花祭りの花弁
季節は春。ファルソルドは見事に花の季節になっていた。
この時期は花祭りを前に渡航客が増え、一年で最も賑わい国が潤う季節である。
次々と飛び込んでくる知らせに面白がっていられたのは初めのうちだけで、最近では増える一方の手紙や使者にサクラでさえ戦々恐々としていた。
「アルスラン、入るよ」
最近では扉を開けるたびに、誰かがアルスランの執務室にいる。
「後にしようか?」
これも最近慣れっこになった言葉だ。
「ああ、サクラ様大丈夫です。それでは、私はこれで」
アルスラン直属の特徴である、左胸に黒蔦模様を入れた隊服を着た若者が、サクラに深々と会釈をして部屋を出ようとする。
「あたしに畏まらなくていいって言ってるのに。はい、これを持って行って」
「そうは参りません…これは?」
サクラから差し出された包みを自然な流れとして受け取った彼は首をかしげている。
「オヤツ。差し入れだから、隊舎に戻ったらみんなで食べて」
「ああ、これが噂の!いつも私が戻る頃にはなくなってしまうんですよ。ありがとうございます」
にっこり笑いながら退出する姿を見送ると、茶器をテーブルに置きながら何やらぶうぶう言っている。
「みんなあたしに気を遣いすぎじゃないのかなぁ・・」
「それはお前だ」
そう言いながら文書や手紙が山積みになった机から離れて長椅子に音を立てて腰かけると、アルスランは上を向いて目を瞑り溜息をついた。
「あんまり溜息ばっかりつくと、幸せが逃げるよ」
「なんだそれは」
「吸って吸って、はい、深呼吸~」
言われるがまま深く息を吸って吐き出すのを繰り返す。
「待ってないで、疲れたなら誰かに持ってきてもらったらいいのに」
「……それすら思いつかん」
普段ならロジェノが用意しそうなものだが、あまりに入れ替わり立ち代わり人が入り、しかも賓客が混じっていたりするものだから対応に忙しく、室内へは呼ばれるまで控えているようだった。
彼は彼で忙しくもあるようで、最近は一日に2回見られれば良い方だ。
そのロジェノに「出来れば執務の邪魔をしてほしい、でないと休んでくれない」と頼み込まれて毎日お茶の時間にドアを叩いているのである。
「あ、そうそう」
持ってきたトレイに乗せていた陶器の蓋をハンカチで持ち上げると、中から湯気が漏れた。
それを持って椅子の後ろに回る。
「目、閉じたままね」
素直に従うアルスランの目の上に少し熱いタオルをかぶせると、アルスランがなんとも言えない唸り声を上げた。
「オジサンくさいなぁ」
しばしばこめかみや眉間を揉んだり、首を回す仕草をしているのを見てサクラが勝手に持ってきたのだが、これがかなり好評だった。
どうやら執務が終わった後もロジェノに持ってこさせているらしい。
「でも、ここは緑が沢山あるからいいよね」
「うん?」
「草木の緑には、特に目の疲れを癒す効果があるんだって。森に入って深呼吸すればリフレッシュするし、ここからならすぐ行けるじゃない」
この国では、あまり目の悪い人がいない。
「ここにお茶を置いておくね。あたしあっちで仕分けしてるから」
お茶の時間の後、届けられた手紙を空けて中身を分けるのが、ささやかながらサクラに出来るお手伝いであった。
しかも、文字を読む勉強もでき諸国についていろいろ知ることができるので、かなりお得なのである。
「サクラ、ちょっとこっちに」
呼ばれるままアルスランの傍へ行くと、隣に座れという仕草。
「どうかした―――― うわ!?」
首の後ろに手をかけられてぐいぐいと引っ張られる。抵抗も空しくサクラは彼の膝に倒れこんだ。
「…なぜ?」
「お前も少し落ち着け」
アルスランの手がすごく温かい。一瞬体の力を抜きかけたが、ハッとサクラは目を見開いた。
(いやいや、これは間違ってる)
跳ね起きたサクラが自分から飛び退いて椅子の反対側に座り直すのを見て、アルスランは憮然とした。
「逆でしょう?」
「―――― 何?」
「横になって休むならアルの方だって言ってるの」
ポンポンと膝をたたいたサクラを見て、今度は何とも言えない変な表情。
彼の袖を軽くつまんで引っ張ると、まるでつっかえ棒が外れたように体が傾いた。
サクラの膝に頭を預けると、肘掛に足を乗せてアルスランは一息つく。
彼にしては珍しく行儀が悪い。
「タオル」
「温かいのにする?」
「冷えてる方が良い」
テーブルにあったもう一つの陶器からハーブの香りがする白いタオルと取り上げてアルスランに渡すと、さっきと同じように目にあてている。
(休むどころか顔に血が上りそうだ…)
冷やさないとまずい。
「……なにしてる?」
「カイエ様の髪質とそっくりだなぁと思って。以外と柔らかくて気持ちいい」
くるくると指に巻きつけて遊んでいるらしい。
痛くならない程度に引っ張られる感覚が以外にも心地よい。
「ああ、ったくもう…」
「ん?」
チラリ、とタオルの下からサクラを見上げた琥珀色の瞳に、いつもと違う甘い色気があってサクラは硬直してしまった。
鼻先で無造作に垂れ下がる銀紫の髪に手が伸びて、形の良い指が緩く絡んだ。
「いい香りがする」
「え、えっと、シャルが香油を」
(うわ、わ、わ―――― !?)
軽く引き寄せて口元に持ってくると、その香りを嗅ぐようにしながら瞼を伏せる。
まるで髪に口づけをするような。
「お二人とも」
「ひゃっ!?」
「……怒るぞ」
既に起こった声でアルスランが邪魔をするなと仄めかす。
姿は見えないが、ホタルの声だ。
「本当に私としても、このままどうなるのか覗いていたい気持ちはやまやまなんですが……残念です」
「覗くなよ」
「覗きはダメだってあれほど……」
「バスダック様がこちらへ向っておられます」
ガバッとアルスランが跳ね起きた。危うく鼻にぶつかりそうになり、サクラが仰け反って逃げる。
すぐにノックの音がして、バスダックが現れた。
「失礼いたします…おや、サクラ様もご一緒でしたか」
「どうした?」
「1の国から『花の御手』の件で使者が来ております。王がお呼びですよ」
「これで5国すべてそろったか…やっぱりあいつら事前に打ち合わせてあったな」
この件になると彼は更に口が悪くなる。
『花の御手』とは祭りの1日目に行われる神事の後、城の門扉の上から民に向かってサーニャの花を投げる女性の事をいう。
また、2日目には町民や諸侯の娘などが参加して街中で花を振りまく、『花蒔き人』というのもある。
サーニャの花、というのは生花ではない。
各家庭でも作られる、布や紙でできた造花なのだが、話を聞いたサクラは心底ビックリしてよろめいた。
まず作られるのは親指の第一関節くらいの大きさの花弁。
布、もしくは紙で作られるその花弁は切れ端のような余り布や書き損じの紙などで作られる。
昔は生花を使っていたようだが、花の数が激減した年があり、手作りの花弁に代えられて以来この手法で行われている。
花弁は大きさを決める型紙があり、それに沿って切られたものを糸や糊で袋状にしたものに少量の中綿を入れ、ふくらみを持たせるのが一般的である。
庶民には紙よりも布を糸で縫い合わせるほうが馴染みがあるようで、年に一度の祭りのために各家庭で作り置きされて役所に届けられるのだ。
そこから先、花弁を花に仕立てるのは各国精鋭のお針子たちで、比較的美しい出来栄えの花弁を5枚1組の花を作ってゆくのである。
それを、祭りの日に一気に蒔いてしまうというのだ。
――――― チク。
花祭りへの熱気が高まる中、遅れに遅れて針仕事に手を付けたサクラは、針を指に刺しつつどうにか花弁から一輪のサーニャの花を作ることに成功した。
昨日の夜のことであった。




