鏡の中の少年
青白い顔。かさかさとした肌に荒れたくちびる。肩口で切りそろえられた黒い髪にも艶はない。
鏡を覗き込むと、そんな不健康そうな、決して美しいとは言えない女の姿が映っていた。愕然として自分の頬に手をやると、鏡の中の女も同じ動作をする。ああ、これはやっぱりわたしなんだわ、と奇妙な気分にとらわれた。
昔は。そう、たった数か月前までは、こんな姿ではなかったのに。自分で言うのもおこがましいが、それでも自分の容貌は決して醜くはなかったのに。
「白雪は、あんなにも美しいのに」
雪のように白い肌と、漆黒のように黒く輝く髪と、ばらのように麗しいくちびるをもつ美しい少女。白雪姫、と呼ばれる彼女を脳裏に思い浮かべて、わたしは、ひとりため息をついた。
ひとり。そう、誰も部屋にはいなかった。いないはずだった。
それなのに。
「ちょっとちょっと、王妃サマ?あんたちょっと暗すぎるんじゃないの?」
「……ひ」
ひぎゃああ――――――――――――っ!?
聞き覚えのない少年の声が耳に入って、きょろきょろとあたりを見回したわたしは、目の前の鏡の中でにっこりほほ笑む少年の姿をみとめて、生まれてこの方出したことのないような悲鳴をあげたのだった。
***
ひとしきり騒いだわたしのもとへ侍女やら衛兵やらが来て結構な大騒ぎになったので、なんでもないとごまかすのにはひどく苦労した。一応わたしはこの国の王妃様なのだ。一大事があっては困るだろう。ただでさえよくない噂もはびこっていることだし。
それはそうとして、わたしが先ほど直面した現実はとうてい受け入れがたいものだった。冷静になろうと現実逃避してみたのだけれど、鏡の中にいるのは不健康な女ではなくにやにやと笑うばかりの少年だけだった。
わたしが落ち着くのを数刻待った彼は、自分を「鏡の精」だと称した。
「鏡の精……?」
「うん、そうそう。名前はないからカガミとでも呼んでよ王妃サマ……って、なにその疑わしそーな目は」
わたしのにらむような目つきに気づいたらしい。心外だと言わんばかりに少年――カガミは頬を膨らませた。落ち着いてみてみると幼い容姿をしている。12,3歳といったところだろうか。白雪と同じような年頃だ。
「ボクのこと疑うのは自由だけどさ、それならちゃんとロンリを示してほしいよね。なんでボクが鏡に現れることができて、しかも王妃サマと会話できてるのか」
カガミの話ももっともだと思った。この鏡の後ろは壁で、その向こうは何もない空中だ。しかもお城の4階。確かに何か不可思議な術でも使わない限り、彼がこの鏡の中から現れることは不可能だろう。つまり、彼は不可思議な術を使える奇妙な存在であるか、あるいは本当に鏡の精であるかなのだ。
そこまで考えて、なんだかおかしくなった。本気でこんなことを信じているなんて、とうとう自分もおかしくなったらしい。薄暗い部屋に3か月も閉じこもり続けたからか。
それでも、どうせならこの少年に付き合ってやろうと思った。どうせ暇を持て余しているのだし、気が滅入るこの生活に少しでも清涼剤が欲しいと思っていたのだ。この不思議で快活な少年はこの場に明るさをもたらしてくれるような気がする。
「それで、カガミとやら。なんで突然わたしの鏡に現れたのかしら」
疑問を尋ねると、カガミはうーん、と首をひねった。
「さあ。呼ばれるのっていっつも突然だから、理由はよくわかんないんだよね。たぶん、王妃サマ、あんたが何かを悩んでたからなんだと思うけど」
「わたしが?」
カガミの言葉に、わたしは心臓を刺されたような衝撃を覚えた。
「わたしに悩みなんてないわ。わたしはこの国の王妃よ?地位も財産もある。何一つとして不自由なんてしていないわ」
うそだ。本当は、わたしには足りていないものばかり。欲しいものは何一つとして手に入っていない。だけどそんなことを突然現れた少年に打ち明ける気にはならず、わたしは虚勢を張る。
しかし、そんなわたしの心の内をカガミはすべて見通していたらしい。
「うそつきな王妃サマ。ボクなんか相手に虚勢を張ったって意味ないよ?ラクになりなよ。言いたいこと、いっぱいあるくせに」
にんまりといたずらっ子のように笑うカガミに、なんだか泣きたい気持ちになった。この少年は、いったい何者なんだ。