花の御手は
これまで来ている4つの国からは、『花の御手』にカイエまたはサクラを希望する嘆願書が来ていた。
「1の国はなんと言ってる」
「お二方両方をご希望だそうで」
「相変わらず欲張りだな。サクラ、おまえも来い」
「いい、ここにいる」
サクラは一貫してやりたくない、と言い張っていた。
「今行かないと、文句の一つも言えないまま『花の御手』に仕立て上げられるぞ。何しろ父上と姉上が乗り気だからな」
「……うー」
サクラは渋々立って二人の後をついていく。
バスダックが謁見の間へ進路を変えるのを見て、アルスランが微かに眉を顰めた。
開かれた扉の先を見て足が止まる。すぐ後ろを歩いていたサクラはモロに鼻をぶつけた。
「った~…どうしたの急に」
「どうして教えなかったバスダック」
ご命令でしたので、と言いながら王子を先に通そうとバスダックが道をあける。
「やぁ、久しぶりに会いにきた幼馴染に対する顔がそれかい?」
明るい声と「幼馴染」という言葉に思わず背中の陰から顔を出したサクラは一言呟いた。
「すごい…」
完璧な金髪碧眼の男女が一組。蜂蜜色の髪はふわふわのクセ毛だが密度があって艶やかで、深い海の色を湛えた双眸は金の睫毛に縁取られて宝石のようだった。
「彼女がサクラ殿だね?吟遊詩人が謳った通りだ」
「おい、オーガスタ」
「露に濡れた朝薔薇の樹のように淡く紫に輝く美しい銀髪、木漏れ日が瞬く金翠の瞳、雪さえ恥じらって消え入りそうな白磁の肌、紅色の花より麗しくこの上なく柔らかそうな唇、若木のようなしなやかで瑞々しい立ち姿…貴方はどんな花よりも美しいと」
――――― ぞわぞわぞわっっ!!!
「む…無理、痒い」
サクラが全身総毛立たせて捩れた。薄っすら目に涙を浮かべている。
「おや、本当のことを言っただけなのに。さてはあまり言われ慣れてないと見た。駄目じゃないかアル、どうせ君のことだから2日に1回だって褒め称える言葉を口にしないんだろう。それでは女性は輝かないよ?」
「来て早々ナンパとはいい度胸だな。帰れ」
「酷いなぁ」
「お兄様、あまり調子に乗りすぎると陛下に呆れられてしまいますわ」
可愛らしい声にアゴラスが苦笑する。
「オーガスタよ、ナンパはいただけないが女性の扱いは君の方が断然上だろうな」
「お任せ下さい陛下。すぐにでも彼にレクチャー致しますよ」
「いいから帰れ」
「自己紹介はさせて下さいまし、サクラ様。私は1の国を治めておりますパストの娘、ティナと申します」
「オーガスタです、以後お見知りおきを」
優雅に一礼した兄妹にサクラもアルスランの隣に出て挨拶をする。
「カイエ様とサクラ様は、今一番人気なんですよ。お二人ともあまり王都以外へは外出されませんから、直にお姿を拝見したいという声は多いのです。『花の御手』としていらしてくださったら、かなり喜ばれると思いますね。私たちの株も上がりますし」
そう言ってウィンクを飛ばしてくるオーガスタにサクラは首をかしげた。
「株?」
「民はなかなか土地を離れて王都に来ることができませんからね。そのための乗合馬車は花祭り前後だけは格安になりますし数も格段に増えますが、国土は広いので距離はあるし時間もかかります」
「それに自分たちの手で行うイベントも蔑ろには出来ないので、民から『花の御手』をお招きしてほしいと要望が集まったのですわ。私たちは民を代表して来たのです」
ぱちくり。
「初めて知った…」
「他国でも同じだと思いますよ。王都に行かなければお二人の姿を拝見できないなんて、不公平だと」
がーん、とサクラが後ずさる。
「で、でも、カイエ様はともかく、あたしはその役を務めるわけにはいかないと思います」
「「何故?」」
同時にカイエとティナが詰め寄ってきた。
「あの、あたしは、こんなで、実際ガサツだったりするし、多分みんなガッカリします」
困ったように肩をすくめる姿に金髪兄妹が半眼になった。
「アル~?」「アルスラン様~?」
くわっ!と二人が幼馴染の元に飛んでいく。
だから言わんこっちゃないとか、不器用にもほどがとか、だいたい君は女性についてとか、とにかく弾丸のような勢いで兄妹に詰め寄られたアルスランが、戸惑いを隠せない表情でじりじりと下がっていく。
「サクラ、こちらへおいでなさい」
ネスティアが傍らへサクラを呼び寄せた。
「貴女が自分の事をそんな風に思っているなんて初めて知ったけど、そんなに自分を卑下してはいけません。貴女は誰がなんと言おうと可愛いわ。これは欲目でも何でもないのよ」
「…ですが」
「まぁ、私が信じられない?」
困ったように眉を下げて唇をかみしめたサクラは、少し間をおいて首を振った。
「良い子ね」
微笑んでそう言われると、サクラはいつも泣きそうになってしまう。
「いくらなんでも貴女を一人で行かせたりしないわ。私と一緒なら行ってくれるでしょう?」
カイエに言われて僅かに頷いたサクラに、アゴラスが心配そうにしている。
「サクラ、本当にいいのか?」
「行きます」
「―――― そこの3人!サクラはカイエと一緒に行かせることに決まった」
「父上!?」「まぁっ!!」「ありがとうございます!」
いつの間にか壁際まで追い詰められていたアルスランが二人を押しのけて父の元へ向かう。
「まずは王都でから、それから5の国から順に回って、1の国ということにしよう」
「父上、いえ陛下、そんなに短時間で回りきれるとお思いですか?」
「そろそろリクトが戻ってくる頃だろう。リクトなら何とか出来るかもしれんぞ?」
「…それまでに策を考えておきます」
リクトは末の弟だと聞いていた。一年のほとんどを旅してまわっていて、滅多に帰ってこないらしい。
「リクトかぁ、あいつは本当に風来坊みたいなやつだなぁ」
「まったくですわ。彼がいないのでしたらアルスラン様が私の所へ来て下さらないと困りますのに」
その言葉に、げんなりとアルスランが溜息をついた。
「なんでお前の虫よけに行ってやらなきゃいけないんだ」
「当然でしょう?このままでは縁談の日取りが決まってしまいますわ。可愛い未来の嫁のために早く追い払ってくださいまし」
未来の嫁。この二人、というよりこの二つの家柄はそういう関係だったのか。
軽く驚いて見ていると、確かにあの二人には遠慮がない。
では、諦めなくては。
(―――― 諦めるって、何を?)
「自分でできるだろう。でなきゃオーガスタに頼め」
「こればっかりは俺も自分ので手一杯なんだよねぇ。下手に口出しすると、まさしくヤブヘビなのさ」
へらっと笑ったオーガスタが何かに気づいて首をかしげる。
「サクラ殿、どうかしましたか?固まってますけど」
「え、あ、ううん…なんでもありません」
なんだろう、さっきから胸がもやもやして、少し苦しい。
お昼を食べすぎたのだろうかと悶々としていると、下げていた目線の先に見慣れないブーツが見えた。
「…へ…?」
ブーツ、だけ?
それは確かに男物のブーツで踵がこちらを向いており、徐々に脛、膝、腰と現れていく。透明マントを引っ張り上げているみたいだった。
「ただ今戻りましたー!!」
サクラ以外の全員が叫ぶ。
「リクト!!」
「あら、皆様お揃いで?ちがうか、父上たちは?」
カイエやアルスランとは違う、ネスティアの持つ濃い栗色の髪を受け継いでいる。
両手をVの字にあげてポージングしていた。
「後ろだ後ろ」
「おっと…只今帰りました父上、母上、姉上……おや」
それぞれに挨拶をして、カイエの隣に目が止まる。
リクトの顔立ちはアルスランに良く似ていた。しかし、色合いが違うだけでこんなに印象が変わるものだろうか。
サクラより2つ年下、17になるはずだが顔立ちはまだ子供っぽさが残っている。
「やぁ、本当に目覚めたんだね。君に会ったら一番にお礼を言おうと思ってたんだ!ありがとう、姉上を眠りの淵から救い上げてくれて!!」
「はじめまして、っとと」
突然抱きつかれて、チュバッと熱烈に、両方の頬にキスされた。
「あ、あの」
「本当に綺麗な瞳の色だね!兄上、一体どんな奇跡を使って―――― ぐぇぇっ」
襟首に入った指一本でべリベリと引き剥がされたリクトが、不満の声を上げる。
「兄上~まだ感謝の言葉は続くんですけど」
「お前はあっちが先だろう」
ぐり、と突き出された先にはティナが腕を組み憤怒の表情で立っている。
「ティナ!久しぶり~」
「ひさしぶり~、じゃあございませんわ!!なんなんですの自分の恋人にその挨拶は!!」
「ごめんごめん、会いたかったよ!待たせてごめんね?」
リクトがティナの恋人?
じゃあ先ほどのは、可愛い未来の(弟の)嫁、ということだったのだろうか。
なんだ、じゃぁまだ考えなくていいか。
(―――― だから一体何を?)
「…待ちましたわ」
「だよね」
「…花祭りが終わるまでは、いますわよね?」
「もちろん!その為に帰ってきたんだから」
「私の為ではありませんのね」
少し意地悪な言い方をして見上げたティナは、少し涙目でとっても可愛らしかった。
きゅう、とリクトが顔を赤くしながら情けない顔になる。
「バカだなぁリクト、そこは嘘でも君に会うために帰ってきたとか言わなきゃ」
ダン!
ヒールで思いっきり足を踏まれた兄が悶絶した。
「…い、妹よ…これは八つ当たりではないかね?」
「帰ります!!」
素晴らしく機敏に一礼して、小走りに部屋を出て行ってしまった。
「やれやれ、仕方ないな…最後まで騒々しくて申し訳ありません。御前失礼致します」
こちらも優雅にお辞儀をして、更にサクラに向かってウィンクを飛ばす。
「ついでといっては何ですが、少しだけ彼をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「行ってこい」「早くなさい」「ちゃんと謝るのよ」「そのまま国まで連れて行かれろ」
「が、頑張ってね」
「はーい」
けろりと、どちらかと言えば嬉々としてリクトはオーガスタに付いて行った。
「お前たちは本当に…ここをどこだと思ってるんだ。客室や応接室じゃないんだぞ?」
残された子どもたちが畏まって頭を下げるのを見て、国王陛下は溜息をついた。




