追憶
周囲の音をどこか遠くに聞きながら、少女は突き付けられた現実を幾度となく頭の中で反芻していた。
涙で溶けて、酷くぼやけた視界。
しかし少女は何も見てはいない。見えていない。白く霞んだ景色が、水面に映るそれのように少女の瞳に映り込んでいるだけだった。
もう、あなたには逢えないのね――――
少女の虚ろな心は、辛うじてそれだけを理解した。
ぽっかりと心に黒い穴が開いたような感覚。ふと悪夢の中に迷い込んだような錯覚。恐ろしく鈍った思考は現実とそれらの境界を曖昧にする。
しかし少女を貫く痛みとも苦しみともつかない衝撃が、これが現実だと強く訴えかけていた。
現実を強く否定するように、少女は首を横に振ろうとするが、全く力が入らない。震える唇が辛うじて、嘘、と囁く。けれど心のどこかで憎らしいほど落ち着いてこの現実を受け入れようとする自分がいることに、少女は激しく絶望した。
「…………っ」
少女の口から、言葉にも、嗚咽にもならない声が漏れる。
何を言いたいのか、何か言いたいのか。苦しいのか、哀しいのか。もう自分でも分からない。ただただ溢れるのは、感情と涙だけ。
その向こうに思い出すのは、最後に見送ったあの人の後ろ姿。戦地に赴くあの人を、涙を堪えて、不安を押し込めて、精一杯の強がりで見送った。
『必ず帰ってくる』
その言葉だけを、信じて。
けれど、二人の約束が果たされることは無くなってしまった。
優しく包んでくれた、筋張った大きな手。夢を語り聞かせてくれたバリトンの声。少しだけ恥ずかしそうに笑う姿が、好きだった。
思い出すのは、あの人のことばかり。
だけど、もう――――
少女が力なく瞬きをする度に、溢れた涙が頬を伝った。
きつく締め上げられるように痛む胸。
視界が滲んでいるのは涙のせいか、それとも別の理由なのか、少女には区別ができなくなっていた。
目を閉じれば、瞼の裏に浮かぶあの人の笑顔。もうその笑顔に逢えないのだと思うと、今すぐ自分から感覚も心も何もかもを奪って欲しいと、少女は切に願った。
そしてその願いが、間近に迫っていることも充分すぎるほどに理解していた。
徐々に少女の視界に暗く翳が差す。躯の末端は熱を失い、感覚すら薄い。
燃え尽きる直前の蝋燭のように薄れゆく意識。それが完全に闇へと呑まれてしまう前に、少女は色味の失われた唇を僅かに、開いた。
「――――……」
そして愛しい人の名を音も無くなぞると、やがて静かに眠りについた。