7 罠にかかった二人
うるさい親子を強制退場させた翌日の昼前の事であった。
「アルスラン様!!」
勢いよく飛び込んできた、普段ではありえないような慌てぶりのヴェルザーに、執務室で一服していたアルスランは一瞬目を見開き口からカップを離した。
「何かあったのか?」
「サクラ様はどちらに?ホタルの姿もないようですが」
「ホタルはバスダックと宿木の塔で何か作業があると言っていたと思うが。サクラはアミュと散歩じゃないのか?」
それを聞いたヴェルザーの顔からすぅっと血の気が引いた。
「アミュ様が泣いておられたのでシャルとリュカに確認をとりましたところ、ここ一時ほどお姿が見えないようなのです」
アルスランの眉間に皺が寄る。
自分の妻がいかに自由人か良く分かっているアルスランだが、子どもを長くほったらかしにする事はこれまでなかったからだ。
「それから、昨日の夜から今日にかけて5国全域で行方不明者の届け出が多数。その中で何件か共通項がありまして――――― 」
報告者曰く、拾ってきたばかりの可愛い動物も一緒に消えているのだという。
「その特徴とかなり似ているものを、昨日サクラ様が肩の上に乗せていらっしゃいました」
パキッ!
軽い音に続いて、アルスランの手の中でヒビの入ったたカップから茶が滴り落ちた。
「……昨晩それを姉上に貸したと聞いたぞ?」
ヴェルザーが凍りついた。血の気の引いた顔色と相まって、恐ろしい形相になっている。
「ロジェノ!」
「はい、何か御用で――――― って何をなさってるんですか?」
この状況にしてはかなり冷静に、カップのなれの果てを布越しに受け取って「物は大事に」とぶつくさ文句を言うロジェノに、アルスラン溜息をついてから喰ってかかるように指示を飛ばす。
「ホタルを呼び戻せ!それから裁きの用意をしておけ。最終刑即決間違いないだろうが念のため審議してやる。大裁官から墓守まで即行動できるように待機だ!」
「はい、サクラ様はどうされたんです?」
怒れる大元が分かっているなら訊かなければいいのに、火に油を注ぐような質問をサクッと口にしたロジェノ。
アルスランのこめかみの青筋が更に増えて今にも切れそうだ。
「サクラと姉上は行方が知れん。ホタルならサクラのいる方向くらい分かるだろう」
分からなかったらクビにしてやる、と毒づきながらアルスランは懐から笛をとりだした。
「あいつに何かあったら俺はもちろんだが彼等が黙っていない。恐ろしいことになる」
彼等、とは間違いなくクウォンジの事だろう。
言い切った彼の後ろにある大きな窓から突如閃光が走るのが見えた。
いつの間にか垂れこめた暗雲が、際限なく稲光を飛ばしては裂けるような大音量を上げている。
アルスランとしては真っ先に状況把握に努めたいだろうに、それを優先できない理由にヴェルザーとロジェノは肝を冷やした。
こうなってしまっては、アルスランは国王と二人して彼等を宥めにかからねばならない。
事と次第によっては天変地異で国が大惨事になってしまう。
「ヴェルザー、下手に動かないでもらいたい。今突っ走られるとますます外野が煩くなる」
「――――― ですが」
「この状況で城の守りが手薄になるわけにもいかない。こっちのケリがつくまで捜査はあくまでも内密に行って、二人が行方不明だというのが外部に漏れないようにしてくれ」
言いながら執務室を出て行ってしまった王子に代わって、ロジェノがヴェルザーを促した。
「とりあえず情報収集をお願いします。もしかしたら大がかりな組織が釣れるかもしれませんし」
「……分かりました。お二人がこれに関わっていない事を祈ります」
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しかし残念ながら二人は、いつの間にか妙な袋に入れられて転がされているという、かなり屈辱的な状況にあった。
手は後ろ手に縛られており、足は袋の口ごと縛られているようだ。
しかも自分たちだけではないらしく、あちらこちらからすすり泣きや声が聞こえてくる。
(まずい…アルスランに怒られる)
一番にそれが浮かんだサクラはかなり深い溜息をついた。
しかも。
どう呼びかけていいか分からず迷った末、おずおずと周囲に問いかけてみる。
「あの…義姉上?」
一瞬あたりの声が静まりかえる。
先程から特に諌める声や足音がないところから察するに、この部屋には自分を捕えてきた不届き者はいないらしい。
「……ええっ!?」
呼ばれた方も、滅多にない呼ばれ方に自分だと分からなかったらしく、えらく素っ頓狂な声が上がった。
その声は運良く、というより順番に転がされたのか、すぐ横から聞こえてきた。
「しー!義姉上、起きてたんですね。どこか痛い所はありませんか?」
「大丈夫よ、貴女も無事のようね。良かった」
名前を呼ばなかった理由を察してくれたらしい。
ここで二人の名前が上がったらパニックが起こりかねない。
「捕まった時の状況を覚えてます?」
「もちろんよ。貴女と二人でしろ……い、家の周りを散歩していたら、あの子が急に腕から飛び出して」
そう。
件のコモモ(大)の感触が大層気に入ってしまったカイエと二人で城の周りを散策していたら、急にコモモ(大)がカイエの腕をすり抜けて木立の間へ入って行ってしまったのだ。
ここでお別れかと諦めかけたところへ、そのコモモ(大)は振り返り、少し戻ってはまた走っていくという行動を繰り返して見せた。
ここで茶目っ気を見せたのが間違いだった。
二人して「まるで呼んでるみたい」「何かありそう」「ついて行ってみよう」などと楽しくなってしまい、少し(実は結構)行った先で突然何かをを被せられたのだ。
今となっては頑丈な袋と分かるこれに何か薬が仕込んであったのか、そこから先の記憶はなく、気付けばこの状況というわけである。
「あの動物に何か動きを仕込んであったんでしょうね」
「どれくらい気を失っていたのかしら…?」
「あの……私もなんです」
ためらいがちに上がった声に周りからも一斉に反応が上がった。
「私も小さな動物を拾って…」「私は綺麗な指輪を拾おうと」「夜、光を追いかけているうちに捕まって」
(おいおい、女子供ばっかりじゃないの)
いっぺんにこれだけ網にかけたらチラホラ証拠が残りそうなものである。
嫌な予感を抑えつつ、サクラは問いかけてみた。
「これからどうなるか知ってる人はいる?」
少し遠い所からすすり泣きが聞こえてきた。
「わたし、知ってる……ここにいる間に一人、希望に合う容姿だから、い、良い値がついたんだって、連れて行かれて…それきり戻ってこないの…」
その言葉に薄暗い空気が一気に暗くなり、すすり泣きや憤りの声が部屋に満ちた。
人身売買。
そういう犯罪者がいると話には聞いていた。
国内は、広大な土地がありながら島国という閉鎖性もあってか、売買がそう蔓延しているわけではないらしい。
代わりに海を越えて別の大陸へ連れて行かれるケースが後を絶たないらしいが、今回もその可能性が高いそうだ、とサクラは予測をたてた。
ここでもう1つサクラには心配事があった。
国の象徴であるクウォンジらに人の悪事が伝わるとどうなるか。
天変地異に現れるのである。
悪事の質にもよるが、特にクウォンジ過敏に反応するのが無暗やたらに木を切り開墾することで、次いで殺生。
人々は前触れのない落雷や時化、旱魃と急に起こるはずが無い天災に見舞われると、民は国のどこかで大きな罪を犯した者がいると恐れ慄き、神に贖罪の祈りを捧げなければならない。
罪を犯すのは欲の多様化した人間という種だけであり、その種族全体に責任があるという古い言い伝えがあるからだ。
つとめて人のいとなみに口を出さないクウォンジだが、ひとたび騒ぎ出せば、咎人が断罪されるまで、その嘆きを表す事象は収まらない。
それを一時的に宥めすかすのが国王以下王家の人間の務めの一つで、その他に大裁官を筆頭とした組織があり、こちらはクウォンジの許しを得て人を裁き刑を下す権限がある。
聖騎士や近衛も一部権限を預かっており、必要によっては剣をふるう事を許されていた。
(さしあたっては……)
この状態はまだ事件の序の口だろうに、さっきから頻繁に聞こえてくる落雷の響きからすると完全にバレているようだ。
先の一件で、極力自分の窮地に勝手に助けに来ないよう彼らに再度言い渡していたが、どうも直接的でなければ構わないと解釈しているような気がしてならない。
自分やカイエの素性が知れたとして。
(慌てて放り出されるか、消されるか…)
分かっていて捕まえたのであれば、リスクを承知の上で飼い殺しにするような極度の変態に売り飛ばされる可能性だってある。
カイエをそんな目に合わせるわけにはいかない。
(よし、やってしまおう)
大きく息を吸い込んだサクラの耳に、階下から騒ぎが聞こえてきた。




