4 うるさい人たち
程なくして楽器のある大部屋へ現れたカイエの姿に二人の男が目を輝かせた。
挨拶を済ませるとすぐ、ダッタ文官長が後ろに控えていた男性の背を少し押し紹介する。
そろりと一歩踏み出した小柄な男性は目を瞑っていた。
「彼は目が見えませんが耳が非常に良く、手先も器用で仕事が丁寧です。次の調整では必ず良い仕事をするでしょう」
少しだけ瞼を開き、その隙間から目の病の証である淡く曇った瞳を見せた後、深々とお辞儀をした姿にカイエが頷き侍女に目線で指示を送る。
楽器まで案内しようと近づいて彼の手を取った侍女に、調整師が軽く手を上げた。
「楽器まで歩いて頂ければ足音で付いて行けます。転んだりしませんのでどうぞご心配なく」
感心した一同が見守る中、何事もなかったかのように歩き楽器の前へ行くと、慎重に手を伸ばし楽器を探り当てた。
「それは普段使っていない方のキャステンです。どうかしら?」
「音を出してもよろしいですか?」
「もちろん」
それから先の動きは無駄がなくスムーズで、一通り爪弾いた後に楽器の調子を口上する。
メモも取らずに述べたそれらを1つ1つ丁寧に調整し、最終的に完璧に仕上げて見せた彼に拍手がおこった。
叩いた手を降ろしてカイエがニッコリと微笑む。
「貴方のお名前を教えて下さる?」
名前を訊くのは承認の証しだ。
「その者は」
「デーガ様、私は調整師のお声を聞きたいの」
割り込もうとした文官長の息子をバッサリと切り捨てて、カイエはもう一度「お名前は?」と問いなおした。
声の方向を捕えてゆっくりと向き直った調整師はまるで目が見えないというのが嘘のようだ。
「レン、と申します」
「ありがとうレン。このまま私の楽器を見てもらえる?調整の予定はまだ先だけれど、事前に知っておいてほしいの」
「かしこまりました」
少し奥にあるカイエ専用の楽器へ移動する調整師の様子を見計らっていた侍女が、茶の支度ができた事を告げた。
「ここからは私のわがままですから、お二人はどうぞ別室でお待ちください。ゆっくりしていらして下さいな。それともお忙しいかしら?彼は城の馬車で送らせてもかまいませんし」
「いや、そんなご面倒をおかけするつもりはありません。自国の技師ですし責任をもって連れて帰ります。それより、国で新しくできた楽譜をお持ちしたのです。まだ売り出す前なのですが、調整の間ご覧になりませんか?」
(楽譜――――― とはまた断りにくい物を出すわね)
カイエが狙いなのを見え隠れさせながら、紹介した人材が上手く気に入られた事に気を良くしてか態度が大きくなっているのが窺える。
「……」
一瞬の葛藤に沈黙が下りた。
「失礼を承知で申し上げますが、ダッタ様」
突然響いた重低音に文官長親子が焦って辺りを見回す。
「カイエ様は、ご自分の楽器を調整される間その場を離れることはありません」
ご存じのはずでしょう、と言われて文官長の顔が赤くなり不愉快そうに歪んだ。
「とはいえこちらに水気は厳禁。お申し出は大変光栄ですが、先に別室にてお休みいただけますでしょうか」
「き、君と話をしているわけではないのだがね」
先程カイエが使ったものと同じ手で話を区切ろうとするダッタ文官長に対して、発言したヴェルザーの眼光は冷たいまま文官長とその息子に注がれている。
「……申し訳ないけれど、私はここを離れる気はありません。ですがもし調整の後お時間が許すようでしたら――――― 」
「カイエ様」
「いいのよ、ヴェル」
「ん?」
何が引っ掛かったのか、デーガが首を傾げた。すぐに「あ!」と叫んで威圧感満載の近衛を指さした。
「おおおおお前っ、ヴェルザーか!!」
(今気付いたのか)
「今頃気がついて?」
二人の軽い溜息などお構いなしにパニックになった文官長親子はタガが外れたように喋り出す。
「なんっ…なんて事だ!君には羞恥心というものがないのか!?こんなところで何をしている!!」
「大体いつ城仕えになったんだ!本当なら辞退してしかるべきだろうっこの薄情者!!」
何か思い当ったのかデーガが歪んだ笑いを浮かべた。
「見合いをしたと聞いていたが……こんな所にいるところをみると駄目になったようだな。当然だろう、何かあった時に消えられたらたまったものではない」
「まさかカイエ様に未練あってのことではないだろうな?お前のような朴念仁が」
「何のつもりか知らないがこんな所を民が見たらなんと言うか!一刻も早く立ち去れっこの日陰ゴカフラド!!(※ウドの大木の意)」
「それとも何か?こんな風に下僕として従うことで懺悔でもしているつもりなのか?それならそれらしく下働きのように床でも磨いたらどうなんだっ!それこそ皆に申し訳が立つというものじゃないかこの偽善者!!」
「貴様にカイエ様をお守りする資格など無い!!誰の目から見ても明らかだこの裏切り者めっ」
罵倒する最後に比喩的表現を用いるのは遺伝らしい。
あらかた言いつくしたのか、二人は肩で息をしながらヴェルザーを睨みつけている。
「……任務ですので」
さらりと流された事に再沸騰した文官長親子が口を開きかけたその時。
「こんな煩い所でよく調整できるね」
場の空気に緊張が走った。
困ったような顔をする調整師の前でキャステン用の小さな椅子に腰かけていたのは―――――
「サササッ…」「サクラ様!?」
「……いつの間に」
そしてその肩に乗っているどう見ても毛皮な塊を見て、文官長の息子が目を見開いた。
口をパクパクさせて、指を差しそうになったり父親を見たりと激しく動揺しているのが分かる。
「くだらない。個人としての感情を、あたかも民意の代弁者のように喋らないで。見苦しい」
どうやら完璧に機嫌を損ねているらしい。彼女の周りから不穏な空気が漂ってきている。
「楽の音はひいてはクウォンジに通ずるものと、分かってるんでしょうね?」
言葉が獣の牙のように二人に襲いかかる。
「楽器の調整は神聖なもの!仮にも4国の出自でありながらこのように場を乱すとは何事か!即刻この部屋から出て行きなさい!!」
「ひぃっ!!申し訳ありません!!」
親子はまるで蹴りだされるかのように部屋から飛び出した。




