報告と微睡
厩舎の側に降りると、待ち構えていたロジェノが手綱を取ってトェルの顔を労うように撫でた。
そしてそつなくサクラが降りるのに手を貸してくれる。
「王が報告をお待ちですよ」
「だろうな。お前は部屋に戻ってお茶でも飲んでくるといい」
ポンと背中をたたかれたサクラが首を傾げる。
「いいの?」
「疲れたんだろう、途中で頭が揺れてたぞ」
「あったかかったから、ちょっと眠くて…」
実際目をこするような仕草をしているサクラの、今度は頭をポンと叩く。
「じゃぁ、あとでね」
言いながら城への道を歩いていく姿を何となく見送っていると、後ろから嫌な視線が刺さった。
「どんな手を使って暖めて差し上げたんですか?」
――――― ドスッ!
反射に近い速さでロジェノの腹に埋まる拳。
「うっ、久々に…」
「ニヤニヤするな!」
「いやー、かーわいらしいですねぇ」
まだ言うか、とアルスランが拳を握りなおす。
「ああ、いえいえ。私はトェルの手入れをしてから行きますので、どうぞお先に」
王の執務室の前にたどり着くまでに何とかイライラをおさめて、どっしりとした厚みのある扉を叩く。
入れ、と声がして扉を押し開けると、アゴラスが息子に気付いて手招きをする。
「さて、どうだった?」
「……危篤は狂言でした」
話があると言って引き止めた後、ホマスはあっさりと自分の仮病を白状した。
よく考えれば確かに村の様子は落ち着いていて、何かの準備をしているようには見えなかった。
意志の強さがうかがえる眉を一瞬吊り上げたアゴラスが「やれやれ」と肘をつく。
「やはりそうか。ちょっと疑ってはいたんだが…」
「やっぱり?」
「たまに試されるというか、おちょくられるというか、な。多分サクラを呼びたかっただけだろう」
サクラを呼んだわけを聞いたまま話すと、王の顔つきが苦虫を噛みつぶしたようになる。
「大体長老の思惑に薄々感づいていながら、何故全員を帰したんです?」
「たまには息抜きも必要だろう」
それだけ言って鷹揚に手を振る王は、寛大といえば聞こえはいいが、若干諦めの良すぎる態度のようにも見えた。
「ご苦労だったな」
「…いえ」
やや憮然としながらアルスランが下がろうと扉に手をかける。
「―――― わ」
「サクラ?」
一瞬遅くドアノブに手をかけたのか、両手を挙げてビックリまなこになったサクラが外に立っていた。
「あの、あたし長に」
「呪いの件なら俺も聞いた。もう話してある」
律儀に報告しに来たサクラにアゴラスが目尻を下げる。
「サクラ、ちょっと来てごらん」
ちょいちょいと手招きをされてサクラが小走りに駆け寄ると、アゴラスは引き出しから何か取り出してサクラの方へ差し出した。
「手を」
「はい―――― これはなんですか?」
「2国の特産品だ。牛の乳で作った飴が入っている。気に入ればいいが」
四角い木箱を受け取った後アゴラスの大きな手に頭を撫でられて、サクラが少しはにかんだ。
「ありがとうございます」
綺麗にお辞儀をして、また小走りにアルスランへ駆け寄る。
一瞬変な顔をした息子に、父はウィンクをしてニッコリと手を振った。
「仲良く食べるんだぞ?」
「カイエ様がお茶に誘ってくれたの」
嬉しそうに言うサクラの後について陽当たりの良さが一押しのサロンに入ると、カイエが本に落としていた視線を上げた。
「あら、お帰りなさいアルスラン。待ってたのよ」
言葉と同時に双子がお茶の用意をし始める。
いつもならもう少し数のあるはずの椅子が、今日に限って何故か長椅子しか残っていない。
「ほら、早くお掛けなさいな」
「……」
先に座ったサクラの横に、カイエから一度も視線を外さないままアルスランが用心深く腰かける。
ゆったりと作られた長椅子のせいか、2人の間に微妙な空間が出来ていた。
「あら、どうしたのアルスラン?日帰りだから疲れたのかしら」
「……姉上」
「大丈夫?あ、さっきアゴラス様にもらった飴食べる?」
「まぁ、お父様が?その包みは2国のものね。私は好きよ」
パリパリと飴の包み紙をむいて口に放り込むと、口溶けの良い飴はあっというまになくなってしまう。
「柔らか~い」
「あんまり甘すぎないのよね。どう?」
「美味しいです」
アルスランも差し出された箱から一つ取って食べている。
「サクラは甘いものが結構好きなのね」
「甘すぎるとたくさん食べれないけど、こういうのは好きです」
淹れたてのお茶を一口飲んで、サクラは満ち足りた吐息を洩らした。
「美味しい…今度淹れ方を教えてくれる?」
リュカが驚愕の表情で慄いた。
「だ、駄目です!ただでさえサクラ様にお仕事取られがちなんですよ?」
「この上お茶や食事の用意までご自分でされてしまうと私たちの立場がございません」
「本当でしたらお着替えやご入浴、お体のお手入れ、お買い物などは私たちの役目なんですから!」
「買い物はともかく、体に触られるとくすぐったいし恥ずかしいんだってば」
よくこの手の激しい攻防が繰り広げられる。
爪や髪、手の届かないところへの肌の手入れに関しては、先日の論争で双子に軍配が上がった。
「多分、あたしがいくつか知ってるお茶の淹れ方とそう変わらないと思うんだけど」
「サクラは何でもできるのね。偉いわ。今度いただいてみたいわね、アル」
それまで静かにお茶を飲んでいたアルスランが無言で頷いた。
「アル?愛称なの?」
「そんな目で見るな」
じぃーっ。
「…………アルでいい」
「やったぁ、ありがとう!」
「呼びやすさだけで決めたろう」
えー?と明後日のほうを見たサクラに軽く傷ついている弟を無視してカイエはコロコロ笑った。
「今度のお茶の時、サクラに淹れて貰おうかしら」
「そうしたいのはやまやまなんですが……お茶の葉によってタイミングとか色とか、美味しい淹れ方があると思うので。それを教えてほしいんだけどな~」
チラ、と伺うように見上げると、双子は何かひそひそと相談しあっている。
「……では、リュカがサクラ様にご指導致します。合否は僭越ながら私が審判するということで」
「え゛、もしかして、厳しい?」
「兄ほどではありません」「兄様は超が五回つくくらいスパルタでした」
「ちなみに、合格までお茶を他の方にお出しするのは禁止です」
「う、う~ん」
思いのほか面倒なことになってしまった。
「それで、ヴェツレはどうだったの?」
「マグヴェスが怒ってましたね」
「あの人はいつもそう。嬉しくても悲しくても怒るのよ。以前だって……」
(……う、う……欠伸がぁ)
部屋は心地よい温度で、更に昼下がりの穏やかな陽光が暖かかった。
腕に軽く何かが当たってアルスランが見ると、殻になったカップを持ったままサクラが首を傾げている。
こくり、こくり。
それに合わせて銀紫の髪がさらり、さらりと揺れている。
そっとカップを取り上げると、薄目が開いた。
「……?」
アルスランのいる方が少し温かくなり、どんどん自分の体温と混じって心地よい。呼気も温まっていくような気がした。
こくり、とアルルランの肩口に頭を預けるのを最後にサクラは目を閉じてしまう。
カイエはニッコリ笑って脇に置いていた本を手に取ると、お喋りはここまでと言うように静かに開いた。
優しい沈黙に、アルスランはサクラの方へ少しだけ寄り添うように座り直して深く腰を落ち着ける。
体温が心地よいのは彼も同じで、肩にかかる重さがなんだか凄く幸せだった。
少しして、リュカが変な動きをした。
カイエは開いたドアのほうを見て、唇に人差し指をあてる。
心得た!と言う合図が大興奮で返ってきて、思わず吹き出しそうになってしまった。
くくく、と身体を折り曲げて本に突っ伏しながら必死に笑いを堪えている彼女を、扉の外の面々は「笑っちゃダメ」と必死になって止めている。
その頃執務室で妻とお茶を楽しんでいたアゴラスは、軽快な足音が部屋に近づいてきたので「む?」と振り返った。
「アゴラス様!!」
会心の笑顔で扉を開け放ったのはロジェノだ。
前触れもない、普段無いような登場の仕方に二人が呆気に取られていると、彼は膝をついて恭しく両手を差し出す。
その手には撮影機が乗っていた。
王や王妃付きの者たちが呆れ顔でロジェノを見ているなか、彼は臆面もなく言い放った。
「印刷は後でしておきますので、とにかくご覧下さい」
不審に思いながらアゴラスがそれを受け取って専用の台に載せると、壁に向かって光が伸び映像が映し出される。
「先ほど入手した、出来立てほやほやの映像です」
「なんと!」
「…まぁ!」
不覚にもアゴラスは目頭を押さえた。
「―――― ロジェノ、お前の働きには常々感心しておったが、此度の働きは褒賞に値する。何でも申してみよ」
「有難きお言葉でございます!…では、大変恐縮ではありますが、これを永久保存用として術を施し、様々な型に印刷する許可をお与えください」
「うむ、必要な費用は出そう。…私とネスティアにもいくつか持ってくるように」
深々と頭を下げたロジェノに、そわそわと王妃が声をかける。
「今から行ってもまだ間に合うかしら?」
「慌てて行くとアルスラン様は察知してしまいますので、そうっとお願い致します」
「そう…そうね、それで万が一にも大事な時間が終わってしまうのは嫌だわ。アナタ、もう少しこれを見ていてもいいかしら?」
「ああ」
二人の視線の先には、頭を預けあってうたた寝をするサクラとアルスランがいた。傍らではカイエが微笑んでそれを見つめている。
アルスランは姉以外の女性と同席する時、主に不機嫌だ。
大体において責任感の強さが表情を支配している彼の、普段の緊張感が全くないアルスランの寝顔は、もはや奇跡に近かった。
しかもサクラとうたた寝。アゴラスが落涙するのも無理はない。
「…この他、お顔のアップや上半身、カイエ様のアップなど思いつく限り色々なアングルで撮影してみました」
「何?それを早く言わんか」
「早く見せて頂戴!」
はしゃいだ二人の姿に、自分の行いが喜んでもらえたとロジェノはとても満足する。
その後しばらく、双子が我慢できずにサクラに話してしまうまで、この写真は秘密裏に楽しまれた。




