勉強と発見
それからというもの毎日黙々と紙に向かう姿に、双子は新しい紙を持ってきた。
体の部位や「はい」「いいえ」「私」などの簡単なものを確認し終わると、なんとなく会話ができそうな気がしてくる。
「えっと、ケーキ…お茶、お皿…」
リュカは食べ物中心に絵を描いているらしい。
シャルはというと、何か小難しいことを描いているように見える。
(えっと、これが太陽で、月…昼と夜…)
「おや、楽しそうだね」
まったく気配を感じなかったが、いつの間にかそこに人が立っていた。
「「お兄様」」
「ああ、そのままで構わないよ。今日はご挨拶にお伺いしただけだから」
ニッコリ笑った瞳は、どちらかと言えばリュカの色に似ている。
「初めまして、宿木の姫。私はこの二人の兄でロジェノと申します」
綺麗なお辞儀をする彼に向かって、立ってペコリと頭を下げる。
「この二人は、ご迷惑をお掛けしていませんか?二人揃うと意外と煩いでしょう」
(そんなことないけどな)と首を振って答える。
「それはようございました。服もよくお似合いです」
「でしょう?お嬢様の髪の色がまるで朝薔薇の樹みたいに綺麗な薄紫色だから、良く映えるのね」
「それを言うなら、夜明けの月光色じゃないかしら?」
「でもクリーム色というよりは銀というか」
髪の色がなんだって?
双子が朝晩のお手入れを申し出ていたので気に留めていなかったし、大体色が変わっているとは思ってもみなかった。
短めなボブの髪の毛を掴んで無理やり視界に引っ張って見ると、本当に白っぽい。
(うわぁ…鏡がほしい)
キョロキョロと辺りを見回していると、リュカが「分かりました!鏡ですね!」と隣の部屋に駆け込む。
改めてみると、自分の面影がなかった。正確には、色がまったく違う。
髪の色は二人が言ったように白銀。光の具合によって薄紫色になる。
瞳の色は青みがかった黄緑。底に金箔を貼り付けたような宝石みたいに、光をうけて瞬いているようだ。
鏡を凝視して固まった彼女は、邪魔しないようにロジェノが部屋を出たことも全く気がつかなかった。
(こっちの人間だったんだ)
そう思ったことに自分でビックリしていた。
その時――――――
ドン、と突き上げるような振動に部屋が揺れた。
「!?」
「きゃっ、お嬢様!」
「こっちです隠れて!」
だいぶ大きな地震だった。
テーブルの下にじっとしていると、部屋が揺れているのか自分が揺れているのか分からなくなってくる。
「…もうだいじょうぶですね」
「立てますか?」
テーブルの下から這い出ると、部屋はそれほど酷くなっていなかった。
しかし。
「――――― っ!!!」
「おい、大事は無いか……どうした?」
男が入ってくる。
「おい、しっかりしろ!何があった!?」
震える指が示す先にテーブルの上の茶器が倒れて水浸しになっている。そこらにあった紙が茶色の水溜りに浸かっていた。
(せっかく、せっかく…っ!)
サクラは我知らずのうちに男の腕を掴んで揺すっていた。半泣きだったかもしれない。
「お、おい」
ひゅうひゅうと喉を鳴らして青ざめている姿に男が動揺していると、双子が溜息をついた。
「ああ、せっかくのお勉強の成果が」
「残念ですけど、また書きます!さっきより分かりやすく書けると思います!!」
「あ、こっちは無事」
「とにかく落ち着け。どこも怪我はないんだな?」
(あたしはいいんだってば!)
きっと顔を上げると琥珀の双眸が真剣に覗き込んでいる。
(初日に会った人だ。ていうか今こっそり舌打ちした)
「子供じゃあるまいし、そんな目で見ても零れたものはどうにもならん。痛む所が無いなら手を離せ」
その言い方にカチーンと来るものがあった。
(……ムカッ)
振り下ろすように手を離すと、彼女は窓に向かって歩き出す。
そのままひらりとベランダの手すりを飛び越えた。
なぜだか今、この男と同じ空間にいるのが嫌だったのだ。
「なっ!?」
「きゃぁあっぁぁぁ!?」
「お嬢様!」
ここは1階ではあるが、基礎土台が高めに作られているため床のある位置と外の地面とでは高低差が結構ある。
慌てて3人が手すりに飛びつくと、ベランダから飛び降りた本人が何食わぬ顔で立ち上がるところだった。
んべっ、と男のほうにだけ向かって舌を出して、双子に向かって手を振るとスタスタと歩き出した。
「ヒドイではないですかアルスラン様!!なにもあんな言い方しなくても!」
「なんだと?というかなんなんだ、あいつは」
「お嬢様……カッコいいです。素敵です」
「あ、あ、あーっ行っちゃいましたよいいんですか!?私追いかけてきます!!」
「逃げるんじゃなければ少しくらい放っておけ」
上で騒ぎになっている間に、サクラはかなり早足で塔の裏側まで来ていた。
そのまま一周して頭が冷えたら戻ろうと思っていたのだが、意外な光景に足を止める。
足元に、淡い黄緑色の道が出来ている。
小さな崖のようになった地形の下で、花を咲かせている樹が並んでいるのだ。
それが、丁度崖の高さに頭をそろえている。うっかりしたら、そこに足を乗せそうだった。
(…かわいい)
小さくてかわいい花弁を所狭しと枝に乗せた木々は満開だ。
どこまで続くのか覗き込もうと手をついたら、柔らかい感触がしてすぐ沈む。
あ。
気をつけなきゃと思ってたのに。
落ちた、と思った次の瞬間――――
ドサァッ
(……っとぁー…痛くないー…)
びっくりしたけど。
どうやら吹き溜まりだったらしい。積もり積もった花びらがクッション代わりになってくれた代わりに、吹雪のように飛び散って舞い降りてくる。
束の間、その幻想的な光景に目が釘付けになった。
ひらひらと止めどなく落ちる様は雪のよう。
「お嬢様!ご無事ですか!?」
悲鳴のような声で呼びかけるのはリュカだ。
上に向かって少し手を挙げると、「回り道して行きますから待っててくださいね!」と姿を消す。
もそもそと起き出して花びらの山から這い出ると、後ろの方で「クゥ?」と何かが鳴くのが聞こえた。
姿が見えないところをみると、なにか気の小さい小動物らしい。
(寝床だったのかな?)
それだったらかなり悪いことをした気がする。
その時、強い風が吹いて木々から花びらが一斉に散った。
(……似てる)
雪にも似たその散り際が、自分の名前と同じ音を持つ花に。
自分が心を寄せられるのは、こうしたあるがままに生きているものばかりだった。
人の間に立っている事は苦痛だったから、他人の領域に踏み込むことはしなかった。
それで良いと思っている――――― 今も。
座り込んで上を見上げたまま、どれくらいそうしていただろう。
彼女から離れた所に立っていた彼もまた、時を忘れていた。
何をしにここへ来たのかも。
うずくまる宿木の姫巫女と、そこに降りかかる花びらのどちらに目を奪われていたのか分からないが、確実にその光景に思考が停止していた。
彼女の周りに、赤い毛皮の小さい動物が集まり始めている。
コモモだ。警戒心が強く、人前に現れることは滅多にない。
それが、座ったまま微動だにしない彼女にどんどん近づいていくのを見て、アルスランはやっと我に帰った。
ひくひくと髭を震わせながら、コモモが服に前足を伸ばす。
ちょん、と触れたと思ったら、2匹がいっぺんに背を駆け上っていく。
「……?」
ゆっくり振り返った彼女が見たのとは反対側の肩にコモモが顔を出した。
もう一匹が髪を掻き分けるようにその隣に出てくると、やっと何かがいることに気付いた彼女は自分の肩を見下ろす。
そのまわりでは他のコモモが花びらを掘ったり、彼女の膝に手をかけて立ち上がったりしていた。
驚くとか撫でようとするとか、普通ならしそうな事は一切しなかった。
そのうちじゃれあった二匹が絡まりあいながら落ちる。
その様子に浅黄色の瞳が和んで笑みが漏れた。
「――――― !」
アルスランが息を呑んだ瞬間、コモモがパッと四方に逃げ出した。
「……?」
お嬢様!と遠くから近づいてくる声に振り返ると、リュカが走ってくる。
「もうっ、なかなか戻っていらっしゃらないから…あら?アルスラン様はいずこへ?」
「?」
「さっき下を歩いているのが見えたのでお嬢様のことをお伝えしたら、連れて来て下さるって言って向かわれたので待ってたんですよ~」
来てない、と首を振る彼女にリュカは体が傾くほど首をひねっている。
「私もここに来るまでお会いしませんでしたし…どこ行っちゃったんでしょう?言い方が良くなかったのでしょうか」
サクラも首を傾げてみた。
「あ!そんなことより、ダメじゃないですか!まず、建物から外へ飛び降りては危ないですよ!それに、ここに落ちましたよね?花びらが積もってたから良かったものの、他の場所はそうはいかないんですから!無茶なさらないで下さいっ」
こっくり頷いた彼女の手には拾った花が握られている。
「あ、綺麗に花の形が残ってますね。この花お好きですか?」
こっくり。
「また見に来たいですか?」
こっくり。
「じゃぁ道をお教えします!」
リュカの後について塔に戻ると、ロジェノとシャルが出迎えてくれた。
「ご無事で何よりです」
ロジェノはどこか読めない笑顔の持ち主だ。じっと見ても表情が読めない。
「おや、なにか私の顔についていますか?そんなに見つめられるような男前ではないはずですが」
「喋らなければ結構いい線行くと思うんですけどね」
「一度口を開くと散々ですからね」
「お前たち、姫巫女に変な事を教えないでおくれ。ただでさえ腹黒いだの冷血だのと悪い噂が多いんだから…」
「ロジェノ、城へ戻る」
アルスランがいつの間にか城への道に立っている。
「一つ訊くが」
「はい?」
「…何故あいつは、俺の古着を着てるんだ?」
「えええええっ!?」
「やっぱり。こんな服を着ているお兄様の記憶はないと思ったのよ」
「姫巫女たってのご希望と、サイズ的に合うのがあったので。今のところアルスラン様は跡継ぎをお作りになるご様子はありませんし、お下がり予備軍を箪笥の肥やしにしておくよりはいいかと」
「……」
勢いよく身を翻して歩いていく姿をロジェノが苦もなく追っていく。
「いまのところ、アルスラン様を言いくるめられるのはお兄様だけなのです」
「怒られても気にしないのがコツなんですって」
(おさがり…しかも、あの人のっていうのがなんかちょっと)
イヤだなぁとか思ってしまうのだった。
◆・◆・◆・◆
一つ発見があった。
シャルと一緒に散歩に出ていたときだ。少し遠くに行ってみようと城までの道のりを歩いていた時、突然耳がおかしくなったのだ。
「―――――― 、―――――― …?」
ビックリしている自分にシャルが何かを話しかけているのだが、何を言っているのかさっぱり分からない。
動揺して少しよろけてしまい、尻餅をついた途端シャルの言葉が耳に響く。
「大丈夫ですか?」
どうやら自分に言葉を解らせてくれる見えない力は、範囲があるらしい。
ジリジリと考え事をしながら道を逸れていこうとする彼女の姿に、さすがに不安を覚えたのかシャルが服の袖を掴んで引っ張った。
「どうされたのですか?そちらは整備されておりませんので足場が悪いですよ」
頷きながらシャルをもとの位置まで押し戻すと、懐から折りたたんだ紙を取り出して広げる。
改めて会話用に文節や言葉を書き連ねたものだ。
『言葉』『ここ』『解らない』
「ここ?」
『ここ』『解る』『線』
一歩さがったサクラがそう指し示すのを見てシャルは目を見張った。
「そこを越えると、言葉がわからなくなってしまうのですね?」
『他』『場所』『同じ』『知りたい』
「そうですね、境界線を把握しておくのはいいかもしれませんが」
聡明な返事にサクラが嬉しそうに微笑んだ。
「…楽しいですか?」
『興味がある』
「お嬢様は意外と好奇心旺盛ですね」
そんな事を言われたのは初めてだったのでビックリだった。