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カナデ 番外編 淡い光と忍び寄る影

カナデ視点で、少し過去に戻ります。

「言いたいなら言えばいい。みんなが私をどう思うかなんて関係ない。私はもうカナデを許すつもりなんてないから」


 あやねが冷ややかな目で私を見下ろす。私はあやねに嫌われたという恐怖が全身を包み込み、呆然とあやねを見つめる事しかできなかった。

 愛想を尽かしたように、あやねは私に背中を向け、そのまま私から離れていく。

 私は慌ててあやねに追いすがろうとしたが、体が地面に張り付いたように動かない。なんとか動かそうとあがいている間に、どんどんあやねは私から遠ざかって行った。目から涙があふれ出し、私は親友を振り返って欲しい一心で、叫んだ。


「あやねっ待ってよ! 怒らないでっ! 言わないから……誰にも言わないから、謝るから許してよ! 私を置いて行かないでよ! あやねえぇぇぇぇええっ!!!!」







「…………夢か……」


 窓から朝日が差し込み、私は思わず顔をしかめる。時計に目をやればもう朝の7時だ。気だるい体を何とか起こし、ベッドを離れた。部屋を歩きながら、何度も見る悪夢に思わず悪態をつく。


 最初あやねが私に別れを告げた時、まだ私は楽観視していた。もうあやねを誘惑していたあの女はいない。時が経てば、あやねはきっと許してくれるだろう。今までそうだったのだから。

 しかしそんな私の甘い考えは間違いだった。あの女が転校した後でも、あやねは私を無視し続けた。私はなんとかあやねの心を取り戻そうと画策したが、どれもうまくいかなかった。

 あやねと同じ大学に入りたかったが、それすらも叶わず、私はあやねに許されないまま、高校を卒業した。

 大学生活の事はあまりよく覚えていない。最初はあやねのいない生活が寂しくて苦しくて、気が狂いそうだった。しかし心がマヒしてしまったのか、逆に今度は何も感じなくなってしまった。

 表面上は、社交的な、誰もが羨み、憧れるような女性を演じていた。そうしないと、また厄介な父が干渉してくるかも知れなかったから。

 そうしているうちに、あっという間に時は過ぎ、私は大学を卒業し、あやねと決別してから八年の月日が流れていた。

 着替えを済ませ、カレンダーに目を向ける。今日の日付を確認し、私はため息を吐いた。


「……今日は貴斗さんが出張から帰ってくる日か。……めんどくさいわね」


 私はあやねの事が忘れられないまま、2年前にある男性と結婚をしてしまった――――。








 私と夫はお見合い結婚だ。彼は父の仕事の重要な取引先相手で、父が私の話をした時、私に興味をもったらしい。父は社長御曹司だった彼が大のお気に入りで、私の意見はほぼ無視をして、お見合いという名の結婚前の顔合わせが行われた。

 彼は私の事を気に入ってくれたみたいだが、私は正直どうでもよかった。誰と結婚しようが同じ事だったし、私が結婚を嫌がっても、父が許しはしなかっただろう。

 そして私と夫の夫婦生活は始まった。私は夫の前では完璧な主婦を演じている。夫の好みを把握した食事を作り、夫が家ではくつろげるような空間を作り、そして夫の為に笑っている。

 夫は私を愛してくれているが、私は正直、夫に愛を感じたことはない。夫婦生活は私にとっては仕事みたいなものだ。だから夫が長期出張の時は心が安らぐ。いつも無表情でいられる。

 しかし今日は夫が帰ってくる日だ。時計を見るとそろそろ家につく頃だろう。その時部屋にインターホンの音が鳴り響いた。

 私は軽くため息を吐き、玄関へ歩きながら自分の両頬をマッサージして表情筋を切り替える。扉を開けると、笑顔の夫が立っていた。私も夫に華のような笑顔を向ける。


「ただいま、カナデ。しばらく君と会えなくて寂しかったよ」


「おかえりなさい、貴斗さん。……私も寂しかったわ。さ、中に入って?」









 ある日、父が脳梗塞で倒れた。すぐに病院に搬送され一命は取り留めたが、認知症の症状が現れた。

 父は認知症専門の治療施設に入院し、経過を観察する事になった。しかし症状はどんどん進行していき、遂には私の事も、自分の名前すら忘れてしまった。

 こんな事になってしまったが、私は少しほっとしていた。もう父が私に何かを強制する事はないし、何より母の事を忘れた父は、まるで母が出ていく前のように穏やかだ。

 そんな父の側にいると、私も何も汚れていない、幸せだった子供の頃を思い出す。なるべく父の世話をしようと、週に一回私は父に会いに行った。


「パパ、カナデよ。お見舞いに来たわ」

 

 そう言いながら父の個室の扉を開ける。すると父がベッドの中で苦しそうにうずくまっていた。


「っ! パパ! どうしたの!?」


 私は急いで父のもとへ駆け寄り、容体を確認しようと顔を近づけた。しかし父と目が合った時、父はみるみるうちに憤怒の表情になった。

 私は思わず小さな悲鳴を上げた。だってその表情は、母が出て行った時に、見せた表情そのものだったから。

 次の瞬間父は私の首を締め上げた。初老の男とは思えない力に私の頭の中に火花が走る。


「ぐっ……! えっ……!」


「ちくしょう! お前今までどこに行っていた! 俺達家族を捨てて、あの女の元に行きやがって……! 俺よりあの女の方が大事だって言うのか! このアバズレが!」


 父は私を母だと思い込んでいる。なんとか誤解を解こうと、声を出そうとするが、万力のような締め付けに、なす術もなかった。


 どうして……! どうしてこんな事になるの!? どうしていつもうまくいかないの……?


 絶望感が体を支配し、徐々に意識が薄まっていく。目から涙が止まらない。

 もうたくさんだ。こんなクソみたいな世界から抜け出せるなら、もう死んでしまったほうがいい。

 そんな考えがよぎった時、勢いよく扉が開いた。


「お父さん何をしているんですか! カナデを離して下さい!!」


 夫が部屋に入ってきて、父と私を引きはがす。私は床に倒れこみ、足りなくなった酸素を急いで取り込むように喘いだ。

 夫は父を抑え込みながら、大声で施設のスタッフを呼ぶ。騒ぎに駆け付けたスタッフが部屋に入ってきた所で、私は意識を手放した――――。





 気が付くと私はベッドで寝ていた。一瞬自分がどこにいるのかわからず、少し混乱していると、横から安心したような夫の声が聞こえた。


「よかった。目を覚ましたね……。大丈夫かカナデ?」


「た、かとさん……? どうしてここに……?」


「今日は早めに仕事が終わったんだ。僕も久しぶりにお父さんのお見舞いに行こうと思ってね。……お父さんが君の首を絞めている所を見て驚いたよ。お父さんは今は眠っている。一瞬過去の記憶が蘇ったんだろうって医者が言ってたよ」


 夫の話を聞いて、自分の身に何が起こったか思い出した。

 そう、私は父に殺されかけたのだ。

 震えだした自分の体をなんとか落ち着かせようと、自分自身を抱きしめる。夫はそんな様子の私を心配して、私に手を伸ばしてきた。


「っ! 触らないで!!」


 思わず私は夫の手を払いのける。夫は驚いた表情で私を見る。夫のそんな表情を見るのは初めてで、なんだかおかしくなって思わず笑ってしまった。笑いながら涙を流した。


 もういやだ。もうたくさんだ。私が何をした。実の父に殺されなければいけないほどの罪を犯したというのか。まだ私を許してくれないのか?


 私は夫に、自分の家族の話をした。父が母に暴力を振るった事、母が女と出て行った事、そのせいでさらに父がおかしくなった事。水嶋家の汚点のすべてを話した。


 私の話が終わった後、夫は俯いて頭を抱えていた。それはそうだろう。この事実は父が自ら隠して話さなかったのだから。結婚話が破談になるには十分な内容だ。

 でも、肝心の父はもうあんな状態だ。そして私はこの事を話したせいで離婚になっても構わなかった。

 もう何もかも疲れてしまったから。


 すると突然夫は私を抱きしめた。私は何が起きたかわからず、混乱していると、頬に冷たい物が降ってきた。それは夫の涙だった。


「すまない……カナデ! 僕は何もわかっていなかった。一人で抱え込んで辛かっただろう……。でもこれからは僕がいる。僕が君を守るから……!」


「な、なんで? 私達はずっと貴斗さんを騙していたのよ? あなたがこれで離婚しても仕方ないって思っているのに……」 


「離婚なんてするわけがないだろう! こんな事で愛しい君と離れたりはしない。君を愛しているんだよカナデ……」


 そう言いながら夫は私を抱きしめる。そして子供をあやすように、私の背中を優しく撫でた。


 ……なんだろう。なんでこの人はこんなに優しくしてくれるんだろう。こんな私に……。


 気付くと私は両腕を貴斗さんの背中に回していた。そして子供のように泣き声を上げた。そんな私を、貴斗さんはいつまでも抱きしめてくれていた――――。







 しばらくして、父が亡くなった。もうあまり長くはないだろうと、医師から宣告されていたので、覚悟はできていた。

 葬儀の時に父の棺に花を入れると、私の目から涙が流れた。

 

 何の涙かはわからないけれど、泣けた事にほっとした。


 貴斗さんはそんな私を励ますように、ずっと付き添ってくれていた。出棺の時に、私は貴斗さんの腕に手を添えながら、心の中で父に別れを告げた。







 父の葬儀が済んで数か月が経った。いつもの生活が戻ったが、以前の生活より少し違う変化があった。

 それは私が貴斗さんの帰りを心待ちにしている事だ。以前なら貴斗さんの長期出張を歓迎していたが、今は貴斗さんが側にいないと落ち着かない。


「今日は貴斗さんが出張から帰ってくる日ね……。貴斗さんの好きなご飯を作ってあげよう。食材買ってこなくちゃ」


 家を出て、街の食材専門店に行こうと通りを歩く。

 最近貴斗さんの事を想うと心がこそばゆい。この気持ちが何なのか、察しはついているけど、認めるのはなんだか負けた気がして、深くは考えないようにしている。


 私は火照る顔を冷ますように、顔を手で扇ぐ。しかし通りの角を曲がった時、私は信じられないものを見た。


「あ、や……ね?」


 私から少し離れた所であやねが立っていた。高校生の時よりも大人っぽくなっていて、とてもきれいになっていた。私は顔が熱くなるのを感じた。


 なんでここにいるの? 嬉しい! 嬉しい! やっと会えた!


 混乱する頭であやねを見つめていると、あやねの元に一人の女が近づいてきた。あやねはその女と待ち合わせをしていたようだ。とろけるような笑顔をその女に向ける。


 あやねからそんな笑顔を向けられているのが羨ましかった。胸が苦しくて、息ができない。

 そんな時、ちらりと女の顔が見えた。私はその女を見て愕然とした。


「何で……あの女が、あやねの側に……いるの?」


 その女は私が高校生の時にイジメて、転校させた春川りこだった――――。



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