
言ってから気づく。わたしは、わたしたちは本当に今まで何一つとして伝えあっていないのだと。そして、今まで心の内にあったものをカガミに吐き出してしまうと、とても心が軽くなった気がした。
「……ありがとう、カガミ。あんたに聞いてもらったらとても楽になった気がするわ」
城の人間やザルツのことを知らないし、反対に彼の存在も誰も知らないからこそ、言えたのだと思う。共通の友人であるアルノーには言えなかった。笑顔でカガミを見つめると、彼も晴々とした笑顔をわたしに反した。
「うんうん。よかった。それじゃあ王妃サマ、まずは簡単なところからいってみようか」
「?簡単なところって?」
問い返すと、なぜか彼は首をかしげた。
「だから、聞きたいコトだよ。嫌いとか好きとかは初回はちょっとハードル高そうだし、そうだなあ、まずはお姫様との結婚の話あたりからにしようか」
「ま、待ってよ!」
なぜかいい笑顔のカガミにわたしは慌てた。そのいいぶりだと、わたしが本当にザルツにさっきのことを聞くみたいじゃない!しかもまずはって、ゆくゆくは全部聞くってことよね!
「あ、あんたにだから言ったのよ!?わたし本人にそんなこと言う勇気ないわ!」
「あんたバカじゃないの。ボクに言ったって王サマには伝わんないでしょうが。何も全部最初から最後まで告白しろってんじゃないんだから、いい加減うじうじするのやめなよ」
呆れたようなバカにしたような表情で息をつくカガミ。
わたしは知っていた。コイツは鬼コーチなのだと。そしてこの鬼コーチが言ったことは、わたしは必ず実践しなければいけないのだと。
***
機会は、わたしの心の準備が済むより先にやってきた。もはや日課となった晩餐に出向くと、待てども白雪が来ない。ザルツにおそるおそる尋ねると「白雪は出かけている」との返答。
ちょっと待ってよ。つまりそれって、ふたりきりってことよね。というか義理とはいえ娘のこと何も知らない母親ってどうなのかしら。そして夜も遅いのにあの子はいったいどこに出かけているというの。パーティの話なんて聞いてないわわたし。
混乱する頭をよそに、ふたりきりの晩餐は開始した。「まったく、こんなにチャンスが早く来るとはね。わかってるよね、王妃サマ?」いないはずのカガミの指令が聞こえるような気がした。
大変遅くなり申し訳ありません。