時計
さら――――
それは内包した全ての砂を落とし、機能を停止した。
最早ただのオブジェでしかないそれを、彼は無言のままに見詰めていた。
「…………」
やがて片手に収まる程度の大きさのそれを、そっと手に取ると、逆さにするわけでもなく、まるで硝子細工を扱うように優しく両手で包み込む。静かに目を閉じ、その両手を自身の胸の前へ。
すると。
彼の両手の隙間から、淡く青白い光が、茫、と滲むように漏れ出した。
蝋燭の炎のように柔らかい光は、ほんの数瞬の煌めきの後、緩やかに光度を失ってゆく。
やがて光が完全に収束すると、彼は両の手を静かに解いた。その中にあるべきそれは消え、彼はまた一つ役目を終えた。
さらさら
さらさら
暗闇の中に、彼はいた。
そして彼を囲むように闇に浮かび上がる、文字通り宙に浮いた無数の砂時計。
上も下も、右も左も無関係に、物理的秩序の崩壊した空間に、彼とそれらは存在していた。
闇から切り離されたかのように浮かび上がる砂時計は、それぞれ役目を果たすべく、淡々と、無機的に時を計り続けている。
さらさら
さらさら
確かに今も砂は落ちているのに、『時』という概念と感覚から取り残されたかのような闇の中。
いつからこうしているのか、幾度こうしてきたのか。その過去すら今と同義なのではないかと錯覚するほどの長い『時』を、彼は見て、感じて、そして存在してきた。
さら――――
その彼の前で、また一つの役目が終わりを迎えた。
名残惜しさなど欠片も感じさせず、最後の一粒までを機械的に送り出した、砂時計。幾度も見てきたものと同じ終わりだった。
彼は先と同じように、それを手に取った。
茫、と最期の輝きを発して、また一つ消滅する。
これが彼の役目。
これがもう一つの最期。
限りなく永久に近く、限りなく刹那に近い場所。
この最も残酷な場所に迷う者が出ないよう、彼は還すのだ。
時を失った者達を、還すのだ。
さらさら
さらさら
砂は落ちる。落ち続ける。
無機的に。刻薄に。
その微かな音と気配を五感の全てで感じながら、彼はまた手を伸ばす。
終わりを迎えた者達の安寧のために。
終わりを刻んだそれらを労うように。
茫。
永遠に近い反覆。
終わりの見えない反覆。
彼から『時』という感覚を奪うには十分すぎる役目だった。いや、最初からそのような感覚は持ち得ていなかったのかもしれないが、もう憶えてなどいないし、意味の無いことだ。
無数の砂時計を従え、彼は訪れるべき次の終わりを待った。彼にとっては果たすべき役目でしかない、その意味すら不明瞭で現実味の伴わない『終わり』。そしてそれを迎えようとする砂時計。それらは恐らく彼が永遠に理解し得ないものを、見事に体現して見せてくれる。
しかし何度見ても、何度還しても理解に及ぶことはなく、彼にとっての『終わり』とは、目視することで辛うじて認識に至るだけのものだった。
そしてその無理解の中で、彼が一つだけ想い続けていることがある。
たった一つ。
漠然と。
――――は、どのくらい落ちたのだろうか……
さらさら
さらさら
さらさら――――