10 隠し事
さて。
サクラの惨状はアルスランに硬直を、ホタルに目眩を、両親他城の者たちに悲鳴をもたらした。
特にシャルは憔悴、リクトとリュカは憤怒のあまり説教と文句を繰り返し、髪が整えられてもなお続くある意味言葉攻めに、サクラはアミュを抱いてぐったりとふかふかの椅子に沈み込んだ。
「聞いてるの!?」
「聞いてらっしゃるんですか!?」
「はい、聞いておりますとも……」
冷静な判断とは。
使えるものは神でも使え、ただし迅速に。
女性の髪の重要性について。
それらをすごい剣幕で、あるいは執拗に説教され消耗しているサクラに、ほんとうは一番文句を言ってやりたいはずのアルスランは、やや気の毒になりながらも消化不良の気分を合わっていた。
「ところでカイエ様は?」
「話を逸らさないでください」
反論しようとしたサクラは、遠くから響いてきた悲鳴のような声に口を開けたまま声のしたほうを振りかえる。
この部屋にいる全員がそろって同じほうを見ていた。
「ヴェルザーが連れてったよ?」
「あ、そう。ならいいけど」
「――――― 一度お茶にいたしましょう。続きはその後ということで」
「続くの!?」
「ちょっと本当に反省してるの!?俺たちがどんだけ心配してすっごい衝撃を受けたか分かってないとは言わせないよ!?」
「だって嫌だったんだもん腹が立ったんだもん!あんな最低の行いをする奴は絶滅すればいいと思ったくらいの拒否反応だったんだから!!」
「仮にも三児の母となった女性が『もん』とか可愛らしくい言わない!大体ね、髪は」
「いい加減にしろ二人とも」
割って入った声が結構怖かったので、サクラとリクトの言い争いはピタリと止んだ。
「一服するのはいいが、続きは無しだ」
何で、とかえしたリクトが兄の顔を見て半歩後ろに下がった。
「そろそろサクラを返してもらうぞ?」
「あ、はい。ごめん、なさい」
「よろしい」
アルスランのキンキンに冷えた視線にリクトの怒りが収まる一方、サクラはいろんな意味で戦々恐々としながらお茶を飲む羽目になった。
「あふーう」
「起きたのアミュ、お母さんを助けて~」
アミュは欠伸をしてやっと目を覚ました。
今回は子守りを買って出たサツキ曰く、尻尾をぎゅうぎゅうに握りしめられたあげく、小さい体に巻きつけるようにして転がられ千切られるかと思った以外は、本当に大人しくしていたらしい。
リクトとリュカのお小言の間もスヤスヤと眠っていたのだから大物と言えよう。
説明するサツキの尾に、妻を彩るのと同じ銀紫の毛束を見つけたアルスランは、深い深い息をついた。
(対価……そんな使い方でいいのか……?)
その銀紫は、しばらくの間クウォンジの鬣や鱗などに確認されたのであった。
~*~*~*~*~
そのころ奥庭では。
少し二人だけで話がしたいと申し出たのはヴェルザー。
どう話を切りだしてよいか躊躇っていたカイエはホッとしながら彼の後について行き、あまり人の来ないこの静かな庭で、休憩用に設けられていた可愛らしい作りの長椅子に腰かけた。
同じように座るよう勧められたのをやんわりと拒否して、ヴェルザーは片膝をつきお決まりの姿勢をとっている。
いましがた告げられた内容に、カイエが顔の形が変わるほど両手を頬に押し当てていた。
「……嘘でしょう?」
「いいえ。私はあの時、貴女が宿木に選ばれたことを知りながらサーニャを捧げ、求婚したのです」
当時の彼の真摯な顔をカイエは今でも思い出せる。
「話を聞いたのは偶然でした」
『カイエ様が宿木だなんて』
その呟きが耳に飛び込んできたのは、その日の訓練を終えて木陰で休んでいた時のことだった。
慌てて起き上がり辺りを見回すと、城の方へと歩いてゆく老人の姿がある。
少しして立ち止まり、ゆるゆると頭を振って歩みを再開する彼がバスダックだと分かり、先ほど聞こえた言葉を反芻したヴェルザーは目の前が真っ暗になった。
そして我に帰るや否や隊舎へ走り、慌ててサーニャを作ってカイエの元へと取って返したのだ。
「無我夢中だったのです。そして、まだ幼い貴女が私の想いを受けてくれて、嬉しそうに笑ってくださったのを見て……それだけで残りの生をまっとう出来ると思うほど、私は馬鹿だったのです。願わくば、この国、この世界のために眠りに就く貴女の心に強く残ればいいと」
避けられぬ運命を後に知ってカイエがどう思うのか考えなかったわけではない。
その時すでにヴェルザーはカイエを愛する人としてだけでなく、宿木のお役目に就く人間として神聖視し始めていた。
それ故に、王族である彼女は役目を受け入れこそすれ、自分の行いが影を落とすとは思わなかったのである。
「当初は後悔していませんでした。でも、翌日から貴女に会えない日が続き、更に宿木の次代がであると公表されて……ある日アルスラン様から言われた言葉でようやく私やり方を間違えたのだと思い至ったのです」
『姉様は、ヴェルと結婚できないことが残念なんだとおもう。それに、姉様がお役目についたらヴェルは別のだれかを選ぶ時がくる。仕方ないことだけれど、なんだか二人ともかわいそうだ』
こんなこと言っちゃいけないんだけどね、と12の子どもとは思えない口調で話すアルスランは、しょんぼりと項垂れていた。
彼の告白は、恋人と婚約者という存在として将来をより現実的なものへと変えた。
しかしそれは、実現しないもの。
ヴェルザーは想いを成就させたことでそれを昇華できたが、カイエには憂いをもたらしたのだ。
もう一度だけでいいから会ってその憂いを取り除きたい、そう願った時にはすでに1の国への任務が決まっていた。
「覚めぬはずの眠りから目を覚ましたと聞いて、本当に嬉しかった。そして私は次第に、貴方に会って謝りたいと思うようになったのです」
「……どうして。言わなければ誰にもわからなかったでしょうに」
「なんの咎めもなく、私の胸の内で若気の至りだったとして過去にする事はできなかった」
「貴方は結局自己満足で動いているだけよ!聞きたくなかったわ!!知らなければ私は定めを受け入れて諦めた、それだけだったのに!」
「これ以上嘘や隠し事をしながら貴方の側にいることは耐えられない」
―――――― バチン!
目の前にある頬を張り飛ばした格好のまま、カイエがわなわなと震える。
「ならば謝ってごらんなさい!あなたの気は済むかもしれないけれど、私のこの憤りは治まらないわ!!」
「カイエ―――――」
意を決した表情で顔を上げたヴェルザーは、口を開けたまま固まった。
「……泣かないでくれ」
「そんな事はいいから!!」
ぼろぼろと落ちてゆく大粒の滴にヴェルザーはおろおろと腰を上げようとしたり手を彷徨わせたりしている。
「いや、よくは」
「ヴェルザー!」
「……すまない、私の愚かな行いで、君を傷つけたと思う。私は自分の気持ちを優先して行動するのではなく、残された時間の中で君の思いやり側にいるべきだった」
カイエの表情が歪む。
「お父様に貴方との事を諭され謝られたとき、私の望みは叶わないのだと理解できたわ。でも、貴方に会ったらみっともなく泣いて定めを呪ってしまいそうだった。だから引きこもっていたの」
扉越しに叫ばれた誓いも心を乱すだけで。
そのうちにヴェルザーの訪れはなくなり。
「貴方が1の国に行ったと聞いたとき、諦めて新しい人生を選んだのだと思ったわ」
「いや、1の国へは任務だったから」
「また任務!!」
何故か怒りの増したカイエに困惑するヴェルザー。
「私が目覚めてから、手紙すら寄越さないで、どうして今頃近衛になんかになったりしたのです。私に会うだけなら、ただ面会を申し込めばよかったでしょう」
「貴方を諦めきれなかったから」
「………は?」
「堂々と貴方の側にいるための立場が欲しかった。かつて婚約者と言われたが、結局それはあのとき城下でそうはやし立てられただけで、正式になったわけではないし」
今回城仕えが巡ってきた理由は、3の国へ赴くネスティア様とサクラ様のご子息たちへの随行へ人員を割いたことの不足を補うためだったが。
「こうして君にきちんと説明して分かってもらいたかった。私は承知の上で求婚したのだと。私には貴女だけ―――――― あのサーニャの約束通り、私の心は今も貴女だけのものだ、カイエ」
「――――― !」
目の前に、手作りのサーニャ。少し不格好で、でも丁寧に作られたことが分かる小さな花。
それがゆっくりとカイエの耳の上に差し込まれる。
「教えてほしい。まだ、私にはまだ見込みがあるだろうか?」




