祭の始まり
花祭りは、数日前の仕込みからかなりの熱気で溢れていた。
海を渡ってくる客は増え続け、一気に人が増える。大陸に面した港のある2、3、4の国は対応に追われ、既に王城前の門扉は人で埋め尽くされていた。
「凄い数…」
「サクラ様、髪を編みますから戻ってください」
呼ばれて淡い菫色のドレスをひるがえして戻ってくるサクラの姿に、双子がウットリと溜息をついた。
「ステキです、サクラ様。最後ですからじっとしててくださいね」
「はぁい」
ここ数日の市民の熱気同様この二人の熱の入りようといったら。
普段だって結構熱血なのに、それがまだまだ甘かったのだと思い知らされた。
緩く髪を編むのと同時に目元に銀を、唇に紅を差していく。
頭の上から限りなく薄い紗のヴェールをかけられた。
「お姫様ですね、サクラ様」
「ほんと?」
「はい、じっとしてくださいね」
まだあるの?と首を傾げたサクラの前でシャルが何かカチャカチャ回している。
「はい、もういいですよ」
「なにそれ」
「秘密です。後でお見せいたしますよ」
コンコン、と扉を叩く音がしてアルスランが顔を出した。
祭りの最初にある神事には男性は白い服を身に付けるのが決まりだそうで、裾の長い上着の下にも白の上下を身に付けている。
きらきら光る虹色と白金の糸で美しい縫い取りがしてあって、全体的に輝いて見えた。
「わぁ」
そう言ったきり動きが止まっているサクラに対して、紳士としてのたしなみを叩き込まれているはずのアルスランの反応はもっと酷かった。
扉を開ける途中の恰好で口を開けたまま固まっている。
サクラが身につけているのは淡い菫色のドレスにビーズを散りばめた少し濃い色の帯。耳から下がる真珠貝の粒。
それらは髪も肌も、より輝かせていた。少し化粧をしただけなのに、人が違って見える。
「お二人とも、見つめ合ってないで早くバルコニーへ向かってください」
「アルスラン様はエスコートしにいらしたんですよね?」
はっ、と魔法が解けたように動き出したのはサクラが先だった。
ととと、慣れない靴で小走りになりながら彼の元へたどり着くと、サクラは照れ笑いをした。
「ホントの王子様で、ビックリした」
「……妖精?」
歩きながら少しヴェールを持ち上げて中を覗き込んだ後、アルスランはホッとしたような顔になった。
「よかった、サクラだな」
「な、なにか変?」
「あんまり綺麗でビックリした」
「……はあぁ!?」
何で半ギレなんだよ、と思っているとサクラの顔が見る見る真っ赤になっていく。
(反則だよな…)
アルスランがそんな事を考えていると、ヴェールの奥から唸り声が聞こえてきた。
「どうした?」
「……すぎ」
「なに?聞こえない」
「見過ぎだって言ってるの!前向いてよもう!!」
「見るだろ普通」
「そんなに凝視することないでしょう!?」
言い合いながらバルコニーの手前まで来るとカイエとリクトが待っていた。
二人を見るなりリクトが不満そうな顔になる。
「兄上~」
「ん?」
「エスコートって、こうでしょう?なんで離れて言い合いしながら歩いてくるわけ?」
リクトが自分の腕をちょっと持ち上げてみせる。そこにはとっても優雅にカイエの手が収まっていた。
「忘れてた」
「信じられない、サクラがあんまり綺麗で吹っ飛んじゃったんだね?」
「わ・す・れ・て・た」
「カイエ様綺麗…」
サクラとまったく同じ意匠のドレスなのだが、少し背が低いせいもあって可愛らしい。お姫様だ。
「リクトも良く似合ってるね」
「ほんと!?嬉しいなぁ!やっぱり僕がエスコートしたかった~絶対兄上より完璧にやってみせたのに~」
「ティナ様に怒られそうだから遠慮しておく」
やがて、歓声が上がって自分たちの登場が知らされたのだと分かる。
「先に出るわね」
そう言ってカイエとリクトが進み出る。開いたガラスの扉がビリビリと震えるほどの歓声。
アルスランがサクラの手を取る。
「大丈夫、上手くいくことだけ考えてろ」
「うん」
その一言で集中できた。
手を引かれ外へ出ると、更に熱気が押し寄せる。
自分の名前を呼ぶ声がかすかに聞こえた気がして、金緑の視線をゆっくりと城門の外へと向ける。
「サクラ、膝をついて」
言われるがまま、腰を落として目を閉じる。一瞬風が強く吹いてヴェールが揺れた。
程なくして上の階のバルコニーに王と妃が現れ、王が熱気を宥めるように手を挙げる。
たったそれだけで、あたりは静まり返った。
王の祝詞のあと、王妃が笛を手渡した。
それと同時に階下で立ち上がる人がいて、そのうちアルスランが笛を取り出すのが見えるとどよめきが起こる。
王の旋律は、あの細い笛のどこからと感嘆してしまうほど重厚で、蜜のような濃度と密度があり、果てがなかった。
そこに、少し繊細な笛と柔らかい歌声が交じり合う和音が聞こえて、あっという間に王の音は輝きを増し、広がっていく。
少し物悲しくはじまり明るく広がるそれは、まさしく暁。
「……お、おい」
「見ろ、空が!!」
民がざわつく中、うっとりと滲み出るように神々が姿を顕す。
コハルは古の龍のような姿で旋回し王の頭上に陣取った。アヤメが鳥そのものの姿で6枚の翼を羽ばたかせ、輝く尾羽をなびかせている。キサラギは9本の尾を揺らし稲妻のように輝く一振りの鑓角をかかげ、サツキは三重の耳を震わせ、毛足の長い被毛からは絶え間なく黒曜の粒子が散っている。
カグラは比較的変わらぬ姿で、造詣の美しい枝振りの角から花が咲いては美しいまま落ち続けていた。
彼らは王の音に惹かれるように漂い、酔いしれている。
その姿は国中から見ることができた。
サクラもまた、引き上げられるような感じに意識が朦朧となっていた。交じり合う笛の音で織物が編みあがり、光が降り注ぐよう。
永遠にも続くように思われた楽の音が高く高く歌い上げられて終わる。
その瞬間、王はコハルを見上げパチリと片目を瞑った。
「お気に召しましたかな?」
船が海原で軋むような、響く声が返ってくる。
『願いは』
「感謝します―――― では、我らが『花の御手』に、与えられるだけのサーニャの花を!」
『叶えよう』
途端にコハルを除く4つの姿が城めがけて駆け下りた。
この日の計画にリクトの「能力」をもってしても無理が生じるのを、王の音でサツキたちにお願いしてみてはという相談に、アゴラスは面白そうな顔で承諾したのだ。
バルコニーを蹴るようにして、門扉のずっと上に向かってキサラギとアヤメが飛び出す。
そのすぐ後に続いたサツキとカグラの背に『花の御手』が乗っているのが見え、ヴェールが風にあおられて舞い上がり顔が露わになると観衆が色めきたった。
「カイエ様!」
「いいわ、始めましょう」
ゆっくりと4つの影が均等に並んで円を描きながら飛ぶ姿は、城前の広場だけでなく王都のいたるところから見ることが出来た。固唾を飲んでその時を待つ眼下の人並みに向かって抱えていた籠を傾ける。
そこから零れ落ちるサーニャの花。
民が作った花に交じる、『花の御手』が身に付けるドレスの色と同じ薄い紫色のその花は、柔らかい、なめした木の皮のような質感。
やがて籠の中から降り注がれる花が薄紫一色になって、広場は埋め尽くされた。
4つの影は広場を支点にどんどん広がって王都を駆け巡る。
人々は一生に一度の花びらに手を伸ばし、歓声を上げ、『花の御手』に手を振った。
『そろそろ次に行くよ』
言うが早いかキサラギとアヤメが方向転換し、『花の御手』を乗せたカグラとサツキが追いかける。
「う~ん、こんなに派手にしちゃって来年どうするの?」
「どうもこうも、いつも通りやればいいんじゃないのか?それともお前が婚約でもするか?」
「年長者を差し置いて、そういうわけには参りませ~ん」
にこやかに手を振りながら退席しようとするリクト。
同じように下がりかけて、アルスランは少しだけ振り返った。
こんなに歓喜の溢れる花祭りは2度とないだろう。その余韻を確かめるように。
クウォンジの力を借りてあっと言う間に各国を巡る。
『花の御手』の登場の仕方にどの国も主をはじめとして驚嘆し、人々の熱気が、喜びが沸き立つ。
それを浴びるたびにサツキの全身が小刻みに震えて、嗅いだことのない花の香りが増すのだ。
特にアヤメは嬉しさを隠しきれず、自身が羽ばたくたびに色々な花を撒き散らしている。
1の国、主の館が見えた。
館の外で集まった人の中で、見知った顔が手を振っている。
「オーガスタ様!ティナ様!」
『花の御手』が声をかけたことに驚いたのか、父親らしき人物が思わず二人の兄妹を見た。
「遅くなってごめんなさいね」
「いいんだ、しかし素晴らしい眺めだね!」
「早く蒔いてください!少しオマケして多めにお願いしますわ!!」
「コラ」
これまで見てきた人たちと同じようにはしゃぐ姿に笑ってしまう。
最後の国を歓喜に染め上げて、アヤメとキサラギは役目は終わりとばかりに消えた。
王都に向かうカイエは、サクラたちがついてこないことに気付いて慌てた。
「カグラ様止まって下さい、サクラがいないわ」
『心配ない』
「それはそうでしょうけど…」
『全ての民に花を。それが彼女の願いだ』
5つの国を巡り終えたはずなのに、と首を傾げたカイエは一つ思い当たる場所があって微笑んだ。
その話は終わりにして、目の前で揺れる枝に手を伸ばす。
「カグラ様の角、さっきは白い花だったのに紫色になっていますね」
きっとこれも、喜びの表現なのだろう。
「可愛いですね。とっても良いと思います」
フンと静かな鼻息のようなものが聞こえてカイエはクスクス笑う。
「まぁ、照れていらっしゃるの?」
『……』
そのころサツキは王都の北にある森の上を走っていた。
『今から見えるようにしてあげるよ』
瞬きの後、森の一角に家が並ぶのが見えた。
「ありがと」
その村の人々はまだ気付いていない。しかし、村から離れた樹の上であたりを警戒していた若者が飛び出してくる。
「何奴!?」
「ごめんなさい、通してね!」
そう言って遥か上をすり抜ける姿に、目と口が極限まで開く。
「そんな……まさか!!」
慌てて追いかけつくるが追いつけない。
あちらこちらから翼ある者が舞い上がり始める。中には敵意を露わに武器を持っているものもいた。
『サクラ、いいのかい?』
「うん。言うとおりに飛んで」
追手を躱して一度急降下した黒い影が、螺旋状に駆け上がっていく。
サクラは籠の底にくくり付けてあった袋をの口を手探りで開けて、お手製の花弁を紫色のサーニャにざっくり混ぜると、籠の口を地上に向けて傾けた。
「……花だ」
「これは、サーニャ?」
困惑した村人は空中で固まってしまったように動けなくなってしまう。
ヴェツレの村では上空の騒ぎに気付いた者が次々に家から出てきて、落ちてきた花に歓声を上げた。
「サーニャだ!」
「一体誰がこんなことを?」
見上げた人々は、一番遠くにある黒い影に目を見開く。
―――― クウォンジ
「お姉ちゃんだ!」
「ホタルの大事なお姉ちゃんがいるよ!」
子どもたちが口々に叫ぶ事は、大人はとっくに知っていた。
それでもまだ自分の目が信じられない。
「これはこれは…」
上に向けた手のひらに落ちてくる花と花弁に、長老がニッコリ微笑んだ。
見上げて手を振ると、上空の姿が籠を放り出して両手でそれに応えた。
落ちていく籠を慌てて追いかける村人の目の前で、それがが弾けて最後の花が舞い降りる。
それに目を奪われた一瞬で、クウォンジの姿はどこにもなくなっていた。
「なんとまぁ、予想もつかないことをしてくれるのう」
「ちょ、長老…どうしましょう」
「何がじゃね?」
困惑の中に隠しきれない嬉びが顔の中で一緒くたになっているのを見て長老は珍しく爆笑した。
こんな風に花祭りを祝ったことないのだ。無理もない。
「ああ…可笑しい、腹が痛い」
「……あの」
「素直に喜んだらいいのだよ。あの子は見返りを求めない」
花を追いかけて走り回る子どもたちに目を細める。
「長がいなくて残念じゃのう」




