錦秋 (後)
前編と同時に投稿した気でおりました(焦り)失礼しました。
※追記:2/5から3/5おわりくらいまで、ちょっとだけ痛そうな表現があります。お嫌な方はざっと最後のほうへどうぞ。
キリノが来て3日目。
サクラはそのキリノを探して歩いていた。
首には柔らかい曲線の銀と石が組み合わされた精緻な首飾りをつけている。
アルスランからもらった婚約用の首飾りを、当事者同士は厳戒体制のままなのに首にかけたのは訳がある。
この2日でだいぶ憔悴してしまったアルスランを見てしまったのと、また人の事ばかり考えて自分がどうしたいのかを忘れていたことを思い出したからだ。
アルスランと生涯を共にする、というのは自分の中でとても大事なことだった。
だから、本当は反対されても困るのだけれど。
「あ、リクト。キリノ様を見かけなかった?」
「裏の森から少し先にある沢まで散策するって言ってたよ。なんだか思い出の場所なんだって…って、それ着けてるし!なに?とうとう対決することになったの?」
「別に対決するわけじゃないの。きちんとお話をするだけ」
「そう!頑張ってね!」
リクトに手を振ってキリノの歩いた道を思い描いていいたサクラは、ふと嫌な感じがして視線を彷徨わせた。
最近あのあたりで、良くないイメージを持たせるものがあっただろうか。
「……あ!!」
脳裏に蘇る、新しく露出した岩肌。沢の上流にあたる小さな滝のようになった部分の手前部分。
以前別な場所で自分と幼い少女が落ちかけた恐怖がよみがえり、鳥肌が立つ。
(あれは、どこだった?)
思い出しながら、サクラはすでに走り出し一目散に森に入る。
(きっと、印が出ているはず)
かつて王妃として王を支えてきた人なら、危険区域の印を見逃すことはないだろう。
でも、もし目に入っていなかったら?
まだ印が手配されていなかったら?
「……キリノ様―――― !!」
そのよく通る声は、どうやら近づいてきているらしかった。
しかし近づいてくる物音がしないのはどうしてだろう、と思っているとようやく足音らしきものが聞こえてきた。
「キリノ様――― っ!いらっしゃいませんかキリノ様!!」
「サクラ、何をそんなに慌てているのです?」
「どこですか!?」
キリノは自分が道を敷いているところから藪の中へ入っていたことを思い出して、手を振りながらサクラを呼ぶ。
「そんなところに…駄目です!それ以上進んではいけません!」
「まぁ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。これでも昔はよく通ったものよ?こちらの方が近道なの。いらっしゃいサクラ、貴女にいい場所を教えてあげる」
「キリノ様!!」
ここらは夏に藪が生い茂り滅多に入るものはいない。藪の背丈は胸ほどもあり、周囲の木々と相まって先が見通しにくい。
本当にここを突っ切っていたとしたら、よほどお転婆もしくは好奇心旺盛だったのではないか。
年を感じさせない足取りでキリノは先へ行こうとする。慌ててサクラはそれを追いかけながら叫んだ。
「駄目なんです、ここら辺に一部滑落した部分があります!」
「そんな印はなかったと思うけれど」
「道のもう少し先にはあったんです。まさかここを通ろうとする人がいたなんて……お願いです、止まって下さい!」
確かにこのあたりは少し地盤が緩かったかもしれない、そう思ってキリノがサクラを振り返った時。
「―――― !?」
キリノの姿ががくりと揺れた。
思わず手を伸ばした時には足元に深く抉れた岩肌が見えて、とっさにキリノの下に滑り込むようにして抱きしめる。
「きゃぁぁっ!!」
「――――っつ!!」
ドン、と酷い振動が背中に響いた。あっという間に滑り落ちていく。
人一人分の重さがかかった状態に耐えられなかった服が破け、あっというまに肌が裂けた。
思いのほか深い谷状の割れ目に、ついにサクラは叫んだ。
「…アヤメ――――!キリノ様を守って!!」
とたんに滑落が止まる。
必死に目を瞑っていたキリノは血の気の引いた状態でサクラにしがみつき震えていた。
一体何が起こったのか、と気丈にもゆっくり目を開く。
「…キリノ様、お怪我は…?」
かすれた声に見上げると、サクラが心配そうに覗きこんでいる。
「わ、私は…大事ないようですが、貴女が下敷きに…」
「下を見ないで、私の方だけまっすぐ見ててもらえますか?」
「どういうこと、どうして落ちるのが止まって」
『サクラ』
介入した声に、キリノが目を見開いた。
(こんな間近に、そんなまさか)
「ありがとう。この方を城に戻してくれる?」
『…それだけ?』
「それでいい。歌うのはちょっと無理」
『サクラ、人はあんまり血を流すと死んでしまうよ』
「いいの、あたしは大丈夫」
ほう、と吐息を吐いてサクラがゆっくり片手を離すと、不思議なことにキリノは浮遊感に包まれた。焦ってもう片方の自分を支えている細腕を掴む。
この手を離してしまったら、サクラがどうなるか分からなかったからだ。
サクラの顔から血の気が引いて、青を通り越して白になろうとしている。
「サクラ、あなたケガを」
「―――― 大丈夫ですよ」
『大丈夫じゃない。どうして願わない?サクラが願わないなら私が』
「それはダメ。許さない」
『サクラ…』
途方に暮れた声にキリノが思わず振り返ると、そこには美しい女性がぽつんと宙に立っていた。
胸から下を滑らかな布地で巻くように覆い、はだけた肩をかすめて美しいうねりの豊かな髪が腰のあたりまで落ちている。
唯一、耳と思わしきあたりから伸びる一対の翼が、明らかに異形だと示していた。
かつて顕現した時の様子とは異なる姿だが、間違いなくクウォンジの一人。
「あたしのことは手を出さない…わたしも望まない、そのかわり護りたいものを助ける手助けを、って約束でしょ。それを破るわけにはいかない……貴方たちも失いたくない」
弱く笑う顔にうっすらと汗が浮かんでいた。
「お願いよ…私の大事な友達…私を母と呼んだ子……」
『こういう時だけ、そう呼ぶのはずるいよ』
ほろり、とアヤメが一粒涙を流した。
「わ、私ではダメなの?」
かつては歌姫と呼ばれたキリノの問いにアヤメは首をふる。
『…お前の残りの命を使って願っても無理だよ、人の子』
また一粒、ほろりと涙が落ちた。
「しかたないな…」
そう言いながら、空いた手が鎖骨の辺りを彷徨わせている。
かつて、宿木であった彼女の中からいち早く顕現したアヤメは、クウォンジの中でも特にサクラに甘い。
サクラが困っていれば助けたい、悲しまないようにしたい、と加護や守護を与えようとしたが、それを断った彼女に「お願いだから」と何とか自分を頼らせる策を講じ、結果「サクラ以外を助ける手伝いをする」という約束を取り付けたほどだ。
「じゃぁ、すこしズルをする……リクトをキリノ様の元に」
言うが早いか、さっき手を振って分かれたリクトが湧いてでた。
「―――― えっ、わ、なに!?」
「リクト!早くサクラを連れて城へ!!」
「どういうこと!?え、アヤメ様!?」
「リクト!」
『早くしないと落っことすよ、小僧っ子』
冷たく言い放たれて慌てて見回すと、岩肌に背を預けたサクラの膝が折れて倒れてくる。
「ちょっと、待って!ええと、この!開け!!」
リクトが空に壁があるかのように手をつくと、そこが窓のように黒く切り取られた。
先にキリノを黒い空間に押し込もうとすると、キリノがサクラの手を放そうとせず手こずってしまう。
「おばあ様!お願いだからちょっと下がってて!」
「いけません!この手だけは……サクラを早く引っ張って!」
何が起きているのか分からないまま、ともかくサクラの空いているほうの腕をつかむと、空間の縁に足をかけてサクラを引っ張りあげる。
手がヌルついて上手く支えられず、顔を顰めて見ると手のひらが真っ赤に染まっていた。
「なんだよこれ…」
「…リク…ごめ……」
「ごめんじゃないよ!」
『早くおいで、小僧っ子。サクラの火が消えないうちに』
そういうとアヤメは消えてしまう。
慌ててサクラを背負ってキリノと城への道を辿る。
リクトにしか扱えぬ影の回廊に、動揺で乱れた呼吸音とサクラを気遣う声だけが響いていた。
サクラの気配が薄い。
自分の背に感じる重み之温度が下がったような気がしてリクトはヒヤリとした。
キリノはまだサクラの手を捕まえたまま、遅れぬよう小走りでついてゆく。
この上ない不安に駆られながらも、リクトは上手いことサクラの部屋のバルコニーに出た。
「誰かいないか!!」
叫ぶと同時に双子がすっ飛んでくる。一足先にアヤメが来たのか、手にはタオルや医療道具も持っていた。
しかし、サクラの背中の具合を見た二人はあまりの惨状に息を飲んで固まってしまう。
「何をしている!早く止血しろ!!」
「こ、これでは私たちの手には…」
「とにかくやってみますが」
「それでもお前たちはサクラ付きの侍女か!泣き言を言うくらいならここ医者を探して連れて来い!!」
びくり、と二人の肩が震えて顔つきが変わる。
意を決してサクラの手当てを始めた姿を尻目にリクトはキリノを連れて部屋を出ようとして、一瞬早く扉をあけて入ってきた人物に目を見開く。
「兄上!!ホタル!?」
「サクラ様!?なんてこと!!」
悲鳴を上げるホタルをよそに、部屋を一瞥して状況を把握したアルスランは盛大に溜息をついた。
「少し目を離すとこれか―――― なんだってこう」
ブツブツ呟きながら懐から笛を取り出すとおもむろに吹き始める。
揺るぎのない旋律。限界まで引き絞られる弓の弦のように溜まっていく力。
「―――― アヤメ、お前の望みを叶えろ」
ふわりとアルスランの頭を背後から腕が抱く。
『うん……ありがと』
アヤメは重さを感じさせない動きで舞い上がりサクラを上から覗き込むと、そうっと寄り添うように背にかぶさる。翼が幾重にも広がって部屋までも埋め尽くそうとするのに誰もが目を瞑る中、アルスランだけがそれを見据えていた。
翼が消える。
それと同時にアヤメの姿も消え、サクラの背は何事もなかったように滑らかな肌を見せている。
夢ではないと言うように、赤黒いシミが周りにあるだけ。
「………し」
「し?」
「死ぬかと思った…!」
いつの間にかアルスランが膝をついて、片手を床について身体を支えている。
顔色がひどく悪くて瞳孔が開きそうな勢いだ。
ロジェノから受け取った手拭いで手を清めていたリクトが同情の目を向ける。
「わかるよその気持ち……ほんとたまったもんじゃないよ」
キッ、とアルスランがベッドを睨んで立ち上がる。
つかつかつか。
「起きろ」
「ええ!?」「そんな!せめてもう少し安静に!」
「サクラ、起きろ!」
「……ん、ん?」
眠そうな感じにサクラが目を覚ます。
「どうせちょっといい夢でも見てたんだろう」
「…あれ、ここ…あたしの部屋?あたし死んだ?」
「勝手に死ぬな。というか―――― 」
ペタリと子供のように、寝台に平たく座ったサクラの横に腰掛けて、頭を両手で鷲摑みにする。
―――― ゴツッ!
「いたぁ!?」
額で熱を測るにしては痛そうな音に双子が飛び上がる。
「馬鹿者!どうしてお前はそう無茶ばかりするんだ!!リクトを助けに呼べる冷静さがあるなら何故最初に俺に一言声をかけてから出て行かない!?」
「ご、ごめんなさい。一刻も早くと思ったら足が勝手に」
「まったく、しかも死んだら死んだでまぁ仕方ないくらいに思ってたな?」
「アルスランでもダメだったら、仕方ないかと思ってるけど」
信用されてるんだか諦めているんだか分からない言葉にアルスランの目が据わる。
「……もう俺の知らない所で何かが起きて、こんな思いをするのは嫌だ」
「うん」
「お前の半端ない無茶をカバーしてやれるのは俺しかいないぞ」
「うん、そうみたい」
「……一生側にいてくれないと気が気じゃない」
少し考えて、サクラが笑った。
「じゃぁ、側で無茶するのはいいの?」
「率先は無し」
「止める?」
「それが出来たら苦労してない…」
どんどん笑顔になるサクラに対して、アルスランは怒り顔から困った顔になっていく。
ささささ~と部屋の隅に外野が移動しているが、出て行こうとはしない。
「あ、でもゴメン無理かも」
「「「ええええええ!?」」」
ガックリとアルスランが肩を落とした。
「……訳を聞こう」
「んっと、首飾り着けてて、落ちる途中で失くした。一瞬首が絞まった感じがしたから、切れたかも」
「「「失くした!?」」」
「つけたのか!?」
勢い込んで訊かれてコクリと頷いたサクラにアルスランが固まった。
「……外へ出ろ」
低く呟かれた言葉に一瞬誰が言われたのかと首を傾げる。
「お前らだ!見てないで外へ出ろ、今すぐ!!」
「そういうわけには参りませんよ」
慌てて飛びのいた人たちの先に現れた姿にサクラが嬉しそうな声を上げた。
「キリノ様!良かった、ご無事でしたか?」
返事の代わりに溜息をついている。
「アルスラン、サクラから離れなさい」
「……嫌です」
「婚儀も済ませてないのに女性の寝台に上がるんじゃありません!!はしたない!」
「は、はしたないって…」
男はあまり言われないお説教にアルスランが珍しく顔を赤くして苦りきっている。
「貴方が退かないと私の話が進まないんです。いいからその場所を私に譲りなさい」
「…どうぞ」
本当に入れ替わるように目の前にキリノが座って、サクラは笑ってしまった。
「貴女はもうなんともないのですね?」
「はい、お騒がせして申し訳ありません」
「……馬鹿な子ね」
そう言うと、キリノはゆっくりとサクラの背に腕を回した。
「ダメですよ、服が汚れてしまいます」
「貴方の侍女は何をしているの?こんな痛々しい恰好見てられないわ」
その一言に後ろの方が騒がしくなる。
キリノに優しく抱きしめられ、サクラは少し迷って目の前にある肩に頭を乗せてみた。
「もっと自分を大事になさい。あなたが傷つくことで苦しむ人間がいるのですよ」
「はい、気をつけます」
「私を探しに来てくれてありがとう」
その言葉にサクラは嬉しくなってパッと身を離した。
「キリノ様、私は身寄りがいないんです」
「そのようね」
「これから出来る家族が、本当に始めての家族なんです。キリノ様がおばあ様になってくれたら、こんなに素敵なことはないと思って」
軽く殺し文句のような言葉に絶句したキリノが、少し顔を赤らめて額に手をあてた。
「このまま野放しにしてはアルスランに敵視される者が増えそうだわ…」
「へ?」
「なんでもないの。あなたの望みを叶えるためにはこれが必要ね」
「それ……!」
懐から取り出されたのは、アルスランに渡された首飾り。何故か一枚真っ白な羽根が留め金に噛まされている。
「絶対にそんなはずはないのですが、気付いたらこの羽根と一緒に手の中にあったのです」
アルスランの脳裏に、姿を消す直前の『おまけしといた』というアヤメの声が甦った。
慌てて受け取ろうとしたサクラの手を避けて、それを後ろに控えていたアルスランに差し出す。
「もう一度やり直しなさい」
「おばあ様!それじゃ」
「あんな事を言われて断れる人がいますか。いいですか、それが終わったら私の生きてるうちに曾孫を見せに来るんですよ」
「キリノ様…」
「私を喜ばせられるのは、それ以外ありませんからね。……アルスラン」
「はい」
「サクラが着替えるまで外にいなさい。男子たるものソワソワしない!!」
さすが元王妃。逆らえない威厳のある一喝であった。
渋々退出する男性陣に鋭い目線を送って扉が閉まるのを見届けると、キリノはサクラを見ないように備え付けの椅子に座り用意が整うのを待つ。
そして、肌を清めて服を着替え、自分の前で恭しくお辞儀をしたサクラに目を細めた。
「貴女の礼は本当に綺麗ね」
「ありがとうございます。実は、たくさん練習しました」
「もっと、必要なことがでてくるでしょう。困ったらいつでも家にいらっしゃい」
「……はい!ありがとうございます」
キリノの微笑みは気高さのあるものだと思っていたが、その中に慈しむような深さを見つけてサクラは泣きそうになる。
「さ、アルスラン。交代しますよ」
ようやく扉を開けてもらえたアルスランがキリノの言葉に面食らう。
「帰ってしまわれるのですか?」
「ええ!あやうく寿命を縮めるところでしたからね、暫らくは平穏な生活を送りたいわ。リクト!送ってくれるわね?」
「そんなぁ~もう少しここにいて兄上の歯の浮くようなセリフを聞きたいのに~もうちょっといませんか?」
ごん!
「暴力反対!」
「馬鹿なこと言ってないで行ってこい」
プリプリするリクトとキリノが部屋を出て、カイエが素早くウインクをして双子を連れて行く。
沈黙の中、歩み寄るわずかな足音だけが響き、背後からきつく抱きしめられて、すぐ離される。
首に冷たい感触がして、あっという間の早業で首飾りが掛けられていた。
「やっぱり焦ってる」
「焦る。お前の気が変わらないうちに済ませておかないと、次になにが起こるか分からないからな」
サクラの手を取って自分の頬にあてる。
「さっきの続きだが」
見下ろす真摯な眼差し。
「お前が欲しい」
「……続きでそうなる?」
「総括した。国のためにお前が必要なのはもう済んだ。これからは俺に必要なんだ。婚儀はまだ先になるが、生涯の伴侶はお前しかいない」
フワリと微笑んで、琥珀色の光が和らいだ。
「お前の一生の人になりたいんだ」
「覚えてたんだ」
急にサクラがそわそわ、もじもじと落ち着かなくなった。
「あのね、これ、もらう時は特に何も必要ない?何かしたほうがいい?」
「…返事」
「うん?」
「返事は?」
「あ、うん……あのね」
ちょっと見上げてくる目元が赤い。
「アルスランが、いい」
その一言で、アルスランの胸のうちが黄金色の恵みの雨が降るような幸せに襲われる。
彼は呻くように吐息を吐き出して、サクラに口づける瞬間「良かった」と呟いた。
ひと段落、でしょうか。あともう一つ、アルとサクラの甘々な話を書けたらと思っています。




