9 交錯する怒り
集まった視線の先には憤慨を表すようにやたらと動きまくる人間入りの袋。
あいたー、と呟きながらサクラが額に手をあてた。
「すべて終わるまで黙っててと言いましたよね?」
「嫌です!貴女ばっかりが過酷な状況に置かれて、私がおめおめと逃げおおせるなんて!」
「だから戦略的に必要だと」
「嘘おっしゃい!貴女は取りあえず自分以外の人達を逃がしたいだけよ!!」
「いや……まぁ、合ってますけど。ただ単に人数が多いと面倒っていうだけで」
「言うに事欠いて面倒とはなんです!しかもそれに私を含めたというの!?ちょっとこっちにいらっしゃい!!」
サクラが溜息をついた。
「なんで今なんですかもう……」
もう少しで身ひとつになれる所だったのに、とぼやく。
「いいじゃないですか、大丈夫ですって」
「人を売買するような輩に国庫から身代金を払うのだって耐えがたい屈辱なのに、このまま貴女を失いでもしたら私は家族と神と民になんて詫びればよいのです!王家の恥になるくらいなら貴女と一緒にここに残ります!!」
「あーあーあーあーもぉぉぉおお……!」
最後の方はサクラの呻き声が被さったものの、その言葉を周囲は聞き取れてしまったらしい。
「なんだと…?」
「王家?」
まさか、と誰かが呟いた。
「カイエ王女――――― !!?」
「わぁぁぁぁっ!カイエ様、今すぐお助け致します!!」
忘れ去っていた人物が目の端で高速移動するのを見てサクラが目を剥いた。
「アンタまだいたの!?」
アンタ呼ばわりされたのも耳に届かなかったのか、デーガがもたもたと布袋の縄を取り外す。
興奮しているのか手が震えているようだった。
「もう大丈夫です!さぁ!」
「何故貴方がしゃしゃり出てくるのです、下がりなさい!」
「そんなつれないことをおっしゃらず!こんなところにいては危険です!ひとまず我が国へ」
「貴方の?いつの間に4国は貴方のものになったというのですか!?」
「いずれ私のものですから!」
この発言は王族二人の神経を更に逆撫でした。
「……大した自信ですこと」
「だからですねカイエ様」
「いやー、なんだろう……思いっきり殴りたい、この棚上げ男。なんで自分がここにいるのか忘れてない?」
隠す気のないサクラのイライラとした呟きに近くにいた者が戦慄する中、デーガだけが上ずった声でカイエを宥めすかしている。
「いい加減にしてください!私はサクラと共に残るのです!」
「そんなことはサクラ様も望んでいませんよ?」
「勝手にあたしの気持ちを代弁するな……しかも現時点であんたが一番信用ならない……」
その声はまるで、大鍋にたっぷり入れた油が竈で急速に熱せられていくような危険さを帯びていた。
サクラの様子気にしつつ、サイがデーガに茶々を入れる。
「金を払うって言ったよな。本当に連れてく気なら金20は置いてけよ」
「きゃぁ!?」
突然デーガがカイエを肩の上に担ぎあげた。懐から出した袋をサイの足元に投げ付ける。
「30出す!私がここに来たことは黙っておいてくれ!」
「降ろしなさい無礼者!!」
袋を拾ってその重さを確認するように上下に振ってから、サイはピンと来た様子でニヤリと笑った。
「お姫さんの要求は『全員が現状維持の状態で』だぜ?」
「な…と…何だ突然!!」
デーガの顔色は赤を通り越してどす黒くなっている。
「いやいや、匿うふりをしてそっちの姫さんに万が一のことがあったんじゃ、俺の命が危ないんでね」
こういう企みはサイのほうが数倍上手なのだろう。お見通し、といった様子で顎を撫でている。
「たとえば、まぁ手篭めにして既成事実作っちまうとか」
「貴方そんな不埒なことを考えていたの!?」
図星だったのか頭に血が上りすぎたのか、デーガがよろめいた。
「とっ、とにかく金は払ったんだ……うわぁっ!?」
――――― ザク、ザク
「あ…ああっ!?」
なんだよ、と言いかけて振り返ったサイも思わず声をあげてしまった。
「おいおいおい何してんだ!」
そして自分の手にナイフがないことに気づいて愕然とする。
次々と落ちていく銀紫の束。
どうやらサクラの堪忍袋という名の大鍋は、沸騰したあげく中身の油に引火して大炎上してしまったらしい。
嫌悪に満ち溢れた表情で、目をしっかりと開き手にしたナイフで手当たり次第髪を切り落としていく様は壮絶だった。
「この下衆……!」
ひぃっ!と彼女の周りの輪がさらに広がった。
「お願いです頭、このお姫さんにこれ以上汚ぇ言葉を喋らせないでください!」
「絶対良くないことが起こります!!」
「俺じゃねぇだろアッチのせいだろ!?だれか袋を持ってこい、残りがあっただろ!」
「あたしはね」
その場にいる大半が呆然と見つめる中、サクラがナイフを持つ手を下ろして床に散らばった己の髪を指さす。
「これだけ怒ると歌えないんだよ!――――― 閃光で実りを齎す、天空を駆ける我が兄弟よ!」
応えるように天を覆う雷雲が赤く光った。
「もー無理!対価を払う!!カイエに害なす輩を粛正する――――― ヴェルザーをここに!!ついでに誰でもいいから彼の獲物をここから一人も出すな!!」
サクラの声に導かれ、部屋の中央に赤と白金の稲妻が突き立った。
一瞬何が起こったのか分からないのは呼び出されたほうも同じだったらしい。
稲妻の直視を免れた者は、突然現れた大柄な男が数回瞬きするのが見えただろう。
しかし。
「ヴェル助けて!この不埒者に手籠めにされてしまうわ!!」
カイエの極端な説明により事態は急変した。
ヴェルザーの顔が鬼神もかくやという形相に変わる。
「き、さまらぁっ――――― !!」
そのころ。
ホタルがサクラ達の行方を追えたのは、二人が何者かに連れ去られたらしい現場までだった。
それから先はあちこちへと寄り道をする犯人の臭いを追ったもの、悪天候による雨でそれが途絶えてしまい、ホタルの耳はペタンと下がってしまっている。
そこへ、遠目にも有り得ない特大級の二色稲妻が4国方面の森の一角に直撃した。
クウォンジの宥め役を王に任せ、捜索に合流していたアルスランの目が据わる。
「アルスラン様!」
「報告されんでもわかる」
ひとまず現場と思われる方向へむかう一団の目に、徐々に雨の中黒煙が見え始めた。
しかし、間をおかずに落ちる槍のごとき光と腹と耳を圧迫する音に、思わず彼らの足が止まる。
「……鳴り子は聞こえるか?」
彼が言う鳴り子とは、騎士や近衛たちの現在位置の座標を示す事が出来る希少な鈴の事である。
これを聞き取れるのはホタルたちヴェツレ一族か、これを作った術者、すなわちバスダックしかいない。
ホタルは足を止め、暴風雨の雑音と落雷の轟音にまぎれて切れ切れに聞こえてくる音を拾って頷いた。
「誰が駆けつけてる」
「えーと、非常に申し上げにくいのですが、ここ最近近衛に上がった者に配布されたもののようで……ヴェルザー殿かと」
「は?彼は留守番でしたよね?」
その場にいる全員が、外套のフードをかぶって騎乗しているため見えないはずの、アルスランのこめかみに青筋が浮かぶのを感じてしまった。
「あいつ……またしても俺以外を呼びやがったな!」
怒声に呼応するように雷鳴が轟いた。
「わーん!!サクラ様無事でいてください~」
とばっちり嫌です~、と全力ダッシュしつつ半泣きになるホタル。
それは現場へと向かう一団の、アルスラン以外の全員の心の声でもあった。
サクラとカイエの全力奪回。
しかも五体満足でなければアルスランの機嫌は好転しないだろう。
ある意味時すでに遅し―――――とは知らない彼らは、ひたすら祈りを呟きながら雨の中疾走した。
場所は戻って4国はずれの森の中、無人と思われて放置されていた建物を密かに改装して出来た犯罪組織のアジトでは。
「あ…あわわ……ひぃぃっ!!」
周囲のならず者よりも先に標的となったデーガがじりじりと壁際に追い詰められていく。
「その手を離さんか!!」
肌がしびれる程の怒声の圧力に小心者のデーガの心はあっさり折れた。
「おおおお許しください出来心なのですですがけけけっして害をなそうという気はなくっ無くっ」
「言い訳無用!」
デーガが肩の上からカイエを降ろそうと傾いた瞬間、強烈な一撃を顔に喰らって昏倒した。
同じく倒れかかった彼女はふわりと支えられ、気付けば救い主より少し高い目線の位置で抱きすくめられていた。
「……無事でよかった…っ!」
その声に、カイエの顔が王女のものから綻んで頬が染まる。
「ヴェル…」
安心のあまり潤んだカイエの視界の先でサクラが少し微笑んだのが見え、彼女は肩の力を抜いた。
しかし、次の瞬間悲鳴を上げた。
「サクラっ!!」
「――――― !?」
ヴェルザーが振り向いたときには、サクラいた場所で大きな布袋がバランスを崩して倒れていくところだった。
大量発生した失踪事件に用いられた、即効性の高い眠り薬入りの袋である。
「貴様らサクラ様に何をする!!」
ヴェルザーの治まりかけていた闘気がぶり返す。
とにかく怒れるお姫様を眠らせてしまえばこの場を納められるかも、と期待していたサイ以下組織一同は、自ら首を絞めてしまった事に気づき慌てて逃げ出した。
「逃がすか!!」
吠えるような声とともに彼の姿から陽炎のような揺らめきが現れる。
見事な枝ぶりの気高き角を持つ鹿に似たその姿が、両足を高々と上げて鉄槌のごとく振り落とした。
建物全体が立っていられないほど大きく上下に揺れ、古い建材が悲鳴のように軋む。
普段、他のクウォンジとは違いカイエでさえ姿を見ることが稀であるこの御方も、今回の危機には黙っていられなくなったらしい。
誰でもいいから、というサクラの言質を得てヴェルザーの援護にと蹄を床に打ち付け、たまらず転がった男共をヴェルザーは片っ端から無力化していく。
カイエは衝撃で床が抜けないよう祈りながらサクラの元に駆け寄って袋から出してやったが、すでに彼女は深い眠りへと落ちてしまっていた。
「どうしましょう、アルがこんな姿を見たら何て言うか!」
無残なまでにざんばらになった彼女の髪に、思わずその頭ごと抱きしめた。
「馬鹿やろう!なんで早くこっから出ておかねぇんだ!!」
1階の混雑はひどいものだった。出口が三ヶ所あるはずなのに、この人数からすると誰も外へ出ていないようだ。
「頭ぁ!」
「あれじゃぁ無理ですよ!!」
もはや扉は蝶番が外れて機能していなかった。
そこから出ていこうとすると、波のような勢いで風雨が押し寄せ押し戻されてしまう。窓もそうだ。
戸口のすぐ先では間をおかずに落ちる落雷で地面がぶすぶすと黒い煙を上げていた。
その向こうで時折、この雨の中青白い炎のように揺らめくものがある。
人の背丈以上もある、尾を揺らし稲妻のように輝く一振りの鑓角を持つ狼のような陽炎。
それを見た瞬間、もうこれ以上の抵抗は無駄だと、逃げ惑っていた者たちは次々に膝をつき許しを請う祈りを口にし始めた。
背後からは刃物がかち合う音と悲鳴。
傾いてもおかしくないほど揺れるアジト。
地下の隠し通路にいたっては浸水しているという声が聞こえてくる。
「あー、クソっ……何でこうなっちまったんだろうなぁ」
あのバカ男さえいなけりゃ、という呟きは雷鳴にかき消さる。
その日、一つの犯罪組織のアジトが発見され、全面降伏の上拘束された事は瞬く間に国中に広まったのだった。




