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一人目


「……?」

城の中庭にあるベンチで本を読んでいたカイエが後ろを振り返る。

そこに、馬ほどもある身の丈の、豪奢な朱金の毛皮をまとった牡鹿が姿を現した。

額の左右には見事に枝分かれた角を持ち、長い睫毛の奥には瑪瑙のように揺らめく虹色の瞳が光っている。

美しく磨かれた鋼のような蹄は、一歩ごとに空気が揺らぐような不思議な質量を持っていた。

「カグラ様、ご機嫌―――― というか、外の世界はいかが?」

『世界はいつもどおりだ、カイエ。ただ、たまに見つけられると皆驚いて近寄ってこようとする』

「面白いですか?」

『悪くはない』

「上々ですね」


カグラはカイエの内で身体を休めていた神だ。

そして、一番初めにサクラの話に同意したのもカグラだった。

話はカイエの中にいるときについており、他の四神が同意したら目覚めの際に姿を現すと約束し、こうして時々カイエのもとを訪れる。


『一人、発つ』

その言葉と同時にカイエの黒髪を強い風が巻き上げた。

遠くで鳥の声がして、瞬く間に国中に轟く。

「これは…!?」

『カイエ、乗るがいい』

カグラが身をかがめて促すがまま、カイエはぎこちない仕草で毛皮を掴んで背に乗ると、彼はふわりと舞い上がる。


どこに、と探すまでもなく彼女が宿木の塔の上にいた。

どうやったのか、塔の先端に眠っていたはずのサクラが真っ直ぐ立っている。

少し伸びた髪が風で暴れてその表情がよく見えないが、どうやら目を瞑っているらしい。

彼女の体にまとわりついていた茨の蔓は見当たらない。

サクラが自分の肩を抱くようにして腕を身体に巻きつける。

その背が少し猫背気味になると、その肩甲骨の辺りが突然盛り上がった。

「「サクラ!!」」

重なった声のしたほうではアルスランと、供に付いていたらしい何騎かの馬の姿がある。


サクラの背に左右に2つずつ、4枚の羽が生えていた。

それがどんどん大きくなって羽ばたくように揺らめくと、姫巫女の姿を覆い隠すように丸くなる。

再度開いた翼の中から現れたのは、驚いたことに別の女性の顔だ。サクラの姿はどこにもない。

強気そうな黒目がちの瞳が辺りを睥睨するように見下ろしている。

豊かな巻き毛のそこここから夜鳴鳥の尾羽のように長い羽を垂らしていて、胸から下は腿のあたりまで羽毛で覆われていた。



―――――― 我が母の願いにより 揺り籠より目覚めん

           母の眠りいまだ深く 定めし刻まで夢を漂うであろう



朗々と体中に響くような声で告げると、ニッコリと笑った。

『アヤメよ、大事無いか』

『ふふ……風がくすぐったいな。悪くないね、やってみるものだ』

そう告げてアヤメはくるりと回ってみせる。

「サクラは!?」

『ほ、ほ、言ったであろう、夢の中とな。――――― どれ、少し遊んでこよう』

言うが早いか空気に溶けるようにいなくなってしまった。

「―――― あっ、アルスラン様!?」

「どこへ!」

騒ぎの方を見やるとアルスランが周囲を置き去りに、一目散に塔の中へ駆け込んでいくところだった。

「おやまぁ」とカイエが肩をすくめる。

『どうする?』

「貴方様と一緒に降りては皆が浮き足立ってしまいますわ。一度城へ降ろしてくださいませ」



一気に塔を駆け上って部屋へ入ると、見慣れてしまった景色で中央の寝台にサクラが眠っていた。

咲ほどなかったはずの、そ身体に纏う茨からはからは蕾が1つ減って3つになっている。

「……ったく、わざわざここから出るなよ」

寝台の脇に座り込んで、そこに頭を預けて天井を見上げると、長く息を吐いてしまった。

なんとなく目を向けると、整えられた爪が目に入る。

いつものように、彼女の手を取ることなく被さるように自分の額に押し付けると、アルスランは更に深い溜息をつく。

「起きるなら目が覚めてからにしてくれ……」


ビックリした。

目が覚めたのかと思った。

そして、それを望んでいた自分を思いっきり自覚して、今度こそアルスランは開き直った。

「……目が覚めたら覚えてろよ」




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