儀式
そして何故こんな森の奥に来ているかというと。
少し前、長老の一言が原因だった。
「閉じの儀式をやると。まぁ確かに、しばらく行っていなかったしの」
緩んでいたことは確かじゃ、と言いながらしばらく沈黙した長老はサクラを見る。
「サクラ、儀式を見ておいで」
まるでお風呂に入っておいで、といわれたような軽やかな口調。
「はい?」
「長老!?」
ホタルもデュラもアルスランでさえも飛び上がって長老を見た。
「ホタルはもう儀式に参加せんのじゃろう。案内してやりなさい」
「……そういう儀式は部外者には見せないのが普通なのでは?」
「お前さんはワシから呪いを教わり、ホタルの牙を預かりうけた。部外者ではあるまいよ」
「まじない?」
どういう事だ、と問いただすような目線が隣からビシビシ刺さって、サクラが言葉に詰まる。
「アルスラン、お前さんはここで待っておれ。話がある」
そんなわけで(?)ホタルに連れられて、村の奥にひっそりと続く獣道を辿りその先にある小さな広場の脇にまわり、森へ身を潜めているサクラ。
「私も外側から見るのは初めてです。いつもは輪の中で目を瞑って下を向いているので…」
広場では、ホタルが言うように人々が輪を作って片膝をつき頭を下げていた。
彼等は不思議なうねりのような声を発している。
奥にある人の輪の切れた辺りは少し高く盛り上がっていて、その更に奥でマグヴェスが腕を組んで仁王立ちしている。
その唇が開くと、うねりに混じって呪いの歌が聞こえてきた。
(――――― ?)
長老に呪いを教わる時は、言葉と旋律を別々に伝えられた。
一つにしてしまうと発動してしまうからと言われ、サクラは根気よくそれらを頭の中で組み合わせて覚えた。
閉じる呪いも開く呪いも旋律は同じだ。言葉だけが違う。
しかし、今紡がれているものには何かが欠けている、と真っ先に思った。
形容しがたいが、うまく噛み合わず、閉じるために必要な力が集まっているのに、まるで手のひらからすり抜ける砂のようにこぼれ落ちる感覚。
瞬く間にマグヴェスの肌に汗が滲み始めた。
膝をつく者たちは不思議なうねりのような声を発している。それらの顔も、どことなく苦しげだ。
繰り返される声の中で、サクラは見つけてしまった。
少し欠けてる部分を。
(…どうしよう)
気付いたが最後、歯痒さと居心地の悪さが前身を駆け巡る。
―――――― あの男、こっちも未熟ってどういうことなの!!
ふと我に帰り、横目でサクラに目を向けたホタルが息を呑む。
ついさっきまで隣にいたはずの姿が消えていた。
「…っ!」
慌てて見回すと、白い鬣のような長の髪の影で動くものが見える。
サクラはマグヴェスの背後に立っていた。
半目を閉じて口を開くと、その場に溢れている旋律を紡ぐ。
それは透明な響きになって長の声に重なると、あっという間に溶けるように交わった。
その声が、あるところに来ると一瞬だけブレる。
長は何かに気付いたらしい。背後の気配を探ろうとしているのが分かる。
それでも呪いへの集中力が変わらないのはさすがと言えよう。
何度目かにその場所へ差し掛かったとき、サクラは長の背中に人差し指を向ける。
ちょうど心臓の裏の辺り。
そして、次にそれが巡ってきた時、合図のように瀬に触れる。
(―――――― 入った)
途端に零れ落ちていた力が急速に集まり一気に編み上がりはじめる。
旋律のブレが消え、苦痛の気配が薄れていく。
まるで籠のように力が村を包むと同時に歌声が止んで、長が勢いよく振り返った。
そこにはただ草むらと木々があるばかり。
ただし、匂いまでは消せていなかった。
「あ、の女……!!」
「信じられない信じられない!!とにかく逃げなくっちゃサクラ様ってば本当に自由すぎますよ!!」
彼女の手を引きながらホタルは驚異的な速さで森を駆けていく。
「サクラ様ごめんなさい、長老のことがあるので後はアルスラン様にお任せします!一段落着いたらすぐお側に参りますからね!」
ついて行くのがやっとなサクラは舌を噛まないように頷く。
一気に家並みに飛び込むと、直線上にある村の入口のところでアルスランがトェルに鞍をかける姿が見えた。
「さすが!アルスラン様そのまま乗って下さい!!」
言うが早いか一気に通りを駆け抜けて、アルスランの前で急停止する。
あっという間にサクラを足元から抱き上げて、トェルに乗ったアルスランの前に放り込んだ。
「行ってください、長に見つかったらものすごくマズイです!主にプライド的に!!」
アルスランの目がまた細くなる。
「…お前、今度は何を」
「お説教も後にしてください!ほら早く!」
トェルがホタルに尻を強く叩かれて、不満そうに嘶きながら地を蹴って空へ飛び出した。
「きゃぁっ」
「掴まれ!」
「お二人ともお気をつけて!」
ホタルが手を振っている。
「また城で!」
手も振れずそれだけ言うのがやっとだったが、ホタルがくしゃりと笑うのが見えた。
しかしそれが次の瞬間凍りついた。
「――――― サクラ!!」
ゴウッと風が唸るような、吠えるが如く呼ばれた本人は盛大に顔を顰めた。
「やばい、見つかっちゃった」
「長老が出発の用意をしろというから何かと思えば…どうやったらあんなにヤツを怒らせることができるんだ?」
「テメェ!覚えてろよ!!」
マグヴェスはカンカンだった。遠目で見て分かるほど蒸気を吹き上げんばかりに激昂している。
「別に貸し借りがあるわけじゃあるまいし、いちいち覚えてられないよ!じゃぁね」
何かまだ叫んでいるようだが、トェルがどんどん加速していくと、突然周囲の気配が変わって声は聞こえなくなっていた。
どうやら閉じの呪いの範囲を越えたらしい。
頭の上で盛大に溜息をつかれる。
「…はい、すいません」
「お前の謝罪は当てにならん」
「ごめんなさい」
「少しは大人しくてろ。危なっかしくてかなわん」
少しションボリした拍子にアルスランの服を掴んでいた手が外れた。
「うぁっととと」
揺れに思わず仰け反って、後ろに滑り落ちそうになるところをアルスランが支える。
「あの、あたし横座りは苦手みたいなんだけど」
「しばらく下りられないぞ。というか、その恰好で跨ぐ気か?我慢して掴まってるんだな」
サイドに切れこみの入っていない、スカートタイプの長衣の下は一応タイトな下穿きは身につけているものの、女子としてはそれが見えるとはしたないという事になっている。
「どこ掴んでいい?」
「…今まで掴んでいたところで構わない」
改めるとどこに手をかけてよいか困ってしまう。
「アルスランにも紐がついてたら良かったのに」
「阿呆」
「んー…じゃぁ、ちょっと失礼します」
片手で鞍の端っこを掴み、もう片方を彼の背へ回す。明らかにアルスランの方が胴回りがあるため、やや抱きつくような格好になっている
「シワが出来たらごめんね?」
「…別に」
それでもフラフラと上半身の安定しない姿に、アルスランが片手を手綱から離して腰に腕を添えてやる。
きょとんとサクラが見上げると、一瞬琥珀色の瞳がこっちを見下ろして、ふいと逸らされた。
「これでいいだろう」
「うん、ありがとう」
なんとなくそのまま見つめてしまう。
「…どうした?」
「アルスランって、怒ると怖いけど基本的に優しいよね」
「大概怖いとなら言われた事がある」
「そうかな…もしかして、あたしに気を遣ってるの?」
溜息。
「……また予防線を張ろうとしやがって……ホタルの時も本当はうやむやにしようと…」
ブツブツと不機嫌な呟きが振ってきたと思ったら、アルスランが背をかがめたので慌てて前を向くと彼の顎が頭の上に乗って、顎と喉で挟まれるような恰好になる。
「お前に気を遣うと俺が損をするんだ」
「損?」
少しだけ腕に力がこもって、抱きしめられるような感じがした。
「だから俺のしたいようにさせといてくれ」
「それは、いいけど」
顎が頭の上からいなくなり、代わりに何かが旋毛あたりに当たって、その後アルスランが腕を少し緩める。
寒くないか?と柔らかい表情で訊かれて、サクラは困惑した。
(今のはもしかして……えーと、何故?)
もしかしなくとも頭に軽く口づけられたサクラは押し黙って、ぐるぐるとまとまらない考えに翻弄されている。
アルスランは気にせずトェルを走らせた。




