歌う宿木
朝から耐え難く惹かれる感じに胸がそわそわしている。
「姫巫女、装束が出来上がりましたよ」
ロジェノが広げて見せたのは、薄黄緑色のやわらかい生地で出来たシンプルなドレスだった。
「きれい」
「妹たちが喜びます」
「ふたりが?」
珍しくすまなそうな感じに笑いながらロジェノがそれを手渡す。
「どうしても自分たちで手掛けた物をといってきかなかったものですから」
「……ごめんね」
嫌いなわけじゃない。
ここ最近そればかり思っている。
特にあの二人が向けてくる好意は、無邪気で温かくて、申し訳なくなる。
「これ、着る、試すいい?」
「ええ構いませんよ。私はこれからアルスラン様と出かけますが、着かたは分かりますか?」
さすがに分かるよ、という冷たい目線とともに手を振ってロジェノを退室させる。
サクラはさっさと今着ていたものを脱ぎ捨てて、仕上がったばかりのドレスに袖を通した。
まるで測ってあったかのように身体に合っている。
ひらひらと揺れ動く裾をたくし上げて塔の最上階へ登ると、カイエが静かに眠っていた。
いつもと違うのは、その姿がうっすらと発光していることだ。
その額に軽く挨拶するようにキスをして、組まれていた手を外して握り締めるとサクラは宙を睨む。
このまま眠ってしまう前にちょっとケンカを売ろうと思っていた。
膝で立ったまま思いっきり息を吸って、吠えるように歌いだす。
―――― 『誰も寝てはならぬ』
まるで皮肉のようなタイトル。
もう誰もこんな風に眠らせない。
そのために私は――――
(……聞こえるなら、来るといい)
ほら、
無視できなくなっているんでしょう?
歌詞は夜明けを叫び、勝利を高々と宣言して終わる。
目を開けると、そこには綿毛のような光。
「……待ってたよ」
『目覚めながらにして我を呼んだか、宿木よ』
「この前も様子を見に来たじゃない」
『お前の名前がそうさせる。絶対の音を掲げる者よ』
「名前?」
『我らには、その名を輝かせるものに惹かれる性質がある。お前の名は「根幹の音」。寸分の狂いもなく音を知らしめる支配者』
左手に握りこんでいた音叉の存在を今更ながらに思い出し、サクラは少し微笑んだ。
「あっちの世界では良いことが咲く、という意味だったけど」
『二つの意味を与えたことは詫びよう。しかし、先程の歌がお前の本意だというなら』
「そう。取引して」
『―――― 何?』
「詫びるくらいなら、これから言う条件を飲んでほしいの。貴方だけじゃないわ、他の3人も呼んで」
あまりの展開に、戸惑いを示すように光が点滅し始めた。
「この16年間、ずっと一人だった。それって貴方たちの誰かが私を落っことしたからでしょう?」
『……』
「私の故郷がここで、その神様が貴方達だっていうなら、そのツケをこれから払ってくれる?これからも私は一人で眠るんでしょう?」
その頃バスダックは走っていた。
老体に鞭打ってのことだったが、風に乗って聞こえてきた音色にただならぬものを感じて居ても経ってもいられなくなったのだ。
「まさか…」
先程から近づいていた歌声がふっつりと途切れている。
息を切らして塔に駆け込むと、上にあがろうと踏み出した所で聞こえてきた声に愕然とする。
最上階まで行かず途中の部屋に駆け込んだ彼は、色とりどりの丸い石を次々に叩いていく。
「誰かいないか!聞こえていたら繋ぎなさい!」
『―――――― はっ、北の第3であります!』
『東の第1です…なんですかこの音は?』
「5の鐘を鳴らしなさい。至急アルスラン様を呼び戻したい。宿木の塔へ急行するようお伝えしてくれ」
『はっ!』
「それから通信を全線共通、音量を最大に上げなさい」
この歌声は異常だ。さっきから全身の力が抜けていくのを止められない。
それなのに耳を塞ぐ気になれないのは、あまりに優しい声音のせいだ。
たった2日前、書庫で聴いた歌と同じはずなのに、何もかもが違う。
今にもくじけそうになる膝を必死に支えながら必死に祈る。
「引継ぎが……ああ、どうか…どうか間に合ってください、アルスラン様…!!」
「あら…?」
どうしてか人々は立ち止まり、その訳を知る。
歌が聞こえてくるのだ。
噂とは違う、はっきりと聞こえてくるそれに耳を澄ます。
しんとした大地に花びらのように歌声が降ってくる。
人も、木々も、動物も大地も、暖かさに包まれて身動きが取れなくなっていた。
急速に忍び寄る、抗う事を許さない強烈なまどろみ。
しかし次の瞬間――――――
「サクラ!!」
飛び込んだ部屋の先で、寝台の脇に膝をつきながら驚いてこちらを見つめる顔が僅かにほころぶ。
確かに自分の名前を呼ぶように彼女の口元が動いたと思ったのに、次の瞬間彼女は崩れ落ちるようにして寝台の端に顔を伏せた。
「サクラ、サ――― !?」
抱き上げようとしてアルスランが表情を強張らせた。
「……姉上?」
カイエの腹の上で蕾がゆっくりと開き、花を咲かせてはらはらと大振りの白い花弁を落とし始める。
サクラがそれを目にしていたら、まるで木蓮のようだと評しただろう。
「バスダック!これはどういうことだ!?先代と姉上の引継ぎの時には散る事は無かったぞ!」
先代の樹は、カイエが宿木に選ばれたころから徐々に枯れ始め、引き継ぎの時には儚くその枝を落として粉々になった。
「わ、私もこんな…こんなことは初めてです!」
何度か宿木の引継ぎに立会い、その研究もしている彼が血の気が引いた顔で言うのだから相当な事態なのだとアルスランは顔を引き攣らせた。
「……ラ」
かすれた声。
花弁を完全に落とし、残った幹が泡のように消える。
「あ、姉上…」
「……サク、ラ…」
うっすらと目が開いて、自分と同じ琥珀色の瞳が覗くのが見えた。アルスランは呆然とその手を握る。
暖かい。
「姉上、本当に…?」
「なんということ…!」
「サクラさまっ!!」
飛び込んできた双子がアルスランを押しのけるようにしてサクラの肩に手をかける。
「―――― ひっ」
「これは、一体…」
首から腿にかけて身体を覆う、複雑に絡み合った茨の蔓。
こうなっては、早くサクラを寝台に上げなくてはならない。この寝台は、眠ることしかできない身体を助ける呪具で作られているからだ。
「アルスラン様、カイエ様を」
言われるがまま姉を抱き上げようとすると、彼女は首を振った。
「お願い…彼女ともう少しだけ…」
双子が苦心しながらサクラの身体を寝台に乗せると、カイエはその頬に手を伸ばす。
「ああ…やはり、お礼を言う暇をくれなかったわね」
あどけない寝顔。
はらはらと枯れていた涙がこぼれ落ちる。
「姉上…」
「お願いよ、アルスラン…この子のために祈らせて。ここでは許されると、それで世界さえ変えられるって、彼女が教えてくれた…」




